第参話 消えた華―謎(リドル)―
待っていて下さる方がいるのであれば
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シンシア 第参話です
毎度毎度 お待たせして申し訳ありません
『シアが、消えた……っ』
核内に行き交う人の群れの中、セイドの激しい足音が響く。多くの人々の中を縫う様に、多少誰かとぶつかりながらも気にも止まらず走り抜ける。
フロンの言葉がセイドの頭の中でグルグル回っていた。
『今朝、あの部屋に行ったらもぬけの空で……』
シア……ッ。
壊れたレコードの様にリピートしているフロンの言葉を振り切る様に、心の中でシアの名を呼ぶ。無意識に、何度も、何度も。
『シア保護反対派のこともあるし、心配で……』
まさか、シア保護反対派が……?
次々と押し寄せる不安、悪い予感。それを振り切るかの様に一心不乱に核を走り続けるセイド。シアの無事を祈り、悪い予感と戦い、ひたすらフロンの研究室を目指して床を蹴る。
シア……っ!!
「フロンさん……っ」
フロンの研究室に、セイドの荒れた息の悲痛な叫びが響く。フロンは弾かれた様に立ち上がり、セイドに駆け寄った。
「セイド君……っ」
「フロンさんっ、シアが、シアが消えたって、どういう……っ」
「あーっ、もーっ、セイドッ!」
整わぬ息のまま、悲痛な声と顔でフロンに詰め寄るセイドの声を遮り、やはり整わぬ息の声が響いた。セイドの後ろより後を追っていたリラである。
「走るのはえーよっ。いつもよりっ。……?」
無我夢中で走っていたセイド、ただでさえ早い足がいつも以上に速く走っていたらしい。リラはそんなセイドに不満をもらした直後、部屋の奥にいた見知らぬ2人に気付いた。
「……誰?」
「ホントだ……」
セイドは、リラの言葉で初めてその2人に気付いた。そこに立つのは白衣を来た男女。セイド達よりも若干若そうな少年と、フロンよりも少し年上の様に女性。
シアの事で頭がいっぱいで、今のセイドに回りを見る余裕はない。
リラの言葉に、フロンが微かな苦笑いを浮かべる。
「この2人は、シアのことでの数少ない仲間よ……」
◇◆◇
──核の研究所内、とある一室。 研究台の様な、実験台の様な、機械的なベッドの上にシアは眠っていた。
「ん……」
自然に目が覚めたシアはゆっくりと起き上がった。眠気眼のぼやけた視界から、少しづつはっきりとした輪郭を帯びた世界へと戻っていく。……そして。
「え……」
シアは、我が目を疑った。
呆然としたまま辺りを見回す。昨日シアは、あの無機質な観察室、ではなく、その隣のフロンの研究室のソファで眠った。……はずだった。が、目覚めてみると全く見覚えのない部屋に寝かされていた。
表情の乏しいシアだが、さすがにその目には驚きの色が広がっている。
「ここは……?」
「お目覚めか?」
呆然と呟いたシアの後ろから、とても低く太く響く男性の声がした。シアは、シアの意思とは関係せず、体だけがその声に、ビクンと反応した。
この、声は……。
聞き覚えのある声に、シアはソロリと振り返る。ゆっくりと視界な入ってくるその男。そしてそのまま、目を見開いて固まった。
そこにいたのは、惑星トゥームの天才科学者:ルイン=チャンフィスであった。
「久しぶりだな。シア」
口元だけで薄く笑ったルインは言う。シアは、目を見開いたまま呟く様に言った。
「お前、は、13才の時に……、側に、いた……?」
「覚えていたか」
ルインはシアに歩みより、右手でそっとシアの顔に触れ、顎をしゃくり上げた。
「覚えているも何も、13の時の記憶しかないぞ」
「そうか」
呆然とする中、ただ言われるがまま答えているシアに対し、ルインはニヤッと笑っている。
シアは、ルインのその笑った瞳が、なんだか嫌だ、と感じた。
笑っているけど笑ってない。目の奥が冷たい、目の奥に何か濁ったものがある、そんな印象を受けた。
「お前、誰だ?」
呆然としていた瞳を強張らせ、シアは思わず口を開いていた。
「覚えていたんじゃないのか?」
相変わらずの目が笑っていない笑顔で、ルインは平然と答える。
そのニヤリと笑う口元が、シアを少しイラつかせ、珍しく声をあらげた。
「違うっ。そうじゃないっ。
お前……、私が13の時だって、ずっと私の側にはいたが、私はお前の名前一つ聞いてないっ」
シアの訴えに、ルインは表情を崩さない。
シアの顎を持ち上げた右手もそのまま、真剣なシアを嘲笑うかの様に、ニヤリと笑う口元。
「だいたい、お前何故地球にいる? 13の時にいたのは地球じゃなかったはずじゃないか? なのに何故、お前も地球にいるんだ……っ?」
シアがわめいても、問いつめても、ルインは表情1つ変えず、言葉1つ発しない。シアはその口元だけでニヤリと笑うそのルインに、何か不気味さを感じた。
「貴様、何をうすら笑っている……」
シアは言葉の途中で、遮られた。そして、凍り付く。我が身に起こったことが、理解出来ない。
シアは、ルインに、そっと口付けをされていた。
ルインの瞳から得た、不気味さや冷たさからは想像出来ない、優しい口付け。
シアは頭が真っ白になっていた。反応が出来ない。
な……?
