12
アニメや漫画やゲーム、もしくは映画などでは何度も見慣れた光景である。しかし、それが現実でとなると話は別だ。ましてや、それを自分が引き起こしたのであるとすれば尚更の事。
現実味のない光景を何処か遠くで眺めながら、汚れ一つとない剣を鞘に収めた。
「これで満足?」
尋ねれば、「えぇ、とても」とレティは笑んだ。
私は何処かやるせない気持ちを抱えながら、「そう」と頷いた。
『マスター』
どこからか声がした。周囲を見回しても誰もいない。しかし、私はある一点に目が釘付けになった。
手である。
影から手が出ているのだ。それも、私の陰から。
「うわぁああぁああ」
真剣と書いてマジと呼ぶくらい、本気の叫びであった。ホラーだと。しかも、それが私の影からだと。
まさか、祟りか。
人間の手のようにも見える。だが、まさかこのオークは元人間で、それに対してやんちゃしちゃったことを恨んでいるとでもいうのか? いや、やんちゃなんて可愛らしい言葉のレベルの超えたことをしてはしまったけれど。
先程の気持ちなど吹っ飛ぶほどの衝撃を受けながら、その手が這い出すかのようにして地面に手を着いたのを見た。
そしてそこから髪で顔が見えない頭部が現れる。
おいおい、マジでホラーなのか。これはホラールートに突入なのかと息を呑んでいる間も、だんだんと身体が私の影から出てきた。
現れたのはシアである。相変わらずの無表情だ。
それにしても、ここにメイド服のかわいいことは浮きまくりだ。
「何で彼女がここに?」
レティの声に私は首を傾げる。何でと言われても、私こそが理解不能だ。何故彼女は私の影から出てきたのかと逆に尋ねたい。
「何故ここに?」
レティがそう問いかけるが、彼女は無表情のままだ。表情が変わらないからこそ、つんと澄ましているようにさえも見える。
その様子を見て、レティは「成程」と溜息を吐いた。
「貴女、彼女に名前を付けませんでしたか?」
その顔からは呆れたというのが隠せない程に滲み出ている。何だ? 私は何かいけないことをしたのか?
「あぁ、うん。レティシアって。ごめん、迷惑だった?」
「迷惑ではありませんが、彼女が貴女の使い魔になってしまいましたね。別の名で言いかえるのでしたら、眷属ということになりますけれど」
「使い魔? 眷属?」
使い魔といえばあれか? 魔法使いとかが従わせている、あの?
「そう、その使い魔です」
「でも、どういうこと?」
腑に落ちない。私は何か特別なことをしたつもりなどないからだ。
「彼女はわたくしが姿を創り、与えただけの闇の精霊です」
「へぇ、精霊」
それも闇の。確かに驚く程の美人ではあるが、どうみても生きた人間のように見える。レティみたいに人型だからそういう悪魔にも見えなくはないが、精霊というのはこういう姿をしているのか。
「いえ、精霊には確固たる姿はありません。つまり、どんな姿になることだってできます。それによって、わたくしはわたくしの役に立ちそうな人型にしたにすぎません」
「レティが創ったっていうことは、こういうのがレティの好みっていうこと?」
茶化すように言えば、にこりと無言の圧力を受けた。目が笑っていない。つまりあれですね、触れるなっていうことですね。
「話を戻してもよろしいでしょうか?」
「……ハイ、モチロンデス」
「本来名前をつけるということは、契約するということにあたります。ですから、彼女は名を与えた貴女のものになったのですよ」
言われてみれば、二次元なんかでよくある魔法とかでてくる話だと、名前――つまりは真名によって縛られるということは聞いたことがある。てっきり、体の良い作り物設定かなと思っていたけれども、本当だったのか。
「それじゃあ、何で名前を付けなかったの?」
「面倒くさいじゃありませんか」
彼はきっぱりと言った。間髪入れずにはっきりと断言した。
「面倒くさいって……」
その言い草はどうかと思う。仮にも自分が姿を与え、こき使うつもりだったのだ。そんな身勝手なことをしておきながら、その解答はあまりにも酷過ぎる。簡単に言うのなら、使い捨てにするつもりだったということだ。まぁ、確かに使い魔ならそういう便利なものなのかもしれないけれども、シアという実物を見ていると多少は情が湧いてくるというものだ。
レティは再び呆れたように溜息を吐いた。
「名前というのは、その者の人生を左右する程大きいものです。わたくしが彼女を創ったのは、単に手伝い手が欲しかったからという単純な理由です。つまり、それ程長く拘束するつもりではなかったのですよね。それに、名を与えられた眷属は特別です。ですから、わたくし達上位悪魔は強力な眷属にしか名を与えないのですよ」
「成程」
そう言われたらそれらしく聞こえなくもない。
確かにそんな強力な存在がごろごろといたら便利ではあるが、その分それ相応の地位をその眷属も確立することにならない。何故なら、レッテルが貼られるようなものなのだ。誰々の配下であると特別な位置に居るのだとしたら、その者は他者に対してある種の牽制を得たということにならない。それを多用されない為の制限ということだろ。
「ちなみに、レティの眷属は?」
「わたくしの領地にいますよ。城に居る者もいれば、与えた任に就いている者もいます。尤も、主の呼びかけには忠実ですから、何処にいようとも何をしていようともすぐに召喚することはできますけれど」
何かをしているときに呼び出されるのは流石に嫌だなぁと思う。それが眷属の宿命なのかもしれないが、厭なものは嫌だ。
「それを凌駕するメリットがあるのですから、彼らもそのことについては承知の上ですよ」「そうかもしれないけれどさ……」
