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ほぼ無一文である私は彼の厚意に甘え、彼の家にお邪魔した。初対面の男女が云々なんて常識もあるが、背に腹は代えられない。ほぼ無一文である私(一応お金はあるけれど、それが一体どれくらいの金額なのか解らない)が、宿なんてとれる筈もない。ともすれば野宿かということだが、これまでの人生で野宿などしたこともなく、この上なくも物騒な世界でそれを実行しようとは思えなかった。そうすると、レティの言葉に甘える以外の選択肢は私にはなかったのである。どうなろうとも腹を括るしかないよね、というのが現状である。
連れてこられたそこは、最初に連れられた空間であり、彼が魔界で所有している屋敷らしい。だからこんなにも広くて立派であり、窓から見える世界はカオスなのだ。比喩ではなく、文字通り混沌としている。彼曰く、「屋敷の正面玄関以外から外に出ては行けませんよ」とのことだが、心配されなくてもこんな空間に足を踏み入れたいとは思わない。遠目に見ているだけでも酔いそうなのだ。
しかし、何故そんなものがあるのかというと、こちらで借りている家に無理やり空間を捻じ曲げて繋いだらしい。けれども幻覚がかけられていて、他の人が見るとただの小さなアパートの一室でしかないようだ。本当に何でもアリだな、悪魔。万能すぎるだろ。もしかして、未来の青いロボットよりも万能なんじゃないか? あっちは子供の夢を叶える感じの素晴らしさだけれども、こっちはリアルで大人が渇望することを実行できる願望的なことができるし。
けどまぁ、それに甘えた私はただそれを甘受するだけだ。風呂から食事に寝床まで世話になり、金髪碧眼の可愛らしいメイドに選択済みというよりもクリーニングレベルまでの上等さに上がった服を差し出された時には大いにときめいた。無表情なのはレティが造り出した眷属だからということらしい。
名前はないとのことだったので、私が勝手に命名。その名も「レティシア」。何となく語呂が良くない? けど、一応は考えたんだよ。レティの眷属だからちゃんと「レティ」と入れたし、女の子っぽい感じの名前に仕上げてみた。とは言っても、私が勝手に名づけただけだから誰もそう呼ばないし、私も彼女のことを「シア」と呼んでいるけれど。名づけておいてなんだが、「レティシア」と呼ぶのは何だか気恥ずかしかったのだ。
それを伝えると、「畏まりました」と坦々と承諾された。まぁこれならこれでも十分にアリだが、機械的なやりとりじゃなくって、小さく微笑んでくれると尚良しという感じだ。こんなにも可愛いのに普段は無表情なメイドが微笑むなんて、何というか、あれである。萌えである。考えただけでも素晴らしい。是非とも私にもその夢を提供してもらいたいものだ。
うん、何というか、あれだ。充実しすぎている。あっちに居た頃にゲーム三昧を送っているのも良かったが、こうやって尽くされるのは楽で非常に良い。自分の家でもないのに、ぐうたらできるのも悪くないと思えるから、ここの居心地の良さは異常である。他人の家で寛ぎすぎだろう、私。
食事だって、見た目は普通であるし味も美味しかった。ただ、矢張り何を使っているのかと聞けないのだけれども。これでもしもグロテスクな食材を使っているのを目撃してしまったら、死活問題だ。ここでの食事がとれなくなってしまう。いや、例えゲテモノだったとしても食べるよ。だって、美味しいんだもん。そう思わされるくらいには懐柔され、洗脳されているのだろう。
そんなこんなでのびのびとさせてもらったわけだが、レティに呼ばれて赤い絨毯が敷かれた廊下を歩く。生で赤い絨毯が敷かれた家があるとは思わなかった。そんなものは記念館とか、二次元の中世ヨーロッパのイメージしかないからだ。
暫く行くと彼が扉を開け、私も後に続いた。
どうやら武器庫のようである。
壁には古今東西あらゆる武器が並べられている。中にはアイアンメイデン等の拷問器具まで置かれていて、ちょっと近寄りがたい一角もあった。