思考回路すらまともに働かない。目を見開き、目の前過ぎてぼやけるルインの顔を眺めていた。
長めの、優しい口付けの後に、ルインは静かに口付けをやめた。ゆっくりと顔を離し、先ほどとは違う静かに瞳で、シアを見つめた。そしてそのまま、優しく抱き締めた。
優しいルインの腕に包まれているシア。時間と供に、シアの頭がはっきりとしてくる。思考回路が活動を始める。我が身に起こったことを理解し始める。
何を……っ?
「は、放せ……っ」
不意に、鈍い音が響く。
無意識に動いたシアの右手は、思わずルインの左頬をひっかいていた。
ルインの頬に、二筋の赤い線が浮かび上がり、そこから暖かな赤い液体が溢れる。シアの指に、滴る血。
我が身に起こったことは理解したが、何故こんなことになったのがシアには全く理解出来ない。
「何の、真似だ……?」
流れ落ちる血を手で拭いながらルインは言った。優しさは消え、当初の冷たい瞳に戻り、静かにシアを見据える。
「それはこっちのセリフだろうっ」
思わず声を荒げたシアを、ルインは見下ろす。冷たい瞳に、怪訝な色を追加して。
「お前、何故だ?」
「は……?」
突然の問掛け。主語のない問い掛けに、シアには何のことだかわからない。
「お前の中に『感情』というものが目覚めてきてるらしいな」
軽い溜め息と共に、さらりと言ったルインの言葉。シアは目を丸くする。
「感、情……?」
「まぁ、気にするな」
ルインは、『シアには関係ない』とでも言いたげに、シアの言葉を軽くあしらう。
「貴様……っ」
「それよりも」
ルインの言葉に流石に神経を逆撫でされたシアが声を荒げる。が、ルインはそんなことはものともせず、話を続ける。
シアの言葉は、丸きり聞き入れる気がないかの様だ。
「何故ここが地球だと知っている?」
「え……」
ルインの問いかけに、シアは呆然とする。ルインの態度に、まるでシアを小馬鹿にした様な態度に腹は立つが、何故か逆らう気がおきない。何故か、素直に答えてしまう。
「き、聞いたから……」
「聞いた? 誰に」
「こっちで知り合った人に……」
シアの言葉にルインは少し目を丸くする。それから、馬鹿にでもするかの様に鼻で笑った。
「もう知り合いがいるのか」
「……っ」
馬鹿にした態度。
シアは再び苛立ちを覚える。と同時に、何かルインには逆らえない感覚を得る。
ルインに、見られると、話しかけられると、なんだか畏縮してしまう自分に気が付いた。
なんでだ? と、自分にも問う様に、シアは静かに口を開いた。
「貴様、一体私のなんだ?」
ストレートな疑問。ルインはその問いに一瞬考えた。後に、思いもよらぬことを言ったのだった。
「そうだな。強いて言うなら……、
父親ってところか?」
衝撃的な言葉。
シアは、この言葉を聞いてから、反応するまでに、数秒を要した。
◇◆◇
「キャリオ=シェイリーさん……、と、チェスタ=レンさん?」
セイドの言葉に、フロン曰く、『シアのことでの数少ない仲間』である2人がお辞儀をする。
『キャリオ=シェイリー』は、32才の女性。遺伝学博士。遺伝学ではフロンの先輩に当たる。
少し癖のある黒い髪を一つに束ね、ジーンズ系の動き易い服装を好む、快活な女性である。フロンは、姉の様に慕っていた。
『チェスタ=レン』は、18才の男性。若き宇宙航行学博士。宇宙学博士を目指しており、フロンを師と仰ぐ少年である。
茶色の髪に、色素の薄い瞳。まだ、あどけなさも残る少年であった。
セイドとリラは、自分より年下で博士号を持つチェスタに驚く。スキップが珍しくない時代、若くして博士号を取得する者も少なくないが、『核』という地球の最先端の集まる研究室に入れる若い博士は、稀である。
因みにセイドとリラは、17才で兵士に招集された身であるため、高校すら卒業していない。
