3-3 薄れなかったぞ
――ガラッ。
真守は倉庫を開け、修太郎の様子を確認した。
朝から何も食べていないにも関わらず幾度も頭部にダメージを負ったため、修太郎の顔は半死人の様になっていた。
「修太郎、生きてるか?」
「め、飯、くれよ……」
修太郎は芋虫の様に這いずって動いている。少しダメージを与えすぎた様だ、と真守は思った。
「少し話そうぜ。立てるか?」
「い、いいのか?逃げるぞ」
「逃げたらコイツで殴るだけだ」
真守は鉄パイプで修太郎の頭をポン、と叩く。
「もう勘弁してくれ。今度こそ頭が割れる」
「いいから、ちょっと聞きたいことがある。出てくれ」
修太郎は半ば強引に倉庫から引きずり出された。
真守はゆっくりと、屋上の縁に向かって歩き始めた。修太郎もそれに続く。
「懐かしいなぁ」
真守が喋り出す。
「お前の家の屋根。よく昇って、千鶴先生に怒られたっけな」
「へぇ」
修太郎は立っているのも疲れたのか、縁に座り込んでしまった。
「お前がそんなこと覚えてたなんて、意外だよ」
嫌味な口調で話す修太郎。
「何でだ?」
「お前の家は建築会社の社長さんだからな」
「親父が何の関係があるんだよ」
「お前の親父さんは、死んだうちの親父との誼で空手を習わせてただけだ。お前自身あんまり好きじゃなかっただろ?」
長話の気配がしたので、真守もコンクリートのでっぱりに腰をかける。
「そんなことはないぜ」
「いいや。俺には分かるんだよ。分かってたんだ」
急に修太郎の口調が流暢になった。
「元々万引きとかするような非行少年だったもんな、お前」
「はは、今度やったら勘当だって言われて、空手を始めさせられたんだっけな」
「哲也も一緒にな」
「ああ、そうだった」
真守は立ち上がって一歩、後ろへ下がって修太郎を見た。表情は見えない。どんな顔をして昔語りをしているのか。
「なぁ、真守」
「今度は何だ?」
修太郎は、大きく深呼吸をして見せた。
「臥薪嘗胆って言葉、知ってるか?」
******
「じゃあ本当に、ホンットーに誰も通して無いのね?」
「しつこいな!本当だってば!」
鳴は光に再度証言を求めていた。
「次は、ゴミ箱を……っと」
「ちょっと、何やってるの!?」
「……やっぱり」
アイスコーヒーのパックが二つある事を確認すると、鳴は二人に振り返って……睨み付ける様な必死な表情を見せる。
「ありがとう。証拠はないけど、犯人が分かった」
「はぁ!?」
「本当なの、蓬生さん?」
鳴には確信は無かったが、これから起こる事について確かな予感があった。
――このままでは、もう一人犠牲者が出る!
「でも、証拠が無いってどういうことだよ」
「全部処分されてるからよ。犯人によって」
「じゃあ何で犯人が分かるの?」
「『全部処分』できる人間が誰かって事」
渚が首を傾げている。
「私が思うに今回の事件は、出発前から計画されたものではないと思うの」
「いやいやいや!何の痕跡も残してないのに、そんなわけないだろ?」
「いや、先に響姉ちゃんが死んだこと。そして睡眠薬が合宿所内に存在した事。この二つが揃っていたら、証拠隠滅は高校生でも楽勝よ。警察が介入すれば別だけど」
「先生がどうして出てくるんだ?」
「マスターキーよ」
二人は未だ腑に落ちない、という表情を浮かべる。確かにマスターキーは響が持っていた。だがそれが今更何の関係があるのか。
「これは完全に私のミスなんだけど、確認してないの」
「何を?」
「あの時回収したマスターキーが、本物だったかどうか」
「え?マジで!?」
「マジで。何たって、普通使わないからね」
偉そうに自分のミスを誤魔化すのも程々に、鳴は説明を続ける。
「恐らく、犯人は自分の鍵とマスターキーをすり替えた」
「じゃあ、犯人はマスターキーを持っていた?」
「そういう事。私の持ってた鍵が、どの時点で本物だったかっていう事が問題なの」
「分かるのか?」
「論理的に考えれば、たぶんね」
