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異世界恋愛(短編)

この悪役令嬢、何かおかしくない?

作者: 忍者の佐藤

 


 朝目が覚めると知らない天井があった。どうやらそれがベッドに付いている天蓋を、下から見上げた様子だと気づく。

 金糸でかたどられている馬は家紋か何かだろか。

 いや、天蓋付のベッドなんて今まで使ったことも無いし、こんな西洋風の家紋も知らないけれど。



 周りを見回すと、まるで宮殿のような部屋。床は大理石で、その上にお高そうなカーペットが敷いてあり、部屋自体はお葬式が出来そうなくらい広く、奥に見える暖炉は人を火葬出来るくらい大きい。

 ということはここはオールインワンな祭場? そして私が寝ている場所は棺桶?


「お、お目覚めでございますか、お嬢様」

 すぐ後ろで若い女性の声がした。

 お嬢様?

 振り返ると、私が見回しているのとは反対側のベッドサイドに、メイド服を着た人物が立っていた。え、コスプレ? それとも白黒だし可愛い感じの喪服だろうか。



 その時、メイドの立った場所の奥にある大鏡が目に入った。

 私は視線は一気に吸い寄せられた。

 思わずベッドから飛び起き、その鏡をがっちりと掴んで己の顔をまじまじと見た。

 それは親の顔より見たはずの、自分の顔ではなかった。同じなのは黒髪なことくらいで、目の大きさや輪郭まで、全てが異なっていた。


 神様が丹精込めて作りこんだ人形のようだった。一言でいえば美少女。学校で最も可愛い女子を選抜してデスゲームさせて、最後に勝ち残るくらいの美貌をしていた。

 長いまつ毛も深紅のルビーのような瞳も、陶器のような肌も、どう考えても私こと今井輝月とは異なっていた。


 そして、私はこの顔を見たことがあった。交番の前に貼ってある指名手配の紙で見たわけではない。この顔は乙女ゲーム「王国のラミエール」の悪役令嬢。ルクレシア・ラ・ノアールだった。

 忘れもしない。昨晩、買ったばかりのものをプレイしていたのだから。


「お嬢様、どうされたのですか」

 後ろからメイドが怯えた声で聞いてくる。

 ん、怯え?私はメイドの反応に若干の違和感を覚えつつも、頭でこれからどうするべきかを高速で考えていた。

「何でもないわ」


 そして決めた。今はルクレシアとして振舞った方が良い。元の世界の私がどうなってしまっているのかは分からないが、悪役令嬢になってしまった今、選択肢を間違えればバッドエンドに直行してしまう。

 うう……こんなことなら速攻でクリアしとくんだったよ。

 私は心で泣き言を言いながら咳払いをした。


「あなたも普段通りに接して頂戴。何をそんなに怯えているの?」

「も、申し訳ございません。普段のお嬢様の様子とは少し違ったものですから……」


 確かルクレシアはかなり性格のきつい人物だった。この怯え方からすると、普段から使用人にも強く当たっていたのだろう。


「それに、お嬢様はいつもこの時間は眠っていらっしゃるので、少し驚いてしまって」


 成程、使用人に強く当たるだけではなく、私生活も乱れていたのか。それが今日に限って朝起きたものだから、態度も相まってメイドが不審がったのだろう。


「さ、早く準備を整えて頂戴」


 整えて頂戴とか言ったものの、ルクレシアがこれからどのようなルーティンを行うのか知らない。知らないからメイドに任せるしかないのだ。


「かしこまりました。ではお嬢様、これを……」


 そう言ってメイドが差し出してきたのは金属バットだった。もう一度言う。金属バットだった。あのボールを打ったり世紀末にバイクに乗りながら人をしばく時に使うやつだ。


 金属バット……乙女ゲームに金属バット??? 


「ナニコレ」

「金属バットです」

 それは分かるんだけど。何するの、これ。もしかしてメイドからの無茶ぶり? これで一発ギャグしろってこと?

