【競演】憧れの世界
この作品は第八回競演作品です。
前回第七回作品と同様の世界、同じ登場人物が出ていますので宜しければ是非。
それは少年にとってはまさに夢の世界。
目の前に広がるのは、一面の銀世界。
一切の生き物の生存を認めない様に過酷な世界。
だが、何処か、何処かで心が落ち着く。
真っ白で静謐で穏やかな、美しい世界。
その中を一歩、また一歩と踏み締めながら彼は進む。
そう、彼にはどうしても会いたい人がいるのだから。
…… 何を於いても、会いたい人がいるのだから。
◆◆◆
――っと、〇〇さん。
「は、はぁい」
――もう……ですよ。そ……しないと。
「もう少し、もうすこしぃ」
バコン。
小気味いい音を立て、頭に衝撃が走る。
「あいたたたたたッッッ、何、何?」
思わず目を覚ました青年の名は真名。尤も、偽名だそうで、名字は誰にも名乗らないし、周囲に知る者はいない。
目の前には頬を膨らませている一人の少女、史華。対面した座席から、今起こすのに用いたらしき観光案内を片手に、頬を少し膨らませ座っている。
見たところの印象では恐らくは二十代の半ばだろうが、その年齢には不相応な暗い翳をその表情、特に目に宿している。
普段、サングラスを外さないのも、自分の目を見られたくないからだ、と側にいる史華は聞いた事がある。
身長は一七〇代で体重は六〇キロ代、髪の色は茶色がかった黒。
中肉中背で、本来であれば特に目立つ事もないはずだが、彼は酷く人目を引いた。
理由は簡単でその服装に起因する。
一言で言えば、和装なのだ。
襦袢に袴、それに足袋の組み合わせをしているのはこの電車内でもまず間違いなくこの青年位の者だろう。
ただ、全てが和風という訳でも無いらしい。座席の下に投げ出されているのは黒の無骨なバイカーブーツ。それに空いていた隣の座席には革ジャンがブーツとは対照的に、こちらは丁寧に置かれている。
勿論、スマホだって持っているし、リップクリームも使うし、電動歯ブラシは必需品だったりする。
どうも、元々の実家というのが服装に厳しかったらしく、その名残を今も引きずっているらしい。
以前、史華が真名に尋ねてはみたものの、嫌な思い出でも浮かぶのか決して語ろうとはしない。
そんなに嫌なら着なきゃいいのに、とも言ってみたものの、洋服を着ると身体がムズムズするとの事ですげなく断られた。
その上で彼女なりに推測すると、ブーツや革ジャンやサングラスといった物は彼なりの反抗心なのだろう。
厳しかった実家に、家族に対して、彼なりの無言の抗議。
今、二人は新幹線に乗っている。
最終的な目的地は東北のとある温泉宿。
真名は、本来であれば京都を離れない。
それは彼の仕事に起因する。
彼は表向きは探偵業をしている。一応、たまに事情を知らない一般人から相談される事もあり、依頼には応えている。
だが、それは仮の姿に過ぎない。
この和装の青年の本業は”防人”と呼ばれる異能や超常的な事態に絡んだ事件や事故の解決を受け持つ始末屋。
史華は、そんな真名の探偵事務所兼、棲みかでもあるビルの大家の娘であり、更に自称探偵助手でもある活発な女子高生。
そんな彼らが何故、京都を離れ新幹線で東北に、とある秘湯のある温泉へと向かう事になったのか?
