警戒レベル6
あれは実際の出来事なのか?
もしかすると、あの少女の生い立ちを見せられたのかもしれない。この少女と母親のこれまでを。赤ん坊の名前は「ゆま」と書いてあった。
少女が生まれたばかりの頃は夫婦仲睦まじく幸せの真っ只中だった。
しかしいつからか両親の関係は悪化していき旦那は浮気と暴力。おそらく少女の母親が弟か妹を身ごもっていた時期、それよりも前からかもしれないが二人の関係性は修復できないほどにこじれてしまった。
それが原因なのか母親は自暴自棄になり少女のことを虐待。関連性は定かでないが、同時期に素行の良くない男女が家へ出入りするようになっていった。そういうことなのだろうか。
「そうだ、ゆまちゃん……」
少女が連れて行かれた先に目をやる。小さなコンロが見えた。台所か。恐る恐る一歩踏み出す。
台所の中に入ると全身に寒気が走った。シンクの中にはいつからあるか分からないゴミが積み重なっている。カップ麺やコンビニ弁当の空容器、その下の方には片手鍋が埋まっている。
少女はまともな食事を与えられていただろうか。そういえば酷く痩せ細っていたな。虐待だ。あれは虐待だ。あの子は虐待一家から逃げて来たんだ。きっとここから連れ出しておいしいもん食わせてやるからな!
床にぽつんと座る例の人形に気が付き息をのむ。そういえば部屋を出る時に人形を見なかった。導かれるように人形に近寄ると、床に取っ手らしき物を発見した。四角い銀色の枠がある。一メートル四方はいかないくらいだろうか。
「床下倉庫か?」
取っ手に手をかけ引いてみる。意外とすんなりと開く。
「まさか、ゆまちゃんがこの下に?」
悪夢のような光景を思い出す。少女は鎖に繋がれたまま台所へ連れて行かれたのだ。この床下に閉じ込められていてもおかしくない。中は暗くてよく見えない。はしごが付いている。小さな床下収納かと思ったが、地下室のような造りなのだろうか。
「よし、いま助けるからな」
意を決して後ろ向きに地下へ入っていく。もちろん恐怖心はある。しかし彼女を助けなければ。足を慎重に梯子にかけ、ゆっくりと降りていく。
地下へと続く扉にはもう手が届かない。より不安感は高まっていた。
あれ? そういえば、ゆまちゃん本人に「探して」って言われたんだよな? オレをこの家に連れて来たのはゆまちゃんだ。じゃあオレが探しているのは……。
――ちゃぷん
「なん……わっ、水⁉」
突如水音がしたと思うと、足に違和感が走る。生ぬるい。まずい、地下が浸水しているのか? こんなことなら長靴を履いたままでいれば良かった。こんな汚い家だ。土足で上がっても変わらなかっただろう。
靴を取りに引き返そうかと上を見た。こちらを覗き込む人形と、目が合った。
ゆまちゃんを探す? 少女は地下にいるかもしれない? 少女って?
「落ち着け、落ち着け」
落ち着いて考えるんだ。オレが長靴に苦戦している間、少女は既に家の中にいた。靴を脱いでいたということだ。だが、浸水しかけている玄関に浮いていたのはオレの長靴だけではなかったか?
道路が冠水する中、どうやって大人が追いつけないスピードで歩けた? 鎖に繋がれ運動も出来ていなそうながりがりの少女があんなに速く歩けるか?
土砂降りの雨の中、彼女のか細い声はどうやってオレの耳に届いた? 自分の声さえかき消されていたのに。
「じゃあ……じゃあっ、オレをここまで連れて来たゆまちゃんは何なんだよっ!」
考えている場合じゃない。登れ、登れっ。鼓動が早まり、汗が滝のように湧き出る。足がもつれそうになりながら必死に今降りて来た梯子を登る。
「くそっ、やめろ、やめろっ」
無情にも扉は閉まっていく。スローモーションに見えた。待て、まだ間に合う。手を伸ばせ。ぎぃ、ぎ、ぎ。嫌な音。
そして、光が――失われた。
どんどんと扉を殴るように叩く。手が痛むがそれどころではない。
「開けろっ、頼む、誰かぁっ!」
必死に叫ぶも返事はない。オレは一体何に騙されたんだ? 一番良いのはゆまちゃんが大人をからかって遊んでいるパターンだ。諸々の幻影も劇団員の仕業ならどれだけ良いだろう。虐待を受けている子どもなんていなかった。これが今から挽回してハッピーエンドに向かうための最適解かもしれない。子どものいたずらだと笑って許すからドッキリでしたと言ってほしい。
「そんなわけないだろ……」
声が反響して聞こえた。考えられるだけの最悪のシナリオはこうだ。