【第三章】 禁中大将軍への異例の任命
一、突然の勅命
入内から一年が経った秋のこと。
突如として、信じられない勅命が下った。
「八岐大蛇小町を、禁中大将軍に任ず」
宮中は上から下まで騒然となった。
禁中大将軍――それは内裏の警護を統括する重責である。通常は歴戦の武将、それも男性が任命される役職だ。女性が、しかも更衣が任命されるなど、前代未聞の出来事であった。
「これは...いったい...」
小町自身が最も驚愕した。
武芸など一切できない。薙刀を持てば尻餅をつき、弓を引けば顔に弦が当たる。そんな自分が、なぜ軍事の最高責任者に?
しかし勅命は絶対である。
「八岐大蛇小町、謹んでお受けいたします」
小町は震える声で答えるしかなかった。
二、帝の「完璧な」計画
実は帝には、周到な計算があった。
「よし、これで内裏の守りは完璧だ」
帝は満足げに頷いた。
帝の考えはこうだった――小町は普段、絶世の美女の姿をしている。これにより、敵は完全に油断するだろう。そして宮中に侵入しようとした瞬間、小町が「真の姿」に変貌し、恐ろしき武勇でもって敵を撃退する。完璧な計画ではないか。
「しかも、八岐大蛇家の血筋だ。武芸は家芸のようなもの。きっと並外れた腕前であろう」
帝の誤解は、もはや確信へと変わっていた。
三、形だけの将軍職
もちろん、実際の警護業務は従来通り、歴戦の武士たちが担当した。
小町に求められたのは、ただ「禁中大将軍」という肩書きを持ち、時折視察の真似事をし、重要な式典では上座に座ることだけだった。
「八岐大蛇将軍、本日の警備配置でございます」
毎朝、副将の源頼武が報告に来る。
「は、はい...ご苦労様でございます」
小町は何を言えばよいのかわからず、ただ頷いた。
不思議なことに、武士たちは皆、小町に対して異様なまでに畏怖の念を抱いていた。
「八岐大蛇家の姫君は、その恐るべき武勇で知られる。我々ごとき雑兵が粗相をすれば、あの『真の姿』を現されて一刀両断だ」
「普段は優しく美しいお方だが、怒らせてはならぬ...」
彼らもまた、あの姿絵を見ていたのである。
四、滑稽なる視察の日々
小町の「視察」は、武士たちにとって緊張の連続だった。
「では、弓術の稽古を拝見いたしましょう」
小町がそう言うと、武士たちは震え上がった。
(八岐大蛇家の姫君の前で、下手な腕前は見せられぬ...!)
皆、必死で的を射た。
「おお...素晴らしい...」
小町は本心から感心した。自分が弓を引けば顔に弦が当たるのだから、的に当たるだけで奇跡に思えたのである。
しかし武士たちは、小町の感心を別の意味に受け取った。
(や、やはり...将軍の目は厳しい...もっと精進せねば...!)
「次は剣術を」
小町がそう言うと、武士たちは汗だくになりながら、これまでで最高の演武を披露した。
「見事でございます...」
小町は素直に褒めた。
(本当に、皆様は強いのですね...私など、竹刀を持つだけで目が回ってしまうというのに...)
しかし武士たちには、その言葉が恐ろしい皮肉に聞こえた。
(『見事』だと...! つまり、まだまだということか...!)
こうして、小町の存在は意図せずして、宮中の武士たちの練度を飛躍的に向上させることになった。
五、孤独を深める日々
しかし、小町の心は満たされなかった。
更衣として入内したのに、帝には召されない。 禁中大将軍に任命されたが、実質的には何もできない。 求婚者は相変わらず一人も現れない。
夜な夜な、小町は和歌を詠んだ。
「花の色は くすぶりにけり いたずらに わが身宮中に 置かるるままに」
(花の美しさは くすぶってしまった むなしく 私の身が宮中に 置かれているだけで)
「私はいったい、何のためにここにいるのだろう...」
小町は自問した。
母の助言に従って「八岐大蛇」を名乗ったのに、結果は散々だった。もし「小野」のままだったら――そんな後悔が、日に日に大きくなっていった。




