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探偵の拳  作者: 大培燕
第三章 灰を嘗める
24/25

3-5 ずっと、待ってたんだよ

「シュウちゃん!お腹の手当てしないと」


 鳴が近寄って来るのを、手と目で制す修太郎。


「近づくな。殺すぞ」


 まだ終わってない。目がそう語っていた。

 真守は気絶している。胸骨は陥没し、もはや戦闘能力は無いと言っていい。

 その真守に、一歩ずつ、ゆっくりと近づく。

 脇腹の痛みは、麻痺していた。


「おい……」


 光もとりあえず声を出して存在をアピールしてみるが、もうその場の誰にも認識されていなかった。

 手負いの獣には、何も見えない。何も聞こえない。ただ一つ、獲物を除いては。


「起きろ、クソ外道」


 真守の体を跨ぎ、拳を顔に突き付ける。

 メリケンサックの持つ、ヒンヤリとした金属の冷たさが、真守の意識を復活させた。

 だが、間違いなく意識を失っていた方が幸福であった。


「ヒッ!」

「臥薪嘗胆。最後の仕上げだ」

「ま、待って」

「夫差の死を持って復讐は完了する」

「止せッ……や、やめてくれ!」


 もはや真守に保身の術は残っていない。


「今からこいつを顔面に打ち込む」


 グイッ、とメリケンサックを顔面に押し付ける。


「どうなるか分かるな?」


 その威力は、昨日食堂で見せつけられている。

 そして、まさに今胸骨をバキバキに折られた。

 それが今度は、顔面に打ち込まれる。その脅しは、真守を失禁させるに十分な威力を持っていた。


――死ぬ。確実に!


「じ、自首する!全ての罪を認めるから!」

「そんなことは、もうどうでもいい。いくら証拠を消そうが、三人も殺してるんだ。警察の調査でどの道わかる」

「あの時は仕方なかったんだ!あれは事故なんだ、本当だ!」

「一度も墓参りに来なかったのにか?」


 氷の視線が張り付いて離れない。それでも、真守は生への執着をやめない。視界の先に希望を見出したのだ。


「め、鳴!助けてくれ!」


 鳴は真守を冷たい目で見る。一時間前の威厳、男らしさは消え去っていた。


「仕方なかったんだ!お前だったら親に勘当されて生きて行けるか!?」


 目の前の真守は、もう鳴の知っている真守ではない。人は、ここまで醜くなれるのか。


「俺だけじゃない!哲也だって一緒に万引きしたんだ!」

「もう喋るな」


――ゴン!


 鉄槌を一撃、顎に打ち込んだ。


「あがぁっ!」

「その哲也はお前が殺しただろ。あいつは自首する気だった。もっとも、俺の脅しでだがな」

「ふうひへ!ふうひへふれ!」


 真守は喋れない。物理的に、許しを乞う台詞が発音できない。


「なんなら、お前のポケットにある睡眠薬でも飲むか?事実上の安楽死にできるぞ」


 そう言って修太郎は拳を振りかぶる。


――長かった。


 修太郎は半生を振り返る。

 空手の稽古を続けて来てよかった。

 母さんが死んでから、今まで、狂った様に灰を嘗めて来てよかった。

 あのゲームの新作を買うために貯めていた小遣いで、メリケンサックを買ってよかった。

 葬儀の席で泣かなかったのは、思い切り感情を発散させて、悲しみを風化させるのが嫌だったから。

 みっともない振る舞いをしてきたのは、正当な感情の爆発を復讐の瞬間にとっておきたかったから。


――全てが、功を奏した。

 母さんは怒るだろう。生きていたらきっとまた、ヘッドロックを掛けてくるだろう。

 ごめんね、母さん。

 でも後悔は、微塵も無いから。


「コォォォ……エアアアアアアアアアアッ!」


 修太郎は力を一厘も残さないために、声を張り上げる。

 足の指に力を入れて、膝を柔らかく使って回転を始める。

 回転が腰に伝わって、肩で止まる。

 その反動で肘がしなり、拳にもう一度回転を。

 全て、母が教えてくれた。

 正拳突き。正義の拳で突き抜ける。


――死ね、真守!


 が、その時、微かなノイズの中で、鳴の声が聴き取れた。


引拳ひきけん!」


――え?


