リプレイ1回目(6)
「なんだここにいたのか」
聞き慣れた声にそちらを振り向くと、噂をすればなんとやらウルアがそこにいた。朝日に照らされてウルアの銀髪が光を反射し、キラキラと眩しい。女には似つかわしくない威風堂々とした雰囲気を纏ってはいるが、その胸が自分が男であることを全否定している。出るとこは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる均整のとれたプロポーションは人の目を奪わずにはいられない。只唯一・・・今は下された銀髪に隠されてみえないが、左の顔の大きな傷跡さえなければ本当に完璧であっただろう。
本人は「これぞ本当に玉に傷」なんて冗談めかしくいつもいっているのだが、、、痛々しくてみてられない。「まぁいい“虫除け”さ」と本人は気にした素振りもない。
「今日も頑張ってるみたいだな。よしよ~しいい子だ!」
そう言ってウルアはシュンの顔を胸に抱き寄せると頭をわしゃわしゃと撫でた。彼女のいつもの癖だ。胸がもろに当たっているのだが、本人は気にしている素振りはなく、寧ろ楽しんでいる風がみてとれる。完全にわざとやっているとしか思えない。
「師匠・・・」
「あ、シュン!いつもお前だけずりーぞ!!ウル姉!俺も!」
ダニエルが必死に自分もと主張するが、ウルアは汚らわしいものでも見たかのようなさげすんだ視線を彼に送り、わざとらしく頭のてっぺんから足の先まで優に2往復はさせてから「生まれ変わったらまた考えてやるよ」と吐き捨てた。
本気でひでーと肩を落とすダニエルを無視してウルアはシュンを離すと話しかけてきた。
「どうだ?“気”の使い方は多少はマシになったか?」
ウルアが言っている気とは、剣士、いや物理戦闘をする職業なら誰しもが身に着けるべき技術の一つである。“気”とは主に体の中で生成され、体を循環しているといわれる目に見えない物体のことをいう。気は主に体の強化、瞬発力を上げるなどの作用をし、時には自身の自然治癒力を高め体の毒の排出を早める作用もあるといわれている。近接職にこの“気”の技術が必須だといわれるのは、気の使い方がうまいと単純な力が強くなるだけでなく、達人クラスになると体内の気を体外に出し、剣に纏わせることで遠くの敵に剣戟を飛ばせるようになる。スキルのようなものが使えるようになるのである。
ウルアが筋肉隆々な男を一ひねりできるのは、ただその剣技が優れているというだけでなく、気の使い方もある程度うまいことに起因しているとみて間違いない。一方で気を使わない基礎力も大事であるといわれている。なぜなら気はいわば力の掛け算。基本が5と10の人では気で10倍強化したとしても、50もの開きになってしまう。この差を埋めるにはそれ以上に気の使い方がうまくなるか、あるいは単純に気を使わない状態の基礎力を上げるしか道はない。
「いえ、まだまだうまく使いこなせてないです。すいません師匠。なんとか意識できるぐらいにはなったのですが・・・」
シュンは申し訳なさそうに頭を垂れる。その様子に小動物でも見つけたようにウルアは鼻息を荒げて、シュンを再度抱きしめる。
「・・・っもう!可愛い!!大丈夫!私が手取り足取り教えてあげるから!シュンならすぐに上達するよ」
そう言ってウルアは今後の訓練の方針を教えてくれる。気自体のスキルアップを図るにはいくつか方法がある。そもそも体内で生成される気の量を増やす方法が一つ。体の中での循環のスピードを上げ、特定の場所に濃密な気を集めるコントロール力を上げるのが一つである。
まず最初人は“気”というもの自体を意識できない。人の中には循環している気があるのだが、最初はかなり量が少ない。それを気が使える誰かに自分の体内に流してもらい気というものを意識する段階から始めるのが気の修行の第一段階である。次に自身体内で気を生成している“丹田”と言われる場所を見つけ開発していく必要がある。最後に新たな丹田を見つけていくことが最終段階だといえる。人体には3つの丹田があるといわれているが、3つとも気の運用をできる人間はこの世界でも一握りであろう。
このことは人体をエンジン、気をガソリンに例えればわかりやすい。丹田とはそもそも油田だと思えばいい。ガソリンが多ければそれだけエンジンは大きな力を発揮できる。最初人の中にある油田は、ちょっとしかガソリンを生み出さないが、開発を進めるとより多くのガソリンを出す。そして、体にある油田は一つではなく複数あるのだが、これは自身の気の流れをより深部まで意識し、どこで気が生み出されているのか見つけ、自身で気の産生を高まるようにしなくてはならない。かなり熟練の技術がいるのだ。
シュンはやっとこの気というものを見つけ、比較的誰でも意識しやすい一つ目の丹田からより多くの気が出せるように日々剣術の訓練とは別に修行を重ねている。今まで戦いとは無縁だった自分には想像もできないような力が世間一般にはあふれているのだとわかっただけでも、自分がいかに狭い世界で生きてきたのかがわかるというものである。