ヒコイチのくちにのぼれば
ヒコイチの疑うような顔をみて、また笑みをふかめた『先生』がたちあがり、しめきってあった庭に面した障子をあけ、まだ残るうすい陽で照らされた木々と池をながめた。
「 ―― ヒコイチさん、このおはなしは、たしかに『ヤオビクニ』のはなしでございますけれどね、ほんとうのところは、『ニンギョ』でも『ヤオビクニ』のはなしでもなくて、浜に生まれ育ったおんな二人のはなしなンでございます・・・」
部屋のなかにむきなおった先生は、「いやなはなしでございましたでしょう?」とヒコイチをみながら膝をつく。
「おんなどうしの、見栄とねたみがからまった末に、片方が『ヤオビクニ』になったってだけのはなしなんでございますよ。わざわざおよびだてして、こんないやなはなしをおきかせするのもどうかと思いましたが・・・」
「 べつに、いやでもなんでもねえですよ。 ただ、 ―― このはなしがほんとうに『先生』のはなしじゃねえっていうンなら、すこしだけ気は楽になるってもんで。それにね、『先生』、こりゃアやっぱり、『ニンギョ』の祟りで『ヤオビクニ』になっちまった、かわいそうなひとのはなしじゃねえですか。嵐のあとに『ニンギョ』がとれなきゃアそんなおかしいことになんか、なってねえはずだ。そのうえ、なんだよ?その、あやしい『薬売り』って男はよ。おれアね、そいつに腹がたってしかたがねえ」
おもわず崩したあしの片ほうをたてて、膝をたたいた。
「その男が来なかったら、『ニンギョ』の骸だって埋まったままだったし、タキちゃんだって、ひろったこどもの頭を埋めて終わったんだ。それなのによオ、そいつのせいでおかしくなりやがったんだ。それを『ニンギョの祟り』って言っちまったら、それまでだけどよ、おれア、その『薬売り』がゆるせねえ」
たとえ、おんなどうしの間に、なにかがわだかまっていたのだとしても、それは人としてしごくあたりまえのことだ。
「 ほらね、ヒコイチさんならそういってくれると思っておりましたよ」
ダイキチがいつのまにかいれてくれたお茶を、ヒコイチのくずした脚のそばに置き、『先生』をみてうなずいた。
『先生』は、なぜか泣きそうな顔でくちをひきむすび、がばりと身をなげだすように頭をさげた。
「ヒコイチさん、もうしわけございませぬ。 このはなしをして、『薬売り』のことをヒコイチさんにくちにしていただこうと、わたくしがダイキチさんに策を申し立てたのでございます」
「 ・・・はあ?おれが、なんですって? とりあえず『先生』、顔をあげてくださいよ。そんなことされちゃあ、こっちの尻がおちつかねえ。なあ、ダイキチさん、どういうことです?」
とまどったヒコイチが、むこうの火鉢にかけた鉄瓶をもちあげる年寄をむくと、めずらしく笑みをけした厳しい顔で、「わたくしはね、これはどうかと思ったのですが・・・」と、急須をゆっくりまわす。
「 ・・・『先生』のお気持ちが強いようなので、それならもう、のるしかないとおもいまして。なにしろヒコイチさんの《ひきよせ》はかなりのものでございますからなあ」
この年寄りにはじめてあったときに、ヒコイチは《ひきよせ》がつよく、それで《不思議》が寄ってくる、といわれたのをおもいだした。




