2-6 私、探偵には向いてないかも
「おっ、鳴も来たのか」
「やっぱり、眠れねぇよなぁ」
「……うん」
食堂に降りると、真守と光がテーブルに座っていた。
「まぁ、眠れる方がどうかしてるよ」
「甲斐谷も先生も、可哀想になぁ。本当、信じられないよ」
鳴は涼の事を想い返す。冷静で、行動力があって、優しい人。確かにカッとなって暴力的になることは偶にあったが、少なくとも鳴には終始優しかった。
女癖が悪いなんて言われてたけど、本当だろうか。彼の器にそぐわない女性を、早めに解放してあげていた。それだけな気がしてならない。
「いい人ほど、早く亡くなる。本当なんだね」
「新谷先生の事?」
光は涼を「いい人」とは思っていないらしい。やはり男子からの評価は低かった様だ。
「響姉ちゃん、本当に甲斐谷君と付き合ってたのかな?」
「まさか。倫理的に考えて有り得ないだろ」
真守がきっぱりと否定する。
「まぁ、未来の教師と生徒だしな。甲斐谷のでまかせだった、と思うぞ俺も」
光も同意見だった。だが、鳴の知っている響は、知識があって、向上心もあって、情に厚い。ちょっとおっちょこちょいな所を除けば、周りにもいい刺激を生む素晴らしい人だ。
高校生離れして大人びている涼には、まさにピッタリの女性ではないだろうか。だから、鳴は響と涼の交際は、恐らく本当だろうと考えていた。
「蓬生も飲むか?アイスコーヒー」
さっき渚が持って行ったアイスコーヒーと同一のものだろう。市販されている紙パックのアイスコーヒーだった。
「うん。欲しい。ありがとう」
光が鳴に紙コップを渡し、紙パック型の容器からアイスコーヒーを注ぐ。真守ももう一つのパックから自分のコップに注いで、飲んでいる。カフェインによって眠れなくなるかもしれないと一瞬思ったが、どうせ今夜は眠れそうもない。それよりもこの好意を無碍にするのはさらなる不和を生みそうで嫌だった。
本当は他にもコーラやウーロン茶を持って来ていたのだが、一日目に盛り上がり過ぎてほとんど飲んでしまった。本来は一日ごとに山を降りて、最寄りのスーパー買い出しに行く予定だったのだが橋が落ちているため、当然不可能である。
そもそも、運転可能な唯一の人物は既に故人なのだ。幸い水道はあるし、食料も食欲の無さが手伝って十分足りている。あと二日は凌げるだろう。
「悪いな、これしか無くて」
光は紙コップにアイスコーヒーを注ぎながら言う。
「ううん。神崎君のせいじゃないし、私コーヒー好きだから」
「へぇ、意外だな」
「何よ。私がコーヒー好きで悪い?」
鳴が不満そうに光を見る。そのふくれっ面が光をキュンとさせる。
「お前が好きなのはコーヒーじゃなくて、コーヒー牛乳だろ」
「ちょ、やめてよ!私のクールなイメージが!」
真守に真実を暴露された鳴が赤面する。
「ははっ、面白いなぁ、蓬生は」
「もう、真守君!」
普段は無遅刻無欠席、成績もそれなりに優秀ととことんしっかりしている鳴だが基本的に趣味や好物は子供っぽいところがあった。そういったギャップが好感度を上げている要因であることを彼女は知らない。
「修太郎と同じで、甘い物が好きだからな。よく覚えてるよ」
「皆でシュウちゃんの家に遊びに行くと、いつも千鶴おばさんがコーヒー牛乳を出してくれて、それで……」
会話が止まる。
「どうしたんだ?」
会話についていけない光が尋ねる。
「いや、シュウちゃん変わっちゃったなぁって」
「……」
殺人事件があったからこそ、古き良き昔を思い出してしまう。
