1-1 のどかですね
「のどかですね~」
「ほんとですね~」
四人の人間が乗っているワゴン車の中。蓬生鳴は、同乗している神崎光とともに、初めて訪れる長野の地の清らかさを満喫していた。
「しっかし、うちの高校が長野に宿泊施設を持ってるとはねぇ」
同じく同乗している漆原渚が呟く。
「三重の高校なのにね。でも、たまにボート部が使ってるらしいよ」
鳴の答えに、渚はふーん、と素っ気ない反応をした。
彼女らが向かっているのは、所属する高校が所有する長野の合宿施設である。
鳴達は現在高校二年。来年になれば厳しい受験戦争へと突入する。そこでクラスのある男子が提案したのだ。
「来年は遊べなくなるんだから、事実上今年が高校最後の夏休みだ。だから、皆でどっかにパーッと旅行に行こうぜ!」
高校生が大勢で旅行というのも珍しい話ではあるが、何しろ来年は遊んでいる暇が無いのだ。ならば、今年の内に二年分カバーできるほどの思い出を作ると言うのも悪くはない、と皆の意見が一致した。
計画を立て始めると同時に、知り合いの中から参加者を募った。
ほとんどの友達は部活動への参加義務や、長期の宿泊を親に許されていない事を理由に断られたが、何とか七人の生徒と一人の保護者の参加にこじつけることが出来た。
――ブーッ、ブーッ。
携帯のバイブレーションに気づいた鳴は、着信を受ける。
「もしもし、真守君?」
「おーっす、鳴」
電話の主は、四之原真守。鳴のクラスメイトにして幼馴染だ。
彼の父親は建築会社を経営しており、彼も将来は会社を継ぐ予定だと言う。
合宿所へ向かう車は二台出したのだが、もう一台は彼の家のお手伝いさん(!)が運転している。
「そっちは雰囲気どうよ?」
「神崎君が嬉しそうだよ。美女三人に囲まれて」
おいっ、と隣にいるクラスメイト・神崎光が突っ込みを入れる仕草をする。
鳴にとって光は高校から知り合った友人で、文芸部の同僚である。小説が好きで、鳴とは趣向が似通っているためかよく話す。
彼がこの旅行の発案者である。
「渚ちゃん、真守君だよ。代わる?」
「う~ん、いいや」
ノータイムの決断であった。
助手席に乗っている漆原渚は真守と喋るのを拒否した。彼女はソフトテニス部に所属しており、学年でも有数の美女との声もあるほどである。男のあしらい方は慣れたものなのかもしれない。
「渚ちゃんは真守君とは話したくないって」
「お~い!ひっでぇな漆原」
お道化た声を出す真守。
「そっちはどう?」
「どうもこうも無いんだよなぁ」
「え?」
「甲斐谷と修太郎がず~っと二人で喋ってて、間にいる哲也がついてけねぇでやんの」
「あぁ……またNBAの話?」
「スポーツ全般。俺も全然わからん。カーターやらトーレスやらリベラやら、よくわからん外人の名前がポンポン出てくんの」
「そりゃ二人の世界だね。ご愁傷様」
他人事で良かった、と思わざるを得ない。三重から長野までは数百キロ以上距離があると聞いている。その長距離を走破するまでに(その手の知識の乏しい人間にとっては)さながら異星人との交流の様なその会話は誰だって聞きたくはないのだ。
あの二人のスポーツ狂いには辟易する。
その内の一人、甲斐谷涼。真守と同じ車に乗っている彼は、バスケ部のエースである。が、女癖が非常に悪いともっぱらの評判であった。
話に出て来た哲也とは、羽柴哲也という男子である。
鳴と真守の幼馴染で、真守と共に剣道部に所属している、良くも悪くも普通の男子である。何をするにも真守と一緒であり、女子の間では金魚の糞……もとい、弟の様だと言われている。
そしてもう一人のスポーツ狂。それが鳴達のもう一人の幼馴染、七里修太郎のことである。
彼は高校から知り合ったにも関わらず涼と非常に仲が良く、基本的にスポーツ全般の知識を共有している。この二年で他の追随を許さないほどの知識を蓄えてしまい、NBA、海外サッカー、アメフト、果てはF1の話題で固有結界を張ってしまう。一度発動すると誰も入っていけないのだ。
だが、修太郎に関して、鳴は思うところがあった。
――シュウちゃん、変わっちゃったなぁ。昔は、こんなに喋るやつじゃなかったのに。
「で、どうよ?響姉ちゃんの運転は」
「う、う~ん」
「ちょ、鳴!何よそのう~んってのは!」
運転席から抗議の声が聞こえてきた。
鳴達の乗るワゴンを運転しているのは新谷響という、真守の近所に住む大学生である。
ザ・ペーパードライバーと言えば分かって貰えるだろうか。運転席に座った回数は、ようやく二桁の大台に乗ったところである。よって、今の鳴達はひたすら無事故で到着できることを祈っていた。
「偶に、右に寄りすぎるというか……」
「うるさい!ぶつけなきゃいいのよ、ぶつけなきゃ!」
ぶつける者の発想である。
彼女は保護者として合宿に同伴してもらう事になり、運転も担当している。さすがに高校生だけでは合宿所の使用許可が下りなかったため、真守が無理を言ってついてきてもらったのだ。
「はは、到着までに死ぬなよ、鳴」
「りょーかーい。そっちも気を付けてね」
「こっちは坂本さんが運転してるから安心安心。じゃあ後でな」
そういって通話は終わった。鳴は思う。向こうの車に乗っときゃよかった……。
坂本さんというのは真守のお手伝いさんの名前である。
鳴は中学時代に真守の家に遊びに行った時に彼を紹介してもらい、今も帰り道で見かけると挨拶をし合う仲である。
どことなく出来る男の雰囲気を持っている彼の事である。恐らく運転に関してもA級なのだろう、と鳴は想像した。そして左右に蛇行する車体に気づくと、響に聞こえない様に小さく溜息をつく。
ふと携帯の画面を見ると、電波が一本になっている。かなりの山奥に入ってきたようだ。
どうやら到着時には携帯は圏外になると予想される。事務員さんが言っていたことは本当だったのだと、鳴は田舎の恐ろしさをまざまざと思い知った。
朝の七時に高校を出発してから五時間ほど経つ。
「そろそろ見えてくるはずなんだけどね」
「それっぽい建物がまだ見当たりませんね」
助手席にいる渚が響と一緒になって不安がる。
「カーナビが無いのが痛いね、響姉ちゃん」
「うるさい!」
響が父から借りた車にはカーナビが付いていなかった。出発時からそれが不安ではあったのだが、ここでその不安要素がボディブローのように効いてくる。
「あっ、あの橋じゃないですか?」
地図と目視を交互に使い分け、ようやくそれらしき場所が見えた。
目印となっていた橋は、見るからに不安定そうな木造のつり橋だった。
「あ~、事務員さんから聞いた通りだわ。あのオンボロ」
鳴が顔を覆う。
「わ、渡れるのか?あれ」
いつもはエンターテイナーである光もあまりに古い造りの橋を目にして不安になっているようだ。
「まぁ、去年も登山部が合宿してるらしいから、大丈夫でしょ」
鳴は自分の不安をも掻き消すためにそう言った。何はともあれ到着である。