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私は今、冒険者ギルドへの道を一人で歩いている。
意外と面倒見の良い信長が、ここまで関わっておいて私一人を放りだすことなんてしないだろう。実際、彼も私をそこまで連れて行ってくれるつもりだった。 しかし、あの後、私と信長の前に性別を超越したような、性別不詳な美人が現れたのである。いや、本当に性別不明なのだ。ぱっと見男か女かわかんないような中性的で、それでいてとてつもなく美しいのだ。実際、声を聞いても私は男なのか女のかがわからなかった。
「殿、また勝手に城を抜け出して」
どこか呆れているような、それでも仕方のないといった年長者のそれであった。つまりは、親愛の情が見てとれるような感じである。
しかし、信長は嫌そうな顔をした。そこには面倒くさそうな表情が見て取れるが、本気で煩わしく思っているわけではないだろう。彼からも信頼しているということが見て取れるような、親しい者に見せる素のような感じで言った。
「五月蠅いな、光秀」
と。
この時の衝撃を忘れることなどできないだろう。微笑ましげに見ていた所に、爆弾が落とされた感じである。
何ということだろうか。この美人が明智光秀? ということは、男か。声もそうだが、こんな人絶対に性別なんてわかるわけがない。だってあれじゃない。初対面で貴方は男ですか、女ですかって聞くなんて失礼すぎる。
ふおぉぉぉと一人で滾っていると、これまで楽しげに会話をしていた光秀に睨まれた。
「それで、貴女は一体何なんですか」
これまでの生活では無縁だった、美人に睨まれるという経験をしてしまった。それも、「恥を知りなさい。この泥棒猫」というような感じで。しかも、男から。それなのに、なまじ美人な分、女性よりも余程迫力がある。
うわーっ、怖っ。美人に睨まれるとこんなに恐ろしいものだったとは初めて知った。それにそもそも、私とこの人とじゃあつり合いがとれないことくらい重々承知なんで、そんなに睨まないでほしい。
私のチキンハートが悲鳴を上げていると、「やめんか」と信長が光秀の頭にチョップしていた。
「こいつは森で迷子になっていたから、俺がここまで連れて来ただけだ」
「元居た場所に返していらっしゃい」
「犬猫でもあるまいに」
「犬猫の方がまだマシです。人なんて、余計な金もかかるし我儘だし、虎視眈々と腹の中で何を考えているのかわからないのですよ。それだったら、愛玩にもなって、非常食にもなる犬猫の方が余程飼うに値します」
こいつ、犬猫を食用とするつもりか。愛玩とするつもりが全くない。ずっと飼っていたら愛着くらい湧くというのに、そもそもの前提で食用というのを根底の一部として持ってきている。寧ろ、この男だったら血も涙もなく平然と食用だとして実行しそうだ。倫理の概念が妙にずれている。
恐ろしい子という目を向けると、こんどはあちらさんから「まだ居たのですか」といわんばかりの氷の眼差しを向けられる。彼の後ろでブリザードが吹き荒れているような幻覚まで見える。うん、この男を前にしたらメデューサだって裸足で逃げ出すだろう。私の中では既に、光秀=女王様という図式が成り立ちつつある。
いや、うん。もうあれだよね。この目で見下し、軽蔑の眼差しを向けられたら引き下がるより他はない。
「ギルドへの道を教えていただけません? そうしたら、一人でもどうにかなりそうなんで」
「おいおい、ここまで乗りかかった船だ。最後まで付き合うさ」
「殿。貴方は執務が溜まっておいでなのですよ。このような小娘にお時間を割かれている場合ではありません。それから、そこの小娘」
絶対零度の射殺そうと言わんばかりの目に、私は反射的に背筋が伸び「はい」とこれまでの人生で一番はっきりとした返事をした。軍で上官から呼びかけられた下士官のような状態である。
「殿がお優しいからと言って、調子に乗ってはいませんよね?」
「はい。滅相も御座いません。このように相乗りさせていただいていることさえも畏れ多く、末代まで語り継ぐべきことだと思っております」
