表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

こうして、婚約者の俺への好感度はゼロになった。

作者: 紺青

「ねぇ、ダンテ。わたし、あれ食べたーい」

 腕にぶら下がり、甘い声を出すこの女が婚約者のナタリアだったらいいのに。

 彼女にこうやって甘えられたら、きっとなんでも差し出してしまうだろう。腕に絡みついて、体を押し付けてほしい。でも、彼女はこんな風に馴れ馴れしくないし、甘えてもくれない。


 隣の女から漂う異国の花のような鼻につく香りに現実に引き戻される。

 出かかった舌打ちをなんとか腹に納めて、無言でパンケーキにシロップと生クリームがかかった皿を取る。


「あ、あのフルーツの盛り合わせとその隣のケーキもほしいな♡」

 俺は無心で指示通りに、カラフルで可愛らしい物が載った皿を次々と取る。


「でー、飲み物はオレンジジュースね」

 隣で俺を潤む瞳で見上げる女を見ても、ぴくりとも感情が動かない。むしろ忌々しい。

 パンケーキだとかケーキが似合いそうな甘ったるい外見をしたこの女。

 自分が可愛いとでも思っているんだろうか?


 俺の腕にぶら下がり、身長差を利用して大きな瞳で見上げているレイラは、男爵家の庶子だ。

 母親が踊り子だというレイラはこの国にしては珍しいプラチナブロンドの髪に、銀色の目をしている。母親に似たのか、体のラインは滑らかで女らしいのに華奢だ。

 たぶん、男が百人いたら、九十九人は可愛いと言うだろう。残念ながら、俺の目から見て可愛いと思える部分は一つもない。

 ああ、たぶん俺が仕える第一王子と俺以外の側近二人も同じ意見だろう。


 なぜ、俺が婚約者でもないうっとうしい女の接待をしているかというと、彼女が聖獣召喚の儀式で幻の生物、フェンリルを召喚したからだ。


 この国の貴族は7歳の時に聖獣召喚の儀式をして、自分の霊力を召喚した聖獣に与え、交流を図り、聖獣と協力して発動する独自の聖獣魔法を練り上げていく。


 そして、17歳の成人の儀式で召喚聖獣に名をつけることで、正式なパートナーとして安定して聖獣魔法を行使できるようになる。その後は、聖獣と協力してその力を使い、国や家の繁栄のために尽くしていく。


 召喚の儀式で呼び出せる聖獣はランダムで、一説によると聖獣の方が性質や霊力、魔力の質を見て選ぶと言われている。聖獣の活力の元となるのが召喚者の霊力で、聖獣魔法の行使に必要となるのが召喚者の魔力だ。結果だけ見ると、召喚者の霊力や魔力に見合った聖獣が召喚されているようだ。


 下位貴族は霊力が足りなくて召喚できないこともあり、上位貴族になればなるほど生物として強く大きな力を持つ聖獣を召喚する傾向があった。


 だから、聖獣として最上位である幻の生物を男爵令嬢が召喚したことは異例の事態だ。王家も事態を重く見ていて、下位貴族である彼女が暗殺されたり誘拐されるのを防ぐため、男爵令嬢に王家から派遣した専属護衛を付けた。


 王家から特別待遇を受け、幼い頃から周りからちやほやされて育ったせいで男爵令嬢は調子に乗った。貴族の通う学園に入学する際に、前例はないが専属護衛を付けようとした王家に、「第一王子を護衛の代わりに付けろ」と無茶な要求をしてきた。

 

 表向きは、学園にいる間くらい級友と気楽に過ごしたいとのことだが、男爵家や彼女の狙いはあからさまだった。

 

 ――第一王子の伴侶となり、次期王妃となること。


 第一王子の召喚聖獣は幻の生物である不死鳥。そして、彼の幼い頃に定められた婚約者である筆頭公爵家の令嬢が召喚したのは最弱生物ハムスター。第一王子の婚約者を蹴落とし、自分がその座につく。そんな意図が透けて見えた。


 敬愛する主君とその婚約者に割り入ろうとする時点でこの女の評価は俺の中で地に落ちている。第一王子は幼い頃からの婚約者の召喚聖獣が小型動物でも、婚約を破棄することなく、二人で切磋琢磨して過ごしていた。


 どのみち、学園のクラスも聖獣の種類で分けられている。分け方はその年に召喚された聖獣の種類や生徒の人数によって変わるが、幻の生物をこの学年で召喚したのは第一王子と男爵令嬢のみ。そこに、第一王子の側近三人を加えた五人が特別クラスのメンバーとなった。だから、学園生活の大半は五人で過ごす羽目になった。


 さらに、専属護衛を拒んだ男爵令嬢は、休憩時間も昼ごはんの時間も第一王子や俺達を侍らせることを望んだ。第一王子の婚約者が許したこともあり、王家は渋々その要求を飲んだ。


 なにを勘違いしたのか、この女は第一王子はもちろん側近三人に対して、許可していないのにその名を呼び、べたべたと体にまとわりつく。彼女の母親は踊り子だそうだから、母親の入れ知恵かもしれない。


 いくら保護対象だからと言って、目に余る。しかし、いくら注意しても聞かないし、拗ねて一人でどこかへ行ってしまう。本当に扱いの難しい忌々しい女だ。


 一応、俺の婚約者にも一通りの事情を話している。俺は婚約者を好きで、この女なんてなんとも思っていないことを。

 でも、傍から見たら婚約者をないがしろにして、他の女にうつつを抜かしているようにしか見えないだろう。眉間の皺がますます深くなる。


「もー、ダンテってなんで、そんなに、いっつも怖い顔してんの? 女の子にもてないぞー」

 額の皺をレイラが指で触れようとしてきたので、さすがにそれは避ける。

 余計なお世話だ。今も昔も俺がモテたいのは、婚約者のナタリア限定だ。


 視界の端に、肉食獣のようにギラギラする視線を感じてため息をつく。

 おそらく俺の婚約者が召喚したミーアキャットの聖獣が俺を射殺さんばかりの視線を寄越しているんだろう。

 ということは彼女もこの光景を見ているということで……。


 任務のためとはいえ、婚約者の俺への好感度はゼロに近づいているに違いない。

 彼女は、また一人で泣いていないだろうか?

 それを思うと胸が苦しくなった。



 ◇◇



 俺の生家のジュリアーノ侯爵家は代々、王家に仕える家系だ。表向きは側近として各種手配から身の回りの世話、雑務などなんでも行う。しかし、主な任務は偵察と見張りだ。


 ジュリアーノ侯爵家は鳥の聖獣と縁が深い。父はハヤブサ、縁戚である母はコウモリ、俺はカラスを召喚している。コウモリは正確に言うと鳥類ではないが。

 カラスの聖獣を召喚した後は王家の目となるよう父から訓練を受けた。俺はすでにいくつかの聖獣魔法を練り上げていて、聖獣を用いて対象を見たり、聖獣が見た光景を鏡に映し出したり、聖獣に眷属であるカラスを操らせて複数の対象を監視することができるようになっていた。さらに、聖獣を透明化し非物質化状態にして、どこにでも入り込ませられるようにする練習をしているところだ。


 本来、聖獣は霊体であり実体を持たない。しかし、召喚された時にこちらの世界に順応するために半分霊体、半分実体を持った状態となっている。だから、本来の姿である霊体に戻すだけなのだが、これがなかなか難しく、召喚者の霊力と魔力もかなり注ぎ込まなければいけない。うちの侯爵家に秘法として伝わっているが、俺と相棒のカラスが使いこなせるようになるのはまだ先のようだ。