フロンの研究室のテーブルを皆で囲んだ。
シアが消えた、ことに関してフロンが説明を始める。
シアは昨日、フロンの計らいで無機質な観察室ではなく、フロンの研究室のソファで寝た。はずであった。
核内での鍵は、核に所属する者がそれぞれ持つ身分証。一般的なカード大の大きさで、厚みは3mm程。その中に指紋から静脈から、声紋など、個人を判別するものが何から何までインプットされており、身分証とその本人の指紋があって始めて、核の鍵、となる。
そして核の研究室は、ドアはオートロック。内側からはその研究室の管理者の持つ身分証がなければ開かず。外側からは、管理者の身分証と、指紋が必須。更に昨夜は、フロンはナンバーロックもかけていた。
この状態でシアは消えていた。
もちろん、核の本部にスペアキーがあるが、借りに来た人もなければ、持ち出された形跡もなかった。
何、それ……
セイドは、そんな言葉を口に出そうとして声にならなかった。放心状態でフロンの説明に耳を傾けていた。
頭の整理がつかない、理解しきれない。
あまりのことに。
「密室……」
リラがボソッと放った言葉で、呆然としていたセイドは我に返った。
「だったんだな」
「えぇ……」
何時になくリラ真面目な声を放つ。いつもよりも低く呟かれたリラの言葉に、場の空気は重くなった。
『密室』という言葉がセイドの心に、強くのしかかる。
そんな中、再びリラが口を開く。溜め息混じりに。
「ロック解く方法は他に何もないんだろ〜?」
「いえ」
「!?」
割とあっさりと出たフロンの否定の言葉に、セイドとリラは目を丸くする。それに対しフロンは、うつ向き、言い難そうに口を開く。
「ある、には、あるんだけど……。
あのね、核のセキュリティシステムに侵入するの」
「侵入……? じゃ、じゃあ……っ」
「いや……」
思わず声を大にするセイド。たがフロンは、そんなセイドの言葉を静かに遮った。
「無理、よ……」
「え?」
再び、フロン否定の言葉。再び、放心するセイド。フロンはそんなセイドに気を使いつつも、静かに言葉を続ける。
「よく、考えてみて? 核のセキュリティよ? 一晩や二晩で侵入できる様な代物じゃないわ……」
フロンの絶望的な言葉が、セイドの心に深くささる。
核は、地球の中心。
地球共和国の全てが、最先端が集まるところ。セキュリティシステムも、もちろん地球最高峰。
一晩や二晩でどうにか出来る代物ではない。そんな大変なものを掻い潜って昨日の晩、このフロンの研究室へ侵入。ピンポイントに、シアのいた昨日の晩。
そんなこと、並の地球人には無理である。
もしくは、中から。フロンの研究室の内部、シア、自ら……。
訳がからない。
一体何が起こっているのか。考えても考えても、思考は迷宮と化し、堂々巡りを繰り返す。
セイドは、体が自然と震え出す。行き場のない怒り。フロンの研究室に侵入した、何か。シアを連れ去った、何か。自分の前から、シアをいなくならせた、何か。
そんな何かに、怒りが込み上げる。
拳を、机にぶつける。
「一体、何なんだよ……っ」
鈍い打撃音と共にセ放たれたイドの言葉。切実で、悲痛な叫び。に、場の空気が重くなる。誰も何も言えず、静かに怒りに震えるセイドを、神妙に見つめていた。
重たい空気を切り裂く様に、乾いた小さな打撃音が響いた。誰かが、部屋の戸をノックする。フロンの返事と共に、鍵のかけていなかった戸が開く。
ケントとユリが、駆け付けていた。神妙な顔で肩を並べる2人。ケントがボソリと言う。
「や。来ちゃったよ」
「ユリ、ケント……っ」
フロンは思わず立ち上がり、駆け寄る。
「いいの? 軍医の仕事は」
「あぁ、うん。今日は1号機が出る日じゃないしね。今日出るのを見送ってから来たよ」