それはおよそ一週間前、ご近所の商店街での抽選会で、史華が一等賞を引き当てた事に始まる。
最初こそ、真名は防人である自分がおいそれと持ち場を離れる事に難色を示していた訳だったが、史華は正面突破が難しいと悟るや否や、搦め手で攻めてきた。
一体いつの間に伝手を構築していたのかは分からないが、京都にある防人の元締めに直談判し、休暇の許可を取ってきた。
しかもそれだけじゃなく、他にも陰陽師等の退魔師にも数日間、真名の担当する京都駅周辺の警戒を依頼し、あまつさえこの数年でその力を巨大化させた”世界の守護者”を自称する巨大組織にまで接触。協力を取り付ける等々、外堀だけではなく、内堀まで一気に埋め立ててしまい……最早抗う術は無くなった。
最早、自称助手の女子高生の要求を突っぱねる事も出来なくなった真名は不承不承ながらも温泉宿へ行くことを了承したのだった。
「君は一体何者ですか………はぁ」
と、溜め息混じりに呟きながら。
◆◆◆
新幹線から降りた二人は、今度は在来線に乗り換え、更にバスに乗り換え等々、幾度か移動手段を変える。
そうして、およそ五時間後。
バスがトンネルを越えたと同時に窓の外の景色は一変した。
「うわぁぁ……」
史華は思わず息を飲む。
これ迄の道中もそれなりに外には雪が積もってはいた。
所々、積もった雪を積み上げた山も出来上がっていたし、京都に比べると随分寒かったし、雪国に来たんだな、という実感ならあった。でも、何処か期待した物とは違うと、そう思っていた。
今、彼女の目の前に映る風景は一面の銀世界。
道も、山も、空もその全てが純白に統一されている。
しんしんと粉の様な雪が降る景色は、まさに彼女が思う雪国のイメージにピッタリだったらしく、うわー、すごーい、等と嬉々とした声をあげながらはしゃいでいる。
一方で真名は、というと。
彼は相も変わらず寝ている。とことんマイペースであった。
バスに乗る他の乗客は特に外の景色を見ても感想を洩らしたりしない所を見ると、恐らくは地元の住民なのだろう。
そう言えば、バスの中にいる乗客数が思いの他多い。
尤も、この道が今から向かう秘湯のある温泉街と外の世界との唯一の道なのだから当然、と言えば当然なのかも知れない。
そうして、更に山道を登り続ける事およそ、二十分。バスは温泉街へと至るバス停に到着した。
「ふあああ…………う、寒い。寒いよ」
外の寒さが身に染みたのか、心なしか真名の声も震えている。
「当たり前じゃないですかぁ、真名さんの格好見てて寒いよ」
史華は呆れた表情で隣の上司に言う。
前々から思っていたが、真冬のそれも東北の山中にある小さな温泉街の秘湯に入りに来た、というのに真名の格好は相も変わらずの鼠色の襦袢と袴に赤の革ジャンと黒いブーツ。サングラスはバスと外との温度差で完全に曇っているし、申し訳程度に被った帽子には既に雪が積もってる。京都の街中位なら大した問題も無いのだが、ここじゃあまりにも無防備だと言える。
「もぉ、仕方ないなあ。…………はい」
そう言いながら助手である高校生がバッグから何やら取り出す。
「ん? これは?」
それはマフラーと手袋だった。色は革ジャンと同じく赤。
「どうせ、真名さんの事だから、あんまり細かい事考えて無いんだろうなぁ、ってワタシが用意しました、ほら、付けて付けて」
そう言いながら、史華は手際よくマフラーを巻いていく。
「ああ、暖かい、暖かいよ史華さん。有難う」
「え、ま、まぁ……全く、いい大人なのに……。それよりいい加減バス停から出ましょ、ここにいても寒いだけですよ」
ようやく歩き出した二人はすぐに温泉街に入った。
道は精々一台分位の小さな道で、その両脇には小さな商店街が続く。思った以上に観光客が多いのは、秘湯に惹かれて来たからなのかも知れない。
「そういえばここの商店街、あまり雪が積もってませんねぇ」
史華はここに至るまでと、ここの状態に差がある事に呟く。
「そうですね」
真名は、そう答えたのみで後は無言で歩く。
二人が泊まる宿は、ここの温泉街の一番奥にあった。
元は温泉街の前身だった集落の長者の古民家だったらしく、遠目から見ても時代がかった雰囲気を醸している。
ここいらは元々は隠し湯だったらしく、その時代時代に応じて施政者が密かに怪我や静養に来る場所だった。
それが、江戸時代から明治になる事で一般にも知られる様になった。
