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私のランクはFであるが、他ギルドとはいえ、この世界でも数える程しかいないSランクの、それも魔術師が一緒なのである。これによってというか、私としては有難くないことに、Fランクよりも上の任務を引き受けることができる。というか、寧ろ引き受けなくてはならざるをえない状況へと追い込まれていった。周囲からすると、「こんな有能な魔術師と組めるのに、何でお前はそんな低ランクの任務をしているんだ。きー」というような状態である。
何せ、いくら簡単であるとはいえFランクの内容は雑用である。「これをSランクなんて雲の上の人にさせるなんて畏れ多い」「勿体ないにも程がある」「人材の無駄遣いだ」「それだったら他の高ランク任務に行ってくれれば良いのに」というような、人々からやっかまれる姿が目に浮かぶ。なので、どう考えてもそれなりのものを受けなくてはならない。つまりは、所謂外堀を埋められたというやつだ。正に八方塞。逃げ道を塞がれた気分だ。
けれども、私はまだ初心者だ。この世界のことも全然解っていなければ、力の使い方もしらない非力な人間だ。周りの目は気になるものの背に腹は、というよりは、自分の命は何にも代えられない。
私はこれでも、一度死んでしまったからこっちに来た身なのだ。昨日まで生きていた世界から比べるとかなり物騒だし(何せ、日本は一般庶民にとってはかなり平和だった)、殴り合いの喧嘩もしたことのない私がいきなり勇者だの騎士だの侍だのになれるわけがない。そのことを考慮した上で、レティとの約束があるから討伐の任務は選択しようと思う。
けれど、それ程上のものをやろうとは思えない。刃物を与えられたからといって、幼児がいきなり殺人鬼になるわけでもなれるわけでもない。だから、そう、それと同じなのだ。それを考慮し、取り敢えずはD辺りで。この辺りが私的にはぎりぎりのラインだと思う。
一応、これでも結構頑張った方だ。私的にはかなり冒険しているのだ。レティはせめてCと言っていたが、さすがにこのラインは譲れない。Cは一般レベルではあるが、初魔物討伐でそこはまだ早い。せめてそれよりも下でと言い張り、このランクになったのである。
勿論彼は不服そうではあったが、身の丈に合ったこと以上のことを求められても困る。本音を言うのなら、幾ら装備が良くてももう一つ下げたかった。何せ、雑魚と言われるスライムすらも倒せる自信がないからだ。
そんなことを考えながら、ボードの依頼書を吟味する。命が懸っているだけあって、今まで生きてきた中でもかなりの決断力が要求されていた。それがあまりにも長すぎて、途中からレティが女の買い物の長さにうんざりした男のようになっていたが、これに関しては諦めてもらいたい。ちなみに私は、服やら食べ物や本に関してはすぐに決断できるタイプだ。だが、化粧品やら小物やら普段着ない服に関してはかなり時間がかかるタイプである。つまり、日常的なものはぽっと決められるが、本当はお金をかけたくないのにかけなくてはならない時に限り決断力が遅いのである。……っと、話が逸れた。
いくら悩んでいても、自分ではどれが良いのかなんて決められない。何せ初心者なのである。ラッキーで飛び級扱いになっているけれど、それはできない人間にとってはある意味有難迷惑だ。経験を積めなかった分、他の人よりも一歩出遅れているからだ。だから、遠回りは不幸でも屈辱でもないのである。それを踏まえたことによって、他の人よりも経験したことがあるのは寧ろ強みなのだ。これをわかっているかどうかで、後に大きな役に立つこともあるから人生というものは不思議だと思う。
埒が明かないなぁと思う。これは平行線を辿りそうだ。ボードに留められた紙を見ながら、「この報酬っていくらくらいなの?」と疑問を口にする。昨日は何だかんだでこちらの貨幣を確認していなかったのだ。
「大金貨、金貨、銀貨、銅貨、銭貨になります。それぞれ十倍したら、上に上がっていくと思っていただければ良いですよ」