ケントとユリは1号機専属の軍医と看護師であった。本来、セイドとリラも見送りはするはずである。
「あ、セイド。隊長さんが『副隊長が何故見送りにいない!?』って怒ってたよ」
「あっそ……」
ケントの報告にセイドは顔をしかめる。今のセイドにはどうでもよいこと。
地球を守る空軍兵士、更にセイドは副隊長。だが、セイドにそんな余裕は、今持ち合わせていない。
◇◆◇
「ぐっ」
激しく、鈍い、打撃音。鈍器にて、痛烈に殴る音、が響いた。と同時に、男の呻き声が漏れる。
シアは、自分を取り押さえようとした男に、肘鉄を炸裂させていた。男は仰向けに倒れ、気絶している。
「貴様……っ」
そんな光景を、傍観するかの様に、1歩離れたところで眺めるルインを、シアは睨みつけた。気絶している男はルインの部下、ルインの命令によりシアを取り押さえようとしていた。が、あっさりとシアの返り討ちにあったのだ。
「なんのつもりだ。これは」
シアは自分の左手手首につけられたわっか、手錠、をルインの目前に差し出した。手錠、とはいっても、まだ地球にはない特殊な金属製のわっかで、遠隔操作が可能なものであった。
「何って、手錠」
「そんな事を聞いてる訳じやない」
ルインを睨み、怒るシアに対し、落ち着きはらったルイン。そんな態度が、シアを余計に苛立たせる。
「なんで、こんな物をつけられなくちゃいけないんだと聞いてるんだ……っ」
シアの怒りの言葉に、ルインは静かにシアを眺めた。直後口元だけで薄く笑った。鼻で笑うかの様な、馬鹿にした笑い。
「お前には関係のない事だ」
「なっ」
ニヤッと笑うルインに、いくらシアでも、怒りは増幅する。
「私の身の上に起こっていることだ。何故『関係ない』になる?」
静かな、シアの怒りの言葉。ルインは口元の笑いを消し、マジマジとシアを眺めた。
そして、軽く眉間にしわをよせ、首を傾げた。
「お前、何故だ……?」
「は……?」
またも、主語のないルインの質問。意味が分からないシアは、怪訝な顔をする。そんなシアにルインはため息深い溜め息を吐く。
「何故そんなに感情が豊かなんだ?」
「!?」
目を、見開いたシア。
ようやく質問の意味は分かったが、今度は意図が分からない。シアは眉間にしわをよせ、疑問の瞳をルインへ向ける。
「お前、13才の時の自分を思い出してみろ」
ルインの静かな言葉。シアはまだ意図が分からない。
「お前、言われないと何も出来ない、言われたことならなんでもやる。
生きちゃいたが、『人形』みたいだったろう」
ルインの言葉に、シアは息を飲んだ。
と同時に、言われるがまま少ない記憶を遡る。
シアの脳裏に、幼い、13才のシアが蘇る。
無表情、感情がないのかと思うほど笑いもしなければ怒りもしない。話しかけられなければ、自ら口を開くこともなく、話しかけられても、極端に口数は少ない。
指示されるまでその場から動くことすらない様な、13才のシア。
そうだ……。
ルインの言葉に、かつての自分が鮮明に蘇る。
シアは、自分自身に問掛けた。心の中で問い掛けた。今まで気付きすらしなかった疑問を。
あの頃、私は、生きてはいるけど、確かに人形の様だったのに、何故私は今……、人形ではないのか、と。
◇◆◇
「お手上げだ」
静まり返るフロンの研究室に、リラのいやにあっさりした声が響く。瞬時に反応したセイドが、怪訝な顔でリラを見据える。
「探しようねぇじゃん」
リラが言い終わるや否や、鈍い打撃音を奏で、セイドの鋭い蹴りがリラに炸裂。リラは椅子からころげ落ちる。今のセイドに冗談は通じない。
リラを蹴りつけても、セイドの中のモヤモヤは晴れない。自然と握り締めた拳には、じっとりと汗がにじむ。
シア。シア。何処にいる?