 私の反応を不服と捉えたのか、再びメイドの顔に怯えが出てくる。


「あ、あの、ルクレシアお嬢様は毎朝必ず素振りを1000回やってからでないと食事をされないと申されておりましたので」


 朝の日課ストイックすぎない? プロ野球選手でもそんなに朝から素振りしてる人は少数派じゃないのだろうか。

 ルクレシアの生態については謎多きだが、ここは話を合わせるしかない。



「え、そ、そうね。私野球やってたものね。レギュラー定着のために頑張らないと……」

「? お嬢様は野球はされておりませんよ」


 やってないんかい。


「お嬢様がされていたのはバレーボールです」


 謎は深まるばかりである。じゃあこれ何の素振り? 宗教的儀式? 朝っぱらから鉄の棒を振り回す令嬢とか絶対やばい奴じゃん。


「素振りなのだけれど、今日は遠慮しておくわ。というか、今後することは無いと思う」

「お、お嬢様が素振りをなさらない?!」


 メイドの顔は驚愕に見開かれている。


「そんなに驚く?」

「い、いえ……その、私もその方が良いと思います……部屋中の物も吹き飛ばないですし嬉しいです」


 どんなスイングスピードしてたんだ、ルクレシア。

 一先ず私がベッドの方に戻ろうと歩いていると、後ろからメイドが「あっ!」と声を上げた。

 しまった。

 思い当たることがある。

 私はO脚で、ややがに股なところがあり、友達から歩き方を直した方が良いと散々言われていた。無意識に今井の歩き方になっていたに違いない。


「どうしたのかしら」


 私は平生を装って聞く。両手で口を覆っていたメイドが、掠れた声で言った。

「さっきは見間違いかと思ったけれど、お、お嬢様が二足歩行をされている!」

「ちょっと待って」


 私は頭を抱えた。何でこの令嬢、二本の足で歩いているだけで驚かれているの? 普段どんな歩き方していたの? 

 私がうつむいていると心配そうにメイドが近づいてきた。

「お嬢様……無理なさらず、いつもの四足歩行で良いのですよ」

 馬鹿にしてんのか!


 恐らく前人未踏の気の使われ方してる! 自然体が四足歩行ってそれもう爬虫類じゃないの!


「大丈夫だから! 無理してない。これからは二足で歩いていく感じだから」

「えっ! 壁を這いまわったりもしないのですか?!」

「しないわよ!」

 してたんかい。

 ちょっと本格的に人間かどうか怪しくなってきた。

 驚きに見開かれていたメイドの顔がどんどん明るく晴れていく。目元に涙なんか浮かべちゃっている。

「お嬢様……また一歩人間に近づきましたね」

「人間扱いして頂戴!」

「も、申し訳ありません! ではお嬢様、これから着付けを致しましょう。準備致しますので少々お待ちください」


 その言葉に私の心は踊った。私が乙女ゲームで楽しみにしていたことに一つはドレスを見ることだった。可愛いフリルに鮮やかな刺繍。

 私にも少女だった時代があり、一度は華やかで美しいドレスを着飾って、舞踏会に参加したいと思っていた。その願いがこんな形で叶うなんて。


 私はウキウキしながら【二足歩行で】クローゼットに向った。流石に貴族のクローゼット。ここに住めるくらいに大きい。

 どんなドレスがあるのだろう。マーメイドライン? ベルライン? いいえ、ルクレシアの今の年齢ならまだバルーンラインも行けるかしら? 


 私が期待に胸をバルーンのように膨らませながら観音開きの取っ手を開くと、そこには田んぼが広がっていた。

 田園である。

 田んぼには水が張られ、中には一面青々とした苗が植えられており、その奥には田植えをしている初老の男性がいる。

 何て牧歌的な風景。


 私の思考は文字通り一時停止していた。


「メイド」

「は、はい。ちなみに私の名前は『もっちり大福』です」

「待って、思考が追いついてないところに更に追い打ちかけないで」

「お嬢様がこう名乗れと……」

「そんなことは良いから! もっちり大福! あれは何!?」

「コシヒカリです」

「『なるほど、味を重視してコシヒカリを植えたのね』ってならないわよ! 品種の確認じゃなくて何でクローゼットの中に田園が広がってるの!? 多分これ向こうの部屋もぶち抜きでやってるわよね! ちょっとは不動産の価値とか考えないのかしら!」