「取り敢えず、武器を揃えましょう。貴女の現在のステータスならば、自殺行為も甚だしい。例え素人であろうとも、それなりのものを揃えればどうにかなるのです」
まぁ、それはそうだ。私のような者が武器を渡されたからといって、いきなり一流の戦士の仲間入りができるわけがない。せいぜいそれなりに見せかけることくらいだろう。けど、何もしないよりは遥かにマシである。私の装備なんか、彼の言うように死に逝くようなものだ、マジで。自殺願望者か極度のマゾでもなかったら、この装備で何かをしようとは思えない。だって、防御力が一とか存在しないに等しすぎる。寧ろ、そこら辺の子供や動物の方が高いようなレベルである。
「まずは、これをどうぞ」
剣である。漆黒で何とも禍々しいオーラを放っている剣であった。
「これは?」
差し出されたから取り敢えず受け取り、持ってみるが案外軽い。いや、軽すぎだろ、これ。一体何でできているのだろうか。私はこれまで武器なんて持ったことが無いけれど、この軽さは異様だ。
「おめでとうございます」
「何が?」
「よくお似合いです」
「だから、何、そのノリ。ブティック売場の店員みたいに坦々と進めていかないでよ。流れ作業的にマニュアル的な台詞を言わないで。それで、これは一体何の剣なわけ? 物凄く軽いんだけれど」
正に羽のように軽い剣を、レティから「抜いてみてください」と言われ、鞘から引き抜く。
シャラリと音がした。
漆黒の刃である。その禍々しくも神々しい美しさに私は息を呑んだ。
「矢張り、良くお似合いです。全身の装備も黒にしましょう」
「いや、それだったら私、モノクロみたいになっちゃわない? だって、目も髪も真っ黒なんだし」
「いえ、大丈夫です。問題ありません」
彼の感性は大丈夫だろうか、と尋ねたくもなる。しかし、それよりも先に確認しておかなくてはならない物がある。
「それで、この剣は一体何なの?」
「所謂魔剣ですね。これを装備すると、二度と外せません」
思わず息を吐き出し、急いで自分のカードを取り出した。カードの欄が少し変化している。
『攻撃力 15(+α)』
『装備 人間の服 普通の靴 視力矯正眼鏡 魔剣』
完璧に上書きされている。私が装備したことになっている。
「ちょっと、何て物を渡すの。もう装備しちゃったじゃない」
「ちなみに、名前はありません。一応魔王様から授かった剣ですから魔剣で、神をも殺すことのできる剣だそうですので〈神殺しの剣〉と呼ばれてはいます」
ちょっと待て。今のは聞き間違いか? ただの魔剣というだけでも大したものなのに、何最終兵器をぽんっと渡しているわけ。それに装備から除外できないとか、どんな呪われたアイテムだよ。
「それに、この(+α)ってどういうことなの?」
「これは魔剣です。この魔剣は斬れば斬るほど切れ味が増します。つまり、普通の剣とは違って、貴女が敵を斬った分だけ攻撃力が上がるのです。これぞ正に魔剣。流石は魔王様の剣」
「そんな大切な物を渡さないで。魔王の剣って、何でいきなりビギナーが最終兵器を装備しているのよ。こんなの、普通じゃない」
魔王も一体何を考えているのだろうか。こんな凶器をぽんっとくれるなど気前が良いにも程がある。気前が良すぎて、この悪夢から醒めてしまいたい気分だ。これまでの全てが夢で、起きたら何ともなかったというオチはないだろうか。
「無理ですね」
「断言しないでよ」
「現実逃避をなさるのは勝手ですが、魔王様のお心遣いを有難く受け取らないとは何たる不届きな」
「有難くなんて受け取れないよ。これが気持ちだけだったら有難いけれど、こんな呪われたアイテムを不意打ちで装備させられるとか、どんな罰ゲームって気分なんだから」
人間と悪魔だから価値観が違うのか、渡された物が重すぎる。重すぎるだろ、色々な意味で。
しかし空気の読めない男は、「失敬な」と憤慨する。
「言うなれば、貴女は魔王様に選ばれた勇者のようなものなのですよ。神などに選ばれたポッと出の勇者とは違います」
「魔王に選ばれた勇者って、ただ単に悪の騎士じゃない。ダークヒーロー的な感じってことでしょ」
「悪の騎士ではありません。魔王軍から見れば立派な騎士であり、こちらからすると天界サイドが悪の勇者であり、悪の騎士なのですから」