「どんなだったんだ?昔の修太郎って」
「う~ん、一言で言えば、真面目」
「ああ、真面目だな。武道やってたのは知ってるよな?」
「ああ、聞いた」
「正拳突き一日五百本。夏休みとかは千本とか、マジでやるんだよ、アイツは」
「それって、凄いの?」
「ちょっと違うかもしれないけど、剣道の素振りと似た様なもんだと考えていい」
「あ、じゃあヤバイな」
光は小学校では剣道クラブに入っていたので、その数字の凄さが分かった。
「本当、初志貫徹っていうか、決めたことはやる!って感じなのよね」
「でもって、あまり喋らなかったな」
小学校時代の修太郎は、ゲームや漫画の趣味があまりに人と合わなかった(格闘ゲームやボクシング漫画が好きだった)こと、空手というあまりにマイナーな競技を習い事としていたせいもあって、あまり人と喋ることが無かった。
「俺たちと同じクラスになれなかった時は、一日中誰とも話さない時もあったもんなぁ」
「マジで!?あの修太郎が?」
光の驚きは尤もだ。現在の修太郎は誰とでも気軽に話しかけ、ほとんどのクラスメイトと仲良くやっている。
「あまりにも、辛い人生だったからね、シュウちゃんは」
「あいつだけじゃない」
「え?」
真守は俯きながら言った。
「人生なんて、皆辛いさ」
「……うん。そうかもしれないけど」
「だからせめて死ぬまで、少しでも笑っていたい。修太郎はそう思ったんじゃないのか」
真守の言う通りかもしれなかった。確かに、悲しみを死ぬまで引きずるのは、人生をドブに捨てるようなものだ。
「そんな簡単に、割り切れるもんなのかな」
「何?」
「だって、千鶴おばさんを殺した犯人は、結局捕まってないんだよ?」
「……そうだな」
「私は身内を失った経験が無いからわからないけど、仮にお母さんやお父さんが殺されたら……たぶん生涯、犯人を呪い続けるよ」
真守と光は、眉間に皺をよせている。鳴からそんな過激かつ陰湿な言葉が出て来たのが意外だったのだ。
「でも、そんなことをしても何も変わらないだろ?」
「確かに、そうね」
「修太郎はそれに気付いたってことだろ」
「そうかな」
「そうだよ」
光は修太郎の暗い話題をさっさと切り上げて、自分の事をアピールしたかった。
「今のアイツは、自分が楽しけりゃ他はどうでもいいんだろ」
真守が不貞腐れ気味に言う。
「ちょっと、どういう意味?」
この旅行中の真守は、修太郎に冷たすぎると鳴は常々思っていたが、ここまで言うとは思わなかった。既に鳴の声には怒気が含まれている。
「ほ、蓬生、落ち着けよ」
「お前も見ただろ、鳴。響姉の死体を見た時のあいつ、やけに冷静だったじゃねぇか」
「それは、焦っても仕方無いことがわかってたからで」
「ガキの頃からずっと世話になって来た恩人じゃねぇか。取り乱さないのはどうかしてるぜ」
「……」
確かに、あの冷静さは少し異常ではあった。
「甲斐谷を殺したのは、哲也で間違いないだろう。だが、響姉を殺したのは、ひょっとすると」
「やめて!」
「目を覚ませ、鳴。あいつはもう昔の修太郎じゃねぇんだ」
幸い、一階から三階までは結構な距離があるため、修太郎に会話は聴こえない。
だからと言って真守がここまで修太郎を否定することに鳴は違和感を覚えた。
「真守君は、今のシュウちゃんが嫌いなの?」
「今の?」
「えっ?」
鳴は、聞いてはいけない言葉を聞いてしまった気がした。
まさか真守は、昔から修太郎の事を嫌っていたのだろうか?
