【第二章】 姿絵の悲劇と求婚者の不在
一、華々しき入内
承平五年の春三月、小町は更衣として宮中へ上がった。
書類には「八岐大蛇小町」と記された。
女房たちは、その名を見て色めき立った。
「八岐大蛇家から更衣が!」 「あの伝説の草薙将軍の末裔!」 「きっと勇ましく、凛々しいお方なのでしょうね」
ところが、実際に小町が姿を現すと、女房たちは一様に言葉を失った。
「ま...まあ...」 「これは...」 「なんという...」
目の前にいたのは、想像を絶する美女だった。
月のように白く透き通る肌、漆黒の滝のような髪、切れ長の瞳、紅を引いたような唇――まさに「傾国の美女」とはこのことか、と思わせる完璧な美貌。
「武門の姫君が...こんなに...」
女房たちは困惑した。「八岐大蛇」という姓から、もっと勇壮で男勝りな女性を想像していたのである。
二、絵師たちの深刻なる誤解
慣例により、新参の更衣の「姿絵」が描かれることになった。これは貴族たちが求婚の参考にするためのものである。
宮中御用絵師の藤原定信と橘真継が、その役目を仰せつかった。
「さて、八岐大蛇家の姫君の姿絵か。気合を入れねばな」
二人は張り切って、御簾の隙間から小町の姿を盗み見た。
「...おい、定信」 「...ああ、真継。私もそう思う」
二人は顔を見合わせた。
御簾の向こうには、信じられないほど美しい女性がいた。まるで天女のような優雅さ、人形のような繊細な美しさ。
「これは...おかしい」
定信が呟いた。
「おかしいとは?」
「考えてもみろ。八岐大蛇家といえば、代々屈強な武将を輩出してきた家系だぞ。姫君といえども、きっと勇壮で力強い風貌のはずだ」
「確かに...伝説の草薙将軍の血を引くお方が、あんなに可憐なはずがない」
真継も頷いた。
「つまり...」
二人は同時に同じ結論に達した。
「あれは『宮中用の姿』に違いない!」
「そうだ! きっと何か特殊な化粧術か、あるいは呪術的な何かで、宮中では優雅な姿をしているのだ!」
「我々が描くべきは、『本来の姿』だ! 武門の誇りを持つ、真の八岐大蛇家の姫君の姿を!」
こうして、二人の絵師は小町の「真の姿」を想像で描き始めた。
三、恐怖の姿絵、市中に広まる
完成した姿絵は、凄まじいものだった。
鋭い眼光、角張った顎、筋骨隆々とした体つき。手には大太刀を握りしめ、背後には八つの蛇が絡み合う紋章が描かれている。髪は逆立ち、口元には不敵な笑みが浮かぶ。まるで戦場に立つ女武者――いや、鬼神のような風貌。
「これぞ、八岐大蛇家の真の姫君の姿であろう」
二人の絵師は満足げに頷いた。
この姿絵は、瞬く間に宮中に、そして貴族社会に広まった。
「ほう...これが噂の八岐大蛇小町殿か」 「さすがは武門の姫君。恐ろしいまでの迫力よ」 「『小町』という名から美女を想像していたが...これは『凄町』だな」 「宮中では化粧術で美しく見せているらしいが、本来の姿はこれだそうだ」
公卿たちは姿絵を見て、完全に求婚の意欲を失った。
「私は文雅を愛する身。こんな勇ましい方は...」 「夜、目が覚めて横を見たら、この顔があったら...心臓が止まる」 「帝が寵愛されるというなら、お任せするとしよう」
四、帝の妙なる誤解
ところが、帝もまた奇妙な反応を示した。
帝は姿絵を見た後、実際に小町を遠目に見る機会があった。その美しさに、帝は混乱した。
「あの恐ろしい姿絵の女性が...なぜこんなに美しいのだ?」
帝は深く考え込んだ。そして、ある結論に達した。
「これは...そうか、わかったぞ!」
帝は膝を打った。
「八岐大蛇家の血には、特別な力が宿っているのだ。普段は麗しき姿をしているが、いざという時には恐ろしき戦士へと変貌する...!」
帝はますます感心した。
「これほど完璧な護衛がいるだろうか。敵は彼女の美しさに油断し、近づいたところで真の姿を現して撃退する...!」
しかし、帝は同時に恐れも感じた。
「寵愛を与えたとして...もし機嫌を損ねたら、あの恐ろしい姿に...」
こうして帝も、小町に近づくことを躊躇したのである。
五、小町の孤独
入内から半年が過ぎた。
小町は不思議でならなかった。
更衣として上がったのに、帝は一度も召されない。廊下ですれ違う公卿たちは、小町を見ると必ず驚いたような表情を浮かべ、そそくさと立ち去る。求婚の和歌も、一首も届かない。
「私...何か失礼なことをしてしまったのでしょうか」
女房たちに相談すると、彼女たちも首を傾げた。
「おかしいですわね。八岐大蛇様ほどのご家柄で、しかもこれほどのお美しさ...」
「姿絵が何か問題だったのでしょうか」
「まさか。あの名門のお嬢様の姿絵ですもの、きっと立派なものに違いありません」
誰も、姿絵が実物と全く異なるとは思いもしなかった。
小町は和歌を詠んでは、月に愁いを託した。
「何のために『八岐大蛇』を名乗ったのだろう...」
母の助言に従ったのに、結果は惨憺たるものだった。もし「小野小町」のままだったら、こんなことにはならなかったのではないか――そんな後悔が、心をよぎり始めた。