その言い分は尤もである。片面から見ればもう片面が悪であり、敵対する相手なのだ。勇者というのは、神を正義とした者の良い方に他ならない。つまり、自分の見方であれば誰だって勇者には成り得るのだ。
「と、いう訳で貴女にはそれ相応の格好をしていただきます」
にこりと笑むと、彼は指をパチンと鳴らした。
瞬時に服装が変わる。
あの冴えないジーパン姿だった私は、フードのついた外套に、編上げのブーツ。襟のついたシャツに、ぴったりとしたズボンへと変わった。色は全て黒である。人から白いと称される肌とあいまって、見事なモノクロスタイルである。
「確かに動きやすいと言えば動きやすいけれど、汚しそう」
着ている服は案外快適だ。動き難さの弊害のなさそうである。だが、黒だ。黒というのは案外着る人を選ぶ色である。それをこの私が着るとなると、どうにも頑張りました感が抜けない。スタイルの良い人であれば引き締まって見えるのだろうが、平凡体型な私では今一つというような感じだ。つまりは、服に着られているというような状態である。それにそもそも、この中二病的というかコスプレ的な格好をしているのにはちょっと抵抗がある。
しかし、彼は私のやんわりとした断りなんて聞いちゃいない。そもそも、この鈍感な男に日本人特有の八つ橋に包んだ断り方は効かないのだ。
「大丈夫ですよ。汚れないように防水、自然修復の魔法はかかっていますから」
「防御力が薄いんじゃない? だって、鎧じゃないでしょ?」
「いえ、防御力に関しては十分な筈です。それに鎧なんて物を着たら、貴女の動きを妨げてしまうと思いますよ」
「私にこの格好は似合わないと思わない?」
「いいえ、とてもよくお似合いですよ」
にこりと笑まれ、「あぁ、そうですか」としか私には言えない。
あれだけ人の空気を読まないくせに、何故こんなことに関しては手ごわいのだろうか。その有能さは仕事のみに発揮してほしい。
彼に言われたようにカードを眺めてみた。
『体力 158
魔力 89(+9999)
攻撃力 15(+α)
防御力 1(+9999)
素早さ 10(+9999)
装備 魔王の外套 魔王のシャツ 魔王のズボン 魔王のブーツ 視力矯正眼鏡 魔剣』
驚く程不思議な装備である。どう見ても不自然だろ。
このラインナップでは、眼鏡の存在が異様なまでに浮いている。あれ、おかしいな。私の目が変なのだろうか。それとも、このカードが壊れているのか、私の眼鏡が変なのだ。それか、幻覚でも見せられているかのどれかだ。
それにしても、何故一日も経たずに装備品がこんなにも異常な状態になっているのだろうか。これで私の死ぬ確率は激減だが、どう考えても人様に見せられるような内容ではない。
あぁ、でも、体力は増えないわけね。地道にコツコツと体力を付けろってこと? そりゃないよ。確かにこの防御力だったら攻撃を受けても無効化だろうけれど、どうせだったらこれにも補正を付けて欲しかった。
それにしても、私のステータスおかしくない? プラス要素が高すぎて、他の人がどんな状態なのか知りたい。多分、かなり高いんじゃないかと思う。けど、目の前の男のステータスなんかカンスト状態だし、他に知り合いなんていないから聞く機会なんて殆ど無さそうだ。
「一応聞いておくけれど、私の装備品は何で「魔王」って付くのが多いわけ?」
「それは勿論、全て魔王様から下賜された物だからです」
さも当然であるかのように告げられた言葉に、私は天を仰ぎ、ジーザスとやりたくなった。こっ恥ずかしいからそんなリアクションは実際にはやらないけれど、そんなテンションである。
だから魔王。何でそう簡単に装備をくれちゃうわけ? これはあれなのか? 魔王レベルになればこんな装備に頼らなくても良いということか? それとも、これが魔王の騎士(勇者)には普通の装備だというのか? やばいな、魔王軍。装備が既にチートだ。それにチートレベルの身体能力がプラスされるのだから、最強なのにも程がある。下っ端でこれなのだとしたら、魔王はどれだけ強いとでもいうのだろうか?
