1-7 こいつといると安心できない
合宿所に戻った鳴は、居残り組に報告をする前に響の部屋を調べることにした。だが、結局手紙は見つからなかった。犯行時に身に着けていて、犯人に奪われてしまったのか?いずれにしろ、もう誰の手にも存在しないだろう。
「蓬生、お疲れ様」
汗をかいていた鳴に、涼がタオルを投げる。
「甲斐谷君、電話はあった?」
「無かった。やはり一年の内にせいぜい数回しか利用がない合宿所だからな。無理もない」
鳴はがっくりと肩を落としかけたが、落ち込んでいる暇はない。まだやることがあるのだ。
「それで、どうだったの?」
「少なくとも自殺ではないよ」
修太郎が分かり切ったことを自慢げに語った。そんなことはあの状況を見た時点で、全員が理解をしている。
「頭と首を石で殴られた後、首を絞められていたわ」
哲也がウッ、と言って口を押さえた。状況を想像し吐き気を催したらしい。
「何か、証拠はあったのか?蓬生」
同じように口を押さえながら、光が尋ねる。
「それなんだけど、皆適当に髪の毛を一本抜いてみてくれる?」
「何で?」
「いいから。あ、漆原さんはいいよ」
渚の髪は採取した短髪とはどう考えても一致しない。また、響の髪よりもう一回り長いので、付着していたら渚の物と一発で分かるはずだったので除外した。
「痛っ」
「抜いたよ」
「これをどうするの?」
渚は男性陣全員の髪の毛をハンカチの上に乗せ、その下に名前を書いた紙を並べて一目で分かるようにした。皮脂が着いているため、全て根本から引っこ抜いたものだと分かる。
「響姉ちゃんの衣服には男の物と思われる短髪が付着してた」
「えっ」
居残り組の男性陣が驚きの声をあげた。先に目的を言っていたら反対する者が出てきていただろう。もしかしたら長さを誤魔化されていたかもしれない。鳴のファインプレーであった。
「だから、採取してきた髪と皆の髪の長さを比べてみるね」
「ちょ、もしかしてそれが決定的証拠になっちゃうの?」
光が不安そうな声を出す。
「まぁ、あまりにも一目瞭然だったら、そうなるかもね」
「うぅ、恐ぇ」
哲也も情けない声を漏らす。涼は依然、沈黙を保っている。
鳴は救急箱にしまってあったピンセットを器用に使い、それぞれの髪の毛の横と、遺留品と思われる髪の毛の長さを比べていく。
「あっ」
すると、一つだけ数ミリの狂いもなく、長さも色も一致するものがあった。
恐る恐る、下に書いてある名前を確認する。
『甲斐谷 涼』。そう書いてあった。
「甲斐谷君、あなたのものと長さがほぼ一致したわ」
一同は一斉に涼の方を向いた。それぞれ顔には犯人かもしれない人物に対する怯えや怒り、様々な感情が混在していた。
「俺の?」
涼はあくまで冷静だったが、周りの殺伐とした雰囲気は既に量を殺人犯として見ていた。
「しらばっくれる気か、甲斐谷」
真守が詰め寄る。それを修太郎が制した。
「どけ、修太郎」
「髪の毛だけで決定的な証拠になるの?鳴」
真守を無視して修太郎は鳴に問う。
「少なくとも、甲斐谷君が先生と体を接触させたという証拠にはなるんじゃない?」
鳴は自信がなさげだが、恐らくその証明にはなるだろう。
「あんた、先生を強姦しようとしたんじゃないの?」
涼の女癖の悪さを知っている渚が発言した。
「おいおい渚、あんまりな物言いだな」
「というか、したんじゃないの?」
その発言を受けて、今度は気弱なはずの哲也が涼に詰め寄る。
「てめぇ、よくも響姉を!」
「勘違いするな。俺の女をどうしようが、俺の勝手だろ」
「えっ」
鳴が驚きの声をあげる。修太郎は顔を覆っている。どうやら彼はこの事実を知っていた様だ。
「は?な、何言ってんだお前?」
「言ったままの意味だよ」
あたふたする光に涼が自ら答えを与える。
「俺と響は二か月前から付き合ってたんだ」
開いた口が塞がらない一同。中でも真守、哲也、鳴が受けた衝撃は半端なものでは無いだろう。真守と哲也は怯えたような目をしている。
「昨日も寝たよ」
一同を置き去りに話を進める涼。
「そういう訳で、俺の髪の毛がついてても何の不思議も無いさ。理解したか、蓬生」
「え、あ、はい」
鳴は涼の言葉を聞き、我に帰った。確かにそういう事情があるなら、涼の髪の毛が響の体に付着していても何ら問題は無い。いや、倫理的に大問題ではあるが。
「じゃあ、捜査はふりだしね……」
「待って。納得できないわ」
髪の毛の問題を打ち切ろうとした鳴に、渚が待ったをかける。
「二人が付き合っていた。昨夜セックスをした。確かにそれなら髪の毛が付いててもおかしくないわよ」
「だから、そうなんだっつの」
「本当にそうかしら?」
一同はハッとした表情を浮かべる。確かに、この話が涼の出まかせならば、やはり涼は容疑者の最右翼という事になる。
「響姉と涼が付き合ってたのは本当だよ。俺も知ってた」
「何ですって!?」
修太郎の証言に、渚と鳴の声が被さり合う。
「こういうのっていいのかな、って相談してきたんだよ、涼が。んで俺が、響姉だったら大丈夫って太鼓判を」