とは言え、東北の山中にひっそりとある小さな温泉地で、ここに至る道も道路が一本のみ。そういう事情もあり、一般客はあまりここには逗留せず、一部の富裕層が夏の暑さから逃れる為に長逗留に利用するのが殆どだったそうだ。
そうした事情もあり、なかなか知名度が上がらなかったこの温泉地に光が当たったのはつい二、三年前の事で、とある温泉ライターが全国の秘湯、隠し湯特集でここを大きく取り扱った事がキッカケだったそうだ。それ以来、ここはちょっとした温泉好きにとっては人気スポットとなったのだった。
「いらっしゃいませ」
宿の女将さんが玄関前で二人を待っていた。
女将は四十代半ばの穏やかそうな女性で、この旅館は家族で経営しているらしく、厨房は女将の御主人と、祖父が受け持っているらしい。家族は他に息子が一人いるらしいが、今は仙台の進学校に通っているとの事だった。
「うっわーーースゴいよ」
「何ですか、史華さん?」
「これ、これ見てください」
そう言いながら史華が指差した方向に真名が目を向けると、そこには大きな居間のど真ん中に鎮座する囲炉裏。
「ああ、囲炉裏ですね。確かに、最近じゃなかなかお目にかかれない代物ですねぇ」
真名もしげしげと、囲炉裏とその真ん中に置かれている五徳を興味深げに見ている。女将が声をかける。
「随分とお気に入られたみたいですねぇ」
「女将さん、これどの位前からここにあるんですか?」
「ええと、うちの御先祖様がここに家を建てた時からですから……大体六百年は経っているか知れませんねぇ。今でもここの五徳はよく手入れしていますから問題なく使えるんですよ。お夜食もここの囲炉裏を囲んでしますからお楽しみにして下さいね」
「ここがお部屋です、しばらくごゆっくりして下さい。温泉は離れにありますので、もし宜しければお楽しみくださいね」
女将に案内された部屋は思っていた以上に広く、大きい。
昔ながらの古民家らしく、調度品も何処か懐かしい物ばかり。
電灯を除けば、一番新しそうなものは、柱に備え付けられた柱時計だろうが、それでもまた随分と年季が入っている様に見える。
「真名さん、真名さん。スッゴいですよ、テレビが無いです。スマホが圏外です。おまけに…………市松人形! まるで怪談に出てきそうな雰囲気ですよねぇ。夜中は怖そうですぅ」
史華は心から嬉しそうな声をあげて、キャッキャッとはしゃいでいる。普通なら、家電の無い、使えない不便なこの環境に怒りそうな物だが、この活発な女子高生は何とも思わず、寧ろ楽しもうとするらしい。かれこれ数年の付き合いながら、実に逞しい、と半ば呆れる真名を尻目に彼女は「じゃ、行ってきまーす」とだけ言うと、そそくさと部屋から離れへと小走りで出ていった。
「慌ただしいですねぇ、史華さんらしいと言えばらしいですけど」
思わず苦笑しながら、真名は不意に表情を引き締めるとサングラスを外し、部屋を見回す……ゆっくりと。そしてしばらくして「そういう事ですか」と呟くと一人得心した。
「どうかなさいましたか?」
女将は、炊事場にいた。どうやら、奥にいる主人と祖父と三人で今晩の料理の仕込みをしていたらしい。
「いえ、時間がありましたら……お尋ねしたい事がありまして」
真名はそう言うと、ニコリと微笑んだ。
「それで、何をお尋ねしたいのでしょうか?」
囲炉裏を挟む形で、真名と女将は座った。
穏やかな顔をしている。本当に人がいいのだろう、それがよく伝わってくる。
だからこそ、ここの異様さには強い違和感を覚えた。
違和感を最初に感じたのは、この温泉街に入った時だった。
微かながら、この土地に足を踏み入れた途端に感じた。
それは一種の”結界”。魔除けの力。
それ自体は特段、おかしな事ではない。
山とは本来、”異界”への入口だとされる。
異界とは天国、地獄等々様々な言い方があるし、様々な世界を指し示すのだが、一言で表すならこの世とは”違う理”に従う世界だ。
その中でも特に土地に力がある場所、そうした場所は概して”霊山”と呼ばれる。霊山は基本的には人の出入りを拒む。
例外として、神社や仏閣が建立される事で、初めて人と霊山は関わりを持てるのだ。
「この土地ですけど……ここ本来は禁忌の土地ですよね?」
真名は単刀直入に尋ねてみた。
防人として、異能者として、この地に滞在するのが難儀だったのだ、あまりにも強烈だったから。
「……どうしてそう思うのですか?」
女将の言葉は、問いかけに対して明確に答えていた。