考えただけできりがない。確認の為に装備は変えられるのかと聞いたところ、これは変更可能だとのこと。変更できないのは、呪われているとしか思えないこの最終兵器だけらしい。何でも、女の子が服を替える自由がないのは面白みも新鮮味もないからだとか。それだったら、武器の方こそそれを採用しろよ。そもそも、私はもう女の子と呼べるような歳でもないのである。まぁ、物凄く年上であろう彼らにとってはまるで些細なことなのかもしれないけれど。
「他に何かご質問とかは?」
にこにことした、満足しました、一仕事しましたという感じのレティに、私は「ちなみに魔法ってどうやって覚えるわけ?」と尋ねた。
これだけ立派な魔力があるというのに、私の取得魔法はゼロである。私の現状としては、「何てことだ、これじゃあまるで宝の持ち腐れだ」状態に陥っているのである。
「一番簡単な方法は玉ですね。これでしたら、魔力を籠めれば誰だって使えますよ。とはいっても、多少の練習は必要でしょうけれど」
露店で売っているくらい一般的な物なのだ。まぁ、簡単と言えば簡単だろう。
「他の方法では?」
「魔術書を読んで習得するか、レベルを上げると習得できます。ちなみにレベルを上げる方ですと、魔法を使うことによって進化する方法と、レベルを上げると自ずと習得する方法があります」
「と、いうことは、私のレベルが上がると勝手に覚えるわけね」
「そうです。レベルの方はランクアップと違って勝手に増えていきますから、モンスターやら神やらをばっさばっさと斬っていくと覚えます。レベルも上がって魔法も覚え、更には魔剣の攻撃力も上がって、正に一石三鳥。効率的ですね」
この話を纏めるに、現実的に考えると一番効率が良いのはレベルアップしてというものだろう。魔術書なんて読んだところで、ゲームでもあるまいし、今までそんなものに触りもしなかった人間がいきなり使えるわけがない。それにそんなに簡単に使えるのだとしたら、魔術師ギルドの存在する意味がなくなってしまう。そういう風に消去していくと、魔法を使いたかったらレベルを上げて、ついでに剣の切れ味も上げてこいというものが選べない。
「一応聞くけれど、私って簡単にやられたりはしないよね?」
「そうですねぇ、どこまでのレベルでということになりますけれど、余程のヘマをしようとも、Aランク以下の任務で殺されることも、Aランクの人間に遅れをとることもないと思いますよ。防御力が高いですから、攻撃を受けた所で無効化できます。防具には自然修復能力がありますから、壊れる心配はありませんし」
だから大丈夫ですという良い笑顔を前に、特攻して来いってことなのかと思ったのは内緒である。それに、いきなりAランクとか言ってくる以上、Aランクの人は五桁が普通なのね。Cで普通なのだから、Cは三桁くらい? Bで四桁ってところだろうか? そしてそれを更に上回るのがSなのだから、この世には化け物しかいないのだろうか。というか、やっぱりこの装備強すぎだろ。半端じゃない。
「あぁ、うん、わかった。まぁ、どうにかなるよね」
女は度胸だ。何にもできないのだったら、玉砕覚悟で突っ込むしかないだろう。低ランク任務であったら大丈夫だろう……多分。
と、いうのが昨日の話である。
こっちに来てたった一日だというのに、色濃い日であった。もう、イベントが凝縮されすぎだろ、マジで。ゲームとかだったら次の街に行かないと無いというのに、何でこの国でこんなにフラグが立ちまくるんだよ(主に死亡フラグが)。
あぁ、本当に早く帰りたい。ゲームをしてごろごろしたい。……って、今更ながら気が付いたんだけれども、パソコンが使えるのだったらこっちの世界でもゲームができたんじゃないのか? 畜生、盲点だった。何てことだ。私としたことが、こんな大切なことを聞き忘れていたとは。それだけこの世界でも、長いものに巻かれろ状態になっていたのか。不覚だ。
昨日一日を通してもないくらいにまで悔やんでいると、「何、変なことを考えているんですか」と呆れた声をかけたれた。
「だって」
「だって、ではありませんよ。そんなことよりも、早く決めてください。こちらは貴女に合わせて低ランクの任務を受けるつもりなのですから」
一応、レティのように強い男に簡単すぎることをさせようとしている手前、私はうっと言葉を呑んだ。
だって、仕方がないじゃないか。いくらレティがいるとはいえ、いきなり高ランク任務に行こうとは思えないのである。装備がいくら立派だからとはいえ、最初からボスに挑んだりなんかしないでしょ?
つまりは、そういうことなのである。いくら装備が良くとも、使用する人間が愚図だったら宝の持ち腐れである。そうしない為にも、小さな事からでも経験を積むのは大事なことなのだ。ほら、経験値って大事でしょ? それにレベルが低かったら、上がるのも早いでしょ? まぁ、ぶっちゃけるのなら、リアルモンスターハントなんて恐怖心が煽られまくりである。ゲームでなら討伐系の依頼なんて余裕で受けるけれど、現実となるとそれがどう作用するかわからないし、ちょこちょこずつでも慣らしていきたいというのが本音である。
だって、私はチキンハートなんだよ。いきなり大きいことは無理だって。本当なら、どんなに雑魚でも、リアルでモンスターと戦うことなんてしたくないんだから。
漏れそうになった溜息を引っ込めながら、私は目の前の紙に視線を向けた。