 もっちり大福はきょとんとした顔を私に向けてくる。

「ですが、お嬢様が『ここに水田を作ろう』と仰られて……」

「馬鹿なの!?」

「お、お嬢様、自分を否定するのはお辞めください」


 そうなんだけどそうじゃない! さっきからルクレシアがすごい勢いで人間の領域から遠ざかっていく。もう悪役令嬢とかじゃなくてシンプルな人外。

 しかしこの屋敷の人たちも屋敷の人たちだ。何でこんな頭のおかしい娘の言うことを唯々諾々と聞いているのだろう。ルクレシアが怖いのだろか。


「もう良いわ。ドレスはどこなの?」

「ええ!? お嬢様、ドレスをお召しになるんですか?!」

「あ、あら、私ドレスも着ていなかったかしら?」


 ルクレシアの一挙手一投足が常識の遥か大気圏外過ぎて全く次に何が来るか分からない。


「ええと、じゃあ普段着ていたものをここに持ってきてくれる?」

「かしこまりました」


 もっちり大福は部屋の外にぱたぱた走って行った。

 かと思うと、彼女の身長を超えるような、布かどうかも怪しいごっつい人型の物体を持って戻ってきた。

 よく見ると頭はフルフェイスのヘルメットのようになっていて、全体が白いスーツだった。

 これ、もしかして。

「一応聞くのだけれど、それは何……?」

「宇宙服です」


 何で中性ヨーロッパが舞台の乙女ゲームに宇宙服があるのよ。ガバガバ過ぎるでしょ。


「私これ毎日着ていたの? 何で? ねえ何で教えてよ!」

「お、お嬢様落ち着いてください!」

 ちょっと私の方がおかしいみたいな抑え方やめて。


「ルクレシアお嬢様は紫外線を気にされていたのですが、これを着るとシャットダウンできるのだと仰られて……」


 宇宙レベルの紫外線対策だと……! いや肌を大事にするのは分かるけど、この世界ではあまりにオーバーテクノロジーすぎる。


「では早速着付け致しましょう」

 宇宙服の着付けって何だよ。……あ、でも一人で宇宙服は着られないらしいから正しいのか。いやそんなことはどうでも良いわ!


「もっちり大福、今日からはドレスに切り替えるわ」

「かしこまりました! 本当に久しぶりなのでわくわくします!」


 そして私は着付けや髪のセットを施された。着せられた黒を基調としたドレスは、大人っぽくて結構好きだ。

 そうそう、これよ、私はこれがやりたかったんだ。


「ではお嬢様、これから朝食になさいますか?」

「そうして頂戴」

「ではあちらに750㏄バイクを用意してありm」

「徒歩で行くわ」

「ええ!?」

「その反応やめて」


 私が廊下を歩いていると、すれ違う使用人たちが皆驚きの表情を浮かべている。みな小声で「徒歩だ」「お嬢様が歩いておられる」と言っている。

 私は進化の過程で二足歩行を獲得しかけている類人猿か。


 まあ毎日廊下でバイクをふかしていた娘が歩いてたらそうなるか。だが私には、もう一つ違和感があった。みな私とすれ違うと挨拶はしてくれるのだが、誰も目を合わせたがらないのだ。

 彼らの心中はお察し申し上げるが、これからは目を見て挨拶して欲しい。もう以前の宇宙服を着て部屋中を這いまわったりバットを振り回していた私ではないのだから。


「そこのあなた」

 私はすれ違いざま、一人の若い執事に話しかけた。


「ひっ! な、何でしょう」

 執事はびくんと肩を震わせた。依然として目を合わせないままだ。


「どうして目を合わせてくれないの? あなた、名前は?」

「わ、私の名前は『がっつりお肉』です」

 あだ名に一貫性があって草。いや肉。



「それでがっつりお肉、あなたは何故私と目を合わせてくれないの? 失礼ではなくて?」


 その時初めてがっつりお肉と目が合った。彼の顔からサッと血の気が引いて青くなる。


「も、申し訳ございませんお嬢様!」


 がっつりお肉はがっつり土下座を敢行した。


「ちょっ、そんなことして欲しいんじゃないわ! どうして目を合わせてくれないのかだけ教えてくれたら良いの!」

「はい! しみましぇん!」


 がっつりお肉はかすれ声で言いながら、すっくり立ち上がった。

「お、お嬢様は目が合うと、目をギラつかせて追いかけて来られるので……」


 私そんなホラー映画のモンスターみたいなことしてたの!?