彼女の言葉は問いかけを否定しなかったから。
「いやね、私はこう見えて異界等には縁がありまして、だから何と言うか……少し詳しいんですよね。…………ですから分かるんですよ。ここの宿、いえこの古民家中に張り巡らされた【結界】にもね」
真名はそう言葉をかけながら視線を周囲に向ける。
そう、この宿にはあちこちに”護符”が貼られていたのだ。
例えば、この部屋なら天井の四隅、入口に。
護符とは様々な効用があるのだが、特に有名な使い方としては魔除け、厄払いだ。家中を見回って見た結果、護符による結界はあちこちに綻びがあった。どうやら、相当昔から貼られていたらしい。
「話してくださいませんか? お力になれるかも知れません」
その言葉に女将は真名をじっ、と見据える。防人の青年も同様に対面する相手を見据えた。
少しの時間、沈黙が続き……女将は「分かりました」と口を開いた。
「……少しのお時間、頂戴致します」
そして、彼女は話を始めた。
◆◆◆
それはそれは昔の事。
ある霊山がありました。
その霊山はとても強い力を持っていて、山頂からは”遠い国”への入口があったといいます。
遠い国にいる人はいずれも不思議な力を持っていて、透明になれる者やとてつもない怪力を持つ者、火を起こせる者に、雷を起こせる者までいたそうです。
古来より、この霊山は時の為政者がその存在を秘匿した為に、民草は長い間この不思議な世界に繋がっている、という事実を知らずに生きていました。
遠い国の人と為政者は、時おり交流を続けながら、共存していたのですが、事態が急変します。戦さが、戦乱がこの地にも拡がってきたのです。
殿様は、懸命に奮闘しましたが多勢に無勢、徐々に追い詰められ、最期には討ち死にしたのです。
敵の軍勢が城下町に迫る中、残された家老様は、禁を破って霊山に行きました。
遠い国の人々は、決められた人としか会わない。長い間守られてきた掟は破られたのです。
家老様は、彼らの前に膝を付き、助けて欲しい、とお願いしました。今にも迫る軍勢を食い止めるのに力を貸して欲しい、と。
遠い国の人々は条件を付けました。
霊山の地に自分達を癒す為の場所を設ける事。それから、その際に自分達の世話をする者達をこの地に置く事、と。
家老様がそれを聞き入れると、遠い国の人々は国を守ってくれたのです。
今度は、家老様が約束を守る番でした。
家老様は、霊山に神社を建立し、その地に湯浴み出来る場所を設けました。そして、その場を守る為に心清き女性とその家族をこの霊山を任せたそうです。
こうして、この国は戦乱を潜り抜け、平和な時を迎えたのでした。
◆◆◆
「とても信じられないお話かも知れませんけど……」
女将が溜め息をつく。
「事実だったのですね、但し、一部の話には齟齬がある」
真名は表情一つ変えずに問いかけた。
女将も「ええ」と小さく答える。
「恐らく、この地を任された家族というのは、ある種の【生け贄】にされたのですね。異界の者の為に」
「詳しい事実は分かりません、ただ我が家に伝わる口伝によれば、この地に足を運んだ【遠い国の人々】は酷く怒ったそうです。
心清き女性には……」
「既に想い人がいたのですね?」
女将は頷く。
「それは若様だったと聞きます。殿様と一緒に幾度と無くこの地に足を運んでこられたらしく、戦さが終わって月日が流れた後に来られたそうです。それで、その………」
「充分ですよ、それ以上の事は【コレ】に聞きますので」
真名はそう言うと、五徳を指差した。
「さ、もうすぐ史華さんもお風呂から出てきますし、私もひとっ風呂頂かせて貰いますね」
◆◆◆
温泉を堪能した真名と史華はその後で、夕食を口にした。
出されたのは、この辺りの山の幸に、郷土料理。
舌鼓を打ちながら、大喜びの史華を見た真名は思わず微笑んだ。
そして、その夜の事。
「うにゃにゃ~、ダメですよぉ……もう食べられないよぉ」
幸せそうな寝言に寝息をたてる同伴者を確認すると、そっと乱れた毛布をかけ直し、真名は部屋を後にした。
そして静かに廊下を歩き、囲炉裏の前に近付く。事前にそこにあった五徳を一旦外してもらっていたので、素手で触っても熱くは無い。
五徳を手に取ると真名はその場にどっか、と座る。
囲炉裏には薪が焚べられており、パチパチ、と小さな火を立てている。ほんの小さな暖かな火を目にすると心が不思議と落ち着く。
「さて…………始めましょうか」