 だから王家の目になるといっても、王家の影と呼ばれる精鋭部隊のようになんでも見て知っているわけじゃない。せいぜい、鳥から見られる範囲での偵察だ。それでも、それなりに重宝されていた。


 同い年の第一王子に仕えるかどうかは、自分で見極めろと言われた。王家に仕える家系とはいえ、強制ではないらしい。


 第一王子であるアルフォンソの第一印象は弱っちいだった。どこか怯えていて自信がないように見える。

 同い年であるはずなのに、白くてひょろひょろして背も小さい。我が国と友好を保っている東の隣国から来た王妃の美しさを受け継いだ見事な金色の髪と顔立ち、王から引き継いだスーファニア・ブルーの瞳を持っている。可愛い顔はしているけど、次期王としての威厳はなかった。婚約者である筆頭公爵家のカロリーナ嬢の方が余程、肝が据わっているように見えた。


 でも、彼は自分に足りないものを自覚していて、努力できる人間だった。次第におどおどして怯えている部分を上手く隠せるようになり、華奢だった体を可能な限り鍛えた。


 守られる立場で体を鍛える必要なんてないのに、俺や側近でもあり護衛騎士でもあるバルトロ相手に鍛錬を欠かさない。綺麗な顔に傷がついても、どれだけ転がされてもくじけることはなかった。いつの間にか背も伸びて、厳ついと言われる俺と同じ位に屈強な体に成長した。可愛らしさもある顔立ちからは甘さが抜け、精悍な青年へと育っていった。


 それに幼い頃からの婚約者であるカロリーナ嬢が召喚したのがハムスターであっても、彼女をバカにしたり、見捨てることはない優しくて愛情深い心の持ち主だった。


 もうすぐ成人を迎える今では、婚約者のカロリーナ嬢と並ぶとまるで親子のようだ。

 カロリーナ嬢は召喚の儀から、体が成長しなくなった。原因は不明。7歳の子供の体のカロリーナ嬢と屈強な体に成長したアルフォンソは同い年の婚約者同士にはとても見えない。


 家格が立派で優秀なカロリーナ嬢だが、体が成長せず、召喚聖獣が最弱のハムスター。

 周りの貴族からの風当たりは強かった。

 王家も公爵家も余計な弁明はせず、成人の儀式までは婚約は継続するとだけ宣言している。

 

 学園では距離を置いている二人も、王宮ではいつもくっついていて手を離すことはない。二人の間にある不思議な信頼感と絆を見ると、この二人についていこうという気持ちになった。


「二時間くらいかな。君達も交代で休憩しておいて」

 今日も王宮の大きな木のうろの中へと手を繋いで入っていく、アルフォンソとカロリーナ嬢を見送る。

 何回見ても、不思議な光景だ。

 ただの木のうろなのだが、もうそこに二人の姿はない。ここは特殊な異空間への入り口で王族とその婚約者や伴侶しか入れない。中には広々として気持ちのいい空間が広がっているそうだ。


 学園が終わった後の王宮の異空間での二時間。一応、名目上は召喚聖獣との交流と聖獣魔法の練習の時間だ。それだけが、二人きりで人目を気にせず、邪魔も入らずに過ごせる時間だ。他の者は入ることはできないし、誰かに話を聞かれることも魔法が暴発する危険もないらしい。そんな時間が二人にあることに、ほっとする。


 一応、カラスの聖獣に辺りを警戒するように伝えて、木のうろの見える位置に腰を下ろした。隣に側近の一人であるイラーリオも腰掛ける。


「あれだけ媚びられてもなびかないね、ダンテは。大人気らしいよ、あの女」


 貴族学園への入学直後からアルフォンソに執拗にまとわりつく女をどうにかするために、側近三人で盾になることにした。アルフォンソとあの女の間に入り、三人で彼女のご機嫌を取った。


 その結果、彼女がアルフォンソの次の標的にしたのはなぜか俺だった。


 仕方がなく俺が彼女のもてなし役という名の生贄になった。

 彼女はアルフォンソにしていたのと同じように、俺の名を馴れ馴れしく呼び、恋人のように絡みついてくる。

 周りに人がいようとおかまいなく。


 隣に座るイラーリオも側近の一人で、小柄だが甘さのある顔立ちをしていて人なつっこい。連れている召喚聖獣も大型犬でそのことも含めて令嬢に人気がある。


 今日は不在だが、もう一人の側近で、護衛騎士も務めるバルトロは、厳ついだけの俺と違って鍛えた体躯をしているが整っている顔はどこか優し気だ。俺と同じ黒髪黒目だが、少し青みがかった神秘的な色合いで夜空の騎士様なんて言われている。連れている黒豹の召喚聖獣が絵になる男だ。


 ちなみに本日はバルトロが男爵令嬢当番だ。学園が終わった後に、側近のうち一人と王家の付けた専属護衛が彼女を家まで送り届ける。さすがに帰宅後は専属護衛だけが残る。その当番はだいたい俺なのだが、時折イラーリオやバルトロが指名を受ける。


 彼女はまっすぐに帰宅することはない。買い物だの、お茶だの、観劇だのに付き合わされる。今日は観劇に行きたいと言い出して、バルトロの持つ公爵家の特別席目当てに彼を指名したのだろう。


 今日は免れたが、どう考えてもイラーリオやバルトロの方がいい男だというのに彼女は俺にまとわりつく。彼ら二人には婚約者がいないというのに。


「あの女がいいって奴らに譲ってやりたいよ、あのポジションを。なんにもうれしくない。代わってくれよ、イラーリオ」

「やだよー、僕もあの女キラーイ。なんか色々とくさいよね。本当になんであんなに人気があるんだか。みんな見る目ないよね~」

 イラーリオは自分の召喚聖獣である大型犬の艶々した毛並みをなでながら、顔をしかめる。


「性格は最悪だけどさー、顔とかは可愛いと思わないの?」

「それも全然思わない。俺の美的感覚の問題なのか?」

 あの女はどこか作り物めいていて、見ていると(うなじ)のあたりがぞわっとする。悪い意味で。


「いや、僕もぜーんぜん可愛いって思えない。バルトロにもあの女を好きかどうか聞いたら、男だったら百回くらい制裁してるって言ってたよー。本当に制裁してほしいよね」

 優し気な顔立ちに似合わず毒舌なバルトロはともかく、イラーリオは交友範囲が広くて、あまり人の好き嫌いがない。そんな彼にここまで嫌われるとは相当なものだ。


「それに、フェンリルってさー白狼の系統だよね?」

「ああ、詳しくないけど、たぶん」

「うちの家系さ、狼とか犬系じゃん? なんか、違うんだよねー。こいつもあんまりあのフェンリルに寄ったり、服従する様子もないし……」

「……その感覚、俺もわかる。幻の生物って最上位の召喚聖獣のはずだろ? なのに、威厳がないというか……」

「そうそう、なーんか弱弱しいよね?」


 あの女の連れている聖獣にはどこか違和感があった。

 説明はできない。でも、なにかがおかしい。

 言葉にできない感覚。

 師匠でもある父はそれを大事にしろと言っていた。


 同い年で幻の生物を召喚したのは、第一王子であるアルフォンソと男爵令嬢のレイラ。でも、二人の召喚成獣を間近で見ているとなにか違和感があった。


 アルフォンソの召喚聖獣である不死鳥には、不思議な存在感があった。

 さすが始祖王が呼び出した王家の紋章にも描かれている最強の聖獣。貫禄もある。


 レイラのフェンリルはいつもおびえたような雰囲気があった、その姿も今にも消えてしまいそうなほど儚く見える。

 ただ、レイラの美しい外見とフェンリルの儚げな様子に一体感と透明感があり、不審に思う者はいないようだった。


 同じ幻の生物とはいえ、種族が違うのだと言われればそれまでだが……。


「幻の生物だと、ふつーの生態系と違うのかなぁ?」

「でも、王族の前で召喚陣から召喚したんだろ?」

「アルフォンソも見たって言ってたからね……。ただ、召喚する時にすごい光が走ったとは言ってたけど……」

「うーん……」

「まぁ、もし仮になんかズルしてるとしても、いつまでも欺けるもんでもないしな。はーぁ、早くあの女の化けの皮剥がれないかな~。……あー、疲れる」


 アルフォンソはもちろん、側近三人もあの女から解放される日を待ち望んでいた。

 そんな日は来るのだろうか?