そんな言葉がひたすら頭のなかで渦を巻く。ひたすら、ひたすらシアを呼び続ける。
不安と、行き場のない憤り。ただ願うのは……、
『シアに会いたい』
「俺……」
居ても立っても居られず、セイドはボソッっ口を開いた。深刻な面持ちでそこにいた面々はセイドを見る。
「探してくる……っ」
「えぇ!? 何処に!?」
「その辺っ!」
とっさに止める間もなく、セイドはフロンの研究室を飛び出した。
残された面々は言葉もなく唖然と、セイドの出て行ったドアを見つめる。そんな中、リラが呆れた様に呟く。
「アイツ、たまに頑張り過ぎると無意味に突っ走るんだよな……」
◇◆◇
ルインの言葉により、思い出した記憶。
シアは13才の時の自分を思い出し、言葉もなく立ち尽くしている。
人形だった。意思の持たない人形の様だった13才の自分。
覚えている。関わる人はルインと、他2〜3人の白衣を来た男達だけ。会話はなく、ルインに言われるがまま動き、言われないと動かない。
今時、ロボットですら、自ら『気を利かせる』時代。
シアはそれ以下の生活をしていた。
今は何故、違う?
答えの出ない疑問が、頭の中で渦を巻く。
そんなシアを見て、ルインは首を傾げる。
シアを『創る』時、感情を植え付けると操るのに面倒が起きかねない。故にルインは、シアに感情は与えなかった。だが。
これはどういうことだ?
思い悩み立ち尽くすシアの姿は、強くルインの言葉に反発してきたシアの姿は、どう見ても感情を持ち得ている。
13才の時の、ルインの側にいた頃のシアとは、明らかに違う。
何故、違うのか。
誰かに影響されたのか。
ルインは軽くため息をついた。
「シア」
ルインに呼ばれ、シアは思考の渦から抜け出し、我に返った。
「こっちに知り合いがいると言ったな
そいつらの名前は?」
「え……。何故……」
「いいから」
有無を言わさぬルインの態度。シアは何故だか逆らえず、諦めた様に静かに口を開く。
「フロン、フロンティア=ファスターに、リラ、リライアンス=カーライド。
……セイド、セイクレッド=リーンカルス……」
何か暖かい物を感じた。セイドの名を口にした途端。
その正体はシアにはわからない。わからないが、それにより、自然とシアの口元が少し緩んだ。
微笑んだのだ。
緩んだ口元に、シア自身は気付かない。
そんなシアに、ルインは我が目を疑った。始めて見たものに、目を見開かせる。
シアの微笑みは、すぐに消えていた。一度目を反らし、ルインが再びシアの顔を見た時には、もう微笑みの欠片もない。今は、目を見開き驚くルインを、キョトンとして見上げている。
あまりにも一瞬のできごと、夢か幻かとも思える。が、ルインは見てしまった。
微かに笑うシアを……。
『セイクレッド=リーンカルス』
シアが微笑んだ瞬間の、名。この名をルインは心に刻む。
「シア、お前は暫くこの部屋にいろ」
「えっ、ちょ……っ」
シアのことは気にも止めず、ルインは部屋を出、シアの言葉を遮る様にドアを閉める。オートロックな上、ルインは更にナンバーロックをかける。シアにはもう、どうしようもなかった。
とりあえず、『セイクレッド』を調べるために、ルインは歩き出す。
◇◆◇
静かな核の研究所の廊下に、セイドの荒れた息がこだまする。あちこち走ってシアを探し回っていたセイドは、息を整えるために立ち止まった。
あちこち、とは言っても、核の研究室は広い。研究室所属ではないセイドがわかる廊下はたかが知れていた。
夢中で忘れていたこんな初歩的な事実。自分のふがい無さに、セイドは深いため息が出る。
だが、だからと言って諦める訳にはいかなかった。
わかるとこだけでも……。気を取り直して走り出すセイド。
同じ頃。
セイドの進行方向の先、およそ50m。1つの研究室のドアが開き、白衣をまとう大きな男がが出て来る。ルインである。
セイドの視界にルインが写る。
が、今のセイドにシア以外は気に止まらない。そのまま、走る。
ルインはドアを閉めると、セイドが走って来る方へと歩き出した。
ルインの視界にもセイドが写る。
セイドの着ている制服で兵士だと分かる。何故兵士がこんなところに、と思いつつも、大して気には止めない。核に所属する者であれば、至る所を『通路』に使うことは良くあるから。
そんな2人が、
──すれちがった──。
静かに歩くルイン。
必死にシアを探し走り続けるセイド。
2人の距離が、再び50m程離れた。その時、セイドはシアの名を呼んだ。何の気もなしに、ただシアを探すために。
「シアー!」
その言葉が、ルインの耳に届く。
急に出来事に、反応は一瞬遅れたが、ルインは弾かれた様に振り返った。しかし、セイドの姿は既に見当たらない。セイドは、廊下の十字路を左に折れていた。
とっさに追うルイン。が、セイドが曲がったでろう十字路で、四方を見渡しても、セイドの姿はなかった。
誰だ、あの男は。
ルインの脳裏に浮かび上がる。微かに笑ったシア。そんなシアが呟いた名前。呟かれた名前。
『セイクレッド=リーンカルス』。
あいつか……?
