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ギルドを後にしたのは良いが、私は基本的に暇である。そうなる理由としては、目的というものが曖昧で、ハッキリとした形になっていないからなのだろう。
取り敢えず衣食住の保障はされているし、今すぐに何かをしなくてはならないということもない。異世界だから知らないことはたくさんあるものの、それが私を危機的状況に追いやる程のことではない。
つまりは、一応、それも申し分程度には何かをやってやるという意思はあるものの、具体的にどうしてやるとかそういうビジョンがないのである。これは意志ではなくて意思であるのが肝だ。だからこんな風にぷらぷらとできるのである。これではニートに限りなく近い。いや、衣食住をレティに保障されているのだから、ヒモというやつになるのか? あぁ、何だか自分がどんどんとダメ人間ルートを歩みつつあるように思えてならない。何ていうの? 非人道的+社会不適合者とかそういう感じの方向で。いや、まぁ、前からグロイ系のゲームとか漫画とかは大好きだけれども、それはフィクションだからだ。自分がそうなると結構ダメージが大きい。
だが、まぁ、私は基本的に無気力な人間だ。どんな形にせよ、どうにかなっているものだから今はそれ以上何かをしようとは思えない。今日は疲れたし、もうごろごろしたいというのが本音である。
「おや、もうお疲れですか。若いのにだらしない」
「いや、だらしないとか言わないでよ。一応社会人として平日は出勤するけれども、休日は引き籠りの上、仕事は朝から晩まで室内の私だよ。こんなに運動したことなんて初めてなんだから。日光に一時間でも当たったら頭痛のする弱さだよ。それに、十代の頃に比べると体力も落ちているのだから、仕方がないでしょうが」
「何を言っているのですか。貴女はまだ二十代なのですよ。やっぱり、だらしないですね」
「まだって人は言うけれど、私からするともうって感じなんだけれども」
「けど、わたくしからすると若者なのは変わりがないですよね」
その言葉に、レティが物凄く年上であるのではないかということに気が付いた。悪魔とかいうのだ。その可能性が捨てきれない。
「わたくしですか? もう数えるのを止めてしまったので覚えてはいませんが、地球に残っている歴史よりも遥か前から存在していることは確かですね」
地球に残っている歴史というと、中国四千年とかいうあれのこと? あぁ、うん。まぁ、物凄い年上であるということだけは解ったわ。私が知っている人の中で誰よりも年長で、誰よりも元気が良いっていうことね。長生きしている人は元気が良いっていうやつの典型的な見本っていうことね。
「人を老人扱いしないでください」
「でも、そういうことでしょう?」
「年が上なのと、老人というものは根本的に違いますよ。何せ、生物として歳を重ねて衰えてきたものを老人と表現するのです。でしたら、まだ肉体的にも健康体で働き盛りであるわたくしはそれに当てはまりません」
「働き盛りって、自分で言う?」
それを言ったら、悪魔の衰えっていつからだよという話である。死んでも死ななさそうな上、老化とも無縁のようにも思うのだが、そもそもそういうものはあるのだろうか。それに、仮に寿命というものがないのだとしたら、悪魔はどうやって増えたり死んだりするのだろうか? あまりにも寿命が長い者は子孫を残す能力が衰えているというし、それ以前に悪魔の生まれ方は交配なのだろうか? 訳が分からない。
「悪魔にも衰えはありますよ。力の弱い者は数百年で寿命を迎えます。対し、力の強い者は半永久的に最善期の姿を保ったまま生き続けます。あと、天使や神だって殺せるのですから、勿論悪魔も殺せます。悪魔だけが死なないという道理はありません。それから、悪魔の生まれ方は様々です。一番多いのは交配ですが、魂が闇に染まって悪魔になったり、力の強い悪魔でしたらその力を分け与えた分身のような者を創り出すことだってできますし、他にも色々と方法はありますよ。天使は生まれながらにして天使ですが、悪魔は一概にそうではないということですね」
「成程ね」
堕天使とかそういう言葉もあるのだから、そういうものなのだろう。なかなかに奥が深いな、悪魔。
「それよりも、今日はこのまま直帰するつもりで?」
「うん、そのつもり。もう疲れたからね」
そうですかと頷きながらも、レティのその目が笑っていないことに気が付いた。
「もしかして何か企んでいたりするわけ?」
嫌な予感がして尋ねれば、彼はとてつもなく良い笑みを浮かべて「えぇ」と頷いた。それを聞き、私は反射的に嫌悪感丸出しの表情へと変わった。
「いえね、若い頃の苦労は買ってでもするのでしょう? それでしたらそれに則って、折角厄介ごとが向こうからやって来てくださったのですから、それに乗らないわけがないでしょう?」
畜生、誰だよそのマゾは。苦労を自分から歓迎するとか、絶対に自虐趣味があるに決まっている。その言葉を作った人は、他人とは頭のネジが何本かずれているに違いない。
「ちなみに拒否権は?」
「ありませんね」
そう断言し、レティは私の背中を押した。
強い力で押され、それに何にも備えていなかった私は簡単に突き飛ばされる。殆ど吹き飛ばされるような勢いで前方に突っ込み、誰かに抱きとめられた。
赤い色が目に入る。
「大丈夫ですか?」
声をかけられて顔を上げ、私はぴしりと硬直した。
若い男だ。まだ青年と称しても問題はないくらいだろう。
モデルとか俳優としてテレビに出ていそうな、所謂芸能人的な精悍な顔立ちの二枚目である。だが、私が固まったのはそこが理由ではない。彼の全体的な姿が目に入ったからであった。
特徴的な赤い甲冑と着物に鉢巻、そして赤い二槍。何よりも特徴的なのは首から提げられた六文銭。「首から古銭を下げるなんてどこの斬新的なファッションだよ」と言いたくもなるが、この私の乏しい表現がズバリ当てはまる人間を一人知っている。否、その人しか当てはまらないだろう。
ズバリ言うのなら、日ノ本一の兵と呼ばれた真田幸村である。個人的に、兵と書いて「つわもの」と読む呼び方は好きだったりする。あと、幸村の名で多く知られているけれど、実名は「信繁」とか何とか名前に関してはよく解らない人物でもある。
「すみません。つれがご迷惑をおかけしました。御怪我はありませんか?」
レティがしれっとそう言い、私は「おい」と言いたくなるのを飲み込んだ。こうなった元凶が何を言い出すんだという感じである。
「いえ、某は何とも御座いません。それよりも、貴女こと大事ありませんか?」
「はい、大丈夫です。ぴんぴんしています」
殆ど叫ぶようにしてそう言い、私は彼から離れた。厭な予感がする。私にアンテナがあるとしたら、ビンビンと電波を受信しそうなくらいの波動を感じる。いや、さっきレティが厄介ごとに飛び込むようなことを言っていたから、その感覚は案外外れというわけでもないのだろう。
「某は真田源治郎信繁と申す」
おぉう、まごうことなき本人? そっくりさんっていうことはないわけ。って、ないよね。コスプレをしているのならまだしも、ここにレイヤーさんがいるとは思えない。ということは、やっぱり本人っていうこと?
