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『光れ』

 こことはどこか次元が違う音でレティが言葉を紡ぐと、真っ暗な洞窟の足元を照らすのに申し分ない程度の明かりが現れた。

魔法である。

 これまでに少し魔法は見せてもらったが、それでもこういう風に魔法らしい魔法を見るのは初めてで、おぉと目を見開いた。あまりにも凄すぎる身の丈に合わないものを見せられるよりも、こういう簡素なものの方が人の目を驚かせるものだ。

 我ながら安っぽく思うのだが、事実だ。人間、自分が理解できる範囲でのできごとに対しての方が理解は深いのである。

「あまり明るいと相手に気が付かれますし、取り敢えずはこの程度にしておきますね」

 懐中電灯程度の小さな明かりであっても、歩く分には十分である。私はある程度夜目は利く方ではあるが、流石に真っ暗な洞窟の中を歩ける程ではない。確かどこかの部族は大層目が良いらしく、そういうことも可能だそうだが、現代社会に染まり切った私には到底無理な芸当である。

「洞窟の中に入るのって二回目かも」

「おや、前にも一度入ったことがおありで?」

「修学旅行でね。沖縄に行った時にガマと呼ばれる防空壕に入ったのよ。だから、その時以来かな」

「成程。でも、良かったですね」

「何が?」

「だって、貴女には何も憑いていらっしゃらないのですから」

にこりと言われた言葉に、私は頬が引き攣った。

「レティが言うと冗談に聞こえないんだけれども」

「冗談ではありませんよ。本当のことです」

 至って大真面目である。だからこそ逆に怖い。

「洞窟というのは出口がない吹き溜まりのようなものです。つまり、その空間にはどんどんと蓄積されていきます。そしてそこが防空壕であったということは、簡単に言うのなら避難場ですよね。そこでは病人や怪我人も運ばれ、沢山の方がお亡くなりになられたのではないでしょうか? ですからね、憑いてくることがあるのですよ」

 何が、とは聞くまでもない。「はい、霊魂ですね。所謂、魂というやつです」と彼は続けた。

「波長が合う方とは魂と引き合います。それによって、霊が一緒にその空間から出てきてしまうのですよ。そしてそれに憑かれた方はそのままにしておくと、霊による負の連鎖から引き摺られるということになります。引き摺られるとどうなるのかなどは言うまでもありませんよね。周りの方々を巻き込んで不幸になっていくだけです。一番多くあるのは『死』に誘われるということですね。それによって憑いた方も憑かれた方も更なる深みへと堕ちていって、本当に救われませんよ」

 しみじみと「厭ですよね」と彼は言うが、言っておくが私は幽霊談義なんて聞きたかったわけではない。

「それで、何が言いたいの?」

「何が?」

「何でそんなふざけた話を始めたわけ?」

 悪魔に霊が似合うも何もないが、この男はそういう類の話を好んでいるようには思えない。博識そうだから尋ねれば色々と語り出すだろうが、それでもそんなタイプではないだろう。それなのに何故そんな話になったのか、ということである。

「ぶっちゃけるのでしたら、意味はありません」

 文字通り堂々とぶっちゃけられ、私は「はぁっ?」と声を漏らした。若干柄が悪くなったのは言うまでもない。

「いえね、こういう所では怪談でもしたらよろしいのかとも思ったのですが、何分わたくしの知る怪談というのは血みどろの火サス系のやつなのですよ。それをこれから戦いに向かう方にするのはどうなのかな、と思いまして」

「空気を読むところが違うだろうが!」

 流石は悪魔。日本とはまた違った系統の怪談を好むのであろう。そもそも、名前からして出身が地球で言うのなら西洋風だ。だから私に語っても面白くないと思ったのだろう。うん、まぁその心遣いは良いだろう。しかし、さっきも言ったように空気を読む所が違う。

 墓場で肝試しをしたりとか、学校で怪談をしたりとかする文化は確かに日本にはある。だが、洞窟の中で怪談をする文化は日本にはない。それに、そもそももっとマシな話題があるだろうが。ちょっと考えてよ。空気読んでよ。……まぁ、それで左遷されたんだろうけどさぁ。気の遣い方が間違っているんだって。あと、火サスとか言うな。全然似合わない。

「そうですか?」

 彼にしては空気を読んだつもりだった分、とても不服そうだ。だが、私の言い分は間違いではない。ここで怪談を選択する人だったら、そいつは絶対にオカルト研究部か心霊っ研究部だ。一度は悪魔召喚やらこっくりさんやら、魔法の呪文なんて唱えたことのあるような中二病を患っていらっしゃる方が大半だからね。絶対に心霊特集なんかは欠かさずに見ているようなイメージがある。偏見だけれど。

 何故こうも戦いとは別の所で精神を使わなきゃならないのだろうか。これはあれか? 戦いというのは既に始まっているのだ、という奴なのか。それも仲間から精神的苦痛を受けるとか、仁義無用とかそういうこと?