胡座をかき、その手前に用意した風呂敷を敷くと五徳をそっと置いた。
目を閉じて、静かに息を吐き、ゆっくりと吸う。幾度か呼吸を繰り返す内に、真名の全身をぽう、と仄かな光が包んでいく。
この青年はある”異能”を使える。
彼には、万物の持つ”起源”が理解出来るのだ。
起源とは即ち、万物の持つ力を知る事。万物の持つ力を行使出来るという事。
そして、それを”理解”出来るとは、その万物に込められた様々な想いや記憶をも知るという事。
風呂敷は、異界との繋がりを示す。五徳とは古来より、”呪具”の一つとして有名だ。例えば、有名な所では”丑の刻参り”に用いる品物の一つだったりもする。
こうした品物には得てして想いが宿るものだ。
「さぁ、見せてください」
真名は小さく呟くと、目を閉じた。手にした道具から感じる強い想いを知る為に、深く、深く、意識を束ねていく。
◆◆◆
そこは一面の銀世界だった。
何もかもが真っ白で、深い雪に全ての物が覆われ、今にも押し潰されそうになっている。
一人の青年が雪深い山道を上に上にと歩き続けている。
青年は簑に笠を被っており、そこにも雪が積もっている。
もう、青年には手足の感覚すら朧気だった。
行けども行けども、目の前にあるのは白い世界。
辛うじて自分が進んだであろう道以外は雪に全てが覆われている。
そこは、生者が近付く事を頑なに拒む神域。
だが、どうしても彼はそこに辿り着かねばならなかった。
青年は、ある守護の嫡男だった。
彼の父は民の暮らし向きを何よりも優先し、自分達は努めて質素な暮らしをした。
生活は楽とは言えなかったものの、そんな父を慕い、民は作物を、衣服を献上してくれた。
凶作で皆が苦しんでおり、周辺国では争いすら起きていた中、彼の国は平和であった。
しかし、平和は脆くも崩れ去った。
他国の軍勢が、国へと攻め入ったのだ。
彼らは行く先々で乱暴狼藉の限りを尽くし、人々を殺めた。
父は国主として、出陣し――壮烈な討ち死にを果たした。
敵勢を前に殿を努め、多くの兵を守ったのだ。
いつも、民の身を案じた父らしい最期だと若君は思った。
父は戦さをしながら、出来る限りの民を城や砦に導いた。
彼らもまた、敬愛すべき国主の死を知り、奮起。
攻め寄せた軍勢を撃退した。
だが、敵勢は一旦距離を取ったものの、未だに逃げていく気配は無い。
何故なら彼らもまた、生きる為に戦っているのだ。
勝たねば、生きられない。自分達も、家族も。だから、鬼にもなれるのだろう。自分達だけでも生き延びる為に。
戦さは長引く気配を見せ始めた。
雪が積もった事で、軍勢は動かない。
若き国主は、その隙を利用し、密かに城を出た。
代々、この地を治める者のみが知るという、霊山。
そこには神域へ至る道があるという。
彼は、この国難を収めるべく、山頂を目指したのだ。
だが、神域のある山頂への道はけわしかった。
この若き国主が父と共にその場所を訪れたのは、まだ幼少の頃。
季節は春だというのに、神域に近付けば近付く程に、まるで季節は真冬の様に厳しくなっていく。
吹き付ける風はひりつく様な痛みを与え、吐く息すら凍り尽きそう。それは、幼い子供の身にはあまりにもキツい行程だった。
しかし、それすらもあの時ですら、今のこの道程に比すればまるで青天白日の様に快適だと言えた。
時間の感覚など、とうにわからなくなっていた。今が、朝なのか、それとも夜なのかさえも同様。
いつしか倒れ伏していた。身体は重いのか軽いのかもわからない。
徐々に雪にまみれ、このまま死を迎えようした時。
それは、まるで夢の様な時間だった。
若君はその場所で”誰か”と一緒に遊んでいた。
それはとても楽しい時間だった、思わず時間を忘れる位に。
二人が一緒に遊んでいる内に、時間が来た。
――また遊びに来てよ、絶対だよ。
彼女はそう泣きながら言った。
「うん、わかった」
若君も同様に泣きながら返事を返す。
≪約束だからね≫
二人は同時にそう言葉を発し別れた。
(一体、何でだろう?)
若き国主は今の今まで忘れていた。約束は元より、彼女の事も。何もかもを綺麗サッパリに。あれだけ仲良くした時間だったというのに何故忘れていたのだろう。
(すみません、ですが此も致し方ない)
彼は目を閉じた。そしてそのまま静かに眠りに着いた。
「はっ」
目を開いた若君は、突然の目映き光に目を萎めた。
(ここは一体、何処か?)
