1-5 私が探偵になります
「光」
鳴が取り乱した事でオロオロとしている光に、鳴など眼中に無いかのように修太郎が話しかける。
「な、何だよ」
「合宿所に戻って涼達を呼んで来てくれない?」
「あ、ああ……」
実際、今の自分に出来ることはそれぐらいであると自覚していた光は、脱兎のごとく走って行った。しばらく、修太郎は響の頸部にある大きな傷を見つめていた。
恐らく、今の悲鳴を聞きつけて真守もここに来るだろうと予想できた。その間修太郎は、鳴をとにかく落ち着かせるのが仕事であった。仕方がないので、抱きしめて落ち着かせようとした時、
「触るな」
低い声が後ろから聞こえてきた。真守だった。
修太郎を突き飛ばして、真守は鳴を抱きしめ、宥め始めた。
「大丈夫か、鳴」
鳴は軽い過呼吸の様な状態になっていた。
「まっもっ、ひ、響姉ちゃんがぁ」
「安心しろ。俺が居てやるから」
鳴は真守の胸に顔を埋めて、また泣いているようだった。
「ふぅ~。やれやれ」
間抜けな声が真守の耳に届く。
修太郎が場違いな落ち着きを見せているので、真守はイラッときたのだろう。細い目をして睨み付けている。修太郎はそれを無視して、響の遺体に自分の着ていた上着を被せ、開きっ放しになっている瞼をそっと閉じたのだった。
******
十分後、光が合宿所に残っていた三人を連れてきた。倒れている響を見た瞬間、涼が凄まじい勢いで走って来た。
「涼」
修太郎は話しかけることもできず、涼に突き飛ばされた。涼も修太郎と同様に、その体が人ならぬ温度まで冷えている事、そして脈拍が無いことを確認した。
それを確認すると、涼は修太郎を睨み付けた。気を落ち着かせた鳴が見たその眼光は、修太郎を糾弾しているように見えた。
そして胸倉を掴みかかって、なおも睨み付ける。
修太郎は目を逸らさない。数秒後、涼はその手を離した。
「どうなってやがんだ、畜生!」
哲也が激高している。彼や真守、鳴にとって響は幼いころから世話になり続けてきた近所のお姉さんである。この怒りは当然と言えた。
そしてそれは修太郎にも言える事なのであるが、鳴が見たところ彼は冷静に見えた。確かに狼狽しても一つも得は無いのだが、あまりに不自然に見えた。
まるで、こうなる事を予め知っていたかの様な……。そんな彼の態度が、鳴の感情を再び爆発させるのに十分な起爆剤となった。
「許せない……!一体誰がこんな事を!」
鳴は普段の愛らしい表情を消し去って、自分の怒りを周囲に表現して見せた。
「下着が乱されてる。せ、性犯罪の可能性が高いんじゃないかしら?」
渚が震えるような声で発言する。
「そんなの、見れば分かるわよ!それを誰がやったかって聞いてるの!」
「そ、そんな事言われても!私だって知りたいわよ」
「鳴、落ち着いて」
見かねた修太郎が仲裁に入る。
「うるさい!あんたは何でそんなに落ち着いていられるのよ!」
「熱くなっても、何も解決しないと思うよ」
「そんなこと、分かって……」
最悪のタイミングで正論を吐かれたので、鳴の瞳にまた涙が浮かんできてしまった。
「男なんて、大っ嫌い!」
擦れるような声で、やっと絞り出した言葉がそれだった。数秒、全員の間に沈黙が流れる。
「外部犯、の可能性が一番高いんじゃないのかな」
光が発言した。尤もな意見である。だとしたら、既に橋を渡って逃亡している可能性が高い。
「行くぞ!警察に連絡する必要がある」
涼が走り出した。鳴も同様の行動を取るが、その他が誰もついて来ない。理解が追いつかないのか、ポカンとして突っ立ったままだ。
「修太郎!早く来い!」
「俺はここにいるよ」
「ここにいてどうすんだ!さっさと来い!」
「……」
修太郎は黙っている。
「そうか、勝手にしろ。蓬生、行くぞ」
「う、うん!」
「待て、俺も行く!」
真守が名乗り出る。涼は一瞬躊躇したが、