「そして追いつかれると決まって、この卵型の謎人形を手渡されるのですが……」


 がっつりお肉がポケットから取り出したのは確かに卵型の人形だった。

 だが全く可愛くない。

 可愛くないどころか非常にキショかった。

 人形には二つの目があるのだが、焦点が定まっておらずギョロギョロと大きい。口も鼻も明後日の方向を向いていて、今にも瞬きをしそうな邪気を感じる。

 何これベ●リット?


「これなんですけど……深夜になると高確率で燃えて『ギエエエエエ!』と叫び声をあげるのです」

「怖ぁ!」

「そして目玉焼きになります」

 ベイク系の燃え方!?

「美味しかったです」

「あなたの行動もよっぽど怖いわよ?」


 私は一度咳払いをした。


「もう次からあなた達を追いかけまわしたり、卵の人形を渡したりしないから、普通に挨拶して頂戴。他の使用人たちにも伝えて、がっつりお肉」

「い、良いのですか?」

「ええ」

 私が頷くと、がっつりお肉の顔がみりみる和らいでいった。心底ほっとしたように、顔に生気が戻ってくる。

「かしこまりました、ルクレシアお嬢様!」


 何だか普通にしているだけで使用人たちから好感度が上がっていく気がする。それだけ以前のルクレシアがイカれてたのだろう。




 食堂ダイニングルームで食事を済ませると、今度はお祈りの時間だというので、屋敷内の礼拝堂に向った。

 教会内に入っただけで屋敷に常駐しているであろう司祭が驚きの声を上げたが、それくらいではこちとら驚かんぜよ。


 礼拝堂内では何人か、非番の使用人たちが先に祈っていた。この世界の神様がどんな人なのかは知らないけれど、私も見様見真似で隣に座る。葬式のお焼香と一緒で、こういう時は人と同じ行動をとるのが無難だ。

「ええ!?」

 隣からもっちり大福の驚きの声が聞こえた。


 またか。はいはい、どうせ昨日までの私はお祈りをさぼって素振りか何かやってたんでしょう?

「どうしたの、もっちり大福」

「うるさくして申し訳ございません、お嬢様が普通にお祈りをされているものですから」

「これからは真摯に祈るの。で、昨日までの私は礼拝堂で何をしていたのだっけ?」

「UFOを呼んでおられました」


 思ったよりやばいことやってた! カオス過ぎる。


「え、私お祈りの時間にUFO呼んでたの?」

「はい。何回か来ました」

「何が???」

「宇宙人です」

「??????」


 私は今確信した。

 この世界に神は居ない。

 こんなにも頭のねじ外れてる貴族令嬢をしているというのに、世界には恵まれない子供たちがたくさんいるのだから。




 でも宇宙人はいるらしい。




「本当に来たのね……えっと、記憶が曖昧なんだけれど、その宇宙人たちは何をしていたの?」

「お嬢様を連れて帰りました」

「私宇宙人に拉致られてたの!?」


 宇宙服の伏線ここで回収されるんかい!! あれ本当に必要な装備だったんだ!


 というか、宇宙人に連れ去れるってそれ危ないやつ! 脳とか臓器とかにチップ埋め込まれる手術されて洗脳されたりするやつ!

 も、もしかしてそれがあったからこんなにおかしくなったとか!?


「連れて行かれてどうなったの!?」

「プチ整形して帰ってきました」


 だいぶ地味な改造手術受けさせられとる!


「お嬢様、プチ整形をしたのは宇宙人の方ですよ」

「宇宙人が!?」

「あ、噂をすれば宇宙人の方がお見えになりましたよ」


 そんな普通の来客みたいに言わないで!

 私が振り返ると、そこに立っていたのは奇妙な存在だった。顔から下は、確かに宇宙人と呼べるべきものだった。

 肌がモスグリーンで、手足がやたらと細長くうねうねしている。だがもっとおかしいのは顔だった。

 ぱっちりお目目で鼻筋が不自然に通っており、顎が三角定規みたいに鋭利な、がっつり人間の、がっつり整形顔だった。

 胴体との対比でめちゃくちゃ不気味に見える。


「宇宙人の皆さん、また整形されたみたいですね」

「整形中毒になっとる!」



 一匹の宇宙人がにゅるにゅるこっちに近づいてきた。私は思わず後ずさる。ぱっちりお目目の宇宙人がお目目をぱちくりさせて言葉を発した。その声は人の声より電子音に近かった。


「次はタイに行こうと思うの」

 性転換手術も受けようとしとる!!!



