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満月へ還るべき蝶を探して

作者: 日御碕 出雲
掲載日:2026/10/30

【第34作目-①】今回のお話は、チート能力回収者のプロローグ的な話を作ってみました。


--------

満月が雲間から顔を覗かせていた。

銀色の光が草原を照らし、夜風に揺れる草が波のようにうねる。その中を、一匹の蝶が飛んでいた。


青白く輝く蝶だった。


まるで小さな月の欠片が羽を得たように、静かに夜空へ向かって昇っていく。

丘の上に腰掛けていたリクは、その光景を黙って見つめていた。


美しい。

ただ、それ以上に切なかった。


蝶は自由になっていた。

長い旅を終え、ようやく帰るべき場所へ帰ろうとしている。


あと少しで。

本当に、あと少しで。



だが突然、川向うの山の中腹から紫色の光が灯った。

魔法陣だった。

巨大な円陣が一瞬だけ浮かび上がり、夜空へ光の鎖が走る。


蝶が慌てたように方向を変える。

だが遅い。

光の檻が閉じた。

蝶は必死に羽ばたく。

それでも逃げられない。


やがて蝶の身体は光の結晶へ吸い込まれ、そのまま消えた。

静寂。


リクは小さく息を吐いた。

「またか」


五年前にこの世界へ来てから、二度も目にした光景だった。

リクは元々、この世界の人間ではない。


ある日突然、神に呼び出された。

白い空間だった。

見渡す限り何もない場所。


そこで神は困ったように頭を掻きながら言った。

「頼みがある」

神らしからぬ第一声だった。


話によれば、異世界へ送り込んだ転移者たちへ与えたチートスキルが戻ってこなくなっているらしい。

転移者のチートスキルは神の権能の欠片だ。

転移者が死ねばスキルは光る蝶となり、満月の夜、天界へ帰る。

それが数千年続いてきた仕組みだった。


だが近年、戻ってくる蝶が激減している。

原因は不明。

神々は直接世界に手を出せないらしい。

だから調査し、蝶を天界へ還してほしいと。


その代わり、三つのスキルを貸し与える。

そう言われた。


リクは半ば面白半分で引き受けた。

今思えば軽率だったかもしれない。

だが後悔はしていなかった。

この旅は意外と悪くないからだ。



辺境都市ルードへ辿り着いたのは、夏が終わりかけた頃だった。

石壁に囲まれた小さな街。

地図では辺境と呼ばれているが、不思議なほど活気がある。

市場には笑い声が満ちていた。


傷を負っている冒険者もいる。

年老いた農夫もいる。

それなのに誰も暗い顔をしていない。

リクは違和感を覚えた。


辺境の町は大抵貧しい。

怪我人はそのまま働けなくなり、病人は死を待つことも珍しくない。


だがここは違う。

そこで聞こえてきたのが一つの噂だった。

「奇跡使いの先生に診てもらえば治る」

「先生なら何とかしてくれる」

「青蝶の杖があるから」


青蝶の杖。

その名前を聞いた瞬間、リクの足が止まった。


光る蝶。

青蝶。

偶然だろうか。


いや、この五年間で学んだことがある。

蝶という言葉が出てくる噂は大体当たりだ。




翌日。

リクは診療所を訪れた。

古びた木造の建物だった。

朝から大勢の人で賑わっている。

診察室の奥に、その杖はあった。

壁へ立て掛けられている一本の木杖。


蒼い宝石。

蔦のような彫刻。

そして中ほどに刻まれた蝶の紋章。


リクは無意識にスキルを発動していた。

《魂視》。

神から与えられた能力の一つ。

視界が変化する。

生き物の魂が淡い光となって見える。

魔力の流れも見える。


そして。

杖の中にいた。

一匹の蝶が。


静かに羽を閉じて眠っている。

間違いない。

帰るべき蝶だった。




杖の持ち主はミラという女性だった。


栗色の髪。

優しい目。

二十代半ばほど。


噂通り腕は確かだった。

骨折した冒険者を数分で立てる。

高熱の子供を瞬く間に回復させる。

普通ではない。


この世界の治癒魔法を知るリクには分かった。

これは明らかに異常な性能だ。

転移者のスキルを使っている。


診療が終わった後、リクは声を掛けた。

「その杖について話がある」

ミラは警戒した。


「買い取りなら断るわよ」

「違う」

リクは真っ直ぐ杖を見た。


「その中に蝶がいるな」

ミラの顔色が変わった。


そして静かに言った。

「見えるの?」

リクは驚いた。

否定すると思っていた。

隠すと思っていた。