「だったら、早く来い!」
そう言って再び走り出した。
外部犯なら、誰も姿を見ていないのだから遠くに逃げられれば終わりである。一刻も早く警察に連絡して、検問を強いて貰わなければならない。殺人事件なのだから、連絡さえ取れれば警察も早急に行動を起こしてくれるはずである。
「はぁ、はぁ」
「大丈夫か、鳴」
真守は鳴を気遣って声を掛ける。鳴は女子の中ではかなり体力がある方だが、バスケ部エースの涼、剣道部次期主将と目されている真守と比べれば、赤子の様なものである。あっと言う間に、涼は二人を置いて行ってしまった。
涼は走りながら携帯の画面を見る。まだ圏外の表示は続いていた。この様子では、やはり橋を渡ってしばらく下山するまでは電波は届きそうにない。だから橋に早く……。
「……何ッ!?」
しばらくして鳴と真守が追い橋付近まで走って来た。すると、膝を着いて下を見下ろしている涼がいるではないか。鳴は思った。何をしているんだろう。
数瞬して、鳴のビジョンは更新される。見間違いじゃない。
視界には、甲斐谷涼しか、『ない』。つまり。
――橋が、無い!
木造の吊り橋は、向こう岸にぶら下がっていた。橋の端が、切り離されているのである。
「そ、そんな!」
真守も涼同様、がっくりと膝をついた。橋下にあった川を渡れば、向こう岸に行けるが、こちら側は会談も設置されていない、ただの崖である。川に降りる方法もない。
つまり鳴達は、外界と完全に切り離された絶海の孤島にいる様なものなのである。
あと三日たてば、坂本さんが迎えに来て、異変を察して通報してくれるだろう。だが逆にいえば、あと三日、事件のことを警察に知らせに行くことはできないのである。
「……あれ?」
そこまで考えた後、鳴は気づいた。気づいてしまった。橋は、向こう側にぶら下がっている。鳴達がいる方ではなく、『外部犯が逃げた』方向である。
それは、おかしい。外部犯が鳴達に追って来られないように橋を落したのだとしたら、渡った後に橋を落すしかない。即ち、『鳴達がいる側』に橋がぶら下がっていないとおかしいのである。
鳴は再度、顔から血の気が引く感触を味わった。
橋を渡った者など、いないのだ。
外部犯など、いないのだ。
自分たちの中に、犯人がいるのだ。
鳴がその事に気づき冷や汗をかいていると、涼が立ち上がった。
「蓬生。見ろ」
涼は真守ではなく、鳴を呼んだ。
橋の先端であった部分が残っている。刀傷の様なものが無数に刻んであった。
「斧か何かだろう。支えになっていたワイヤーも切ってあるな。物置にあるのかもしれない」
「おい、内部犯だってのかよ」
「この状況が、そう言ってる様なもんだ。だろ、蓬生」
涼の言う通りであった。
「私も、そう思う」
「いや、外部犯なら快楽殺人者の可能性もあり得る。俺たちを一人も逃がさないために橋を落したんじゃ」
「ここは断崖絶壁で、自分の逃げ場も無くなるじゃないか」
「後ろは森だ。何日か走り続ければ、どっかの道路には出るだろ」
真守は信じたくない様子であった。当たり前である。鳴だって、涼だって信じたくはない。だが、この現実は直視しなければならない。身の危険が迫るのだから……。
「道も何もないんだぞ。遭難するに決まってる」
「帰りのことなんか考えてないかもしれないだろ」
「随分外部犯説に熱心じゃないか、四之原。お前が犯人か?」
「何だと!」
「二人ともやめて!」
鳴が割って入る事で、ようやく二人は落ち着いた。
「とにかく、警察に連絡する方法を考えないと」
「そうだな。もしかしたら、合宿所に電話も引いてあるかもしれない。帰ってから探してみよう」
飽く迄真守は前向きに考えているようだったが、鳴は通報に関しては不可能であることを悟っていた。遭難を覚悟で森の中を突っ切れば何とかなるかもしれないが、道も地図もないのだ。