そこは美しい場所だった。穏やかな光に包まれ、まるで春の息吹きの様な穏やかな場所。花は咲き乱れている。桜も梅も、桃の花に至るまで、あらゆる花が美しく咲いていた。
「やっと気が付いた?」
不意に声をかけられ、振り向くとそこにいたのはとても美しい女性だった。服装は例えるならアイヌの人々に酷似していて、チカラカラペの様な衣を纏い、その下に脚絆を付けている。
素足で歩き、手の甲には恐らくは蛇の刺青の様な紋様が入っている。何処か野生的ながらも、生命力に溢れた美しい女性だと思った。
「私は……一体何故ここに?」
若君は戸惑いを隠せなかった。自分がいたのは厳しき白い世界だったはずだ。こんなに穏やかな場所ではない。
彼女はその困惑を見て取ったのか、そっと傍ら寄り添うとこう答える「ここは貴方の来たかった場所だ」と、そうはっきりと告げた。つまり、この場所こそが目指した場所、神域だと、優しく微笑みながら。
「では、私は急がねば……」
起き上がろうとしたが、身体が動かない。まるで全身に重りを乗せられた様にビクともしない。
「まだ駄目だ、貴方の身体はここに馴れてはいない」
だからもう少しここで休んで、と言うと彼女は立ち上がる。そして何処へともなく去っていった。
不思議な雰囲気を纏った女性だった。
彼女は、それから何度も来訪者の元に来てはあれこれと世話を焼いた。
「わ、私は早く行かなければ」
焦りの募る彼を尻目に彼女は甲斐甲斐しく動かない身体を丁寧に拭き、食事を匙で食べさせる。
どうやら、ここには”夜”という概念は存在しないらしい。
いつまで経っても外は明るく、花が咲き乱れる。
だから、時間の感覚が無くなっていく。
動かない自分の身体の不甲斐なさに弱気になる彼を見て彼女は言った「貴方はわたしを忘れてしまったのか?」と、目を潤ませながら、寂しげに。
そうしてどのくらい時間が経過したか、ようやく身体を動かせる様になった若君は、起き上がると、彼女に礼を言い、ここの主に会いたいと伝えた。
彼女は、分かった、と言うと肩を貸した。
不意に彼女から桃の匂いがした。優しい匂いだ、と思えた。
若き国主が案内された場所は、石造りの神殿の様な所だった。
質素な造りながらもその石積みは見事と言うしかなく、一部の隙間すら無い。柱も見事で、どのようにすればよいのか想像も付かない。中央に用意された席に座るように恐らくは衛兵らしき数人女性に促され、座る。そして、主の来るのを待つことにした。
「お待たせした」
声をかけられ、顔をあげた若君は見た。
主は十二単の様な衣装を纏っていた。以前、京の都に行ったカウンター事があり、そこで父の友人という公家の家に滞在した事もあった。
その家にいた姫君が一度だけ十二単を纏い、見せてもらった事がある。だが、その姫よりも目の前にいる女性は華やかで、艶やかだった。まるで可憐な花の様な美しさしており、何処か近寄る事を躊躇う様な神々しさすら漂わせる。
思わず気圧されつつ、若君は口上を述べ始める。
「わ、私は、この地を守護してきた一族の嫡男……」
「……よい、言わずとも我は全てを承知しておる」
主はそう答えると、微かに微笑む。
「外の世界から来た客人よ、そこもとの願いは聞き入れよう」
「では……」
「その代わり、支払って貰うぞ。……我らの為に」
そう口にすると、主は指を鳴らす。
すると、若君の前にうら若き女性が大勢並び立つ。
「さ、選べ。そこもとはどれと添え遂げるのだ?」
その言葉に困惑した表情を隠せない彼に主は語る。
何でも、この神域に住まう者は全てが女性らしい。
この神域では時間の流れは外とは違うらしく、ここで何年暮らそうが、外の世界では一日にも満たないそうだ。
気候は常に快晴で、雨などは数百年に一度しか降らない。
更に彼女達は総じて長寿であり、この主は妙齢にしか見えないが、かれこれ六百年もの間生きているらしい。超常の力も持ち合わせてはいるが、この地は争いとは無縁という。
そんな彼女達ではあるが一つだけ問題を抱えている。
それは、女性のみである故に、ここでは子供が生まれないのだ。
だから、神域の者達は長年に渡り、守護を務める者と一つの契約を結んだのだ。定期的にこの地で契りを結び、子を為すという契約を。
「そ、それでは父も……」