「釈然としていないようですから一応お伝えしておきますが、召喚は何もデメリットではないのですよ」
「どういうこと?」
「例えば自身が危機に陥ったとしましょう。そんな絶体絶命の中、召喚を行えばその窮地から脱出してわたくしの元へ逃げることが可能です。意味、わかりますよね」
「あぁ、うん。この召喚もある意味眷属の特権だっていうことはわかったわ」
レティの言葉が上手いからかもしれないが、そう言われれば確かにメリットがあるように思える。他には、仕事を終えてすぐに主の元へやって来ることができるというのも双方にメリットがあるように思える。
「……と、いうわけでこの「レティシア」は貴女の眷属ということになります」
「いや、そんなとってつけたように言われても……」
前後の話が微妙にずれているような感じがしないでもない。
「シアを私の眷属から外すのにはどうすれば良いの?」
「おや? この娘は要らないと?」
「その言い方は止めてよ。何か、聞こえが悪い」
「どんな言い方にするにせよ、言いたいこととしての結論は同じなのでしょう? それだったらわざわざ言いかえる必要はありませんよ」
そう言われれば身も蓋もないが、聞こえがいい言葉というのは大事である。何せ、それ一つで随分と受ける印象が変わるからだ。それによって敵を作ったり作らなかったりということもざらにあるし、こういう空気を読むというか、相手の顔色を窺うということをレティはできないのだろう。
「私の国に奴隷はいないの。それに、私はごく普通の一般人なわけ。周りに傅かれる生活なんてしたこともないし、私の元にいても仕方がないと言いたいわけ」
「ですが、護衛として使うことだってできますし、戦闘面で囮とか搖動にも使えますし、他にこまごまとした雑事だって快く引き受けてくださいますよ」
その言葉は確かに魅力的である。だが、外聞が悪いと言うか何というか、取り敢えず私には必要ないのだ。
一人でうんうんと納得していると、不意に袖が引かれた。
『マスターはシアが要らないのですか?』
無表情ではあるが、美人なのである。こんな、男であったら人生に一度は言われたそうな言葉を言われ、私は女であるがどきりとした。うっと言葉に詰まる。
「その娘もそう言っていますし、眷属にしてしまったらどうですか?」
「いや、でもさ……」
「それに、眷属にしないのでしたら、その娘は消滅することになります」
「どういうこと?」
「良いですか、彼女は普通の眷属とは違います。大体の眷属は元々が生き物であり、自己や個体を持っています。しかし、彼女はわたくしが創った精霊。わたくしからエネルギーが供給されている時ならいざ知らず、今は貴女の眷属ですから貴女からエネルギーを摂取している状態です。わたくしが言っている意味はわかりますか?」
「全く」
この場合は趣旨が解っていないという意味だ。いつもズバッと言うのだから、こんな時に遠回しにするのは止めてもらいたい。無神経キャラであるのなら、そのまま直球で言うべきだろう。
「そうですか。では言わせていただきますが、貴女からのエネルギー供給が無くなると、彼女は消滅します」
「ちょっと待って。どういうこと?」
「彼女はわたくしが身体を創りました。ですから、元々はこのような形をしてはいないのですよ。つまり、エネルギーが無くなってしまえば身体の形を保つことができません。故に、消滅するとうわけです」
成程、と納得できるわけがない。何故そんなに重要な事実をこの男は黙っていたのだろうか。そういうのは最初に言うべきである。
「それでも貴女が要らないというのでしたら、どうぞ。それは彼女の宿命だったということで」
レティとシアを交互に見る。そして、私は「うーっ」と唸った。
「解ったわよ。シアは解雇しない。ちゃんと私の眷属として扱うわよ」
「そうですか、それは良かった」
何だか、レティの掌の上で踊っているような気がしないでもない。思えば今回のことだってレティが私をここに連れて来たのだし、シアと会ったのだってレティが私にシアをつけたからだ。この男は一体どこまで読んでいたのだろうか。
『マスター、これからよろしくお願いいたします』
「あっ、うん。取り敢えずマスターは止めてね」
不思議そうに首を傾げる彼女に、私は「そう呼ばれたいと思っていないからよ」と言った。すると、「そうですか」と頷いた。
『では、ご主人様で』
「いや、それもどうかと思うんだけど」
『いえ、普通です』
「えっ、そうなの? 普通なの?」
尋ねると、「えぇ」とレティが肯定した。
「いくら眷属であっても、主の名を呼んだりなんてできませんよ。何せ、それによって魂が逆に縛られることだってあるのですから。ですから、わたくし達の中ではご主人様呼びが普通です」
「あっ、そんなものなんだ」
まぁ、あれだ。文化の違いというやつだろう。彼らのそれは、自衛の手段として考えられたということだろう。それなら抵抗はかなりあるが、受け入れる方が良いだろう。
「じゃあ、それで」
『はい、畏まりました。ご主人様』
うーん。クール系美人メイドに「ご主人様」呼びはその手の趣味がある人であったら、かなり嬉しいものであろう。何せ、メイド喫茶なるものがあるくらい日本人はメイドが好きなのだ。私も嫌いではないが、自分が実際に呼ばれるのであると別である。チェンジでと言いたくなるが、防衛の為なら仕方がない。郷に入れば郷に従えというやつだ。
立ち姿さえも洗練された彼女を見ながら、まぁ良いかと思うことにした。可愛いは正義、美人は国の宝なのだ。国宝が守られただけよしとしよう。と、私はかなり無理やり自身を納得させることにした。