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噂になっていた貴族が町に到着したという知らせが街中を飛び交った。豪華な馬車が護衛の騎士と思われる20人の人間に守られながら町に入ってくる様子は壮観であった。
アリシアも俺も、街中の結構な人が野次馬となってその様子を眺めていた。
「凄いね!!」
アリシアは豪華な馬車が気に入ったのか、それとも護衛する騎士の壮観さが気に入ったのかしきりにせわしなくキョロキョロしている。それを見て苦笑いを浮かべていると、ふと視線を感じそちらを見てみれば馬車の中からこちらを見てくる青年に気が付いた。この町では珍しい赤髪で、陰湿そうな雰囲気が印象的だった。その視線はどうやら自分にではなく、アリシアに注がれているのだと気付くとなんともいえない不快感が襲った。
「アリシアもう行こう。そろそろ皆の晩御飯を準備しないと」
そう言って自分の不安をかき消すように、アリシアの手を取って急いでその場を離れようとした。アリシアは繋がれた手を見て、一瞬ビックリしていたが、何を思ったのか嬉しそうに腕に手を回してきた。
「はぁ~い」
甘えたような声を出す彼女をしり目に、背中に感じる視線が冷たいものに変わったのをシュンは感じたが、あえて気づかないふりをして、その場から一刻も早く離れようと足を速めた。なにかすごく嫌なことが起こるような気がする。あの時と同じだ。なにかとてつもない悪いことが起こる。その不吉な予感だけがシュンの頭をかすめるのだった。
「ね、ねぇそんなに急がないで。ちょっと早いよ!急にどうしたの?」
ふと、我にかえるとどうやら自分たちは人ごみを抜けたようで遠くの方に喧騒が聞こえるだけになった。あそこから大分離れることができたようである。一先ず安心できそうだと速度を緩めた。心臓は相変わらず警鐘を打つようにドクドクいっている。
「ごめん!なんでもないんだ。」
そうはいったものの不安はなくならなかった。
「アリシアこれから出かけるときはいっつも一緒にいよう。絶対に一人になっちゃいけないよ」
急にそんな言葉が口をついて出る。アリシアはその言葉をどう勘違いしたのか、顔を真っ赤にした。でも幸せそうに言った。
「うん、これからはいつも一緒だね」
腕を組んだまま、2人は寄り添いながら一緒に帰った。
あれから4日が過ぎた、アリシアが極力出かけないようにしようとしたが、明確ななにかがあるわけでもないのにアリシアが買い出しにいくのを止める理由はなかった。だから自分がいつも横について行った。一度遠目にあのこちらも見ていた赤髪の貴族を見かけたが、多分見つかる前になんとかやり過ごせたと思う。
それから何事もなく1週間過ぎたある日・・・それは起こった。
「私は嫌です!!」
いつもの様に畑仕事から帰ると、教会の中が騒がしいと思ったらアリシアの声が聞こえた。あまりにも悲痛な声だったので、シュンは逸る気持ちを抑えて駆け出した。広間にでると司祭の背中といつも見慣れたアリシアの背中が見えた。一先ず無事でいることに安堵のため息をつくと、司祭の向こう側に視線を投げかける。そして、不吉な赤髪を見た瞬間シュンは嫌な予感があたったのだと確信した。
「お前の意見など聞いていない。俺はお前を使用人としてももらっていくといったのだ。孤児風情が俺に口答えするな」
不遜な態度で、さもそれが当然であるかのように言うその姿にシュンは戦慄した。こいつにアリシアを渡したらなにをされるかわからない!
「金はおいていく、司祭も文句はあるまい」
そういって地面に投げ出された袋には幾何かの金貨と硬貨が入っていた。これで用が済んだだろうといわんばかりに、フューゲルはアリシアに近づき腕を取った。
「嫌!離して!!」
「その手を離せ!!」
俺はとっさに叫んでいた。俺の声を聴きつけたアリシアは目に零れ落ちんばかりの涙をため振り向いた。その目は雄弁に助けてほしいと物語っていた。俺はもうなにも考えられなくなり、フューゲルに突っ込んでいった。
「離せって言ってるだろ!!」
ブン!!