 その前に、俺は婚約破棄されてしまうのではないだろうか?

 一抹の不安がよぎる。


「あ。まーた、ナタリアちゃん見てるぅ! 知ってる? そういうのストーカーって言うらしいよ」

 束の間の休憩中、俺は自分の召喚聖獣であるカラスに探らせたナタリアの残像を鏡に映して早送りで追っている。

 イラーリオにこれ以上、かまっている暇はない。


「うるさい。ナタリアを名前で呼ぶな! 馴れ馴れしい。ナタリアになにかあったらいけないから、必要なんだ。決して見張っているとか監視しているわけじゃない」

 ナタリアの動向も気になるが、俺の唯一の癒しの時間でもある。

 だって、俺はアルフォンソと違って、彼女に毎日会えないのだ。一方的でもいいから見つめていたい。


「ふーん? 今日も麗しのナタリア様はご活躍のようですね」

「……ああ」

 

 カラスが見た本日のナタリアを手元の鏡に映し出して、その動きをじっくりと見る。横から覗き込んだイラーリオもいつものナタリアとその周辺の様子に慣れたものだ。

 俺の婚約者は凛々しくて美しい。そして、正義感が強い。

 今日も困った令嬢を放置できずに声をかけてしまったようだ。


 一人の令嬢が数人の令息に囲まれている。令嬢の肩にいるのは兎の聖獣。

 彼女に詰め寄っている令息の傍らには、ライオンの聖獣。

 その周りを囲う令息の聖獣はそれより劣るが兎よりは上位のものが揃っている。


「あら、どうしたの?」

「っ! お前には関係ないだろ?」

 取り巻きの令息の一人が、不審に思って声をかけただけのナタリアに嚙みついてくる。

 令息達のタイの色は臙脂色。新入生のようだ。

 ナタリアが先輩だとわかっているが、肩にいる小動物を見て下位貴族だと勘違いしたのだろう。


「どうしたの?と聞いているのよ」

 ナタリアの肩から降りたミーアキャットの聖獣が、ナタリアの意を汲んでぐんぐん巨大化し、その牙を剥いて威嚇する。

 彼らが肩に載せる聖獣を飲み込めそうなほど大きくなる。

 小動物だとなめていた聖獣の恐ろしい姿を見て、令息達は顔色を失くした。


 ナタリアは聖獣を呼び出した日から、意思疎通が滞りなくできる。というか聖獣は恐ろしいほどにナタリアに懐いていて、ナタリアの意のままに動く。これほど連携できるのは普通は成人の儀式を迎えて、聖獣に名づけをした後だ。 


 ナタリアも腕を組んで、女性にしては高い身長を生かして精いっぱい睨みつけている。

 凛々しく精悍な顔立ちの彼女はまるで物語に出てくる騎士のようだ。


「せっかく婚約者にしてやるって言ってるのに、いつまで経ってもこいつが承諾しないから……」

 ナタリアと目を合わせることもできずに、令嬢の腕を掴んでいるライオンの聖獣を従えた令息がぼそぼそと言い訳をする。

 そのライオンも巨大化したミーアキャットを見て、しっぽを股の間にしまいこんでいる。


「ふーん、それで嫌がるその子に詰め寄っているのね? 大人数で」

「だって、アモローソ伯爵家の令息から求婚されるなんて名誉なことでしょう? 彼は伯爵家なのにライオンの聖獣を召喚したんですよ! それを兎付きの男爵令嬢が断るなんて!」

 取り巻きの令息も震えながら、反論してくる。


「あなた達は聖獣について家で何を学んだのでしょうね?」

 聖獣や聖獣魔法が存在するこの国では7歳で聖獣召喚の儀式をしてから、各家庭で教育がほどこされる。

 確かに聖獣や聖獣魔法がもたらす恩恵は多い。しかし、深刻な問題も引き起こしていた。召喚した聖獣の強さによって様々なトラブルが起きている。


 兄弟間では、長子より下の子供が強い聖獣を召喚すると爵位の継承でもめたり。

 力の弱い聖獣を召喚した子供が虐待を受けたり。

 爵位の上下があるにもかかわらず、下位貴族が強い聖獣を召喚して上位貴族を見下したり。

 下位貴族が強い聖獣を召喚すると誘拐されたり、無理やり婚約を結ばされたり。


 しかも、強い聖獣を召喚しても、上手く交流が図れず、成人の儀までに完成させる各々の聖獣魔法の力は弱かったりする。それを理由にした婚約破棄も横行していた。


 聖獣や聖獣魔法から生じる問題に頭を抱え、召喚した聖獣による差別をなくそうと王家も動いているところだった。

 彼らはこの国の歴史や問題点をまったく知らないらしい。


「今日からこの子は、シヴォリ侯爵家の庇護下に入りました。それに婚約を成人前の子供が家も通さず迫ることはマナー違反よ。一人の令嬢を多数の令息で囲うこともね。あなたたちの家には学園を通して注意勧告を送るわ。この子達、記憶力がとってもいいのよね」

 ミーアキャットがギラギラした目で彼らを舐めるように見る。彼らは小型動物を連れているナタリアの家格が彼らより上だと思わなかったのだろう。先ほどとは逆に彼らの方がぶるぶると震えだした。


「あなた達は口の利き方から勉強した方がよさそうね?」

 ナタリアの最後のセリフを聞かないうちに彼らは一目散に逃げだした。


「ありがとうございました。私はテスタ男爵家の長女のビアンカです。彼らがとてもしつこくて困っていたんです。うちの家は商家からの成り上がりで、後ろ盾がなくて。あの、ナタリア様のこと、お姉さまって呼んでもいいですか?」

「ふふふ。好きにしてよくてよ。わかったわ。お家の方に挨拶状を送るわね」

 ナタリアが助けた令嬢は、まるで王子様を見るようなキラキラした瞳でナタリアを見ると、何度も何度も頭を下げて去って行った。


「ふぅ」

 力が抜けたナタリアはその場にしゃがみこんだ。まだ巨大化したままの三体のミーアキャットが、ナタリアを隠すように輪になって囲む。そのふかふかの感触の中で、ナタリアは涙をこぼした。