「いえ、そういうわけではありません。わたくし、本当に空気を読んだつもりなのですよ」

「つもりと付く時点で読めてないから。ちょっと空気を読むということを考えてみようか」

「『「場の空気を読む」ということは、集団や社会への親和性という面から見れば、周囲の人の反応を意識することと言える。他人の表情や言動と言ったものの中から、自分が何がしかの行動を取ったことへの評価に相当する情報を見つけ出すことである』」

「そう、それで?」

「『場の空気を読むことに長ける人は集団への親和性が高くなり、逆に場の空気を読めない人は集団内の人々からの評価が低くなる傾向が見られる。これは日本に限ったことではなく、他の国々でも同様の傾向があると思われる。

内藤誼人は自著『「場の空気」を読む技術』において、顔の表情を読むこと、なかでも相手の眼を見ることの重要性を強調している。相手の言っていることと相手の表情とが一致しなかったら、表情のほうが相手の真情なのだと気づくことが大切である。例えば相手が「怒っていないよ」と言っている時に怒っている表情をしていたら、相手は怒っていると気づくことが必要なのである。

「場の空気」が読めない人は、相手の顔の表情や眼元の表情を見ないで話す傾向がある。うつむきがちに話したり、顔ではないところや、手元の資料を見ながら話す傾向がある。それにより耳から入ってくる言葉にばかり注意が向き、相手の真意・心情を理解し損ねるのである、と内藤は述べている。 「場の空気を読めない人」というのは、年齢・性別にかかわらず存在しているとされる。

場の空気を読むには人の心理を読む必要があるが、その人の基本的なものの見方、考え方、信条などを知るようにし、たとえそれが自分の考え・信条と相容れないものでも理解しようと努めれば、よりうまく読めるようになる。』と、いうことだそうです」

 とってつけたような説明文である。最後につけた言葉から、丸写し感が丸出しだ。

「ちなみにどこの言葉?」

「某検索サイトから」

「パクリじゃない」

「まぁ、そうですね。ここは広辞苑とかの方が良かったですか?」

「それはもう良い。それに、そんなページがあるのだったら、空気を読む方法も書いてあるんじゃないの?」

「もちろんありますよ。けど、これを読む限り、わたくしはこの通りに振る舞っているように思えるのですが」

「どこをどう見てそう言えるのよ」

 私は頭を押さえて溜息を吐いた。この男は私をどうしたいのだろうか。つっこみの属性でも付与させたいということなのか? それとも、天然故の疲弊とでもいうのか? うん、魔王様、この男を左遷させた気持ちが解ったわ。いくら仕事ができようとも、これはいただけない。こんなのと一緒に仕事をしていたら、疲れちゃう。

「仕事とは疲れるものですよ」

「確かにそうだ。誰が真っ当な答えを言えと言った。それに、それについてはレティには言われたくなかった。他の誰かが言ったら説得力があったけれど、貴方にその言葉は言われたくなかった」

 ちょっと、誰かこの男を黙らせてくれ。切実にそう思う。

「それは何故?」

「うん、ちょっと考えてみて」

「そうですか」

 適当に返したのだが、本当に何やらと考えている風である。確かに思案顔をしているものの、何を考えているのかは解らない。私は悪魔とは違って他人の考えていることなんてわからないのである。

 本当に、疲れる男だ。悪い奴ではないのは解るが、この男と逃げ場のない所で二人きりというのはいただけない。いや、悪魔に良いも悪いもあるのかがわからないけれどさぁ。


 それから少しした所である。

 あっ、唐突にレティが声を上げた。

「今度はなに?」

 投げやりに聞くと、彼は指を指した。その方向を見るとまだ遠くはあるが、微かに明かりのようなものが見える。

「どうやら近づいたようですね」

 オークの住処に足を踏み入れているのだから当然である。やっとと言うか、何というか、敵とご対面するのが近づいている。

 私は腰に佩いた剣の柄を強く握った。こんな物を上手く使える気などしないが、今はこれに頼るしかないのである。

 足音を殺して歩き、死角に身を隠しながら物陰から覗き見る。


 そこにはオークが沢山いた。

 巣なのだからそうなのであるが、思ったよりも数が多い。パッと見では数えられない程である。

 大きさも様々だ。大きいのも小さいのもいて、見ている限り、腰巻だけのが雄で、乳房が隠れる大きさの布を纏ったのが雌であろう。何となく、原始人がやっているような恰好に近い気がしないでもない。もっとも、大きさなんて比較的にならないくらい大きくて、狂暴だろう(あれ? もしかして原始人も狂暴だった?)けれど。