だが彼女は認めた。


「知っているのか」

「師匠から聞いてる」

ミラは杖へ目を向ける。

「この杖の力は借り物なんだって」




その夜。

二人は川辺を歩いていた。

夕暮れが水面を赤く染めている。


「あなた、この蝶を回収しに来たの?」

ミラが聞く。

リクはすぐには答えなかった。

「そうかもしれない」


嘘ではない。

事実でもある。


だが最近、自分でもよく分からなくなっていた。

神の言う通り見つけ次第壊し天へ還すべきなのか。

それとも。


ミラは川を見つめながら続けた。

「この杖が無くなったら困る人は多い」

「分かってる」

「でも本来は返さなきゃいけないんでしょう?」


リクは黙った。

その通りだった。

理屈だけなら。




翌日からリクは町を見て回った。


孤児院。

農場。

鍛冶屋。

診療所。


どこへ行ってもミラの名前が聞こえる。


ある少年は語った。

母親が助かったと。


農夫は語った。

腕が治ったと。


老女は涙を流しながら言った。

孫の命を救ってもらったと。


そのたびにリクの胸は重くなった。

杖を壊せば蝶は帰る。

だが失われるものも大きい。




そして満月の前夜。

リクは診療所の屋根に座っていた。


風が涼しい。

遠くで虫が鳴いている。

すると杖が淡く光った。


次の瞬間。

一人の男が現れた。

実体ではない。

魂だけの姿。

リクには分かった。

このスキルの前任者だ。


『転移者か』

男の声が聞こえた。

「喋れるのか」

『お前にだけだが』


リクは苦笑した。

それもそうだ。


『神から頼まれた回収人ってとこか』

「そんなところだ」

『そうか…』

男の魂は楽しそうだった。

長い年月を閉じ込められていた魂とは思えない。

「蝶を返したくないのか」

リクが聞く。

男は少し考えた。

『返すつもりさ』

意外な答えだった。

『でも急がなくてもいい』

「なぜだ」

『あの子がいる』

診療所の窓から漏れる灯りを見ながら男の魂は言った。

『ミラは優しい』

『私より優れた治療師になる』

『その日まで見届けたい』

その言葉を聞いた時。

リクは理解した。


蝶は囚われていたわけではない。

少なくとも、この一匹は。

自ら残ることを選んでいた。


もちろん永遠にではない。

だが今ではない。

それだけだ。



翌日。

満月の日。

リクは診療所の前に立っていた。

ミラが不安そうに出てくる。

「決めた?」

その顔を見た瞬間。

リクの中の答えは固まった。

「保留だ」

「え?」

「今は回収しない」

ミラが目を丸くする。

「本当に?」

「ああ」

リクは肩を竦めた。

「逃げるわけじゃない」

「その蝶は覚えておく」

「いつか迎えに来る」


ミラはしばらく黙っていた。

やがて小さく笑った。


「変な人」

「よく言われる」


町を出る頃には太陽が高く昇っていた。

城門の外までミラが見送りに来る。

「次は?」

「南へ行く」

「目的は?」

リクは懐から一枚の紙を取り出した。

そこにはこう書かれていた。


黒蝶の大剣使い

盗賊王グラドの指名手配書だった。

周辺領地を荒らしまわっているらしい。


ミラは苦い顔になる。

「あ、それ絶対危険なやつね」

「だろうな」

「今度は壊すの?」


リクは少し考えた。

そして笑った。

「会ってみないと分からない」

「仮に相手と闘っても今の自分じゃあやり合えるのかも分からない」

「判らないことだらけだよ」


世界にはまだ数え切れないほどの蝶がいる。

助けを求める蝶。

帰りたがる蝶。

眠る蝶。

怒っている蝶。

そして、自ら残る蝶。


答えは一つではない。

だから旅を続ける。


一匹ずつ。

話を聞いて。

見極めて。

自分で決める。


神のためでもない。

人のためだけでもない。

蝶たちのために。

リクは街道を歩き出した。


背後ではルードの町が朝日に輝いている。

その中心では、青蝶の杖が静かに青く光っていた。


まだ帰らない蝶がいる。

だがいつか、その時は来る。

満月の空へ羽ばたく日が。

その日まで。


ほんの少しだけ、この世界へ貸しておこう。

そう思いながら、リクは次の蝶を探す旅へと向かっていった。

--------

5分程度で読める、短編ばかり書いています。

もしよければ、以前の話も読んでみてみてください。

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