シュッ、、ドゴン!!
「かはっ!」
大きく腕を振りかぶってフューゲルを殴りつけようとしたが、難なくこぶしを躱され、逆に鳩尾を蹴り上げられた。あまりの息苦しさに膝をついてしまう。腐っても普段から剣術の訓練をしているフューゲルと畑仕事しかしたことのないシュンとでは勝負にさえならなかった。
「犬風情が、俺に手を挙げるとは命が惜しくないらしい。こいつの血で剣を汚すことさえ不快だ。誰か代わりに切ってしまえ」
そう声がかかると、後ろで控えていた2人組の男が剣を抜く。
「待って!私が一緒に行く!だから彼にはなにもしないで!」
アリシアが必死にそいつらを止めようとする。さっきまで震えていたアリシアは目の前でシュンが殺されようとしているのを見て、思わず叫んでいた。
「や、やめろアリシア!そんな糞野郎のところなんかに、ごほ!ごほ!そんなところなんかに行ったらなにされるかわからねえぞ!」
糞野郎という単語に、フューゲルに青筋が走る。心なしかプルプル震えている。なんとか話しているうちにこっそり自分にかけていた回復魔法が効いてきたのか、鳩尾の痛みは治まっている。絶対一発殴ってやると、機会をうかがっていたが
「お待ちください」
完全に蚊帳の外にいた司祭が初めて口を開いた。
「なんだ?まさかこの虫けらの命乞いするんじゃなかろうな!こいつは絶対に許さんぞ!」
フューゲルは完全に頭にきていた。今まで自分に逆らうやからなんて大人にだっていやしなかった。それをこの醜い孤児風情が自分に楯突いている。それだけでもフューゲルのプライドは傷ついた。
「いえ、そうではありません。」
司祭は落ち着いた声で答えた。それにはフューゲルも意外だったらしく、司祭に視線を向ける。
「実はアリシアなのですが、もう既に里親が決まっておりまして。アリシアのわがままで12歳までこちらでお預かりする約束ですが、12になってからはそちらへ養子にでることになっておりますれば、フューゲル様の使用人となることは難しかろうと存じます」
「嘘をつけ!いったいどのような証拠があってそのような!それに俺の親父は子爵だぞ!バーサク将軍の名を聞いたことはないのか!そこらの貴族の縁組など取り消せばよい!」
フューゲルは声を荒立てて言った。この名前が出ていままで自分の思い通りにならなかったことなどない。フューゲルはもはや用件は終わったとばかりに、アリシアを引っ張っていこうとする。
「申し訳ありません。縁組のお相手はサイズナー伯爵夫妻でございますれば、一言取り消しにとおっしゃいましても、難しかろうと存じます。フューゲル様の方で直接伯爵様の方へご確認いただければ事のあらましもわかるかと存じます。」
さらなるアリシアの身の上の決定はそちらでお決めくださいと言って司祭は取りつく島もなく答えた。フューゲルができるはずもないことがわかって言っているのだ、フューゲルが子爵本人であったのならともかく、その子供は爵位を持っているわけではない。たとえ持っていてもおいそれと、伯爵に養子にしようとしている子供を自分の使用人にくれとは口が裂けてもいえないだろう。そこまで読んでの発言であった。
「っ!」
なにかを言おうとして、結局それを飲み込んだフューゲルはプルプル怒りに打ち震えながらただただ拳を握りしめた。
「お前ら覚えてろよ!」
そう捨て台詞を吐いて、従者をつれ立ち去ろうとしたが視界にシュンが入ってきたので足を止めた。一瞬そのまま切り捨てようかと剣に手をやったが、なにを思ったのかニヤリとニヒルな笑いを浮かべこういった。
「貴様のような虫けらには死以上の屈辱こそふさわしい。覚えていろ!すぐだ!すぐに貴様に屈辱にまみれた状態で這いつくばらせてやる!」
そう言って今度こそは本当に教会から出て行った。あまりの緊張から解放されたからか、アリシアは捕まれた手首をさすりながらその場にへたり込んでしまった。
「やれやれ、まだまだ面倒事はやってきそうですね」
司祭の言葉がすべてを物語っていた。