暫くして、核の研究所の中をかなり走り回ったセイドは、ふと足を止めた。居ても立っても居られず、あまり地図を把握出来ていない細かい廊下をも走り回っていた。
「あれ? ここ、さっきも来たぞ……?」
見覚えのない所のはずが、見覚えのある景色。完璧に、迷っていた。
額の汗を拭い、肩を揺らし大きく呼吸をする。体力には自信があったセイドだが、夢中でかなりの間走っていたため、上がった息が戻らない。壁によしかかり、息を整える。
そんな中でも、シアは何処にいるのかと、考えても考えても答えの出ないことを考え続ける。
そして、不意にとある考えに辿り着く。
シアは、この研究所に、それ以前に、核にすらいるとは限らないのでは?
地球最高のセキュリティを突破し、シアを連れ去った者。まだ近くにいる、なんてそんか可能性はあるのかと。
まさか、地球にすらいない……、なんてことも。
セイドの頭に絶望的な考えが浮かぶ。軽く顔を上げ、白い研究所の天井を見据える。深い溜め息をつき、壁にもたれたまま、脱力したかの様にその場に座りこんだ。
もしそうであれば、リラの言う通りお手上げ。
「何やってんだろ。
俺……」
深いため息が、静かな廊下き響き渡った。
◇◆◇
「にしても、あのバカは何処まで行ったんだ?」
フロンの研究室のドアを開け、廊下を見渡しながらリラが言う。凄い飽きれ顔で。もちろん、『あのバカ』とはセイドのことである。
心配そうな顔をしたフロンが、リラに声をかける。
「ねぇ、リラ。
セイド君、研究所の地図なんて分かってるの?」
「うーん……。分かってないと思うぜぇ? 普段通り道にしてるとこ以外は」
「……やっぱり」
「迷ったねー。セイドのことだから」
「だねー」
心配そうなフロンをよそに、ケントとユリが呑気な口調で口々に言う。悪気はないのだが、顔は笑顔。緊張感のない2人にリラは呆れつつも、そのの意見に大きくうなづいた。
「だ、大丈夫なんスか? セイドさん」
チェスタが心配気に言う。が、リラは軽く流す。
「あー、大丈夫大丈夫」
「い、いいの? それで」
キャリオも心配気に口を開く。フロンが、心配そうな表情は崩さずとも、応える。
「まぁ、うん……。大丈夫だと思うわ。あの子だし……」
「多分な」
フロンの言葉を遮り、リラが力いっぱい言う。その言葉に静まり返る一同。数秒後、フロンが頷く。
「そう。『多分』、なのよねぇ」
信頼を得ているのか得ていないのか、微妙なセイドの扱い。キャリオが呆れて突っ込む。
「全然大丈夫じゃないじゃない」
◇◆◇
所属員名簿室。
核、の本部横。には、核の職員から、職員ではないが戦争のため所属している兵士に至るまでの情報を治めた名簿室がある。名簿、とは言ってもそれを記録した専用のコンピュータが置いてあるのだが。
本来は核本部に属する者の所属員管理のための部屋だが、顔写真、名前、所属から年齢・性別程度なら、核に所属する者なら誰でも見ることができる。
やはりコイツか……。
名簿室のコンピュータの前に座るルインがため息をついた。視線の先にはコンピュータの画面が浮かぶ。画面に映るのは、セイド、の情報。画面上のセイドの顔写真を見て、ルインは先ほどすれちがった兵士を思い出す。
コイツが、『セイド』。
マジマジと、セイドの顔を見据え、ルインは軽く舌打ちをする。
そして、本来してはいけない、否、出来ないはずの名簿室の情報のコピー、を行った。いとも簡単に。
地球と、惑星トゥーム、の文明の差である。
ルインは、ついでにシアが口にした名前全てを調べる。
画面が2つ増える。リラとフロン。ルインはフロンの顔を見て、シアを保護していた者だと気付く。
ひとしきり、セイドとリラとフロンの情報をコピーする。それから、セイドの顔写真を見て、『チッ』と舌打ちした。あの『シア』を笑わせた者に、妙な苛立ちを覚える。
まぁ、いい、と、気を取り直したルインはため息をつきつつ、コンピュータの電源を落とし、席を立つ。
ルインの目の奥には不気味な光が宿る。
シアは、ドアに思いきり蹴りを入れる。激しい打撃音と、蹴りを入れたシアの左足に軽い痺れだけが残る。
鍵をかけられ、見知らぬ部屋に閉じ込められたシアはドアを蹴破ろうとしていた。が、地球最高峰の施設、核は建物自体が造りは頑丈である。シアの力を持ってしても人力で壊すのは不可能である。
シアは軽いため息をつき、ドアに寄りかかった。
その時。
『ピッ』という機械音が響き、ドアが開く。急に動いたドアに驚いたシアが振り向くと、そこにはルインが立っていた。
「何をしている」
「なんのつもりだ……っ」
シアはルインを見るなり、待ってましたと言わん場か李に言う。ルインの言葉を遮って。
「何がだ?」