「怖かった。あれでよかったかな……」

 一体のミーアキャットが彼女をなぐさめるように、頬をぺろりと舐めた。鏡越しに彼女の頬を指でなぞる。本当なら俺が聖獣の代わりに彼女の傍にいたかった。


 学園では精悍な顔立ちをしていて背も高いナタリアは令嬢の人気が高い。正義感が強くて、か弱い令嬢がトラブルに巻き込まれていると見て見ぬ振りができないせいもある。

 そのため、麗しのナタリア様なんて王子様のようなポジションにいる。

 でも、ナタリアは本当はさみしがりやで泣き虫だ。でも、絶対に人前でその姿をさらすことはない。婚約者である俺の前でも。



 ◇◇



 彼女が本当の自分を隠して、凛々しく振る舞うようになった原因を作ったのは俺だ。


 第一王子に仕えることが決まっている俺は、いざという時の盾になるために最低限の体術や剣術を身に付ける必要があった。

 優秀な騎士の講師がいるため、当時十歳だった俺は騎士の家系であるナタリアの生家のシヴォリ侯爵家に足しげく通っていた。


 その頃のナタリアは素直でよく笑って泣く可愛い女の子だった。彼女は兄によく懐いていて甘えている姿がうらやましかった。いつも妹にまとわりつかれている彼もどこか嬉しそうに見えた。


 ある日、ついシヴォリ侯爵家の長男に本音をこぼしてしまった。

「いいなぁ、妹がいて。素直に甘えてくれてかわいいな」

 俺には弟が三人いるが、父親に似て厳ついし、可愛くもない。

「実際のところ、うっとうしいよ」

 そう答えた彼の頬は染まっている。年頃だからそれを素直に認めることは難しいのだろう。

「それにさ、あいつ男みたいじゃん。もっと小柄で可愛い妹だったらいいけどさ……。弟みたいなのに甘えてくんなってかんじ」

 その時、背後に彼女の気配を感じた。

 次の瞬間、吐き捨てるように彼が言った言葉を聞いたのか、その気配が消えた。


 それから、彼女から笑顔も泣き顔も消えた。彼女が兄に甘えたり、まとわりつく姿を見ることもなくなった。

 俺は自分の失言を悟った。

 しかし、彼女の兄や彼女になにか言っても遅いだろう。この手のことに不器用な俺が介入しても余計こじれてしまうかもしれない。

 なんとか彼女の力になれないか?

 笑顔を取り戻せないか?


 恥を忍んで、母にそのことを相談した。

 それなのに、数日後、母はとんでもないことを言い出した。


「ダンテ、お前の婚約が決まりましたよ」

「は?」

「感謝してほしいわね。相手はナタリアちゃんよ。今度、顔合わせを家でするから」

「え?」

 正直なところ、嬉しい。

 でも、ちょっと待ってくれ。俺はナタリアを傷つけてしまって、兄妹の仲をこじれさせてしまったことをなんとかしたいんであって、それとこれは話が違う。

 一体、母上は何を企んでいるんだ?

 いつもは1ミリも表情の動かない母上の口角が3ミリも上がっている。かなりご機嫌な様子だ。


「あのね、成長の過程では仕方のないことよ。歩み寄れる時は歩み寄れるし、ダメな時はダメだし。それにお前はナタリアちゃんの傷心につけこむしか手段がないでしょう?」

「ちょっと待ってくれ。どういうこと?」

「だって、お前はナタリアちゃんのことが好きなんでしょう? その威圧感のある外見で、気の利いたことも言えないお前が正攻法で彼女を落とせるの?」

「……」

母には俺のほのかな恋心なんてお見通しらしい。だが、それは鳥の雛の成長を遠くから見守りたいような柔らかな気持ちで、婚約者や夫になりたいなんて大それた望みを抱いていたわけじゃない。


「自分で甘酸っぱい初恋だとでも思っているの? お前、ナタリアちゃんが別の男と婚約して、手を繋いだり身を寄せ合ったりして、いちゃいちゃして、挙句の果てに結婚しても平気なの? それに、お前も腐っても長男なのだから、結婚しないといけないのよ。ナタリアちゃん以外の女を愛せるの?」

 母の言葉はまさに図星で、考えないようにしていたことを的確につきつけられた。ナタリアが別の男と結婚するところを想像して吐きそうになる。考えるだけで、胸が押しつぶされそうだ。


「わかるわよ。うちの一族は甘い物とかわいいものに弱いのよ。本当にあの子はまれにみる可愛さだからね。侯爵夫人の教育をするっていって、誘拐……連れてきちゃおうかしら?」

 母から出た不穏なワードに慄く。俺以上に、母もナタリアに執心しているようだ。

 ナタリアは俺の一族を虜にしてしまうフェロモンでも出しているのだろうか?


「ああ、なんでこの屋敷はこんなに辛気臭いのかしらね。客間の壁紙だけでも明るい色に変えようかしらね……。セバスチャン!」

 母はそうつぶやくと、パンパンと手を叩いた。家令が音もなく姿を現した。すぐにでも、屋敷の改装を手配しようと意気込む母の手を掴む。


「婚約に異論はない。自分の気持ちもきちんと自覚した。ただ、この婚約、シヴォリ侯爵家を脅したりしてないよな? ナタリアは嫌々この話を受けたわけじゃないよな?」


「ふふふふふふ。お前は本当にナタリアちゃんに弱いわね。奇特なことに幼い頃からお前のことを見ているあの子は、怖がってもいないし、嫌がってもいないのよね。あの家はまっとうな騎士の家系よ。脅したり後ろ暗いことをするわけないじゃない。侯爵家には普通に釣書を送って話を進めたし、ナタリアちゃんも恋愛感情はないにしろ、お前のことを厳ついけど優しいお兄さんだと思ってるから、話を受けてくれたみたいよ」


 無事に婚約することができて、俺なりにナタリアとの間に信頼関係を築いていった。

 ナタリアに俺への恋愛感情がなくてもいい。でも、俺に結婚してもいいと思えるぐらいの親愛くらいは芽生えてほしいと祈りながら日々を過ごした。


 俺が兄の代わりにとは言わないが、甘えられる存在になれないか?

 そう素直に言う事もできず、適切な婚約者としての距離が縮まることもない。

 彼女のかぶった仮面が剥がれることもない。


 わかってる。彼女の召喚したミーアキャットが彼女を守り、癒してくれていることは。

 かつての兄の代わりに。

 でも、その位置に自分がいたかった。

 そして現在、ナタリアとの距離を縮めるどころか、地道に築き上げた信頼も好感度も地に落ちようとしている。

 


 ◇◇



「……久しぶりね。ダンテは元気だった?」

 一ヶ月ぶりぐらいにせっかく二人きりでお茶しているというのに俺達の間にはぎこちない空気が漂っていた。

 落ち着かないナタリアの内心を示すようにぴょこぴょことミーアキャットがナタリアの頭や肩から顔を出したりひっこめたりしている。

 その様が可愛くて、思わず頬がゆるむ。


「……ああ」

 俺は自分の状況をどう説明したらいいのか考えあぐねていた。

 一体どこから説明したらいいのだろう? 

 俺は説明が下手くそだ。ナタリアへの好意とあの女をなんとも思っていないと毎回話している。

 でも、どう説明しても浮気男の弁解にしか聞こえないだろう。


 彼女がこの状況に心を痛めて泣いているのを見ていると正直に言ってもいいんだろうか?

 泣くなら俺の前にしてほしいなんて言ったら、図々しいだろうか?

