【第四章】 市中の和本と真実の発覚
一、奇妙な噂話
ある日、小町は女房たちの立ち話を耳にした。
「ねえねえ、市中で面白い和本が出ているらしいわよ」
「ああ、『宮中姿絵珍譚』のこと?」
「そうそう! 絵師の失敗談を集めた笑い話集なんですって」
小町の耳がぴくりと動いた。
「特に『八岐大蛇将軍の段』が傑作だって、皆が言っているわ」
「まあ、八岐大蛇将軍って...」
女房たちは慌てて口を押さえた。小町が近くにいることに気づいたのである。
二、禁断の市中行き
その夜、小町は決意した。
(あの和本を見なければ...私について、何が書かれているのか...)
身分を隠し、小町は密かに宮中を抜け出した。夜の市中は、昼とは違う賑わいを見せていた。
「おや、お嬢さん、和本はいかがですか」
書肆の店先で、小町は呼び止められた。
「あの...『宮中姿絵珍譚』という本は...」
「ああ、それなら今一番の売れ筋ですよ! どうぞどうぞ」
小町は震える手で、その和本を受け取った。
三、衝撃の真実
灯りの下、小町はページをめくった。
そこには、信じられない内容が記されていた。
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第五話「八岐大蛇小町将軍の真実、または絵師の壮大なる勘違い」
「承平五年の春、宮中御用絵師の藤原定信と橘真継は、新参の更衣・八岐大蛇小町の姿絵を描く役目を仰せつかった。
二人が御簾越しに見た小町は、信じられないほどの美女であった。しかし、二人は考えた。
『八岐大蛇家の姫君が、こんなに優美なはずがない』
そこで二人は結論づけた。『これは宮中用の仮の姿に違いない。真の姿はもっと勇壮で、恐ろしいはずだ』
こうして二人は、想像力を駆使して『真の姿』を描いた。その姿絵は――鬼神のごとき恐ろしさであった。
この姿絵は大評判となった。貴族たちは皆、『さすがは武門の姫君』と感心した。ただし、求婚者は一人も現れなかった。
帝もこの姿絵を見て、『普段は美しいが、いざという時は恐ろしき戦士に変貌する』と誤解し、小町を禁中大将軍に任命した。
それから数年――。
ある日、貴族の一人が偶然、小町を間近で見る機会を得た。その美しさに驚愕した貴族は、姿絵と実物があまりにも違うことに気づき、絵師に問い詰めた。
絵師は青ざめて告白した。
『実は...八岐大蛇家の姫君なら、きっとこうだろうと...想像で描きました...』
しかし時すでに遅し。小町は『恐ろしき将軍』としてすっかり定着し、誰も求婚しようとはしなくなっていた。
当の小町は、この真実を知らぬまま、今日も宮中で孤独に過ごしている――」
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四、崩れ落ちる世界
和本が、小町の手から滑り落ちた。
「そんな...そんな...」
すべての謎が解けた。
求婚者が来なかった理由。 帝が近づかなかった理由。 武士たちが怯えていた理由。 武芸もできぬ自分が将軍に任命された理由。
すべては、絵師の「想像で描いた姿絵」のせいだった。
「八岐大蛇という姓を選んだのが...間違いだった...」
小町は膝から崩れ落ちた。
もし「小野小町」のまま入内していたら、絵師は素直に見たままの美しい姿を描いただろう。そうすれば、求婚者も現れ、帝の寵愛も得られたかもしれない。こんな奇妙な将軍職に就くこともなかった。
「母上の助言が...こんな結果を招くなんて...」
母は善意で言ったのだ。より良い縁談のために。しかしその善意が、皮肉にも小町の人生を狂わせた。
五、絵師との対峙
翌日、小町は勅命で二人の絵師を呼びつけた。
「本当に...想像で描いたのですか」
藤原定信と橘真継は平伏した。
「申し訳ございません! しかし、八岐大蛇家の姫君があまりに美しく、可憐であられたので...きっと何か特別な術をお使いなのだと...」
「特別な術など、何もありません」
小町の声は静かだったが、その静けさが逆に恐ろしかった。
「私は生まれたときから、この姿です。『真の姿』など、ありません」
「そ、そうだったのですか...では、あの姿絵は...」
「すべて、あなた方の想像です」
絵師たちは震えた。
「ではこれより、正しい姿絵を描きなさい」
「し、しかし...今さら訂正しても...」
橘真継が言いかけた。
「多くの方々が、すでにあの姿絵が『真実』だと信じ込んでおります。『実は間違いでした』などと言っても...」
「わかっています」
小町は遠くを見た。
「もう、手遅れなのでしょう。でも...せめて正しい姿を残しておきたいのです」