「お嬢様、そろそろモントレイユ伯爵家に向かう時間ですよ」

 もっちり大福が宇宙人を押しのけて言った。


「モントレイユ家?」


 昨日買ったばかりというのもあって、この悪役令嬢ルクレシア回りの人間関係が全く把握できていない。しかし私が首をかしげたのを見て、もっちり大福の顔がこわばったのを見ると、縁の深い家なのかも知れない。


「お嬢様、やはり記憶が定かではないようで……お身体に不調が?」


 もっちり大福が心配そうに覗き込んでくるが、大丈夫だ。四足歩行で這いまわったり屋内をバイクで移動したり宇宙人を呼んだりするより今の方がはよっぽど健全なはずだ。


 私は一度咳払いをした。


「これは一過性の物忘れに過ぎない。すぐに良くなると思うの。だからモントレイユ家について教えてもらえるかしら」


 もっちり大福によると、モントレイユ伯爵家のご子息であアレクシス・ド・モントレイユは何と私の婚約者で、婚約が成立したのは子供の頃だそうだ。

 長男ではない彼は隣国との戦争に二年ほど駆り出されていたが、半年ほど前に無事戻ってきて、それからルクレシアとの交際が再開したのだという。


「こ、婚姻……?」


 私は軽く震えていた。今井輝月としての私は異性と付き合ったことなどない。非常に恋愛と縁遠い生活を送った学生生活だった。

 それが急に婚約、しかも貴族の子息とだなんて……。


「さあお嬢様、時間がありませんよ」

「ちょっと待って! 婚姻だなんて心の準備が!」

「早くこのカバンの中に入って、モントレイユ家へワープしてください」

「それはもっと心の準備が!!」

「ええ!?」

「それやめろ」



「お嬢様はいつも『このカバンの中に入ればどこにでも行ける』と仰っておられたじゃないですか」

 私は両手でバツを作った。

「それは昨日までの話。もう出来ないの!」

「ですが、それではアレクシス様との約束の時間に遅れてしまいますよ!」

「だ、だからと言って……」


 私が試しにカバンに顔を突っ込んでみると、視界が暗転した。正直ホッとした。ほら、ただのカバンじゃない。

 と、顔を抜きかけた時。急に視界が開けた。


 外の風景。目の前には厳めしい屋敷の門があった。

 ゲートの前に立っていた衛兵とばっちり目が合う。衛兵はびくっと体を震わせたあと、素早く姿勢を正した。

「ルクレシア・ラ・ノアール様、お待ちしておりました。どうぞお通り下さい」

「えっと、一応聞かせてほしいのですが、その家は……」

「モントレイユ伯爵家でございます」



 ワープ出来たわ……。





 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





 私は先ず貴賓室に通された後、ティーテラスに案内された。

 アレクシスさんは直ぐに来てくれるらしい。

 それにしても、ティーテラスから見渡す中庭は非常に広大だ。何なら小さめの町がこの中に納まってしまいそうな面積がある。


 テーブルの上のケーキスタンドには、どれもこれもケーキ屋さんで見たら思わず衝動買いしてしまいそうな、可愛い色彩と食欲をそそられる甘い匂いをしたケーキが並んでいる。


 ルクレシアのノアール家も大きかったけれど、モントレイユ家もかなりの財力を有しているのだろう。待っている間にもっちり大福から聞いたところによると、モントレイユ伯爵家は王家の血筋を引く由緒正しい家系で、資金力だけなら国随一を誇っているとか。

 そしてアレクシスさんはそんな伯爵家の次男。

 背中から変な汗が出てくる。そんな人物と、本当に結婚できるの……? ただまあ、このルクレシアと婚約していて、しかも破棄していないのだからとんでもない変人の可能性は捨てられないけれど。


「お待たせしたね」


 屋敷側から低い声が聞こえた。

 革靴の音が響いてくる。振り返って私は瞠目した。

 艶やかな栗色の長髪はサラブレッドを思わせ、二つの大きな黒い瞳は意志の強さを感じさせ、口元は優しく微笑んでいた。


 二次元でしか見たことが無いようなイケメンが立っていた。ここが乙女ゲームの世界なのを引いても、こんな顔の綺麗な人がこの世に存在するなんて驚きだ。宇宙人が整形していたことの次くらいに驚いた。