 

「冷めないうちに、紅茶飲んでね」

 目の前に用意されているのは、ナタリアが手づから淹れてくれたミルクティー。

 皆、俺の顔を見ると砂糖もミルクも入っていないコーヒーを用意する。

 でも、俺の好みを知っている彼女が用意してくれるのは砂糖とミルクがたっぷり入った紅茶だ。

 一口含んで、その甘さにずっとあった疲れがほどけていく気がした。

 忙しいのには慣れているし、体力には自信がある。ただ、あの女みたいなわけのわからないものを相手にすることはすごく疲れる。


「……今日はあのクッキーはないのか?」

「え?」

 ナタリアの頬が染まる。

 ナタリアはいつも、俺をシヴォリ侯爵家でもてなしてくれる時にクッキーを焼いてくれている。あっさりとした厚みのある生地にピンクや茶色のチョコで綺麗にアイシングされた可愛くて甘いクッキーだ。

 カラスに偵察させていたから、彼女がそのクッキーを昨日作っていたことを俺は知っている。

 彼女の兄がそれを見て「ダンテはそんなクソ甘くて、女々しいクッキーなんか好きじゃないぞ。俺が代わりに食ってやるよ」と言っていたのも。彼女の兄は未だに素直になれずにシスコンをこじらせている。


「ナタリアが知ってる通り、俺は可愛くて甘いものが好きだ。だから、ナタリアが作ってくれるあのクッキーが好きなんだ」

 俺は彼女の兄とは違う。ちゃんと素直に好きなものを好きと言う。

「……そう」

 なぜかナタリアの顔がくしゃりと歪んだ。泣き出す寸前に見えて、思わず手が伸びる。

 しかし、彼女は身をひるがえしてクッキーを取りに行った。

 俺はまた、なにか失言をしてしまったのだろうか……。


「はい。ご所望のクッキーよ」

 クッキーを手に戻ってきた彼女はいつものシャンとして凛々しいナタリアになっていた。

 俺の好きな彼女の手作りのクッキーを並べてくれた。


「ありがとう。作るのに手間がかかっているのだろう。でも、気の向いた時でいいから、作ってくれると嬉しい」

 俺はそれぞれ、模様の異なる可愛らしいクッキーを存分に目で堪能してから、口に運んだ。

 口の中でサクッと崩れる。チョコの甘さも絶妙で、飾りの砂糖と混じって幸せな甘さが口に広がる。


「ふふふっ。本当にダンテは甘くて可愛いものが好きよね~」

 俺ほど甘い物が好きなわけではないナタリアは自分用に作ったナッツの入ったクッキーを食べている。

 横でちょろちょろしているミーアキャットの聖獣にかけらをちょこちょこ分け与える様子が可愛い。

 俺の好きな可愛いものの筆頭はナタリアだが、さすがにそれは口に出しては言えない。


「学園ではごめん。一緒にいられなくて。でも、困ったことや辛いことがあったら言ってほしい」

 少し砕けた雰囲気になったことに背中を押されて、謝罪を口にする。

 できたら、泣きたい時も俺を呼んでほしい。それは口に出せずに心の中で付け足す。


「大丈夫。なんたって、麗しのナタリア様だから。自分でなんとかできるわ。無敵のミーアキャットもいるからね!」

 爽やかに微笑む彼女に、なぜか胸が苦しくなる。


「ダンテ、どうしたの? なにか変なものでも入ってた?」

「違う。クッキーも紅茶もいつも通りおいしい。なかなか会えなくてごめん……。学園でも傍にいられなくて……」

「あのね、私なら大丈夫だから! 任務なのわかってるし! 忙しいのもわかってるから! 無理に会いに来なくても、学園で一緒にいられなくても大丈夫!」

「……」

 また、泣きたい気持ちを隠しているのだろうか?

 そう思うと俺の方が泣きたくなる。その原因である俺に言えることはなにもない。ただ、ナタリアのテーブルの上にある手に自分の手を重ねる。


「……………………あの、本当はダンテに会いたいの。忙しくても、時間を作って会いに来てくれて嬉しいの。でも、無理はしてほしくなくて」

 きっぱりさっぱり言い切った後に、彼女の虚勢は剥がれて、彼女の本音がこうしてぽろぽろと零れる。

 それも俺に気を許してくれている証だと思うと、頬が緩む。泣きたいような笑いたいような気持ちになる。


「俺はナタリアに会いたくて来てる。俺が可愛いって思うのも、好きなのもナタリアだけだ。あの女にまとわりつかれてるし、それを無下にできないし、傍にいられないことも多い。でも、俺の気持ちは変わらない」

「……………………嬉しいけど、無理はしないで。ダンテ、隈がまたひどくなってる。眠れてる?」

 もごもごと彼女が小声で続ける。


「もともと眠るのがあまり得意じゃないんだ。それに睡眠は短くても差しさわりはない」

「……………………そっかぁ。なんかダンテがよく眠れるように考えてみるね」

 彼女の優しさが染みる。彼女の頭をそっと撫でた。

 俺を見定めるように鋭い目で三体のミーアキャットの六つの目がこの状況を見つめていた。



 ◇◇



 成人の儀式が近づいて来て、第一王子の周辺はピリピリしていた。

 彼女の父親の男爵や男爵家の寄親である侯爵家が、我が国と度々小競り合いを起こしている西の隣国と繋がっていて、交流が活発なようだ。少々きな臭い。

 男爵令嬢の警備や、男爵家周りを探るために俺の聖獣であるカラスや、その支配下にあるカラス達も全てそちらに回していて、ナタリアの様子を見ることもできない。彼女に会いに行くこともままならなかった。


 ナタリアに会えない代わりに砂糖菓子の詰まった小瓶をせっせと贈る。

 俺は甘いものが好きで、特に鍛錬の合間や終わった後は必須な糖分を常にポケットに入れていた。


 幼い頃、侯爵家の庭の片隅で泣いていた彼女に思わず差し出した。

「わぁー、かわいい。一つもらっていいっていうこと?」

「新品だし、よかったらもらって」

 俺はポケットにいつものように忍ばせていた砂糖菓子の詰まった小瓶を彼女に差し出した。

「ありがとう」

 まだ涙の光る顔でにっこり笑った顔を今でも鮮やかに思い出せる。

 今でも、泣いた後に大事そうに一粒ずつ口に含んでいることを俺は知っている。少しでも彼女の心が軽くなるといい、そんな気持ちを込めて贈った。


 そして、彼女がお礼にと贈ってくれたラベンダーの香り袋の匂いを嗅ぐ。

 「安眠成分があるらしいから」と彼女が作ってくれたそれを、俺は心のよりどころとして常に持ち歩いている。ラベンダーの優しくて、どこか爽やかな香りが彼女を思い出させた。


「あーあ、またなんかダンテがにやけてる。どうせ、婚約者殿のことでも思い出してるんでしょう? いーなー、俺もそろそろ婚約者ほしー」

「ふんっ。これだけ疲労してんだ。癒しは誰にでも必要だろ?」

「おーおー、否定しないんだー。ダンテのエッチー」

 そう言って、いつものように軽口を叩く第一王子の側近の一人であるイラーリオすら、疲労の色が濃い。


 主君であるアルフォンソのことも、その婚約者であるカロリーナ嬢のことも信じている。

 でも、貴族達に広がる不満、カロリーナ嬢の失墜を待ち望む声、次の婚約者を虎視眈々と狙う令嬢とその保護者。

 それらが、俺達にのしかかってくる。

 それを撥ね除ける手立てはあるのだろうか?


 カロリーナ嬢は子供の体から、成長することができるのか?