「ふざけんなよ修太郎!止めるのが普通だろうが」
「待って真守君!今問題はそこじゃないでしょ!」
鳴が制止したものの、興奮している真守は修太郎と涼を交互に睨み付けている。
「……修太郎は甲斐谷から相談を受けただけなんでしょ?」
ボソリ、と哲也が発言する。
「そうだよ」
「じゃあ、甲斐谷が嘘を言っている可能性は残るよね?」
「……」
修太郎は沈黙する。今度は涼が顔を覆う。これ以上は、証拠を提示できない。
「やっぱり、信用できないわ。甲斐谷君が先生を襲ったっていうなら、私にとっては一番しっくりくるもの」
過去の因縁もあるのだろう、渚は明らかな敵意の視線を涼に向けている。
「甲斐谷君を拘束することを提案するわ」
「ちょっと待って。いくら何でもまだ証拠不十分よ」
自分で確かめておいてなんだが、髪の毛だけでは証拠として弱い。事を急ぐ渚達に鳴が待ったをかける。だが、賛成派は多数だった。
「俺も、甲斐谷といると安心できない」
光が渚に同調した。
「元々暴力的な奴だし、今回のこの事件も甲斐谷が起こしたって言うなら俺も納得できるよ」
渚の論調の繰り返しだったが、これで流れは決まってしまった。中学時代からの噂で、涼は喧嘩っ早いという事で有名だったのだ。
「じゃあ、俺も賛成」
「俺も賛成だな」
哲也と真守も賛成票を出す。
「ちょっと、何で投票制になってるのよ!論理的に考えないと」
「じゃあ、他の人が犯人だっていう可能性を出してもらえるかしら」
「うっ……」
可能性を上げることはできる。だが、証拠があまりに少ない今では、何を言っても出まかせにしかならないだろう。
「待ってよ、拘束するなんてひどいよ。友達だろ~?」
修太郎が反対する。
「涼と響姉が付き合ってたのは本当だってば」
「そう言ってるのはお前だけだろ。俺にはお前が甲斐谷を庇ってるようにしか見えないな」
「真守……。お前は本当に可哀想な奴だね」
「何だと!」
侮辱された真守が修太郎に掴みかかろうとするが、すぐに冷静になった。
「ふん。自分に怒りを向けさせて口八丁で甲斐谷を助けようとでも思ってるんだろ?修太郎」
「……」
「お前は昔から自己犠牲の精神を持ってるからな」
「買いかぶりだよ」
「とにかく、俺たちは甲斐谷を拘束する。鳴が反対してもこれだけは譲れない」
「いや、だからさぁ」
なおも反対の姿勢を崩さない修太郎の肩を、涼が叩いた。
「もういい」
「涼!」
修太郎は何を言っているんだ、と言う顔をしている。
「俺の普段の行いからしたら、こうなるのは当然だろ。まあ、心配するな」
鳴はその台詞の後、さらに何か修太郎に喋った様に見えたが、小声だったので聞き取れなかった。
「で、どうやって拘束するんだ?」
光は賛成票を投じたにもかかわらず拘束方法に関しては何も考えていなかったらしい。
「二階の自分の部屋、かな?」
哲也が提案するが、真守と渚によってすぐに却下された。
「馬鹿かお前は。窓があるんだから飛び降りて逃亡されたら終わりだろうが」
「それに自分の部屋だったら昨日の内に何か武器を隠してるかもしれないでしょ」
「そ、そうか?」
哲也は委縮してしまった。
「考え過ぎだと思うけどなぁ」
「何にせよ二階は危険よ。脱出して襲われたら元も子もないわ」
結局議論の末、誰も使っていない三階の部屋(響の部屋の真上)に閉じ込めることになった。
しかし部屋の鍵は内側からは自由にできるので、見張りを立てる必要がある。当番制で見張ろうという事になったが、
「私はやらないよ」
鳴は見張りを拒否した。
「そもそも私は拘束する事自体に反対なのよ。参加する義務はないはずよ」
「おい、鳴……」
哲也は聞き分けのない鳴に声を掛けるが、意志が固いことを悟ると諦めた。
「仮に甲斐谷君が脱走して私が襲われても、一切文句は言わないから。安心して」
「そう、勝手にすれば?犯されて、泣き叫ぶ事になっても知らないけど」
渚は鳴を冷たくあしらった。鳴は露骨に嫌悪感溢れる表情を作る。
「七里君はどうするの?」
「やれと言われればやるけど、部屋の中で涼とスポーツの話題で盛り上がっちゃう可能性の方が高いかな」
「ちっ……じゃあ鳴と修太郎は不参加ってことで」
真守は頑なな二人のことは諦めたようである。
相談の末、光と哲也が交代で見張ることになった。渚は女の子が一人で見張るのは危険だという事で免除された。
真守は鳴が引き続き調査をしたいというので、そちらに加わることになった。鳴は修太郎と自分で十分だと言ったが、「修太郎では不安だから」と言って捜査に志願した。
「マスターキーはどうする?」
真守は響のポケットから回収したマスターキーを人差指でクルクルと振り回している。
「じゃあ、蓬生が持ってろよ」
「私?神崎君」
「俺はこの中なら、お前が一番信頼できるからな」
光は自分の中での最高の決め顔を作った。
「まぁ、鳴ならいいんじゃないか」
「俺も賛成」
哲也と真守も賛成し、反論が無いのでマスターキーは鳴が預かる事になった。