本当は?
部屋の中が、きゅうにうすぐらくなる。
ヒコイチはまだ、『先生』の顔を見続けている。
「 ・・・『先生』、いまのは、そのう、・・・あれで? 『先生』のはなしっ・・・てわけじゃあ、ねえわけで?」
「 あら。はじめるまえに、そう申しましたでしょお?」
おのれは『ヤオビクニ』なのだという女が、たくらみがうまくいったとでもいうような顔をむけてくる。
この女の『先生』は、流しの売り歩きをするヒコイチが、ちょっとした縁で知りあいになったダイキチという履物屋の隠居といっしょに『お屋敷』に暮らしていて、すこし不思議な力もあるようだ。
その『先生』が、この『お屋敷』でひらかれる不思議ばなしをする会の『百物語会』とはべつにして、はなしをおさめたいというので、なぜかヒコイチもよばれたのだが、まあ、よばれたといっても、普段からいろいろかこつけてはここに邪魔をしているので、それはいい。
ほんとうの『百物語会』は、一条のぼっちゃまとよばれる男が知り合いの文士やらなにやらを集めてするものなので、ヒコイチとしては、そういう集まりより、この『お屋敷』にすんでいる二人とだけのほうが気も楽だし、『先生』がどんなはなしをするのかと、すこし楽しみにもしていた。
だが、予想していた気楽さは、どこにもないはなしだった。
たしかにいまのはなしは、ヒコイチがまえにダイキチからきいた、この『先生』が『ヤオビクニ』になったいきさつとはちがうものだった。『先生』は、漁師の妻だったときに、おとこたちが気味が悪いと捨てたものを女たちでたべ、そこの女たちみんなが『ヤオビクニ』になってしまったとはなしたらしい。
だが、そのはなしだってほんとうかどうかは、実は『先生』にしかわからない。
この話だって、ほんとうに『先生』が世話になったという『比丘尼』からきいたとして、それはやはり、ふつうのビクニではなく、不老不死の『ヤオビクニ』というものか?『先生』のお仲間、ということだろうか?
いやいや、さっきまで、『先生』のくちから語られていた『あたし』は、ほんとうは『先生』ではないのか・・・?