 せめて成人の儀式までに、その兆しだけでも見せたい。


 カロリーナ嬢の召喚したハムスターの聖獣魔法は、周りを黙らせ、未来の王妃となることを納得させられるものなのだろうか?

 確かに召喚成獣の強さと聖獣魔法は単純に比例しない。

 お互いの絆の強さや工夫でひっくりかえすことは可能だ。

 でも、王家に嫁ぐほどのポテンシャルがハムスターにあるかというとそれは疑問が残る。


 せめて、あの女を引きずり下ろせたらよかったんだが……。


 フェンリルはともかく、この女は怪しい。怪しいというか意味不明で不審だ。

 一人になるといつもわけのわからないことをぶつぶつ呟いている。


「おかしいわ、なんでみんな闇落ちしてないの……? ここが『キミ聖』の世界なら、王子は小動物しか召喚できない気位の高い婚約者に嫌気が差して険悪になっているはずだし、ダンテもイラーリオもバルトロも婚約者との仲が最悪なはずなのに……。しかも攻略対象のうちの二人は婚約者がいないですって? 婚約者から奪い取って逆ハーレム状態にもっていくのが楽しいんじゃない!! つまんないわね。アルフォンソには近づけないし。他に婚約者がいる攻略対象はダンテしかいないし。だいたいあの男、体格はいいけど不気味なのよね。全然、好みじゃない。でも婚約者が澄ましててむかつくし、落としてやろうと思ったのに。せっかく媚売ってるのに全然響かないし。なんなの私、こんなに可愛いのに。あいつ目ついてるのかしら? それともむっつりなの? 男が好きなの? あー、どっかに隠れキャラでもいないかなー」


 一応、人目のあるところや学園での聖獣魔法の授業中は、フェンリルと交流を図っているように見せかけているが実際はずっと放置している。聖獣魔法を練り上げている気配はない。


 この女の目的がまったくわからないのも俺達を苦しめていた。彼女が理解できないのは、アルフォンソや側近達も同じらしい。

「この女の目的はなんだ? 俺ではないのか? 王妃になって、贅沢がしたいとか権力が振るいたいとかそういう話ではなさそうだな……」

 彼女の独り言をつぶやく姿を鏡に映すとアルフォンソも首を傾げている。


「単にさー、身分が高い令息を落としたいんじゃないの? たまにいるらしいよ、男でも女でもそーゆー人。狩猟するみたいな感覚らしいよ。でも、家のこととか、相手を落とした後のこと考えてるのかな?」

 大型犬の召喚聖獣を連れていて人なつっこいイラーリオは、自由恋愛の人で経験豊富だ。かなり守備範囲の広いイラーリオもレイラを敬遠している。


「一定数いるらしいぞ。人の物を奪い取ることで快楽を覚える人種というのが。その手合いではないのか? フェンリルを召喚して周りがあたふたしているのが楽しいんだろう。犯罪者みたいなものだ」

 黒豹の召喚聖獣を連れていて護衛騎士も務めるバルトロに至っては、彼女を犯罪者扱いしている。 


「皆、すまない……。男爵家もきな臭い動きをしているが決定的な証拠がない。成人の儀式で決着をつけられるはずだ。それまで耐えてくれ」

「まぁ、早いとこしっぽを掴めたら、それに越したことはないけどなぁ。今の状況じゃ無理かぁ……」

 はぁと吐き出された四人のため息が重なった。



 ◇◇



 そして、表面上はなにごともなく、学園の卒業式を終え、成人の儀式を迎えた。

 王宮の大ホールには子息令嬢が成人の儀式を迎える関係者以外の貴族も大勢詰めかけていた。


 王族席にいるアルフォンソから厳命されて、護衛騎士であるバルトロ以外はレイラに張り付いている。

 男爵令嬢であるレイラの出番はすぐ回ってきて、フェンリルの召喚聖獣に「スノー」と名付け、会場に雪を舞わせた。確かに温暖な気候のこの国で雪が降ることは珍しいし、美しい光景だがそれだけだ。なんの感慨もなくその様子を冷めた目で見る。


 しかし、儚く美しい彼女と白狼のような姿をしているフェンリルが作り出した幻想的な雪景色に会場は感動に包まれて、拍手と歓声がいつまでも鳴りやまない。


 この年代は、召喚聖獣に大物が多かった。それが見学する貴族の多さに現れている。だが、ダンテの目から見たら茶番だ。聖獣の力頼みの小手先の魔法ばかり。現に、王宮の役職に就く者や高位貴族はどこか退屈した空気を醸し出している。


 順当に儀式は進行して、婚約者のナタリアの番になった。

 さすがに聖獣と魔法を練るプライベートな部分は一切、覗いていない。ごくりと唾を飲み込んだ。

 あのミーアキャットはなにを披露するのだろうか?


 侯爵家の家格からすると小型生物に分類されるミーアキャットは格が落ちる。

 しかし、今までは一人一体しか召喚できなかった聖獣を同じ種族とはいえ三体召喚し、従えているナタリアは密かに注目の的だった。

 

 三体のミーアキャットにそれぞれ、「すー」「りー」「ぷー」と名付けた彼女が、緊張した表情で聖獣魔法を唱える。

 「スリープ」

 その瞬間訪れる、睡魔。眠りに入る瞬間のなんともいえない心地良さとまどろみ。彼女は人々を眠りにいざなう聖獣魔法を発動させたようだ。

 彼女は見事にやり遂げた。

 

 一瞬の深い眠りから目覚めた会場はざわついた。何人かの貴族の目が光る。


 それをカラスにチェックさせる。母のコウモリや、父のハヤブサも会場を旋回している。

 眠りは人間にとって大事だ。

 不眠が悩みである貴族は山ほどいるし、人を意図して眠らせることができるなら悪用することもできる。


 そして、俺の番が来て、カラスに「クロウ」と名付け、偵察の聖獣魔法を披露した。俺の持てる全ての聖獣魔法を披露する気はない。

 ナタリアの魔法で興奮した会場がシンと静まり返った。顔色が悪くなっている貴族もいる。

 俺の家が王家に仕えていることもあり、その不穏な魔法に皆、納得の表情だった。


 そして、カロリーナ嬢の番となった。

 俺達とイラーリオはほくそ笑む男爵令嬢の傍に控える。


 それから起こった出来事は理解の範疇を超えていた。

 彼女の本来の召喚聖獣は、アルフォンソの聖獣とされていた不死鳥だったのだ。

 鷹ほどのサイズだった炎のような緋色をしたその鳥は、ぐんぐん大きくなると彼女を丸のみした。

 炎とともに吐き出された彼女は、年相応の姿をしていた。

 その神々しいまでに美しい姿にみな、息を呑んだ。


 彼女は不死鳥に「ジャッジメント」と名付けると、その名の通りここに勢ぞろいした貴族達に審判を下した。悪い行いをしているものには痛みを、良い行いをしているものには幸福感を与えた。

 そして、痛みを訴える者は近衛騎士に密かに連行されている。


 会場を優雅に旋回していた、不死鳥がこちらに一直線に飛んできて、一瞬身をひいた。

「いやあぁぁぁぁぁぁ!! やめて――!! わたしのフェンリルが! わたしの聖獣が!」

 次の瞬間、レイラの悲鳴が隣から響きわたった。

 彼女の聖獣であるフェンリルを不死鳥が飲み込んだのだ。

 不死鳥から炎に包まれ吐き出されたのはネズミの聖獣だった。

 

