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memo.1「アクロバットとドロップキック」

12/10 一部修正

2021年、7月21日。


「――Qループ、ナウ!」

 漣はそう言って、愛機の操縦桿を引いた。同時に一瞬だけスモーク・オン。

 大ループを開始。わずかなラダー操作。水平指示計を注視。その中の水平線は下側へ、ゆっくりと回転していく。躰にかかるG。少しきつい。

 先ほどとは別の水平線が降りてくる。背面。視界にも注意を払う。ここからが難しいところだからだ。エルロン・エレベータとつながっている操縦桿、ラダーペダル、スロットル、そしてトリム。これらを慎重に操作する。

 さらにループを継続、海面が見える。そして、……――ビンゴ! 先ほど一瞬だけ出したスモークが真正面に見える。つまりラダーやトリムの操作はうまくいったということだ。もちろん事前に問題になっていた箇所はまだわからないが、あとで確認することになっている。

 気合を入れ直す。腹筋にさらに力を入れる。もう少しで水平飛行、というところで……。

 ――……っ!!!

 無言の気合いとともに操縦桿を引き付ける。大Gのかかる小さなループ。

 呼吸は短く、強く。顔が下に引っ張られる感覚。躰はピッツ・スペシャルのシートに押し付けられる。瞼は重く、気を抜けば目の前が暗くなる。しかし、漣は思う。《ここ》こそが、自分が心の半分を忘れてきた場所なのだ、と。

 水平線は高速回転。水平指示計はそれに合わせてのた打ち回り、機首が垂直になった時に一回転。背面になり、機首が直下を向いた時にまた一回転。そしてループのうち四分の一を駆け抜け、水平飛行。

 息を大きく吐く。

「トレーン1よりAC。どうだった?」

 今の曲技飛行アクロバットを観察・撮影したACアクロバット・コントローラに無線を入れる。カメラは全体を撮るのと、機体を追随するのの二つ。返事はすぐに帰ってきた。

『ACよりトレーン1。感度良好。後の小ループの時は良いが、大ループの帰りが歪。行きは問題ない』

「やっぱり直ってなかったか。スロットルワークも変えてみて、ピッチ角も緩くするかな。カメラは撮ってあるんだろ? 後で確認させてくれ」

『オーケー。フライトの裁量はまだ任せる。機体は問題ないか?』

「今のところは無問題。操縦感覚も思い出したし、調整もいい。啓のやつに空自に転勤しないかと伝えておいてくれ。初等練習のとき、T-7の状態がひどいときがあったから」

 無線からはわずかな苦笑。

『帰ったら自分で伝えてくれや。次は?』

「ロール系二種と大技で終了、だな。最後にもう一本Qループをやるかもしれんが。……いくぞ、4ポイントロール、ナウ!」

 カメラは回り始めただろう。機動開始。

 右90度バンク、水平指示計は真ん中より少し左。さらに右90度ロール。背面。水平指示計を注視。チョイ上。さらにロール、左90度バンク。最後のロール、水平飛行。

 出来を聞く。魂入ってないか、というAC。空自時代からロール系は得意だった、当たり前だ。

 次にナイフエッジをやると伝えると、ちょっと待て、と返ってきた。緩く高度を落とさない旋回を繰り返し、待つ。

『オーケー。いつでもどうぞ』

「ラジャー」

 スプリットS、そこからさらに高度を落とす。100ft。低い。かなり低い。現役時代、偵察訓練の時や対艦攻撃訓練の時はもっと低いところを飛んだりもしたが……あまりやりたい行為ではない。1ftも落としてはならない。そのぐらいの覚悟で行く。

 ACからゴゥが出る。

「ナイフエッジ、ナウ!」

 ピッチアップ、右90度バンク、そのまま飛行。エルロンでラダーによるロールを打ち消し、さらに機首の変動をエレベータで打ち消す。ローパス風。

 速度が落ちてきたところでバンクを戻し、機首を水平に。

 息を吐く。正直失速(ストール)するかと思った。降下旋回で速度を稼いではいたが、少し足りなかったかもしれない。

 ラスト。徐々に高度を取る。

 スロットルを全開に。最大加速。

「……ハンマーヘッド、ナウ!」

 ピッチアップ。右ロールを開始。ヴァーチカル・クライム・ロール。対気速度がいい感じに落ちてきたところで、スロットルを絞る。ストール。ラダーを打って、Uターン。垂直降下。

 対気速度計に注意。十分に取ったところでピッチアップ。水平飛行。

「OK。トレーン1、帰投する」

 疲れた、と呟く。後席には誰も居らず、その呟きを聞く者はなかった。


 デブリーフィングを終え、漣はICA専用飛行場の外へ出た。800メートル前後の滑走路(ランウェイ)が一本あるだけだが、ICAのアクロバットチーム――まだ正式なチーム名は決まっていないーーの本拠地であるほか、ここ、松能群島と本州を結ぶ重要な拠点でもある。五つの島のうち最大のこの島に滑走路を造り、そこそこ大型の陸上機を運用できるようにする。他の島とは水上機で連絡するわけだ。