「何か、恨みでもあるの?」
「恨みじゃない。アイツは俺の呪いだ」
「の、呪い?」
常軌を逸した形容の仕方だった。人間そのものを称して『呪い』と言ってのけたのだ。
「あいつさえいなければ、俺はお前……」
「おい四之原!」
「ッ!」
真守はしまった、という顔をした。どうやら喋り過ぎてしまったらしい。危うく鳴への想いまで打ち明けてしまう所だった。
「とにかくだ、鳴。もう修太郎からは離れた方がいい」
「何でよ!」
「あいつの周りは皆不幸になる」
「はぁ、何それ? まさか、自分の事言ってるの?」
「俺の事だと?」
ここまで来ると、鳴もヒートアップして饒舌かつ毒舌になってしまっていた。
「他人の評価を口八丁で落として、相対的に自分の評価を上げようとする。その腐った性根を持った事があなたの不幸だって言ってるのよ!」
「何だと!」
真守が立ち上がって鳴を睨み付ける。図星だから人は怒り、反発する。鳴は真守の踏み込まれたくないところを攻撃してしまった。
「おい蓬生!言っていいことと悪いことがあるぞ」
「あっ」
流石に言い過ぎだと気づいたのか、鳴は真守に謝る。
「ご、ごめん。つい、熱くなっちゃって」
「もう、いい。俺も言い過ぎた」
「まぁ、四之原の言う事もちょっとは分かるよ」
せっかく収束しようとした火種を、また光が拾い上げた。
「修太郎の両親は両方死んでて、親しかった新谷先生も殺された。何か、前世で悪い事したんじゃないのかってレベルだろ」
「えっ」
その口上が光の口からスラスラ出てきた事が、鳴の脳裏に一つの懸念を思い起こさせた。
「やめろ神崎。終わった話だ」
「だから、四之原にしてみれば、蓬生までそうなって欲しくはないんだよ。だろ?」
「まぁ、そういう事だ」
「ねぇ、ちょっと聞いていい?」
鳴は震える声で、光と真守を交互に見ながら尋ねる。フォローのつもりだったらしい光は、ビックリした顔で鳴を見る。
「もしかして、もしかしてさ。男子の間で、頻繁にそんな話、してないよね?」
「え?」
「今みたいにさ。シュウちゃんの事……厄病神みたいな扱い、してないよね?」
「……」
光も、真守も口を閉ざす。それが答えであった。
「何で……」
鳴はてっきり、クラスの中で修太郎は上手くやれていると思っていた。彼にとってのクラスメイトは、仲の良い友達ばかりだと思っていた。しかし目の当たりにした現実はどうだ。クラスメイトの大半に、死神扱いされているではないか。
彼を取り巻く環境は小学校時代から変わっていない。いや、むしろ悪化している。実際は、心と心が通じ合っている、親友と呼べる人間は一人もいないのだ。強いて言えば、涼がそうだったのであろう。彼だけが修太郎を理解し、本音で話ができる友人だったのだ。だが、その彼ももういない。
鳴はさらに想像を進める。もしも、自分と再会するまでの二年間の間も、同じ扱いを受けていたとしたら、彼の心はもう……。
「うっ……えぐッ……」
「お、おい!蓬生、どうしたんだよ」
想像力、感受性が豊かな鳴は、修太郎のために涙を流した。
「ひどい……」
「え?」
「みんな、ひどいよ」
「は?」
「一体シュウちゃんが、何をしたっていうの!?」
またしても、感情の爆発を抑えきれなかった。鳴の悪い癖だ。
だが、その感情は正義であった。
「千鶴おばさんが、お母さんが死んでから、ずっと一人で頑張って生きてきただけじゃない!」
「いや、俺達は何も!」
「ひどいひどいひどいひどい!」
「それは他人事だぞ、鳴」
涙と鼻水でグジュグジュになりながら顔を上げた鳴に、真守の言葉が突き刺さる。
「お前自身は、何の苦痛も味わってないだろうが。何で泣く必要があるんだ」
「真守君はさ」
「あん?」
「想像力が無いよね、昔っから」
「想像力?」
一度冷静さを失くした鳴は、もう止まらない。
「建築会社の社長の御曹司として生まれて、望んだものは全て手に入れて、何一つ不自由してない。だからシュウちゃんの苦労が想像できない」
「できてどうする?あいつ自身の問題だ」
「シュウちゃんは、生まれてすぐお父さんを亡くして、ずっとお母さんと生きてきた。その大好きなお母さんが死んで、一人ぼっちになって、クラスでは死神扱い」
改めて言ってみると凄まじい人生である。鳴の涙腺は更に緩む。
「自分がそうなったらって、想像したことある?」
「いや、無いね」
「でしょうね。想像出来たら、優しくできるもん」
「……」
「真守君でさえ、千鶴おばさんには『刈り上げ君』って呼んで可愛がってもらったじゃない。どうしようもない非行少年だったのを、更生させてくれたじゃない」
「……もういい。俺は屋上へ行く」
「おい、四之原」
「こんな感情剥き出しのやつと一緒にいられるか」
真守は紙コップの中のアイスコーヒーを飲み干すと、空になったパックと一緒にゴミ箱に捨て、屋上へ向かってしまった。光は空になっていないパックを手に取り、鳴のコップに追加を注ごうとする。
「ほ、蓬生も一旦落ち着け。な?」
「……」
鳴も感情を抑えるために、注がれたアイスコーヒーを一気に飲み干す。
我に帰って、自分に失望する。結局捜査を始めてから、自分は感情的になってばかりではないか。何一つ、大人になれていない。
――私、探偵には向いてないかも。