「左様。年に数度この地を訪れては契りを交わした。この度は実に残念ではあるが……まぁよい。そこもとがいるのだから、な」
さぁ、選べ。そう言いながら主は迫る。
若き国主はどうしても選べなかった。まだ彼には割りきれなかったのだ。だから、選べない。
今、目の前にいるのはいずれも美しく、絶世の美女達だった。
だが、何かが違う。
彼の脳裏に浮かぶのは、あの野生的な彼女の姿。
目の前にい並ぶ美女達が例えるならば可憐な百合なら、彼女は野に咲くタンポポといった所だろう。
だのに彼の心に残ったのは、野に咲くタンポポの逞しさ、そして飾り気のない美しさだった。
だから、彼には選べない。
「おのれ……下賤なるものよ。あのような醜女に心を奪われるとは……!!」
主は心を読めるらしく、激怒した。
そして、彼を神域から放逐する事を決めると、二度と霊山からは入れぬ様にする、と宣言。その通りに客人を追い出した。
「何という事だ」
彼は閉じられるのを黙って見る事しか出来なかった。
山頂は不思議な事に、雪はあまり積もってはおらず、寒くもない。
彼は落胆しつつも下山を決め、降りていく。
行きとは違い、行程は格段に楽だった。
そしてその途上、山の中腹。
そこには以前から、隠し湯があった。
元々は、ここが霊山だと分かる前、この地にある隠し湯での湯治こそがこの険しい山を登る目的だったのだ。
この湯に浸かると、傷が癒える。
この湯に浸かると、病気が楽になる。
そう言い伝えられる隠し湯を代々管理してきたのが、国の守護であり、ここを修験の場としてき修験者達だ。
「はぁ」
若君も湯に浸かりつつ、明日からの、下山してからの事を考える。最早、戦さは避けられないだろう。降伏しても無事では済まないだろう。で、あるなら……。
「簡単ではないか、逃げればよい」
「うむ、そうだな…………おわっっっ」
気が付くと湯に浸かっていたのは、あの野に咲くタンポポの如き女性。
「な、何故ここに?」
「貴方のせいだ……わたしに気持ちを残すから、追い出された」
どうやら、彼女もまた放逐されたらしい。
いつしか二人は話し込んでいた。
彼女は、ある修験者との間に産まれた子供だったそうだ。
名は”鈴里”。その修験者は欲のままに神域の女性に手を出した結果、命を失ったという。
で、鈴里は神域で住まう事になったのだが、父親の件もあり”獣の娘”と蔑まれていたらしい。
「……わたしにも僅かではあるが【法力】はある。これを使えば城から脱する事も出来よう」
鈴里の提案を若き国主は受けた。
◆◆◆
鈴里の法力は神域から持ち出した五徳を用いる事で効力を発する。あくる晩、突如城の周囲に霧が出た。
それは、松明の火をも見えなくさせ、周囲を見渡す限り白く包み込む。
その隙を利用し、密かに城から民や家臣達を逃がす事に成功した。
翌日、霧が晴れた事を契機に敵の軍勢が城に殺到する。
しかし、もうそこには誰もおらず、もぬけの殻だった。
城を落ちた事で、若君と家臣達にた民衆はそれまでの土地を失った。彼らは新たに村を作り、田畑を作り、家を建てた。
若君は、山中で待っていた鈴里と結ばれた。
彼らは、霊山の麓にあった砦を新たな根拠地に定め、再び国を作った。鈴里に備わった法力により、肥沃な土地を見つけ、豊かな水源をも得た。
僅か数年で、国は以前よりも豊かになり、他国は羨んだらしい。
若君と鈴里との間には双子の姉弟が産まれた。
何もかもが、順調に見えた。
だが、家老とその配下達は違った。
何故なら彼らは、先の戦さの際に敵国に内通していたのだ。
家老は先代の当主に出陣を要請。そして、陣地の様子を敵国に教えたのだ。自陣の守りにわざと穴を開け、夜襲を成功させた。
当主が殿を務めるとは予想だにしなかったが、討ち死にした事は幸運であった。
後は城を差し出し、若き当主を差し出せば、新たな国主になれたはずであった。
しかし、実際には若き国主は新たに未開の土地を開墾し、砦を城には改築。その上で、幕府にその事を認めさせた。
(おのれ、見ておるがいい)
そして、数年後。
機会は訪れた。
巻狩りをした際の事だ。家老は密かに君主の馬の鞍に細工を施した、それを知らぬ若き国主は、狩りの獲物を愛馬で追う途中で落馬した。そして、その際に頭を激しく打ち付け、敢えなくこの世を去ったのだ。