てんぱった私はよく解らないことを口走っている自覚はある。だが、止められない。もう、焦りのあまりに言葉が吐いて出てくるような状態だ。
「そもそも、このように私のような下賤な者にも寛大なお心をお持ちの殿を心より尊敬いたします」
「よろしい。では、どうすれば良いのかはわかりますね」
「殿から受けた御恩は生涯忘れません」
「それで?」
「この先は己の力でやってみたいと思いますので、御情けにギルドへの道をお教えください」
「えぇ、では、そこまで言うのでしたら、豚畜生の貴女に解るように道を教えてあげましょう」
「有難き光栄です」
豚畜生って何だ。私はそんな家畜並みの生き物だというのか。いや、この男の言葉を借りるのなら、非常食以下の存在である私だから、家畜以下ということなのだろう。私がどんどんヒエラルキーの底辺へと落とされていくのがわかる。
そんなことを思っていると、「今、何か言いました?」という細く三日月のような形になった唇を前に、「何も言ってはおりません」と答えた。
美人こえぇ。半端ないわ。この人、本当に恐ろしすぎる。同じ人間なのか? 実は氷柱男や雪男の親戚だとか、悟りのスキル持ちじゃないだろうか。人間じゃないという方がしっくりくる。いや、マジで人間じゃないんじゃないだろうか。そういう風に考える方がしっくりくることこそ、本当に恐ろしい。この人には逆らっちゃいけない。寧ろ、極力関わらないようにしよう。下手に恨み言でも買ったら、それこそ末代まで祟られる。祟られるどころか、根絶やしにされそうだ。
だから、お願いします。そんな恨めしそうな顔でこちらを見ないでくださいよ、信長さん。この人の恐ろしさは私よりも貴方の方が知っているのでしょうし、いい加減諦めて執務とやらを全うしてください。
ドナドナとどこか歌が流れそうな目で、信長は光秀に引きずられるように強制的に送還された。ありがとう信長。貴方のことは多分、三日間くらいは恩を感じていると思う。その後は、そのキャラの濃さから忘れないだろうけど、正直、光秀のインパクトが強すぎてそっちの恐ろしさの方を強く覚えているだろう。
っていうか、この世界で本能寺の変はあるのか? 結構仲良さそうだったから、光秀がヤンデレルートにでも突入しない限りなさそうには思う。今の所、矛先は信長じゃなく周囲の人にいっている感じ。けど、どうなるかわからないからこそのヤンデレだから、取り敢えず心中で合掌だけしておこう。今の私から何かを言った所で、私が不審者扱いされるのが落ちだろうし。
そんなこんなで私は信長と別れたのである。別れた後の疲労感が半端じゃない。何だ、これは。こんなに疲れたのは、職場で先輩に意味不明な細かいことまで罵られた時の精神披露の比ではない。テロだ、テロ。これは精神的にテロを受けたようなものだ。もはや、凶器による精神的攻撃のレベルである。あぁ、もう、本当に嫌になる。でもまぁ、もう関わり合いになることもないだろう。あっちは所謂殿上人で、私とは天と地ほどの隔たりがあるのである。
それにしても、濃い二人であった。流石は歴史に名を遺すだけのことはある。矢張り、これ程にまで灰汁の強いキャラクターではないと歴史に埋没してしまうのだろう。いやぁ、うん。私は平凡で良かったわ。歴史に名を遺すような波乱万丈、荒唐無稽な人生を送る気なんてさらさらない。
そんなことを心の片隅に置きつつ、私は一際大きな建物へと辿り着いた。冒険ギルドである。看板が「冒険ぎるど」になっているのが可愛いを通り越して妙にいやらしい。一体、何を冒険するんだ、何を。大事なことなので、今二回言ってみた。
この世界にはカタカナ表記はないのだろうか? いや、信長は普通にカタカナを使っていた。つまりはカタカナという概念はあるのだ。それでも使っていないというのは、誰の策略だ。引っかかる人間が数人は絶対にいるぞ。
こんな取り留めのないことを考えていても仕方がないし、私は小さな溜息を吐いてギルドの門扉を叩いた。