 そしてそんな中、一際目につく存在があった。それはもう、存在を主張しているのである。俺は一味違うんだぜ、とでも言わんばかりの風格がそことなく伝わってくるのだった。

「何、あれ?」

 身体だって大きい。他のオークに比べると、少なくとも二廻りくらい大きいような気がしないでもない。装備だって布ではなくてレザー的で、大きな斧のような物が傍らに置いてある。

「あぁ、ハイオークですね」

「ハイ?」

 それはあれか? 薬物でもきめているということか? ドーピングとか、アドレナリンが出すぎてテンションマックスっていうことなのか?

「いえ、まさか。オークの上位種ということですよ。オークの中のオーク。つまりはオーガの中でも最強の強さを誇る戦士のことです」

 おい、この男は今何を言った? この涼しい顔で一体何を言った?

「ちょっと待って。何でそんなにヤバそうなのがいるわけ? どう見てもDランクの任務じゃないよね」

 抗議しようと声を荒げていると、「誰だ!」とでもいうニュアンスの言葉が聞こえた。はっきりとは聞こえないのは、私が聞き取れなかったからであろう。

「おや、見つかってしまいましたね。貴女がそんなにハッスルするから」

「したくてしているわけじゃないから」

 本当にこの男は、私の神経を逆なでるのが上手いな。わざとか? わざとやっているのか?

「ほら、相手はもう臨戦態勢ですよ。見つかった以上、ここに隠れている意味はありません。さぁ、堂々と名乗り口上を上げなくては」

「そんなものがあるわけないでしょ」

 一体どこのヒーローだと突っ込む前に、レティに腕を引っ張られた。どこにそんな力があるのだと言いたくなる勢いで引っ張られ、私は奴らの前に引きずり出された。

 ……みなさんがこちらを見ていらっしゃる。

 余す所なく二対の瞳があちこちから私達を見ていて、私は戦慄いた。

 おいおいおい、これが初戦なんていきなりハードルが高すぎるんじゃないの? 絶対にやられるよ。殺すと書いてヤると読めるくらいヤバい。

「ちょっと、レティ。どうするわけ?」

「どうするとは? ここまで来たのですから、戦ってください。そして、奴らを虐殺してください」

 心底呆れたような物言いに、私は「虐殺って、何? いきなりそんな物騒なことを言わないでよ」と言い返した。

 聞き捨てならない言葉が出た。さらりと流せない言葉をどうしてこうも堂々と、敵陣の真ん中で言えるわけ? ほら、ちゃんと空気を読んでよ。レティがそういうことを言うから、あいつら更に殺気立っているじゃない。

「だって、彼らにとっては貴女が敵じゃないですか。貴女からして彼らがそうであるように、同様ですよ。それに、彼らにとっては貴女に何にも悪いことをしていないというのに、自分の仲間を殺す立派な殺人者であり、略奪者ですよ。良かったですね。いきなりそんなに立派で格好いい肩書きがついて」

「良くないわよ。そんな物騒なもの、何処かに置いておいてよ。ほら、ここでちゃんと空気を読んで。今こそ空気を読むべきよ」

 確かにレティの言うことは正論だ。だが、ここで言うようなことではない。そういうところが抜けているというのだ。もっと周りを見てくれと言いたくなるのだ。

「それに、何か鼻息が荒いんですけれど」

 敵が来たからではなく、それ以外の理由が混じってあるとさえも思えるほどである。それはもう、うすら寒くなるほどの。背筋がぞっとするかのようなものが。

「それは、貴女が一応女性だからですね。良かったですね、雌認定されて」

「どういうこと?」

 今、聞き捨てならない台詞が吐かれた。こんな時にもどさくさに紛れて毒を吐かないでほしい。けれどもそれよりも、その内容が聞き捨てならない。一体、どういうことなんだ。

「簡単ですよ。ゴブリンやオークにオーガといった、二足歩行でありながら脳味噌が足りていなさそうな畜生どもは、多種族の雌に種付けをします。そこに好みなんてものはありません。人間でも妖精でもエルフでも獣人でも、相手は何でも良いのです。とにかく雌であれば良いのです。ですから、貴女もその対象になるということです。ここに入る前にも話していましたが、探してみれば、矢張りこの洞窟の何処かにでも彼らの戦利品である雌が居るかもしれませんね。けど、その場合は大抵の方は精神的に病んでいらっしゃいますけれど。何せ、理性も何もない畜生に無理矢理強姦されて子供を産まされているのですから」