昨日受け取った物で考えるのなら、銅貨が十枚ということは、銀貨一枚分に相当するということになる。
「貴女の世界で表すのでしたら、大金貨が一万円、金貨が千円、銀貨が百円、銅貨が十円、銭貨が一円という感じでしょうか? 因みに、金銭の感覚でいうのなら、貴女が以前いらっしゃった所よりも物価は安いですよ。街や露店でパンを買うのに銭貨五枚、子供のおやつ程度でしたら銭貨一枚で飴が買えますし、一般的な宿でしたら一泊するのに銅貨五枚で食事付きになります。お湯を使うとかなると、またオプションでお金はかかりますけれど」
と、いうことは昨日の代金は食事付き宿二泊分ということだ。意外とくれていたことになる。そんな私の心を読み、「Fランクはせいぜい銅貨五枚程度が普通です。依頼人が金額を決められるので、わたくしの場合は貴女が選ぶように少し多めに設定しただけです」と付け加えられた。成程、それで他に比べると内容の割に儲けが良かったのか。とはいっても、私は何もしていないからただで貰ったっていうことになるけれど。
「それで、どれになさいます?」
その態度から、いい加減決めてくれというのがありありとにじみ出ている。
RPGなんかでおなじみの敵や雑魚は何となく解るが、耳に覚えがないものもあってどうにも見当が付きにくい。
「一応聞いておくけれど、Dランクの討伐系のだったらどれがおススメ?」
「そうですね。こちらとこちらのものを並行してやるのがベストでしょうか」
「並行してできるの?」
「可能ですよ。依頼自体は幾つでも受けることができます。ただ、期日がありますので、その内にこなさないと評価がマイナスになってしまいますけれど」
「それで、この二つなら可能ということ?」
「えぇ、勿論です。討伐系と採取系ですけれど、この生息地がダブっていますから一緒に終わらせられますね」
「成程」
並べられた二枚の紙を眺める。
『マゴンドラの採取 五株 報酬銀貨三枚
オーガの討伐 十体 報酬銀貨五枚」
ファンタジー系の児童書でも映画でも、そういう類のものを見たことのある人なら誰だって耳にしたことはある筈の名前である。しかし、報酬がおかしくはないか? Dランクの基本報酬が銀貨だというのは別に良い。討伐の任務であるものの金額が高いのは普通だ。だが、何故採ってくるだけのマゴンドラの金額が高めなのだろうか? 嫌な予感がする。それももう、私の頭が警報を鳴らしているレベルで。
「マゴンドラって確かあれでしょ? 凄い顔で絶叫する赤ちゃんみたいな植物」
「何ですか、その良い方は。その言い方だと別の意味での恐怖心が煽られます」
「じゃあ、どん底に落とされて絶望した顔で叫ぶ人面植物」
「それも何だか微妙な……。それで、何を言いたいのですか?」
「いや、これって確か耳栓か何かしていたら対処できた筈でしょ? 要は音をシャットダウンできていれば良いんだよね? それなのに何か報酬が高くない? 相場が幾らなのかは解らないけれど、討伐の依頼と僅差でしょ。それとも、そんなに珍しいものなの?」
二次元でのファンタジー系のものであれば定番の植物である。それ故に何となくイメージが付きやすいものである。某魔法小説でも採取するシーンでは耳当てをしていたし、人間が抱くイメージとしてはそういうものである。だからこそ、戦って敵を倒さないといけないことよりも簡単に聞こえるのだ。
「いえ、珍しいかどうかで判断するのならそうでもありません。採取自体も音に注意すれば問題ありません。ただ、生えている場所が問題ですね」
「場所?」
「確か、ここの生息地は洞窟の奥に生えるという少し特殊なものであったと思います。ですが、その洞窟にはオーガが巣食ってしまっているとの噂が……」
成程。それなら矢張り一石二鳥だ。……って、ヤバいじゃん。思わずノリ突込みする程にヤバい。何でそんな物騒な所に行かなきゃいけないわけ。それに、生息場所が不味い。洞窟って、音が反響するじゃないか。そんな所で死の叫びを聞いたら耳栓どころでどうにかできるのだろうか? 確証が持てない以上、限りなく不安である。
「何、その最悪コンボは。生きて帰れる気がしないのだけど」
