警戒レベル2
子どもらしき影が曲がった道まで急ぐが、誰もいない。やはり勘違いか? 歩みを緩めて視線をさ迷わせる。すると突き当りの道を何かが横切った。
「やっぱり子どもだ!」
小さな人影は、先程よりもはっきり見えた。道路は排水機能が追い付かず既に冠水しかけている。まだ靴のソールが浸かる程度だが、足元がちゃぱちゃぱと走りにくい。なんでこんな天気に子どもが一人で……気持ちがせいている。見間違いでないのなら早く見つけてあげたかった。
突き当りを勢いよく左折した。が、またもや誰も歩いていない。すると次の十字路で目の前を子どもが横切る。慌てて走り出す。いない。次の交差点で子どもが横切る。走る。やはり、いない。
「クソッ……どこだよ」
はあはあと息を切らして肩で呼吸する。下り坂で立ち止まり、顎に伝う汗を腕で拭う。長靴は走りにくいがこれでも一生懸命走っている。それなのに一向に追いつけない。
あの子、一体どんな速度で歩いているんだ? いくら運動不足のサラリーマンとは言えこんなに追いつけないことがあるのか? しかも何故前を横切るんだ。一回わき道に逸れて、オレに見えるタイミングで横切っていると思えなくもない。
「いや、なんのためにだよ。そんなわけないか」
小さく首を振った。ふと勢い良く坂を流れ落ちる大量の雨水がばしゃばしゃと飛沫を上げているのに気が付いた。
『この先河川の急な増水に注意』
看板のポール部分に行き当たった衝撃で雨水が跳ね返っているのだ。いつのまにか川の近くまで来ていたのか。
ラーメン屋で見たニュースを思い出した。三人が行方不明と言っていたっけな。ニュースでは川の名前までは分からなかった。市内に川はいくつかある。もしかするとこの近くの川で起きた事故なのかもしれない。男女が川に入り、恐らく溺れて……思わず身震いをした。もし第一発見者になってしまったらどうしよう。そうじゃない、それよりだ。
「川に行く気なんじゃ……」
ニュースを見て興味をそそられてしまったと考えてもおかしくはない。親が留守だったとかで何かおもしろいことはないかと見に行ってしまったとか。
「まずいぞ。絶対見つけないと」
あの子どもが無事に家に帰るまで安心できない。それさえ見届けることが出来たら無駄足でも何でも良い。
その時、また子どもが目の前を横切った。今度は今までで一番近いところに現れた。子どもが入って行った住宅と住宅の間の小道に飛び込む。
そこには小さな家が建っていた。少し金がある家の車庫はこんな大きさだろう。とても古臭いボロの建物でいつ壊れてもおかしくない。五段のブロック塀に囲われている。ブロック塀は黒ずんでいて、苔のようなものも散見できる。塀には人が一人通れるだけのスペースが空いていて、そこから二、三歩で玄関ドアがあった。
学生時代に肝試しをした時のことが蘇った。とても古い廃墟に行ったことがあった。当時は友人同士で騒ぎながらだったこともあり大して恐ろしさは感じなかったものだ。
ちょうどそんな不気味さを纏う家だ。こんなところに人が住んでいるのか? それとももうだれも住んでいないのだろうか? 不思議と興味が湧き、まじまじと見てしまっていた。
「探してほしいの」
「ひっ!」
背後から急に声を掛けられ飛び上がる。こけそうになりながら振り向いた。
見つけた。どしゃ降りの中、瘦せこけた少女が立っていた。まさにオレが駆けずり回って探した子どもがそこにいたのだ。
思った通り傘を持っていない。頭のてっぺんから爪先までびしょ濡れだった。長い髪は小さな頬を覆い隠すようにぴたりと張り付いている。もちろん服もびしょびしょで、薄汚いワンピースはみすぼらしさに拍車をかける。虚ろな目をしていてどこか遠くを見ている。触れたら砕けて消えてしまいそうな危うさがあった。
骨の形がわかるほど細い腕で大きな和服姿の人形を抱えている。焦点の合わない少女とは反対に、漆黒の双眸がじっとこちらを見据えている。おかっぱ頭の人形から目が離せない。
少女はくるりと背を向けた。激しい雨音の中ではっきり聞こえたか細い声。
「ゆまを、探しに来て」
少女はすぅっと塀の間を通り小さな古い家に入って行く。何故だかオレもつられて、ブロック塀の中に足を踏み入れてしまった。玄関前も冠水していて、庭らしき長い雑草だらけの空き地はまるで池のようだった。強い雨粒が泥水を跳ねさせている。普段から手入れはされていなさそうだ。
「カラ、カラ、カラ……」
少女がすりガラスの玄関ドアを開けた。嫌な音がする。扉とレールと間に詰まった砂利が擦れて、ともすれば笑い声にも聞こえた。