 胸糞悪い話である。割りかと明るい感じのライトノベルや漫画などではスルーされているが、グロ系のものもそれなりに読んでいた私にはその手の設定があるのを知っていた。だが、知っていただけなのだ。実際に自身がそれに直面するとなると話は違う。それに、そうやって慰め者とされ、精神が崩壊して尚も救われることのない女性がいるのはとても胸糞悪い話である。そして、私もその対象に見られているということに対する恐怖あった。

 こいつらは許しがたい畜生である。人間は生き物を殺して口にするし、同種族の者を殺すという残忍さもある。だから、子孫を残そうとするのはある意味本能的なものであり、正統的なものではあるのだ。しかし、種の存続とはいえ、それをやられた方は堪ったものではない。だから、今も下卑た視線を向け、汚らしい息をふごふごと吐き出すこいつらが生理的に受け付けなかった。

「黙れ、この豚野郎」

 言った瞬間、やってしまったと思った。後先考えていない言葉である。だが、どうしても無理だった。

 恐る恐る周囲を見回すと、私は更にぞくりとした

「って、何か喜んでいらっしゃりやがるんですけど。こいつらってMの集団なわけ?」

 マジでヤバいよとレティを見たら、彼はしたり顔で「それはそうですよ」と頷いた。

「彼らにとって豚野郎は卑下の言葉ではありませんよ。何せ、存在そのものが豚野郎なのですから」

 何かさらりと凄いことを言った。何でもないかのように凄いことを言ったよ、今。

「種族がもう豚である以上、豚野郎というのは最早褒め言葉でしかありません。人間である貴女が人間らしいですねと言われ、それで卑屈にとる方もいるでしょうけれど、大体の方は人間味があると良い方向へと考えますよね。それと同じです。ですから、彼らにとってそれは極上の褒め言葉です」

 おい、こんなに屈辱的な褒め言葉がこの世には存在するのか。いくら存在が豚であるとはいえ、面と向かって豚野郎と言われて喜びたくはない。

 まぁ、森の入り口で悪魔云々の話で同じようなことを思ったこととレティが言っていることは同じだ。その原理でいくのなら確かに、悪魔に「悪魔」と言うのは褒め言葉であり、豚が「豚野郎」と言われるのは褒め言葉ということになるのだろう。だが、悪魔と罵られるよりも「豚野郎」と罵られる方が絶対に厭だ。心底嫌だ。

「て、いうか、もうやるしかないんだよね」

 今度は私が「殺る」と呼ぶ意味合いでそう言った。何せ、敵は眼前なのである。

 得体の知れないレティを警戒しているからか、包囲網は若干しか縮められていない。しかし、彼らにとって私は脆弱な人間であるわけで、痺れを切らした一匹? 一体? のオークが飛びかかって来た。

「おわっ」

 変な声を上げながら私はそれを避けた。

 自分で称賛したくなる反射神経であった。これが通常であったとしたら、避け切れなかっただろう。つまり、無意識の内にやったことなのだ。これが切っ掛けで覚醒しないかな、私の秘められたパワーとかが。

「そんなものありませんよ」

「……やっぱり」

 ズバッと否定され、私はやっぱりそうだよねと内心で呟いた。そんな便利なものがあったとしたら、私はここですぐにでも英雄とか勇者にでもなれただろう。しかし、だが、そんな中二病設定は私にはないのである。尤も、中二病的なアイテム(最終兵器)は既に手に入れているのだけれども。

「何をしているのですか? その剣は飾りですか?」

「そうだった」

 腰に佩いた物騒な名前が付けられた剣を抜く。しゃらりと音が立ち、その美しいと称賛できる芸術的な刀身が姿を現した。

 それを目にした瞬間、彼らが怯んだのが解った。

 明らかに怯えたのである。あれだけ強気に出ていたというのに、本能的に一歩退いたのである。

 まさかとは思い切っ先を向けると、その先のオーク達は更に一歩退いた。

「やはり、豚野郎でもこの剣の素晴らしさは判るのですね」

 感心したようにレティが呟いた。

 どういうこと、とは聞くまでもないような気がする。何せ、文字通り最終兵器なのである。それも、斬れば斬るほど切れ味が良くなるというオマケつきの。そのヤバさが野生の本能――つまりは第六感が働かない筈がない。