 午後三時からは水上機での連絡。使用機体はベリエフ・エアクラフト製の小型飛行艇、Be-103だ。パイロットを外して四人乗り。日本で他に使っているところは知らない。海上保安庁に売り込みがある、という噂があるが……。採用は無いだろう。

 漣がそんなことを考えながら堤防のそばを歩いていると、

「たーにざーきさーん!」

と後ろから声を掛けられた。もしライトノベルなら恋愛フラグだろうが、生憎と声は高めとはいえ、男のそれだ。何より私もアイツもいい大人だし――そんなことを考えつつ、漣は振り返る。

「よお、啓。整備はもういいのか?」

「誰かさんが丁寧に乗ってくれてるからですよー」

「嬉しいね。褒めても何も出ねーぞ?」

 幼馴染かつ、ICAの航空機整備員、雨宮啓だった。


 昼食を一緒にどうか、という誘いに乗る。

 彼との付き合いは長い。年下だが、故あって小学校の時から遊ぶ機会は多かった。そしてなにより、漣と同じく航空機が好きだった。しかしその方向性は少しだけ異なる。

 漣が主として飛行機による曲技飛行(アクロバット)や|戦闘機動(マニューバ―)を好むのに対し、啓は航空機一般が、機械として好きなのだ。自然、漣はパイロット、啓は整備士を目指すことになる。なるのだが……。

「しかし啓よ。ほんとに驚いたぜ? 空自辞めて来てみりゃお前がいんだから」

「僕だって同じですよ。こんな離島で、ねぇ……」

「そういやお前さ、最後に電話した時、『大手に就職した』って言ってなかったか? それが何でこんな離島の、零細企業にいんだよ」

「零細とはひどい。一応大企業がバックにいるんですよ? まあ僕に関して言えば、谷崎さんとたぶん同じです。まあ、ちょっと事情は違うでしょうけど。つまるとこ、ヘッドハンティングですね。それに、ドでかい旅客機だけじゃなく、アクロ機の整備もしたかったんで。……給料は安いですが」

 それな、と漣は笑って、横にいる男に同意する。しかし物価が安い上、気さくな漁師や農家が食べ物をタダでくれることもあるので、食うには困っていないのが現状だ。

 キラキラと輝く昼の海。遠くに一隻、漁船が見える。

 ところで、と啓は切り出す。

「空自からICAに移ってかれこれ一年半。もう慣れました? 見たとこ、アクロはキレッキレでしたが」

「ありがとさん。でもアクロはまだまだだな。まあピッツは良い機体だし、整備の腕もいい。飯も美味いし、言うことなしだな」

 お褒めありがとうございます、と啓。

 まあ、心残りはあるんだが。漣は口には出さない。空自への懐かしさは、此処で言うべきではない……。

 ふと気付くと、啓が漣の顔を覗き込んでいた。どうしたんだよ、漣は笑って言う。

「いや、なんか変な顔してましたから」

「そんなにか?」

「ええ。ひょっとして!」

 啓は小走りして止まって振り返り、漣の行く手を塞ぐ。顔にはいつもの悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。ピッツの塗装を勝手に変えて書類に泣かされた時や、セスナにサーチライトを付けて書類に泣かされたあの時と一緒だ。

「女のこと、ですか!?」

 漣は、パチクリ、と大きな瞬きをし、それから呆れ気味に言う。まあ彼には空自を辞めた理由を秘密にしているから仕方ないのだが。

「お前な、それ言ったら、お前の姉貴だってそうなっちまうだろ。……ま、当たらずとも遠からず、か」

 胸の位置にある、銀製のペンダントを意識する。もう二度と会うことのできない人の形見。万が一元の、空自や飛行隊に戻れたとしても、彼女だけはもう戻って来ないのだ……。

 知らず知らずのうちに漣のその心は表情に出ていたらしい。啓はバカでも鈍感でもない。彼の心中の、ナイーブなそれを察した。左足を軸に時計回りに回転、前を向き、

「……!?」

もう一度左を向いた。そして前へと猛然とダッシュ。

 どうしたんだよ、と漣が聞いてくるのに、首だけ捻って大声で返す。

「ボギー、ポート!」

 そのカンマ数秒後に、彼は見るのである……。雨宮啓の姉であり、谷崎漣の元恋人にして幼馴染である、雨宮(そう)を。

 その両足が、漣の左腕にぶち当たっているのを。


次話の投稿予定は未定です。

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