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日常

10


「緊張するね…」


 ステージの脇で、アイが俺の耳元で声を出した。前の出し物の音を右から左に流していた俺の耳に、いきなり透明な綺麗な声が流れてきて、思わず叫んでしまいそうになった。


 そう、今日は文化祭二日目。俺たちが初めて部活動としてステージに立つ、記念すべき日だ。あの後父に、とりあえず文化祭のステージを見せて欲しい、と言われた。母もそれに納得していると父は言っていた。俺は父の言うことを完全には信じれていなかったけれど、その日からレンが外出することに母が口を出すことはしなくなったし、遅い時間に帰っても問い詰められなかった。というか、俺と母二人だけの時は全く話さなくなった。元々そんなに話す方でもなかったけれど。だから、レンも何も恐れずに文化祭まではピアノの練習をすることにした。アイとカイトにそのことを話すと、文化祭のステージを絶対成功させよう!、と二人して同じことを言っていた。


 俺はこれからこのステージで初めて演奏をする。すでに何組も出し物を終え、俺たちはステージのトリを任されていた。今は二年生の二人組が漫才をしていて、それなりに盛り上がっている。袖から観客席を覗き込むと、ほとんどの席が埋まっていた。しかし、照明がステージに当たっていて、観客席は暗いので、どんな人たちが座っているのか、袖から確認することはできない。

 家を出るとき父に、「今日、見に行くからね。頑張って」と言われたので、きっとどこかに座っているのだろう。俺は二重の意味で緊張が止まらない。俺のピアノをステージで完璧に演奏すること、そしてその演奏で父と母に部活を認めてもらうこと、そのプレッシャーで心臓が落ち着かない。

 震えている俺の右手を冷たい何かが覆った。すぐにもう片方の手も大きい何かで覆われた。右を見るとアイが、左にはカイトが、俺の両手を俺の仲間が握ってくれている。二人は俺を見て、自信満々に頷いた。その表情に少しだけ落ち着きを取り戻し、目を閉じて深呼吸をしていると、漫才の終わりと盛大な拍手の音が会場を包み込んだ。

 拍手の音が鳴りやむと、「次の準備がありますのでもう少々お待ちください」というアナウンスと共に、ステージの明かりが少し暗くなった。実行委員の人達が、俺たちに準備をするように促す。ドラムやキーボードなどが、実行委員たちの手によって次々にステージに運ばれていく。覚悟を決め、離そうとした俺の右手を、アイが再び強く握りしめたので、俺はびっくりして右を向いた。アイが俺を力強い目で見ている。


(だいじょうぶ)


 アイは声を出さずに口を大きく動かして、確かにそう言った。アイの言葉はまるで魔法のように俺の心を軽くする。彼女の言葉に俺が頷くと、アイは微笑んでレンの手を離し、一足先にステージへ向かった。その後ろ姿をこれからもずっと眺めていたいと、思った。

 リハーサルはした。練習も、合わせも何度もした。それに、アイのあの言葉。自然と俺の緊張は解けていた。今はただ、ここで大好きなピアノを、大好きなアイの歌声を、大好きな俺たちの演奏を聴いてもらうだけだ。アナウンスと共に、ステージの照明が明るくなる。


 ー俺たちの舞台が幕をあけるー



11


「バンド名、どうする?」


「んー難しいね。レンは何かある?」


「うーん」


 文化祭に向けての練習で、俺たちは毎日学校に来ている。今はお昼兼休憩時間だ。ステージで演奏するのにバンド名を提出する必要があり、この機会にちゃんと決めておこうという話になったのはいいが、全く案が思いつかない。


「そもそも僕たちってバンドって言っていいのかな。肝心のギターとベースがいないし」


「そんなの、私たちがバンドって思ったらバンドなの!それに、これから新たにメンバーを増やせばいいでしょ!」


 アイの理論はめちゃくちゃだ。でもそれがいい。アイはアイにしか持っていない考えをいつも自信満々に言っている。普通は何か、常識的に考えてどうかを気にする俺とは真逆だ。