 これはいけるのではないだろうか? 私が剣を扱って敵を斬るということを除けば、かなり有効的なのは間違いではないだろう。

 だが、何処にでも身の程を弁えない馬鹿はいるものである。自棄になったと言う方が正だろ。

 更にオークが襲ってきた。そして、油断が招いたのか今度は避けることなんてできなかった。

 絶体絶命。死――という言葉が頭を過った。

 オークが手にしていた棍棒が私の身体に当たったのである。それは間違いない。しかし、これはどういうことだろうか。

 私に当たった筈なのに、私には一切衝撃なんてないのである。それどころか、棍棒が圧し折られ、私に攻撃をしかけてきたオークは何かに吹っ飛ばされたのだ。

 何か、というのは私の目がそれを判断できないからである。まるで漫画のワンシーンのように衝撃を受けた身体が飛んで行ったのだ。

「えっと、どういうこと?」

 呆然と呟くと、「あぁ、簡単ですよ」とレティは言う。

「彼の攻撃力が貴女の防御力を下回ったので、カウンターが発動したのですよ。それによって、彼は飛ばされたということですね」

「何それ。最強じゃない」

 流石は魔王様厳選武器。その鉄壁を破れる者が居るようには思えない。

 私の防御力は1しかないが、防具の補正によって(+9999)なのである。つまりは、一万だ。数字にすると、10000とゼロが四つもつくレベルの凄さなのである。

 こんなものを破れるものがいるだろうか、いや、おるまい。韻を踏みたくなる程の驚愕である。それこそ、レティクラスの者からの攻撃とかじゃないと受け付けないのではないだろうか? まぁ、私には平均的な攻撃力とかわからないから判断はつかないのだけれども、少なくともオークにやられるような防御力ではないということは解った。

「っていうか、こんなに凄いのがあるんだったら、私が攻撃する意味ないんじゃない?」

 そう、こんなにも強いのがあるのだったら私がわざわざ攻撃する必要なんてない。寧ろ、剣を抜かずに突っ立ってでもいた方がずっと建設的だ。そちらの方が敵からの攻撃を誘いやすいだろう。

「まぁ、そうですね。けど、貴女の鉄壁さが解ったところで、彼らがむざむざと攻撃をしかけてくるとは思いませんけれど」

 そうなのである。問題はそこだ。

 初見ならまだしも、一度目の前でそんなことをされたら警戒して道理だ。舐めきって一斉攻撃をしてくれた方が私としては好都合だった。しかし、剣を抜いたことによってそれが阻止されたのである。

「全部レティが悪いじゃん」

 そう、そういう風に誘導したのはレティである。彼が剣のことを口にしなければ、まず私は剣を抜かなかっただろう。

「おや、心外な。けど、そうしなければ貴女は剣を抜かなかったでしょう? それはいただけませんよ」

 レティの目的はあくまでも私を戦わせることにある。最終目的は同じであってもその過程が違う以上、そうなるように仕掛けてくるのは当たり前といえば当り前であろう。

「何をごちゃごちゃ言ってやがる」

 ハイオークが怒鳴った。

 所々聞き取り辛くはあるが、きちんと人語を話しているということに驚きだ。他のぶひぶひ言っているオークどもとはえらい違いである。

「進化して、クラスアップしていらっしゃいますからね。下手な冒険者よりも知識も知恵もありますよ。畜生であるというのに」

 その言葉は間違っていないだろう。

 これまでの一連の流れはあくまで小手調べということだ。片方はいかにも弱くても、片方は明らかに常人ではないレベルの男。相手の出方を窺ったとしても不思議ではない。現に、ハイオークの警戒度が一気に跳ね上がり、こちらの隙を伺うかのように睨みつけてくる。気持ちに任せて突進してこない分、彼には知性があるということだ。

「何だろう、凄く悪いことをしている気分になってきた」

「何を今更なことを。何かの命を奪うということは、その生き物から略奪をするに他ならない。つまりは、彼らからすると貴女は急にやって来て一方的に生活を壊す存在でしかないのですよ。それがどういうことかは解りますか?」