                    ******


 思い出した。母さんの教え。


「だからアンタは弱いんだよ」

「何でだよ! 勝ったの俺じゃん!」


 五年前。空手の大会で優勝したのに、その場で母さんに怒られた。決勝戦で、相手の鼻を折ってしまったからだ。


「尖り過ぎなんだよ、拳が」


 尖り過ぎ?


「顔を打つときはちゃんと『引拳』しな」

「勝ったんだからいいじゃん!」

「全力で殴って、相手が死んだらアンタの負けだよ。だから今日は、ほとんどアンタの負け」

「殺したら勝ちだよ!倒したってことじゃん!」


――ゴン!


 鈍い音と共に頭部に衝撃が走る。


「痛いよ!」

「殺したら負けだよ。アンタの未来はそこまでだ」

「う……うえぇ~ん!」


 褒められる事を期待していたから、結果とのギャップに思わず涙が出た。応援席で大好きな鳴が見ていたから、なおさら恥ずかしくなってワンワン泣いてしまった。

 すると母さんが、優しく抱きしめてくれた。


「シュウ。アンタは私の全てだから」

「ん……」

「だから未来を、大事にしなさい」

「ん……」

「未来を守る拳。それがあんたの空手だよ」


                    ******


 カツン。


 振り抜いたはずの拳は、真守の鼻を軽く打って止まった。拳を引いて、威力を殺してしまった。


――違う、殺したいのは威力じゃない、この外道だ!


 カツン。


 だが、何度やっても、打ち抜けない。

 どうしても拳を引いてしまう。

 真守は死への恐怖から、失禁して気絶している。

 今打てば、抵抗されない。なのに、打てない!


「どうして……どうして!!?」

「嫌がってるんだよ」


 鳴が修太郎に近づいて来る。


「来るな鳴! 殺されたいか!」

「シュウちゃんの体が、嫌だって言ってる」

「近寄るな!」

「あなたには、誰にも殺せない」

「出来るに決まってる! こいつは母さんを殺した。 こいつだけは殺すって、決めたんだ!」


 拳を振りかぶり、力いっぱい打ち込む。何度も何度も。


 カツン。

 カツン。

 カツン。


 しかし、何度やっても失敗に終わる。貫く事が出来ない。


「灰を嘗めたんだ! 忘れないために、あんな苦い物嘗めたんだよ! 四年間ずっと、このために! なのに、なのに」

「無理だよ。シュウちゃん」

「何で……」

「何度やっても同じ」

「出来る! 出来るんだ!」


 ブンブンと首を振ってやりきれない思いを表現する。

 脇腹と左腕から血が流れているのに、その痛みを麻痺する感情の昂り。しかし、それすらを凌駕するものが修太郎の体には刷り込まれていた。


「未来があるから」

「いらない! いらない!」

「千鶴おばさんが、シュウちゃんの体に願いを込めてる」


 鳴は両腕で、優しく修太郎の背中を包み込む。


「おばさんは、シュウちゃんの五体に生きてる」

「……」

「ずっとおばさんを忘れなかったから、その拳は止まるしかないの」


 修太郎は構えを解いて、鳴の方へ倒れ込んだ。

 抱きかかえる鳴の胸に顔を埋める。鳴は抵抗しなかった。


「俺、このために生きてきたんだよ……」

「うん」

「本当はすぐに、母さんのところに行きたかった」

「そうだね」

「未来とか、どうでもいいんだよ」

「それは嘘」

「嘘じゃない……」


 鳴は、服が湿り始めた事に気づいた。


「もう、我慢はやめよう」

「嫌だ。恥ずかしい」


 声色が変わる。涙声の、子供の頃の愛おしい声に。


「私は知ってるから。シュウちゃんのカッコ悪いとこ、全部」

「鳴なんて、嫌いだ」

「それでもいいから」


 鳴が思い切り抱きしめると、それを合図に修太郎は大声で泣き出した。光も、渚もいる前で、鳴の胸の中で人目を憚らず泣き腫らした。

 通夜でも、葬儀でも我慢した。四年もの長きに渡り我慢した、母と自分の為に流す涙。鳴の体は忽ち、まるで豪雨を浴びたように濡れてしまった。


「良かった……止めてくれて」


 鳴は優しい手つきで修太郎の頭を撫でる。まるで母親が幼子にする様に。


「お帰り。シュウちゃん。私ずっと、待ってたんだよ」

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