「………それだ!いいの思いついた!」


「えっ……?」


 アイはすごくいい案が思いついたとばかりに、片手に箸を握ったままその場で立ち上がった。

 この部室にもだいぶ慣れてきた。むしろ最近はこの場所がとても落ち着くようになっている。


「未完成!未完成はどう?」


「それって……あの人を意識してるでしょ」


 あの人、というのは俺たちが共通で好きなアーティストのことだ。


「そうだけど、そうじゃないの!そもそもあの人の名前は直接的に未完成ってわけじゃないでしょ」


「まあ、それもそうだね」


「私たちは未完成、未完成だけど…いつもその時できる最高のパフォーマンスをする。芸術は完成することはない的な!……わ、名言言っちゃったかも」


 アイは自分の言葉に感動したとばかりに口を押えている。でも確かに、アイの言うことには納得できる。


「いいと思うよ、すごく」


 カイトがアイを見上げて頷いている。


「レンは?」


「……いい、と思う。でも、バンド名が未完成ってこと?」


「それは…………なんか違うね」


 俺の言葉にアイは少し考えて、冷静になったらしく真顔で答えた。


「未完成を違う言語で表すのはどう?」


 すかさずカイトのフォローが入る。これが素なのか、アイのことを考えてなのかは分からない。ただどっちだとしてもカイトの柔軟な発想力は俺よりも長けている。勝手にカイトと自分を比べて悲しい気持ちになったりする。


「めっっっちゃいい!カイくんナイスアイディア‼」


 カイトの言葉にアイは再び目を輝かせた。


「おーい、様子見に来たぞー」


「先生!」


 換気のためにご飯中は開けっ放しの扉から、カサネ先生が顔をのぞかせた。


「今、バンド名を考えていたところです」


 カイトが座ったまま、先生を見上げて言う。


「ははは、まだ決まらないのか?」


 先生は掛け持ちの顧問で、基本的にはもう一つの部活の練習を見ている。俺たちの部活はずっと様子を見ている必要もないので、特に困りはしない。顧問を引き受けてくれただけでも、とてもありがたいことだ。それに先生はこうして休憩時間やお昼の時間を使って、俺たちの様子を見に来てくれる。

 先生はいつ休んでいるのかと疑問に思って聞いたことがあるが、「俺は偉そうに指導して、生徒たちを見守っているだけだからな~ずっと休憩してるようなもんだ!だからレンはそんなこと気にしなくていいんだぞ」と笑って頭を撫でられた。俺を小学生だとでも思っているのだろうか、先生はよく頭を撫でてくる。別に嫌ではないけど、照れくさいので、つい冷たい態度をとってしまう。


「今日はいつもとは一味違いますよ先生!私たちは一歩を踏み出しました!」


「おお。そうかそうか(笑)、楽しそうで何よりだよ」


 腰に手を当てて、自信満々なアイに答えながら、先生は俺を見てにやにやした。先生にも親とのことは話した。もちろん全部話したわけではない。が、先生は深く聞かずに静かに俺の頭を撫でた。それがひどく安心した。変に干渉してくるような先生じゃなくてよかったと、思った。


「は、早く戻ったらどうですか?こんなところにいないで」


 先生のにやけ顔が馬鹿にされたみたいで、恥ずかしくなった俺は、またもや冷たい態度で先生に話しかけてしまった。口を開けばこんなことばかり、素直になるって難しい。


「おお、相変わらずだなぁレンは。じゃあそろそろ戻るとするか~。……あ、何かあったら遠慮なく俺のところに来いよ~」


 そう言って、俺の頭をがしっと掴んで少し前後に揺らして満足そうに帰っていった。


「レンは素直じゃないよねぇ~」


 先生が出て行った教室で、アイが俺に近づくと、口に手を当ててにやにやしてくる。


「……うるさい」


 何も言葉が返せない俺は、絞り出した語彙力のない罵倒を浴びせるので精いっぱいだった。


「まあまあ、アイ。そこがレンの可愛い所でしょ」


「んふふ~そうだねぇカイくん~」


 アイは元の位置に座り直すと、再びお弁当を口に運び出した。アイもカイトも先生も、完全に俺をいじって楽しんでいる。俺がこんなだからいじりがいがあるのだろう。カイトに関しては、俺に限らず人の弱みを握るのが上手そうだ。それに悔しいけれど彼の話し方や知識の多さには人を説得させる力がある。


「ちょっと調べてみたんだけど、フランス語とか、スペイン語とかがかっこよさそう」


「どれどれ!」


 スマホを触るカイトに、アイが近づく。基本的にアイは人との距離が近い。特にカイトと俺に対しては、異常に距離感がバグっている。その理由は怖くて聞けずにいるけれど。


「レンも来てっ!」


 アイとカイトの距離の近さをぼんやり眺めていたら、アイがこちらを向いて、手を振った。何気ない動作にもドキドキする。それを悟られないように冷静に二人に近づいていく。


 こんな当たり前のような日常が、もう少しだけ続けばいい。続いてほしい。

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