「なんで私を閉じ込めるのかと聞いてる……っ!」
だんだんと激しくなるシアの言葉。が、ルインは相変わらず淡々と静かに口を開く。
「あぁ。それは……」
ルインは、不意にシアの左腕を掴み、軽く引き寄せた。と同時に、鼻と口を覆えるスリープガスのスプレー缶をシアに押し当てた。
「!?」
「このためだ」
驚き、何が起こってるのかわかってすらいないシアを尻目に、ルインはやはり静かに言う。
不意をつかれたシアに、抵抗する間などない。あっと言う間にシアの鼻と口の回りは大量のスリープガスに覆われた。
な……?
事態を理解する間もなくシアの意識は薄れて行く。シアの全身から力が失われ、膝を着く。シアの腕を掴んでいたルインの手は離され、完全に眠ったシアはその場に倒れた。
ルインがおもむろにポケットより赤いピアスを取り出す。シアの右耳に付くピアスと同じ色。美しい紅の石。まるで、シアの右耳のピアスとセットの様なピアス。
が、違うのは、このピアスは普通ではない、という点。機械が組み込まれ、耳につけることで、その者の神経へと繋がり、外部から命令を下せる。
──シアを操るためのピアスである。
ルインは、そっとシアに傍らに膝をつく。そして、シアの左耳へ手を延ばし、ピアスをつける。
にぃっ、と、ルインは口許だけで笑う。
そして、握った手に隠れる程の小さな小型マイクを取り出した。ルインの声のみを拾う様に設定したマイクである。無線で音声を飛ばすタイプである。繋がる先は、シアのピアス。シアに、命令を下すためのマイク。
ルインは鋭い口調で言う。言葉は、トゥーム語。
「シア。目を覚ませ」
その言葉に反応し、眠らされていたはずのシアの目が開く。そして、その場にスクッと立ち上がった。
そのシアは、無表情であった。ピアスと同じ色、と言っても過言ではない美しい真紅の瞳には、微塵の感情も感じられない。虚ろで、何処を見ているのかわからない。
先ほどまでの、自分の意志でルインへ食ってかかっていたシアとは違う。ルインの言う『無表情で感情のない』シア。
ルインに操られたシアである。
ルインはシアが起き上がったことで、操れたことを確認。再び口許に笑みを浮かべる。
が、その笑みはすぐに消える。代わりに現れたのが、冷徹な瞳。
「シア。聞け。
地球人、抹殺命令だ」
「ハイ」
シアの、感情のない声が響く。とんでもないルインの発言にも、動揺の色すら伺えない。おもむろにルインがドアを開ける。
「行け」
ルインの命令に、シアは歩き出す。
◇◆◇
「あっ」
フロンの研究室のドアから廊下を眺めていたリラが口を開く。その言葉に反応し、フロンも廊下に顔を出す。横道よりセイドが現れていた。
「あ」
セイドもリラとフロンに気付き、走り寄った。セイドは無作為に研究所の中を歩き続け、なんとかフロンの研究室へと繋がる廊下へと戻ることができた。
「どうやら俺、戻って来れたみたいだね」
「やっぱり迷ってたな。バーカ」
「うるさいっ」
からかうリラを余所に、フロンが言い憎そうに口を開く。
「シアは……?」
戻れた安堵感に、少し緩んでいたセイドの表情が曇る。セイドは核の広い研究所中を走り回って来た。が。
「全然、何処にいるのか……」
「そう……」
フロンの表情も曇る。
廊下で立ち話をしていたため、フロンの研究室からケント達も顔を出す。神妙な顔のチェスタとキャリオ。何処か呑気に見えるケントとユリ。
「やっぱりと言うかなんと言うか」
リラは茶化す。が、最早セイドは相手にしない。
ハァ……、と、セイドは大きなため息をつく。
「なんか、もう、何がなんだか……」
『キャーッ』
『わからない』と、セイドが口にしようとした瞬間、遠くから突然の悲鳴が響いた。女性の、声。只事ではない、悲鳴。
「!?」
皆は目を見開き、思わず声のした方へ顔を向ける。
悲鳴はまだ続いている。先ほどの女性の悲鳴を皮切りに、その女性1人ではなく、男女入り混じった数名の悲鳴が木霊する。
「なんだ!?」
流石に困惑した顔のリラが言う。一方セイドは険しい瞳で声のした方を見据える。
『シア』
何故か、セイドの脳裏に浮かぶシアの名前。理由はわからない、しかし、確信に近い程はっきりとセイドの頭にシアの名前が浮かんだ。何故? セイド自身がそう考える。
何かが、セイドの本能が、そう訴えているようだった。
「……シア……」
セイドは聞き取ることができない程の小声で呟いた。聞こえはしたが、何を言っているかまでわからなかったリラが怪訝な顔をする。
「あ゛!?」
「シアだ……」
「は?」
今度ははっきりと言ったセイド。の、言葉にリラはすっとんきょうな声を上げる。リラだけでなく、皆が目を丸くしている。
「な、なんでわかんだよっ」
「なんとなく」
「なんとなくだぁー?