こうして鳴達は、殺人鬼のいる合宿所に閉じ込められてしまった。
******
「そんな……」
橋が無くなった事実を告げると、殺人現場に残ったメンバーのほとんどがガックリと肩を落とした。
そう、『ほとんどが』、である。ただ一人、修太郎は若干険しい顔をしただけで、急激な落胆はしていない様に鳴には見えた。
「光。地図は車の中、だよね?」
「ああ。残念ながら橋が無くなったら取りには行けないな」
「もっとも、ここ一面の森の地図なんて存在しないから一緒だけどな」
哲也がやけくそ気味に言う。
「月に一回、役場の人が点検に来るんだろ?いつか分かる奴いるか?」
光が聞いた。誰も分からないかと思われたが、使用手続きを行った鳴が知っていた。
「月末よ。今日は八月十七日。坂本さんが来る方が早いわね」
鳴は日付を言った時、脳裏に夏休みの課題の事が浮かんだが、すぐに自己嫌悪に変わった。大切な人が殺されたのに、そんな呑気な事を考える自分が許せなかった。
「ねぇ皆」
自己嫌悪を吹っ切るように、鳴は提案を始める。
「さっきはヒステリックを起こしてしまって本当にごめんなさい。皆気が動転して辛いのに、酷いことを言ってごめん」
本心からの謝罪であった。他のメンバーはシン、として聞いている。
「それでも私は、響姉ちゃんを殺した人を許せない!どんな理由があったにしても、つきとめて、この拳でぶん殴ってやらないと気が済まない!」
謝罪から一転、物凄い剣幕で怒りを露わにする。哲也などは、「ひっ」といって一歩後ろに下がってしまった。
「だから、私が探偵になります」
「はっ?」
予想外の発言に、修太郎が間の抜けた声をあげる。それに反応した鳴が睨み付ける。
「何よ」
「いや、何よって……」
「シュウちゃんは悔しくないの?私たちの響姉ちゃんが殺されて、体まで弄ばれたのに!何でそんなに平気な顔をしてられるの!?」
「蓬生」
割って入った涼の声がクッションになった。結局またヒステリックを起こしてしまっている事に気づいた鳴は、咳払いを一つしてから、話を続ける。
「とにかく。私がこの事件を調査することを許可して下さい」
「許可できないわ」
全員が声の発生源の方を注視した。声の主は、渚である。
「素人が探偵の真似事をして、上手くいくと思うの? 現場を荒らすだけ荒らして、捜査の邪魔して帰るのがオチよ」
「素人じゃない。鳴のお父さんは刑事だよ」
哲也が擁護したが、渚は止まらない。
「関係ないでしょ?父親が刑事なら高校生の娘も刑事なの?」
「いや、それは……」
弱気な哲也は援護射撃を即座に断念した。
「まさか蓬生さん、親の肩書だけで捜査するんじゃないでしょうね?」
「おい、渚」
涼が渚を諌めようとするが、これも無視された。
「それなら時間が経ってからでも警察に捜査してもらうべきだと思うな、私は」
尤もな意見である。反論の余地は無いかに思われたが、それでも鳴はたじろがない。
「知識は、それなりにある。でもそれ以上に、正義がある」
「はぁ?何言ってるの、あんた」
渚は失笑を漏らす。だが鳴の次の行動には、度肝を抜かれた。
「お願いします。私に、響姉ちゃんの無念を晴らさせて!」
鳴は、渚に向かって土下座をし始めた。慌てて渚が立ち上がらせようとするが、今の鳴は梃子でも動かない。
「お願いします、お願いします」
「ちょっと、止めてよ!分かったから、止めて!お願いだから」
鳴が顔を上げると、当たり前だが一同は困惑した顔を浮かべていた。中でも修太郎は、何故か泣きそうな顔になっている。
確かに、四日も経ってしまえばある程度の情報、証拠は雨などで消失してしまうかもしれないし、素人の行動だとしても調べるに越したことはないのかもしれない。皆が少なからずそう思った。
こうして鳴は半ば力技で、一同に調査を承諾させた。