鳴は徐にメモ帳を取り出し、時系列をあらわす簡単なタイムカードを作って見せた。
「まず、一昨日の夜、死亡するまでは響姉ちゃんがマスターキーと合宿所の鍵を持っていた」
「まぁ、そうよね」
「で、翌日の朝は玄関は施錠されていたから、この時点で犯人はどちらかの鍵を持っている事になる」
「あ、そうか」
死体は屋外で発見されているため、響が戸締りをしているわけがない。犯人が殺人後に施錠したのだ。
「でも、死体の発見時には両方発見されている。これがどういう事かわかる?」
「そうか。この合宿所のマスターキー、形状は個々の部屋の鍵と同じだから……すり替えても分からない!」
「正解。恐らく発見したのはマスターキーではなく、犯人の部屋の鍵ってことね」
「それでどうなるの?」
渚はイマイチついて来れていないようだ。
「だからその日の内は、犯人は誰の部屋にも忍び込めるわけ」
「じゃあ、甲斐谷の部屋にも?」
「いや、見張りがいる以上、それは無理。でも当番が見張っている間は、その人の部屋には入れるよね?」
「え?」
「見張ってるのは三階の部屋。皆の部屋は二階だからね。誰にも見られずに部屋に侵入するのは容易なはず」
「はぁ?見張りやってる奴の部屋に入ってどうするんだよ?」
「睡眠薬よ」
「え、その時に?」
「そう。哲也君の部屋から睡眠薬を取っておいたはず」
その睡眠薬が、今回の事件の証拠をほとんど全て消し去った元凶である。
もし犯人が持参していないならば、睡眠薬を盗み出したタイミングはこの時しかない。そして、鳴の考えでは犯人は睡眠薬を持っていないはずなのである。
「なんてこった」
「じゃあ、それで見張りを眠らせて?」
「でも、俺は眠ってないし、眠った証言なんて羽柴もしてないぞ。羽柴が嘘をついてて、本当は眠ってたのか?」
光は自分は眠らされていないと主張する。
「証言を信じれば、甲斐谷君の殺人の時、見張りは眠らされていない」
「じゃあどうやって入ったの?」
「恐らく、見張りに言って通してもらったのよ。」
「はぁ? 蓬生、それは無理があるよ」
少なくとも光にはそんなことをした覚えは無い。
あるとすれば哲也の方だが、それならほとんど犯人が分かっているも同然なのだから、自分が疑われる前にとっくに糾弾しているはずである。
「じゃあ何で部屋の窓が閉まってたの?窓から入ったなら、窓から出ればいい。でも、それなら窓を閉めるのは不可能」
光が黙る。鳴は消去法で答えを得たのだ。
「ドアから入って、ドアから出た。これは間違いないわ」
「甲斐谷君を睡眠薬で眠らせて、手首を切って殺した?」
渚が恐る恐る発言する。
「たぶんそう。音をたてれば見張りに気づかれるし。交渉したとはいえ、殺人はさすがに見逃さないでしょう」
「まさか、それで寝たふりをさせた?」
「何だ、分かってるんじゃない」
最小限の出血に留めて刺殺した涼を、あたかもまだ生きているかのように寝転がせ、布団で顔を隠した。気づかれるのは時間の問題ではあるが、これしかないという犯行である。
「じゃあその見張り番は何でそれを言わないんだよ。おかしいだろ」
「その人……まぁ、哲也君なんだけど、犯人の名前を喋ると都合が悪かったんだろうね」
「何それ?推測じゃない」
「う、まぁそうなんだけど」
渚が厳しい指摘を入れる。
実際この部分は完全な推測で、鳴にも自信が無かった。
「まぁ何でもいいや、犯人は誰なんだよ」
御託は聞き飽きたのか、光が犯人の指名を急かす。
「犯人、ね……。正直、考えが外れていたら嬉しいんだけど」
******
「ガシンショウタン?何だそれ?」
修太郎は真守にことわざの講義を始めていた。
「肝を舐めるんだ」
「キモって何だよ。わけわからんぞ」
「とにかくもの凄く苦い物を、毎朝嘗めるんだ」
「気色悪いな。何のためだよ」
修太郎はよっこらせ、と立ち上がる。
「口惜しさを忘れないため」
「口惜しさ?」
「中国の将軍が戦争で負けた時に、そうしたんだって」
「へぇ。どうでもいいけど、何の話だよ」
