警戒レベル1
「――市の河川で男女三名が行方不明となりました。昨日からの断続的な大雨により川の水位が上昇しているため、依然として捜索は難航しています。当初男女五名で河川の状況を見に行き、そのうちの三名が川に入ったと見られており――」
とっくに食べ終えたラーメン鉢に残ったわずかなスープを箸でかき回す。冷めきった渦に巻き込まれるネギを眺めていると嫌なニュースが流れた。断続的な大雨……まさにその通りだ。
「たっくん、どこいるの?」
「川ヤバイよ」
「ねえ大丈夫?」
ひっきりなしに通知を知らせる振動がテーブルに響く。同棲中の彼女、シュリと言い合いになり意地を張って家を飛び出した。こんな天気の中。大馬鹿者とはオレのことである。
「はぁ……GPSアプリくらい、さっさと入れときゃ良かったな」
胃が温まり冷静になれたのか、彼女と喧嘩したことを後悔していた。シュリが突然、お互いの居場所が分からないと不安だと言い出したのだ。
オレからしてみれば所在先を疑われているようで気分が悪い。だが別に見られて困るところになんて行かないのだ。GPSアプリを入れるだけで彼女が安心出来るなら、分かったと快諾してやれば良かったんだ。
「何かあったら心配だから、お互い入れようよ」
そう言っていた彼女の顔が浮かぶ。
「こんな雨で川ァ見に行くかよ」
ラーメン屋の親父が呟いた。シュリはここの豚骨ラーメンを気に入っている。しかしその濃厚なスープもこんな気分ではなんだか味気なかった。
「お客さんもだよ。こんな雨の中、ラーメン食いに来るなんてねえ。ありがたいけどね」
「ああ、はは……」
ラーメン屋の親父はそう言っても嬉しそうに見える。こんな雨で開いてるラーメン屋だって滅多に無いだろう。唐突に話題を振られ曖昧に返す相槌。訪れた沈黙が気不味い。視線を窓の外に彷徨わせる。大きな雨粒が窓ガラスに飛び付いては重量に負け、すーっと落ちて行った。
ざあざあ降りは弱まる気配がない。しかし帰れないほどではないだろう。いつだったかにシュリが選んだ長靴はふくらはぎを覆っている。喧嘩して飛び出したくせに、彼女が選んでくれた長靴履いてきちまうなんてなあ。心配性の彼女が用意するものはどこかで役に立つことが多い。
「これにする!」と自分が履くわけでもないのに目を輝かせていたっけな。最初は農家じゃあるまいしと思ったものだが、この長靴はかなり重宝していた。
「大丈夫だよ、帰る、ねっと」
やまない通知に簡単な返事を送る。トークアプリの履歴には、今朝シュリから送られてきたリンクが残っている。GPSアプリのインストール画面だった。ほんの少し逡巡する。いや、逡巡のふりをして親指を置いた。
「美味しかったです。お会計で」
「ありがとうございましたァ! 雨、お気をつけて!」
威勢の良いお見送りを受け店を後にする。帰りに好物のロールケーキでも買ってってやるか。傘立てにポツンと置かれたビニール傘を手に取る。傘を広げると透明の向こう側に人影を見た気がした。すぐそこを曲がって行ったのだ。
「こどもじゃなかったか?」
土砂降りの雨に声が吸い込まれる。そんなわけない。自分の声さえよく聞こえないほどの大雨だぞ。こどもが一人で外に出るか? しかも傘を差してもいなかったんじゃないか? そんなわけは、そんなわけは……。
しかし現在のオレを顧みる。この雨にだ、突発的に家を飛び出したじゃないか。まさか、いやまさか。嫌な予感で体がかっと熱くなる。もしかすると近所の子ですぐ帰るところなのかも。子どもじゃない可能性だってある。
ごちゃごちゃと気にしない言い訳を探していたのに、気が付けば足が動いていた。胸騒ぎがする。見間違いかもしれないが追わなければ後悔する気がした。