 カロリーナ嬢は、不死鳥を使ってホールの壁に男爵家での光景を浮かび上がらせた。

 そこに映るのは、聖獣を偽る算段をする親子の会話だった。

 どうやら、時折、小競り合いを仕掛けてくる西の隣国の協力で魔道具や魔法を駆使して、聖獣の姿を偽っていたようだ。

 彼女が王妃になる野望や、男爵がこの国を乗っ取ると語る姿が余すことなく映し出されている。


 呆然とするレイラの横で男爵や男爵家の寄親である侯爵が捕縛されている。


「アルフォンソ・スーフォニア第一王子。聖獣の名を呼び、その絆を見せ、聖獣魔法を発動せよ」

「御意」

 その騒ぎもものともせず、王は王子へと呼びかけた。


 アルフォンソが「ヒール」と名付けたハムスターの召喚聖獣が見せた聖獣魔法はさらに場を混乱させた。

 それは人々の心を癒し、幸福感を与えるもの。

 カロリーナ嬢が繰り広げた過激な一幕に動揺した貴族達に安らぎを与え、ほっとした空気が漂った。


 しかし、次期王としては弱い聖獣と、聖獣魔法。

 会場はまたしても大きな抗議の声で揺れた。


 しかし、それを収めたのもカロリーナ嬢だった。


「王となる者の聖獣はその治世を象徴するものが来ると言われています。彼の聖獣が癒しということは、穏やかで平和であることが約束されているのですよ? それでも彼を王にふさわしくないと断じますか? それに、私、この国も彼のことも心から愛しているの。不死鳥と私が彼を見守っているのになにか不安がありますか?」


 穏やかに微笑むアルフォンソの横で、不敵な笑みを浮かべるカロリーナ嬢。

 誰も文句など言える者はいなかった。


 その光景を見た瞬間、全ての点が線で繋がった。

 確かに7歳の頃の可愛くてどこか頼りないアルフォンソにはハムスターが、その頃から貫禄のあったカロリーナ嬢には不死鳥がよく似合う。

 カロリーナ嬢の体の成長が止まり、アルフォンソが体を鍛えて、精悍な顔つきになったせいで聖獣の入れ替えを装うなんて前代未聞のことを行ったなんて疑いもしなかった。

 あの王宮の異空間での毎日の二時間も、ただ婚約者として交流するためだけでなく、人前で入れ替えている自分の聖獣と交流を図り、聖獣魔法を練り上げるために必要なものだったのだろう。


 周りから言われる心無い言葉。

 人前で自分の聖獣と離れている心許なさ。

 皆を、側近である自分達ですら欺かなければいけない罪悪感。


 さらに、悪いことに同い年の男爵令嬢が幻の聖獣を召喚した、ように偽った。

 いくら芯が強いカロリーナ嬢でも辛かったに違いない。

 そんなカロリーナ嬢を見守り、なにもできないアルフォンソも。


 二人の絆が強固なのは、その苦しみを二人で乗り越えてきたからだろう。十年は長い。


 主君に真実を打ち明けてもらえなかったことに憤りはない。


 成人の儀式ですら貴族達のこの反応。

 7歳の召喚の儀式の後に、アルフォンソの召喚聖獣を発表していたら彼が将来の王として認められていなかっただろう。

 彼の弟である第二王子はまだ六歳。当時、王家に子供は彼一人だった。


 カロリーナ嬢の生家のヴィスコンティ公爵家は王家の血が入っている筆頭公爵家だ。彼女の聖獣が始祖王の召喚した不死鳥だと公表したら、国が割れていただろう。


 結果的に上手くいったから言えることかもしれないが、きっとこれが最善の道だった。


 そして、レイラのねずみの精霊はアルフォンソの聖獣魔法で癒され、カロリーナ嬢の聖獣が開いた聖獣界への門を走り抜けていった。

 その連携を見て、俺も含めその場にいる貴族達は彼らに膝をつき、頭を垂れた。


 アルフォンソや側近である俺達を悩ませていた問題は、レイラとフェンリルが見せた雪景色を吹き飛ばすくらいのお伽話のような光景を見せて幕を閉じたのだ。


「わたしは認めないわよ! ハムスターの王なんて。ねぇ、隠しキャラはどこにいるの? リセットボタンはどこにあるの? 始めからもう一度やり直すわよ。ねぇ、こんなの『キミ聖』じゃない!」

 皆が恭順の意を唱えているのに、レイラはまだ隣で訳の分からないことを叫び続けていた。

 そろそろ、うるさい口を閉じてやろうかと立ち上がる。


 そこへ壇上にいたカロリーナ嬢がアルフォンソにエスコートされて、やってきた。

「ダンテとイラーリオ、バルトロにも迷惑をかけました。真相を話せなくてごめんなさい」

「いえ……」

「私の体が戻ることや、聖獣魔法については理論上は可能だと踏んでいたけど、やってみるまで成功するかわからなかったの。ナタリアにも辛い思いをさせたわ……。後始末は私達がするから、彼女のところに行ってあげて……」


「カロリーナ、よかったぁぁぁぁぁ」

 アルフォンソの隣で、慈愛に満ちた笑みを浮かべるカロリーナ嬢に飛び込んできたナタリアが抱き着いた。


「もう、びっくりしたんだから!」

「ありがとう。ごめんね。上手くいくかわからなかったし、誰にも話せなかったのよ」

「そうよねー。こんな特大の秘密……。そういえば、私、殿下の聖獣って知らずに、ハムちゃん、いえ、ハムスター様にけっこう失礼なことしていた気がするんだけど……」

「ふふっ。そうね。でも、あなたの大事な婚約者を盾に使ったんだから、許されると思うわよ」

「大丈夫だ。ヒールは相手をちゃんと選ぶ。本当に嫌だったら、相手にしない」

 ナタリアはカロリーナ嬢をからかうついでに、ハムスターの聖獣にナッツを投げたりしていたことを思い出したのか、カロリーナ嬢の腕にしがみついて少し震えながら、アルフォンソを伺っている。

 にこにこして応えるアルフォンソの肩で、ハムスターがふんっと鼻を鳴らした。


「カロリーナ、あなたなの? あなたも転生者なの? 悪役令嬢のざまぁモノだったの? それとも、ナタリアが転生者? 悪役令嬢に入れ知恵したっていうの?」

「ああ、この子の存在を忘れていたわね……」

 和やかな集団に、男爵令嬢のレイラが絡んでくる。


「おいっ、さっきから失礼だぞ。寄るな」

 イライラして、思わず牽制する。だって、幻の聖獣を召喚したから、こいつのご機嫌を取らなければいけなかったわけで、そうじゃない今はもうただの男爵令嬢だろ?