話の見えていない真守が業を煮やす。
「俺も、そうしてきた」
「はぁ?」
「毎日毎日、苦い物を嘗めてきた」
「マゾなのかお前は?それとも異食症か?」
「何を嘗めたか、わかる?」
冗談だと真守は思った。だが、修太郎の声色は真剣そのものであった。
「知るかよ。と言うより知りたくもない」
「灰だよ。線香のな」
「線香……?」
「母さんの仏壇の線香だよ。匂いは好きなんだけど、苦いんだ。これが」
真守の表情は変わっているはずだ。修太郎には、見なくてもそれが分かった。
「まぁ何でそうしたかって、分かると思うけどさ」
「……」
「……」
二人の間に、長い沈黙が生まれた。耐え切れなくなった真守が口を開く。
「その、中国の将軍てさ」
「勾践って言うんだ」
「そのコウセンって人の奇行は、結局無駄だったのか?」
「何で?」
「毎日そんな事やったって、時間が経てば感情は薄れちまう。途中でアホらしくなってやめたんだろうよ」
「はぁ?」
「そうだろうがよ。人ってそういうもんだ」
「相変わらず想像力が足りないな、真守」
修太郎が真守を嘲笑う。真守は修太郎に、この旅行中で最も激しい嫌悪感を抱いた。
「ことわざになるぐらいだぞ?最後には勝ったに決まってるだろ」
「そうか。美談だな」
「ああ、だから俺もそうした」
「……」
「……」
修太郎は未だ、屋上の縁にいた。遥かな高みから、地面を見下ろしている。
真守はゆっくりと、修太郎に悟られないように背後に近づく。そしてそぅっと右手を伸ばし、修太郎の背中を掌で……。一気に押した!
はずだった。だが味わった感覚は、まるで暖簾を押したかのような心もとなさであった。修太郎のパリーによって、掌は、空を切っていた。
「ハッ、だろうと思ったよ。 いやぁ、待ってみると、長いもんだよな」
その右手は、修太郎の左手で掴まれた。体も、顔も真守の方を見ていないのに、まるで背中に目がついている様な正確さで、忌まわしい右手をキャッチしていた。修太郎の足のフラつきは、いつの間にか治まっている。
――こいつ……さっきまでのダメージはどこにいった!?
「四年だぞ。四年。俺にとってはオリンピックどころのイベントじゃない」
「何の話だ? その手を離せ!」
修太郎は左手を離さずに、社交ダンスの様にグルン、と体を百八十度回転させて、真守の方を振り向いた。
「油断したな。真守」
修太郎は眼鏡を乱暴に外すと、真後ろに放り投げた。
「お前……」
露わにされた裸眼は、身の毛もよだつ三白眼。黒目の面積の少なさが、怒りの度合いを示していた。
――何だそれは。さっきまでの子供っぽさは、この数年見てきたお前は、幻覚か?
この瞬間、自分を油断させるためだけの演技。真守はベールを脱いだ究極の緩急に、心から畏怖した。真守は悟った。自分が誘き出されたという事を。
――この男は、全部知っている!
馬鹿みたいに振る舞っていたのも。敢えて犯人であるかの様に振る舞って見せたのも。この状況を作れば、真犯人が自分を始末しに必ず現れるから。自分が強者だと錯覚したまま現れるから。
そしてその真犯人を、蔑み、憎み、殺すだけ事を考えて生きて来たから。
母親の仇を取る機会を、四年もの間伺ってきたから。
「……知ってたのか」
「決まってる。四之原真守」
低く、冷たい、氷柱のように突き刺さる声で、他人の様にフルネームを呼ぶ。その声は決別を告げていた。
パチン。
修太郎はポケットから出したピルケースを開くと、中身を掌に乗せて舌を這わせる。不味そうに、悲しそうに嘗めた。異物を嘗めた反動で体が反吐を吐こうとする。だが修太郎は、いとも簡単にそれを制して見せた。
「苦いんだ、これが……でもこれのおかげで」
残りの灰が、風に乗る。四散する頃には修太郎は構え終えていた。左拳を顎に。右拳を鳩尾に。
「遂に持続した。薄れなかったぞ、俺の怒りは。俺はお前を許さない」
闘気をとっくに通り越した殺気が、修太郎の五体に廻っていた。