「まぁ、あれですね。自然の知恵というやつです。彼らも採取されないように必死なのでしょうね。何せ、自ら洞窟の奥へと逃げ込んだのですから」
「えっ、何それ。マゴンドラって移動できるわけ?」
「足がありますから、当然です。それでオーガの巣の奥へ逃げ込み、マゴンドラを採りに来た人間を得ることができますから、オーガの方も容認している感じです。正に持ちつ持たれつ、共生ですね」
「そんな共生認めたくない」
「ですが、それが事実です」
それでとレティは言う。
「早く依頼の申請をしてきてはいかがですか? ぼやぼやしていると横取りされますよ」
寧ろ、横取りして欲しい気分であった。何と言うか、ギルドや依頼者側はランク設定をミスっていないか? これでDランクとかなかなかにハードルが高い。一人前以下でこれとか皆のレベルが高すぎるだろう。それを主張したいところだが、この男は拒否を認めないだろう。これでも譲歩してやったのだと言い張るだろう。つまり、私には逃げ場がないというわけだ。
「わかった。やれば良いんでしょ、やれば」
やけくそである。それ以外の何でもない。
依頼書を手に受付に行けば、今日も昨日のあの受付嬢がいらっしゃった。
こんにちはと挨拶をしてみたが、ガン飛ばすような鋭い目つきで私を睨んできた。良い感じにメンチが切られている。レディースにでも属していそうなヤンキーっぷりである。しかし、レティを目にするとこれまたきゃぴきゃぴとした表情を浮かべるのだ。それは正に猫を被ると言うに相応しい。
何、その態度は。いくら何でも私に対する態度と違いすぎやしませんかね。そんなにあからさまだったら、同僚女子にハブられそうな気がするのは私の勘違いだろうか。
それに、背後からも数多の視線を感じる。じっと見られているというよりは、呪詛でも籠った突き刺さるような視線である。全然優しくなんかない。こいつら、私を亡き者にしようとしている。そう断言できるようなヤバさであった。
……よし、気が付かなかったことにしよう。絶対に、後ろを振り向かないようにしよう。そう心に刻み込むしかなかった。ここで振り返りでもしたら絶対にヤられらる。殺すと書いてヤるというくらいのレベルである。下手なホラーなんかよりも余程の恐怖だ。
女の嫉妬って、こえぇ。しかし、それに気が付いているだろう(多分)のレティはまるで余裕な感じだ。隣に立つ女がそんな目に遭っているとはまるで知りませんよ、思っていませんよといった感じの余裕さだ。これはあれか? 自分の隣に立つ女は皆こうなるから気にしていませんよということか? 常日頃からこうだから慣れていますよという、モテることに対するアピールだとでも言うのか? ヤバい。そうだとしたらこの男の傍に居るというのは死亡フラグだ。一応、貰う物は貰ったのだし、いっそのことパーティーを解消するというのもありか? この装備だったらそうそうやられないだろうし、一人でも大丈夫な気がしてきた。
すると、私の心の声が筒抜けであるから、レティは物凄く良い笑顔を向けてきた。なかなかに格好いいのだが、そこから黒いものが滲み出ていらっしゃる。口元は笑っているというのに、目が全く笑っていないのと、どす黒いオーラが出ているのは隠しきれない。流石は上級悪魔。凄い威圧感である。
「あっ、すいません。取り敢えずこれの受理をお願いします」
ここは三十六計逃げるに如かず、である。私は何も見ていない。聞いていない。何も感じてなんかいない。そういうふうに自己暗示をしながら極めて何事も無かったかのように務めた。引き攣った笑いではあったし、我ながら苦しい方向転換である。だが、この方向で進めて行く。これ以外のことをできるとは思えない。
針の筵状態であった私は、この場をどう乗り切るかということばかりを考えていて、この時のことをよくは覚えていない。これからこういうことが続くとなると憂鬱である。
レティは「高ランクになれば誰からも文句は言われませんよ。何せ、誰だって命は惜しいですから」と言っていたが、それすら他人からすればレティの威光を借りただけだと思われて終わりだろう。
そんなこんなで、前途多難ながら私の二回目の依頼がスタートするのであった。