「なによ! あんたのことなんてなんとも思ってないわよ! 触らないで! あれだけ、よくしてあげたのに、かばってくれないし! なによ、その体は飾りなの? 本当に役に立たないったらないわね!」


「本当に言葉が通じないな。何を勘違いしているか知らないが、こっちはお前がフェンリルを召喚したから、護衛と監視をしていただけだ。それが嘘だとわかったら今後は一切、容赦しない」


「はぁ? なによ、私がなびかなかったからって、そっちがこっちをふりましたみたいなのなんなの! ナタリアなんかより私の方が百倍はかわいいじゃない!」


「ああ? ナタリアは出会った頃から可愛いよ。あの頃は笑ってたかと思ったら泣いて、兄に甘えて本当に可愛かった。今だって、そりゃ美人で綺麗になったし、背も高くなったけど、この世で誰より可愛いじゃないか。お前なんかと比べ物にならないよ!」


「は? 目、悪いんじゃない。この男女のどこがかわいいっていうのよ? 麗しのナタリア様なんて王子様扱いされて調子に乗ってるだけじゃない!」


「困っている人を見て見ぬふりできない正義感も、しゃしゃり出て啖呵を切ったはいいけど、後から怖くなって震えて泣いてるところも、ちゃんとしなくちゃって、しっかりきっぱり言い切った後で本音が小声でこぼれるところも、カロリーナ嬢をからかって楽しそうにしているところも、眠るのが下手くそな俺のためにラベンダーの香り袋を用意してくれて、あれこれ考えて挙句の果てに安眠の聖獣魔法を編み出しちゃうところも、甘いものが好きな俺のために甘いミルクティーと手作りのクッキーを準備してくれるところも、全部、外見も中身も聖獣も聖獣魔法も全部全部かわいいだろうが! どこかかわいくない所があったら教えてくれ!!」


 ナタリアは可愛い。

 異論は認めるけど、俺の中ではそれは絶対だ。

 昔は無邪気に泣いて笑って、兄に甘える姿を可愛いと思った。

 成長して、凛々しくなってどちらかというと美しいという言葉がしっくりくるようになったナタリア。

 でも、本当は怖いのに勇気を出して声をかけることも、正しくあろうと正義を貫く姿も。

 弱音や本音を隠して、気丈にふるまう姿も。

 一人で隠れて泣いてしまうところもやっぱり可愛い。


 外見だって、可愛い。

 チョコレートのように艶があって、風になびく柔らかそうなこげ茶の髪と瞳。

 凛々しくて綺麗な顔に、気を許した人の前で浮かべるふにゃふにゃした笑顔。

 すらりと長身だけど、俺から見たらやっぱり小さくて細くて庇護欲をそそる。


 興奮のあまりナタリアへの思いの丈を叫んでしまってから、周りの貴族の視線が集まったのを感じた。

 

「ダンテがこんな長文、話すの初めて聞いた……」

「しかも、めっちゃ情熱的~。本当にナタリアちゃん好きだね」

「これで、ダンテが男爵令嬢の信奉者だっていう誤解もとけるかな?」

 アルフォンソと側近二人のあきれたような会話が聞こえる。


「バグってるわ。このゲームバグってるわ。なんで攻略対象が愛がないはずの婚約者への愛を叫んでるの? なんで私に夢中にならないの?」


「言っている意味がまったくわからないけど、一つだけわかることがあるわ。あなたの中身がからっぽだから、誰もあなたを好きになんてならないのよ」


「は? えらそうに。悪役令嬢の分際で!」


「もう、燃やすしかないわねー」

 カロリーナ嬢が不死鳥に何かを命じた。

 レイラの頭が不死鳥の吐く炎に包まれた。彼女の悲鳴すら聞こえない。

 人が燃えるのを初めて見た。頭部だけだけど。カラスを通じて残酷な状況も見慣れている俺でさえも、その光景に息を呑む。

 

「え? 私、ここ、どこ?」

「ふふっ。心配なさらないで、皆さま。彼女のこの国や王子へ害を為す思考とそれにまつわる記憶だけを燃やしましたのよ。ああ、彼女は害を為す行動を起こす前だったから、記憶の消去という甘い処置をしましたけど、実際に企んだり行動に移したものへの罰はこんなもんじゃありませんから、なにかを為すときにはそれなりの覚悟をもってくださいね?」


 炎が燃え尽きると、不思議なことに彼女の髪の毛一つ燃えていない。

 でも、その目は先ほどのどこか狂気に満ちた色はなかった。


 どうやら、カロリーナ嬢は不死鳥の力でレイラの脳みそに巣くっていた不気味な思考を跡形もなく燃やしたようだ。

 散々、彼女に振り回されたこちらとしては消化不良な気持ちが残る。でも、一番、迷惑をこうむっていたアルフォンソとカロリーナ嬢がそれで良しとするなら、呑み込むしかない。


 炎が消えた後、レイラの姿も変容していた。髪の毛はきらめくプラチナブロンドから濃い灰色に変わり、可愛らしい顔立ちも日焼けした平坦なものに、体型も華奢で細身だったものから父親そっくりな肥満体型に変わっている。

 どうやら自分の姿まで偽っていたようだ。

 戸惑う彼女を近衛騎士がそっと連行して行った。


「これで、めでたし、めでたしかしらね?」

 微笑んでつぶやくカロリーナ嬢とアルフォンソをわっと貴族達が取り囲んだ。

 俺とナタリアはその輪からはじかれた。


「ダンテ、なにをしているの? この儀式とお前のバカでかい告白のせいで、ナタリアちゃんの可愛さと有能さが知れ渡っちゃったじゃない。ちゃんと守るのよ」

 いつの間にか隣にいた母の言葉にうなずいて、彼女の手を引いて人気のない一角へ向かう。


「ごめん、ナタリア。ずっと不安にさせて。一人にさせて。大事な儀式の時に傍にいられなくて、ごめん」

「大丈夫よ。ミーアキャットもいるし、家族も褒めてくれたし、ジュリアーノ侯爵家のお義父様やお義母様だって駆けつけてくれて……」

 いつものように毅然と微笑むナタリア。なにも言えずに、その髪をそっと撫でた。


「私は大丈夫。…………大丈夫だけど、ずっと不安だった。ダンテの気持ちが変わってしまったかもしれない。あの子が勝手にまとわりついているだけだなんて言って、嘘だったらどうしよう。あの子に本気になってたらどうしようって。だって、あの子、誰より可愛いし、ダンテは可愛いものが好きだから……」

 俺の前で胸の内にあった不安を語る彼女を抱きしめた。


「可愛いものが好きだけど。この世で一番、可愛いと思ってるのはナタリアでそれは絶対変わらない。あの女が可愛いなんて思ったことは一度もない。上手く伝えられなくて、ごめん。不安にさせて、ごめん」

「伝わった。ちゃんと伝わった。さっきの言葉を聞いて信じられない人なんていない。…………違うの。ダンテはいつも言葉にしてくれてた。うれしかったの。私が弱いからそれを信じきれなくて、ごめんなさい。…………でも、ダンテが言葉でちゃんと言ってくれたり、今みたいに抱きしめてくれるのは、嬉しい……。私もダンテが好きだから」

 今日も小声でこぼれる本音に、口角が上がるのを止められない。愛おしい気持ちが溢れる。


「俺の前でだったら、甘えたり泣いたりしても大丈夫だ」

 ついに今まで言えなかった言葉を口に出すことができた。

「本当に? そんなことして、私のことうっとうしくならない? 嫌いにならない?」

「ナタリアなら大丈夫だ。だって、君が泣いたり甘えたりする姿に惚れたんだから」

「え?」

「だから、ミーアキャットだけじゃなくて、俺にも甘えて?」

 彼女の瞳から大粒の涙がこぼれた。それをずっと見つめ続けた。

 彼女の涙を近くで見られるのは、婚約者の特権だろ?


 婚約者からの俺への好感度はゼロになったと思っていたが、知らない間に天元突破していたようだ。

 この好感度を保ち続けるのが、難しいんだけどな。

 でも、きっとそのための努力はとても甘くて幸せなものだろう。

 

 まだ、成人の儀式とその際に巻き起こった騒動の後始末にざわめく大ホールの片隅で、心が通い合った婚約者を腕の中に納めて、俺は幸せな気持ちに浸った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