「私は何に代えても倒すべき相手」

「そう、その通りです。けれど、貴女が気に病むことはありませんよ。何せ、彼らだって他者から奪って生きているのですから。生きている者が何かの命を奪い、糧として生を繋ぐのは当たり前のこと。今更貴女が罪悪感を覚えようとも何の意味もありません。何故なら、貴女がここで帰った所で新たな方々がやってくるだけのことですから。その時、やって来た方々が弱い方じゃないとよろしいですね? ハイオークを倒すことのできるだけの方がいて、殺されないと良いですね」

 その言葉は重い。

 諭すかのような言葉である。だからこそ、尚更ねっとりと脳裏に焼き付くのだ。

 にこりと笑む姿はまるで聖人君子である。何も悪いことも知らなければ、したこともないというような顔である。そして、その声や笑顔が責めるのだ。ここで私がやらなければ、他の誰かが犠牲になるという可能性の示唆を。

 彼は問うているのである。自分が何の味方であるのかということを。そして、私の選んだ答えによっては、レティは私のことを簡単に見捨てるだろう。

 彼の期待に応えないこと、それは即ち私の必要性がなくなってしまう。そうなることは絶対に避けたかった。彼に見捨てられたら、私はここでたった一人で生きて行かなくてはらないのだ。

 ではどうすれば良いのか――その答えは簡単だ。彼が再三言っていたように、望むことをすれば良い。

 私は剣を強く握った。そして、近くに居るオークへと振り下ろした。

 赤い色が視界を支配した。

 あっさりと肉が爆ぜ、骨が露出して内臓が飛び散った。

 手応えなんて何にもない。ナイフで果物を切る時だってこんなに簡単ではないだろう、そう思う程の手応えであった。

 あぁ、こんなにも簡単なことだったのだ。こんなにも容易く命というのは無くなるのだ。そう、私が死んだ時のように。

 不思議と哀しみとか焦燥はなかった。どちらかというと、何も感じない自身に安堵していた。

 悲鳴を上げ、逃げようとする女子供がいる。狂ったように奇声を上げて襲い掛かってくる雄がいる。

 それらを全て無感情のままに斬り捨てた。まるで、周囲から自分だけが切り離されてしまったかのようである。そんな風に他人事のように何処か思った。

逃げ惑う背中を追いかけ、剣を揮って斬り殺す。

 殺人とはこうも簡単なことなのであった。まぁ、そうであろう。生き物は生まれながらにして、一つは自由に命を奪うことができるのである。

 そう、自分の命だ。

 だが、それが無くなれば生きてなどいられない。だからこそ、人々は死に恐怖するのだ。

 けれど、どうだ? これでは私が彼らの巣にやってきて日常を脅かす、そんな絶対的な存在のようではないか。日本という平和な国に生まれ、これまで生殺とは無縁の所で生きてきたけれども、そんな私がまるで鬼のようであった。これではどちらがモンスターなのかわかったものではない。

 次々と倒されていく仲間を見て、ハイオークが私に襲い掛かって来た。そして、それも指示棒でも振るっているようにあっさりと肉塊へと変えた。

 やがて、誰も動かなくなった空間で、私は肩で息を切らせた。どうにもここが現実のようには思えなかったのである。

 ぱちぱちぱちと、拍手が響く。

「素晴らしい」

 そう言ってレティは笑んだ。

「矢張り貴女には資質があるようだ」

「何の?」

「他者の命を奪う才能が」

「成程」

 一度斬ってしまえば不思議と恐怖などなかった。つまり、彼の言っていることは正しいのだろう。これまで全然気が付かなかっただけで、私の本性なんてこうであるのだということだ。今思えば、アクション系のゲームが大好きで、主にR指定のつくものばかりをやっていたのも関係しているのだろうか。

 服の特性により、私には血など一切ついていない。剣だって相変わらず綺麗なままで、だがほんの少しだけ刀身が赤くなっていたが、やがてそれも消えた。まるで剣が血を呑んでいるかのようであった。

 これだけの惨状を目の前にしているというのに、何とも場違いであろうか。私は何とも遣る瀬無い気持ちになって、ふっと息を吐いた。寧ろ、自己嫌悪に近いのかもしれない。何せ、私は自分の利己を優先さえ、利益を得る為に必要以上にたくさんの命を奪ったのだから。その重さを本当の意味ではまだ理解できていないけれど、もう自分が取り返しのつかない場所に足を踏み入れたということだけは漠然とながら理解したのであった。


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