っていうか、やっぱり本人の口から名前を聞いてもどこが名前なのかがわからん。そもそも、有名になりすぎている「幸村」ってどこからでてきたよ。名前の何処にも「幸村」って単語が入っていないじゃんか。それなのに、どうして「真田幸村」とか「真田源次郎幸村」とか言っちゃうアニメとかゲームがあるわけ? 意味不明すぎる。
いきなり始まった自己紹介を前に、私は内心でそんなことを思った。戦国時代の人の名前は奥が深いというか、現代人には理解不能である。幼名なんてものもあるし、そんなにコロコロと名前が変わってよく理解できるなぁと感心ものだ。
そんな風に現実逃避気味になっていた私をよそに、レティも挨拶を返す。
「わたくしはフルーレティと申します。そしてこちらが……」
肘で脇腹を突っつかれ、その目が先を促している。仕方が無しに私も「九十九命です」と答えた。
「おぉ、姓をお持ちとは、どちらのご息女で?」
「えっと……」
そういえば、この男が生きていた時代平民には姓が無いということを忘れていた。後世になって、平民であろうとも誰でも苗字を持てるようにはなったが、この時代ではないのが普通であろう。
「いや、まぁ、何でもないような家の出ですので、御気になさらないでください」
「あぁ、そうですね。初対面なのに踏み入った真似をして申し訳ない」
「いえ、全然気にしていないので、御気になさらないでください」
この時代の人は妙に大仰で話し辛い。信長と光秀という例を見てからだと、彼は随分と腰が低いようだが、だからこそ却ってこちらが恐縮してしまう。もしや、処世術とか作戦とかそういうわけじゃないよね。これは素でやっているんだよね? 前例が前例なだけに妙に疑り深くなってしまう。
「それで、そちらの方は?」
『レティシアと申します。命様の従者です』
「おぉ、矢張り良家のご息女であったか」
その言葉には誰も何も言わず、日本人張りの曖昧な笑みを浮かべているものだから、彼の中での話がだんだん確定していっているように思えてならない。ねぇ、レティにシア。どっちでも良いから否定してよ。
目配せしてみるものの、二人は至ってすまし顔だ。まるで何でもありませんとばかりに余裕気な表情を浮かべているものだから、この面子に挟まれると、傍から見ると私だけが挙動不審に見られているように思えてならない。いや、絶対そう思われているのだろうなぁと妙な確信が持てる。
それで、この男は一体何の厄介ごとを抱えていると言うんだ? どう見ても爽やかで実直そうな男にしか見えないのだが。
猜疑心も露わな目で真田氏(何て呼べば良いかわからない。けど、氏と付けるとオタク的なニュアンスで聞こえなくもない)を見ると、彼は「何でしょうか?」と笑んだまま首を傾げた。
眩しい。眩しすぎる。
レティの腹黒さが滲み出るような笑みと、光秀の絶対的な恐怖が籠った笑みを見た後だと、後光が差しているかの如く清々しい笑みだ。みんな顔は良いというのに、どうして笑顔一つでこうも印象が違うのだろうか。この笑顔を見ていると、まるで自分が汚れきっているかのようにも見える。あれだ、あれ。菩薩の笑みを見たとしたらこんな気持ちになるのかもしれない。
「聞こえていますからね」
レティが呟いた言葉に、私は肩をびくりと震わせた。よし、私は聞かなかったことにしよう。後が怖い。
「皆様は徒党を組んでいらっしゃるのですか?」
あれ? 何だろう。言いたいことは解る。パーティーとかチームとかそういうことはわかる。けれど、「徒党」というと全く違った意味合いに聞こえるのは何故だろうか? 何かに抗議しに行くような団体である。うん、解り辛いから横文字を使って欲しい。それともあれか? 彼はカタカナ用語を使わない主義でもあるのだろうか? 信長は平然とギルドとか使っていたし(彼は南蛮かぶれだから例外?)、真田氏だってここに住んでいるということは少なからず耳にも目にしたことはあるのだろう。それなのに、敢えて徒党という言葉をチョイスするとはなかなかやるな。
「えっと、違いましたか?」
「いえ、まぁ、そんなところですね」
そう答えると、彼はいきなり私の手を握った。効果音を付けるのなら「ガッ」である。ガッ。
何事かと目を瞬かせていると、彼は言った。
「力をお貸し願いたい」
と。