警戒レベル7
「地下室に閉じ込められたゆまちゃんがこの浸水によって死んで……それで寂しくて、誰かを道連れにしようと」
声に出したのを後悔した。言わなければ良かった。もうこれしかないような気になってくる。雨の中で幽霊になったゆまちゃんを見つけてしまったオレに目を付けたんだ。ここでオレをあの世に連れて行こうとしているんだ。
「ピロピロピロロン♪」
「わあああっ!……は、スマホ!」
暗闇で着信音が大きく響き、衝撃で心臓がぎゅうと縮まった。だがおかげでポケットにある心強い存在を思い出す。慌てて取り出した。
「おっと、わ、えっうそ、ちょっ……うっ、そだろ」
――どぷん
手からスマホが滑り落ち、地下に溜まる水の中に沈んだ。今日ほど後先考えない性格を恨んだことない。終わった。一瞬泣きそうになる。しかし希望は潰えていなかった。
「ピロピロピロロン♪」
「ま、まだいける! あっ」
さっと血の気が引く。梯子から片足が滑り落ちそのままはしごから手を放してしまった。支えを失った体はなす術もなく落ちていく。
「いっ……て」
ばしゃあん、と大きな水しぶきを上げて尻もちをついた。思ったよりも地面から近いところにいたようだ。水も浅い。尻から落ちてへその上辺りまでが水に浸かっている。
「スマホスマホ……切るなよー」
電話の相手に祈りながら辺りを素早く見渡す。尻のすぐ近くで光っている。
「あった! シュリ、やっぱり」
光を頼りに拾い上げたスマホの液晶には「シュキ繝ェリ」と出ていた。変な文字化けを起こしている。水没しかけているかもしれない。とにかく、シュリと連絡がつけば必ず助けに来てくれる。良かった。なんで気が付かなかったんだ。はあ、助かった。
「シュリ!」
『………………』
「シュリ? 聞こえる?」
『………………』
電源切れたか? 耳から離し液晶を確認する。「通話中」繋がっているようだった。地下で電波が悪いのか?
「シュリ! なあ!」
呼びかけるが返事はない。耳を澄ませていると何かが聞こえた。なんだ? 声を押し殺し息をのむ。
『ぽちゃん……ちゃぷ……』
「水の音……?」
例えるなら水泳の授業で仰向けに浮かんだ時の音のようだ。小さい波が何かにぶつかり寄せては返す音。背筋に冷たいものが流れる。
『ぼこぼこぼこ……』
遠くで気泡のはじける音がする。……迫ってきている? 小さく聞こえていた音が段々と近付いてきている。
『ごぼごぼごぼ……』
「え……なんだ?」
この音を知っている。なんだ、どこで聞いた?
『こぽ……だばずべべごぼごぼ』
――そうだ。子どもの頃ふざけて風呂の湯に頭突っ込んだ時の。水中で声を出した時の。
『ごぼ……だぁずぅぼぼぼげえてぼぼぼぼ』
「ひぃっ!」
確かに水の中で喋っている! その苦しげな声が恐ろしくなりスマホを耳から離す。通話中と表示されたままだったスマホ画面が端から暗くなっていく。画面全体が暗くなるとうんともすんとも言わなくなった。はあはあと肩で呼吸する。
「な、なんて言って……」
息も絶え絶えに呟いたその時――ふっと耳の後ろに気配を感じて体が硬直する。
「たすけてってば」
「ぎゃああああっ」
はっきりと耳元でそう呟くのが聞こえた。耳を押さえて飛び退く。後ろには闇があるだけだった。もう逃げ出したい。情けないが涙も鼻水も嗚咽も止まらない。逃げ場がない。どこか出られる場所はないか? 辺りを見渡すがまるで意味がない。真っ暗で何も見えなかった。
スマホの光は電源が落ちてしまって頼れそうにない。こんなところにいたら頭がおかしくなりそうだ。いや、もうなっているかもしれない。大体おかしいだろ。
「オレ……なんで知らない子の家について来たんだ? なんでこんなとこ来ちゃったんだよ」
いくら大雨の中に子どもが一人でいるって言ったって、普通は家までついて行かないだろう。家には上がり込まないだろう。地下室になんて、入るわけがない。
今となっては何もかもが自分らしくなく不自然に思える。操られていたのだろうか、死んだゆまちゃんに。と頭に過ぎった瞬間、オレは気付いてしまった。手足がガタガタと震える。心臓がばくばくと激しく伸縮した。
「もしかして、この水の中にゆまちゃんが……」
そこらで聞こえるちゃぷんと波の当たる音すべてに警戒していた。これがただの妄想なら嬉しいが、当たってしまった場合。少女の死体がどこかで浮いているということになる。いつ体に触れるか分からないのだ。
「は、はやく、逃げ……」
手探りで出口を探さなければならないが、手を伸ばして何かに触れてしまうのが恐ろしい。
――ガンッ
遠くの方で妙なくぐもった音がして肩が跳ねる。重い物を落としたような音にも思える。直後足元に激しい水流を感じ、密室にごうごうと猛々しい音が響く。
「あれ……おい、おいおい、うそだろ……いい加減にしてくれよ!」
腹の底から出た声は震えていた。水かさが、増している。