 緊張が一気に高まってくる。駄目だ、こんなイケメン相手にまともに話せる気がしない。

 私は思わず立ち上がってお辞儀をした。本来はカーテシーをするところなのかも知れないが、今の私がやっても歪で不格好になってしまうのでひらきなおることにした。


 案の定、アレクシス様は目を丸くしている。疲労からなのか目のクマは濃い。二年ほど戦場に居たというし、相当な苦労があったのは間違いない。それはたった半年で癒せるものではないのだろう。


「ルクレシア、今日はいつもと様子が違うね。家の者から聞いた通りだ。まあ座ってくれ」

「も、申し訳ありません。実は訳あって、今日はうまくカーテシーが出来ないのです」

「うん? いやそんなこと気にしていないよ。そうではなくて」

「そうではなくて?」

「いつもは僕が来る前にケーキをすべて平らげてしまっていたから」

「た、平らげてた……?」


 いや平らげていたって言うけれど、テーブル脇にあるティーカートに乗った物を含めたらかなりの量だ。前のルクレシアはこれ全部いってたのか。

「平らげたっていうのは、ここにあるものを全て?」

「いや、その日屋敷で用意したものを全てだ」

 化け物じゃねえか。

 最悪だ! こんなイケメンの前でまで、クリーチャー精神を存分に発揮してしまうなんて! 私は両手で顔を覆ってうずくまりたい気分だった。



「さ、お腹が空いているだろう? 遠慮しないで食べてくれたまえ」

「はい……」


 そんな話をされた後ではお腹が空いていないとは言えないので、ケーキを一つ、モントレイユ家の使用人さんに取り分けてもらった。

 こういう場でもマナーとか全然分からないけれど、ケーキの先端を切り分け、フォークで口に運ぶ。

「何だと!?」


 急にアレクシスさんが立ち上がったので、びっくりしてケーキを吹き出しそうになる。

「アレクシス様、どうされたのですか?」

「君、いつの間にナイフとフォークを使えるようになったんだ!?」


 あー、はいはい。このパターンね。


「おほほ、いつもは手づかみで食べていたんですよね? もう、私の馬鹿、あほ、妖怪」

「いや、無限に伸びる舌でひとつづつ突き刺して中の養分だけ吸入していた」


 本当に妖怪じゃねえか!! 想像の遥か上の化け物だった!!

 そんなの伯爵家出禁だろ!


「おほほ! 今日からはしっかりナイフとフォークで食べることに致しましたのよ。おほほほほ!」

「なっ! 3ターン以上も会話が成立しているだと!?」


 本当に何なの!? このルクレシアとかいう悪役令嬢! もう存在しているだけで婚約者から驚かれてるんだけど!



「いつもは問いかけに応じず、僕の顔を見つめたまま出刃包丁を研いでいたのに!」


 怖い怖い怖い! どんどん化け物としてのティアが上がってく! よりタチの悪い何かになっていく!


「そして僕が小鳥を飼っている話をしたら『俺様も鳥と触れ合いてえなあ』と言って包丁を舐めていたのに!」


 完全に鳥を食料として見ている人の所作じゃないですか! いや待って。ここまでクリーチャーな婚約者なのに何で婚約破棄されないの?!


「あ、アレクシス様、あのですね」

「ええ!?」


 どこに地雷あった?


「僕のことをアレクシスと呼んでくれるのか!」

 あー、あれね。あだ名シリーズ。

「えっと、これまでは何とお呼びしていましたか?」

「『仏間』と」


 いろんな方面に失礼過ぎる!! 何かこの人のあだ名だけ完全に悪意ない!?



「取り乱してすまない……そうだ、君は紅茶にミルクを入れるんだったね」

「いえ、私は」

「ええ!?」

「今度は何ですか!」


 私達が会話をしていると、何やら後ろの方から妙な気配がしてくる。嫌な予感がして、恐る恐る振り返る。

 叫びそうになった。

「モー」


 先に気の抜けた声で鳴いたのは牛だった。

「君がミルクは直搾りでなければ飲みたくないというから、庭で牛を飼い始めたのに!」

「今日からは大丈夫ですから!」

「そしていつも牛を見ながら紅茶を飲んでいると『牛肉が食べたくなった』とステーキを所望していたじゃないか!」


 完全にサイコパスの発想!