突然の悲報に家臣や民、鈴里と子供達は悲嘆に暮れた。
家老は、まだ幼子に国を統治は出来ますまい、と言い、実権を握る事に成功した。
誰も家老の目論見通りだったとは思いもしなかった、鈴里を除いては。
彼女だけは、家老の本質を見抜いていた。
だから、夫に幾度も忠告していた。
「あの者の相は豺狼のそれです。側に置けば、必ず災いを招く事になりましょう」
しかし、人の良かった国主は、かの者がこれ迄長きに渡り、国に尽くした功臣であるからと、取り合わなかった。
やがて数年、鈴里は隠し湯の事を家老に教えた。
そこへの道案内をすると、申し出た上で。
前々から鈴里に横恋慕していた家老がその誘いを断る道理はなかった。
道中では手筈を整えた修験者が待ち構えていた。
彼らは法力を用いて、幻を作った。
そして、かの者を山頂へと導いた。
何も知らずにいた家老は敢えなく山頂へと至った家老は、強制的に開かれた神域へと導かれ、二度と戻らなかった。
かつての主は神域を去る前、鈴里にこう告げた。「そこもとの想い人は長くはないぞ」と、はっきりと告げた。彼女には彼の最期が観えていたのだろう。その上でこう告げる。
「そなたがもしもそれでも良いのなら構わぬ。【記憶】を我の手で消してもこうして互いに惹かれてしまった以上、意味など無い。
代わりといっては何だが、そこもとには贄を求める」
その条件は清き心の持ち主。それもとびきりにという条件。
だが、鈴里には家老の顔しか浮かばなかった。
決してあの神域は楽園ではなかった。あの場所は、まやかし。
清き心には清く映り、黒き心にはそれに応じて見せる姿を変える。
鈴里は神域が恐らくは滅ぶと分かっていた。
かように黒い心に神域は変質すると理解していた。
そして、その滅びの際に呪詛が返ってくると。
だからこそ、鈴里はこの地に住まう事にした。
呪詛を外には漏らさぬ様に防ぎ、生きると誓った。
強い霊力を備えた霊山と、自分、五徳に呪詛を受け止めた。
いつしか、鈴里の元には親のいない子供達が集う様になった。
彼女は新たな国主となった息子に頼んで、この地に集落を作らせた。山を開放する事で俗世から人が来るようにした。
神秘性を失わせる事で、徐々に山から霊力を喪失させる為に。
そうして数十年後。
「どうか、この地が未来永劫に穏やかなる事を」
それが、この五徳の持ち主の、鈴里という女性の最期の言葉だった。
◆◆◆
「で、結局どうしたの?」
史華は隠し湯とされる秘湯の女湯に浸かりながら塀の向こうに問いかける。
「どうもしませんよ、もうこの地に神域、いえ、異界は開かないでしょうね。ここは神秘性を持って異界の扉を開いていたのですから。とりあえず、護符を交換して、女将にはそう伝えました」
男湯に入っていた真名はそう答える。
「そっかぁ、心配は要らないんだね」
「そうですね、恐らくはもう……」
しんしんと降りゆく雪は幻想的な神秘性を持っていた。
口にこそしなかったが、この山は今だ強い霊力を持っている。
数万年、或いはそれ以上の年月の積み重ねで蓄積された霊力はたかだか数百年では雲散霧消等はしない。とは言え、余程の”情念”を持つ者でもいなければここにあった神域への入口は開かないだろう。だから、まず問題は無い。
(願わくば、何も起こらない事を)
真名はそう思いながら、一面の銀世界をみつめていた。
◆◆◆
「はぁ、はぁ」
少年は山頂へと足を進めていた。
何故、自分がこうしてこの道を歩むのだろうか?
分からない。
仙台から戻って来た彼は、実家に戻る事なく、一心不乱に山頂を目指す。不思議だった。
この山頂に至る道は万年雪が積み重なり、人の行き来を阻んでいたのに、何故か彼には”観えていた”。初めて登るはずなのに、以前ここを通った記憶がある。
険しく何者をも阻む白い世界が美しく感じる。
ここを登った先に、誰かが待っている。そんな予感があった。
いつの頃からか、夢に見た。
自分が、武士になり、山を登る夢を見た。
山の頂上に至ると、見た事もない美しい世界が待っていて、そこには美しい少女が待っている。
根拠は無い。それでも彼は登る。
そして、その場所に辿り着く。
少女が待っていた、仄かに桃の香りを漂わせ。
――おかえりなさい。
「ああ、ただいま――鈴里」
そして二人はまみえた。