……て、おいっ!」
リラの言葉も最後まで聞かずに、セイドは走り出した。無意識に、体が動く。導かれる様に、セイドは一目散に床を蹴る。
リラ達も後を追うが、セイドの足には敵う者はいない。
走る。悲鳴の聞こえて来た方へ。不思議な確信を胸に。一心不乱に。
シアの名前だけを唱えて……。
「シア!?」
悲鳴の聞こえて来た角を曲がる。と同時に、セイドは叫んだ。セイドの瞳に、ずっと焦がれていた者が映る。
シア。
シアが、いた。
名前を呼ばれたシアが振り返る。シアを見つけた、再びシアに会えた、そんな喜びに顔を綻ばせるセイド。
「シ……!?」
シアの名を呼びかけて、セイドは固まる。シアに会えた喜びに、シアしか見えていなかった。しかし、体ごとこちらを向いたシアに、目を丸くした。
そして、不意に回りの状況が目に入る。
呆然唖然愕然、と立ち尽くすセイド。氷り付いたかの様に動けない。衝撃的な光景に。
ここで追い付いたリラ達。固まるセイドに声を掛けようとしてこちらも固まる。
そこに広がる光景。
赤。
そこかしこに、散りばめられた赤。シアの体にも、服にも、雪の様な肌にも栄える、赤。
鮮やかな赤い、血。
シアの回りには、苦しそうにうめき声をあげ血を流す人、気絶なのか死んでいるのか、倒れて動かない人。血を流している人間は何人かいる。
シア自身にもたくさんの血。シアの血、というよりは、『返り血』である。飛んで来た血が、体に付いている様であった。
少し離れていた物陰から様子を眺めていたルインが、セイド達に気付く。何か嫌な予感が頭をよぎり、『チッ』と舌打ちする。
何も言えず、何を言って良いのかわからず、ただ佇むセイド。目の前の出来事が理解出来ない。理解したくない。セイドは、何を見てしまったのかがわからない。
リラやフロン、ケント・ユリ・チェスタ・キャリオは、怪訝な瞳で、シアを見据えた。
「なんだ、お前ら」
地球語ではない、惑星トゥームの言葉でボソッと呟くシア。疑問系の言葉ではあるが、抑揚のない言葉。体に、顔にすら付く血を気にも止めない。血まみれでも、平然と佇むシア。
セイドの頭に、4年前のシアが鮮明に浮かぶ。
惨殺された人々の真ん中で、血まみれで佇んでいた幼いシア。今のシアは、目の前の光景の中のシアは、年齢は違えど、正にあの時と同じ姿でそこにいる。
セイドの瞳に、しっかりとシアの姿は映る。シアを見据えている。だが、セイドには未だ何も理解できない。
信じられない。
信じたくない?
分からない。
分かりたくない?
頭が働かないセイド。何か言おうと、シアに話しかけようと、シアから事の真偽を聞きたくても、体は動かない。セイドの体だが、セイドの言う事を聞かない。
ただ呆然と、シアを眺める。
やっとの思いで言葉を呟くまで、一体何分かかっただろうか。
その言葉は、シアには届いたのか届いていないのか。宙に溶ける。
「シ、……シア……?」
──────第参話 消えた華─謎─ 終了