「ええ!?」

「まだ私何も言ってない!」

「今日は池の水を飲まないんだね」

 舐めてんのか!

「いつもは池の水を飲んで鼻から出して『濾過』って言ってたのに」


 まだ隠し玉持ってんのかこの化け物!


「あと人体模型を寄越せと今日は言わないけれど」

「ちょっと待って下さい!」


 私は両手のひらを突き出した。


 しかしアレクシス様はエンジンがかかってきたらしく、立ち上がると私を抱き締めた。これまでの人生で感じたことがない体の厚みとフェロモン? のようなものに包まれ、頭が更に混乱しそうになる。


「あ、アレクシス様!」


「良いんだ。僕は君がどんなわがままを言っても聞いてあげるよ。僕が戦争に行っている間、側に居てあげられなくて申し訳なかった。僕が居ないせいで、君が生死の境をさまようことになったのだから」


 知らない設定だった。


「どういうことですか?」


 私はアレクシス様の胸の中から質問する。


「それも忘れてしまったのか」



 それまでのルクレシアは性格のきつさはあるけれど、バイクで廊下を走ったり宇宙人を呼んだりするような人ではなかったそうだ。

 そして一年前のその日。

 ルクレシアは馬車に乗っているところを謎の組織に襲撃された。そして彼女は死ぬ寸前まで追い詰められ、殺されようとしていた。

 だが急に人格が急変した。いや、人自体が別人になったようだったという。

 鉄の鎖を引きちぎり、屈強な男をひねりつぶし、100㎞以上離れた道を裸足で歩いて帰ってきたという。

 これはルクレシア本人が語ったことや、まだ正気を保っていた組織の下っ端の証言などを総合した話だという。


 説明書にはルクレシアの生い立ちが記載されていたけれど、こんな事件は明記されていなかった。

 単純に書いていないだけ、という可能性もあるけれど……ひょっとしたら、何らかのアクシデントによって、歴史が変わったのでは?

 昨日までのルクレシアが大モンスターだったことからみても、何が起こっていてもおかしくない。




 そして、その話を聞いて、私はピンときた。私がルクレシアの体に居座っているように、拷問を受けている際にも誰かの魂がやって来たのでは?

 いや、もしかしたらルクレシアが呼んだのかもしれない。一種の召還術みたいに。


 その魂の持ち主は強くて、暴漢をねじ伏せることは出来たけれど、想像以上の狂人ぶりで、全く貴族令嬢の生活に適応できていなかった。


 そこでルクレシアは常識人としての魂を呼ぶことにした。それが――私。

 これはあくまで仮説だ。けれど突然の人格の変化。常人では考えられないフィジカル。何より私が彼女の体に憑依しているという事実。

 それらをより合わせて考えていくと、これは一つの仮説と呼べるのではないだろうか。





【てめえは誰だ】


 急に耳元で声が聞こえた。

 はっとして辺りを見回す。アレクシス様と、モントレイユ家の使用人、もっちり大福、そして牛以外に人は居ない。


「アレクシス様、誰かの声が聞こえませんでしたか?」

「いいや、僕には何も」

 私にしか聞こえていないーー。

 もしかして、私の中から聞こえてきている?



【早く俺様と変わりやがれ】




 今度はもっと大きな声が聞こえた。

 私の前の魂だ。そう直感する。


 私に直接話しかけきたということは、この魂はまだルクレシアの体を去っていないんだ。



 気が付くと、私のひざの上にアレクシス様の顔があった。え、私、イケメンに膝枕してる、という思考より先に、私は驚いたことがある。

 私の手が、アレクシス様の鼻にドングリを詰めていたからだ。


「あ、アレクシス様!? 申し訳ございません!!」

「い、いいんだ……続けてくれ……」

 いや続けちゃダメだろ!


 また耳元で声が聞こえる。


【こいつが俺様に抱き着きやがるから、気持ち悪ぃ】




 この声の主は、まだルクレシアの支配権を諦めていない。私が気を抜いた隙に、即座に体を奪ってきた。


 これは……まだまだひと悶着ありそうだ。


 私はアレクシス様の鼻にドングリを詰めながら思ったのだった。






 おわり?




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