表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/51

戦う

 俺は今とても緊張している。どれくらいかというと、アイに至近距離で見つめられた時よりも、もっとずっと遥かに緊張している。まあ、これとそれでは緊張の種類が違うので比べようがないと言われればそうなのだが。そして俺の手には、二枚のチケットが握られている。それは俺たちの高校の文化祭のチケットだった。


 夏休み中、母には勉強をしに行くと言って、一応形だけの荷物を持って、学校に向かった。そんなに頻繁に練習することはできなかったけれど、何とか形にしていたカバー曲をオーディションで演奏したところ、見事ステージを勝ち取ったのである。俺とアイは、そのステージを俺の両親に見に来てもらって、堂々と音楽を続けられるように許可をもらう、という計画を立てた。


 今は心臓が口から飛び出そうなくらい跳ね上がっている心を必死に落ち着けながら、父の帰りを待っている状態だ。まだ何も知らない母は下の階で父の帰りを待っている。家の中は静まり返っている。だから余計に俺の心臓の音が鮮明に聞こえてきて、下の階の母にも聞こえてしまうのではないか、という余計な不安も煽られる。


 ガチャ


 玄関の扉を開く音と、父の「ただいま」という声が家中に響き渡る。俺は一度深く深呼吸すると、椅子から立ち上がり部屋のドアに手をかけた。自分の手が震えているのが見える。でも目を閉じると、アイの声が聞こえてきた。


(大丈夫…)


 そう言い聞かせて、部屋の扉を開ける。階段を下りている時も、心臓が跳ねすぎておかしくなりそうだった。リビングに顔をのぞかせると、父と母が仲良さそうにキッチンで会話しているのが見える。初めに母がレンを見つけ、少し顔を歪めた。部屋から出たので、勉強をサボっていると思ったのかもしれない。母の視線を追って、父が後ろを振り返る。


「おお。レン、ただいま」


「…おかえり、父さん」


「珍しいな、この時間に部屋から出てくるなんて」


 ネクタイを緩めながら、優しい声色で父が言う。何となく嬉しそうに見える。普段父と話すことはほとんどないが、微かな記憶の中でも父の優しい笑顔ははっきりと思い出せる。


「あの、えっと俺、父さんと母さんに話したいことがあって…」


「ああ、何だ?」


 緊張で自分の声が聞こえない。けれど、父の優しく微笑む顔は、はっきりと見えた。


「ちょっと、レン。お父さんは帰って来たばかりなのよ。負担をかけさせないであげて」


 母は明らかに不満そうに俺に言った。しかし父がいるからか、いつもよりは口調が優しかった。ただ、母の言うことも間違っていない。確かに帰って来たばかりの父の負担も考えずに、自分勝手に行動してしまった。


「あ…ごめ」


「ははは、負担だなんて思ってないよ。レン、ここに座って」


 全く気にしていない風に言った後、父はキッチンから離れてテーブルに近づいた。そして、自分の前の席をトントンと叩いて、レンに座るように促した。母は父の隣に腰を下ろした。こうして三人で一緒に席に座るのはいつぶりだろうか。こんな時でも少しだけ嬉しいと思っている自分がいた。


「それで、話って?お父さんはご飯もまだなのよ、早く済ませて頂戴」


 母の言葉の端々から攻撃されているような気分になる。


「まあまあ、僕のことは気にしなくて大丈夫だから。レンも、自分の好きなタイミングで話し始めていいからね」


 父の言葉に声を出さずに頷いた。今から言うこと、母は確実に反対する。だが父はどうだろうか、賛成してくれるだろうか。それとも、母の味方に付くだろうか…。机の下で握るチケットに力がこもる。


「まず、父さんと母さんに言ってなかったことがある。ごめんなさい。……実は、高校で部活、に入ってる」


「はぁ⁉」


 怖くて顔を上げられなかった俺の耳に届いたのは、母の怒りのこもった声だった。予想通りだ。


「それで?」


 母に反して、父は落ち着いた声で俺に続きを話すように促した。父の雰囲気から俺の肩の力は自然と抜けていった。


「それで、俺……文化祭でステージをすることになったんだ。あ、えっと部活っていうのは軽音部で、俺はキーボードをやってるんだけど…。黙ってたことは本当にごめんなさい。でも二人にステージを見に来てほしくて。俺の好きなものを認めて欲しいって思って…」


「…どうして今まで黙ってたのに、僕たちに認めて欲しいって思ったんだい?」


「っ……」


「あ、ああごめん。責めてるわけじゃないよ。ただ、レンがそんな風に思った理由があるんだろうなって思って」


「…黙ってたのは、反対されるのが分かってたから。でも、いつまでも気を張ったまま部活を続けたくない。っていうのが一番の理由かも。…楽に、なりたかった。それと、もう一つ理由があって。……俺、高校である子に出会って、軽音部もその子に誘われて入ったんだ。その子はすごく真っ直ぐで、悪く言えば自分勝手なところがあるけど(笑)。……でも、俺はその子に会ってもう一度ピアノを弾きたいって強く思えたんだ。それで、俺の好きなピアノを堂々と弾いていたい。その子の隣で、胸を張ってピアノが好きだって、堂々と弾けるようになりたい…って思ったから…です」


 自分で言っていて、こんなんただの告白だと恥ずかしくなった。こんな理由で認めてもらえるのだろうか。


「まさか……あの子じゃないわよね?」


 しばらく黙っていた母が声を上げた。母の方を見ると、すごい形相でこちらを睨んでいる。


「お母さんは知っているのかい?」


 父の言葉に、母は気まずそうに顔をそむけた。


「母さんが思い浮かべている人で合ってる。…多分」


「レンっっ!」


 母の甲高い声がキッチンに響く。その声に思わず委縮する。レンの頭の中に、様々な嫌な思い出が蘇ってくる。


「あー…とりあえずお父さんがしゃべってもいいかな」


 二人の空気感を和らげるように父が声を出した。父の声に母は黙って俯いた。


「レンがその子のことがとても大切だってことが良く分かったよ。でも、一つ疑問なんだけど、どうしてレンは僕たちが部活をすることに反対すると思ったのかな。そもそもレンはピアノが嫌になって辞めたんだったよね?」


 ああ、そうだ。この人は知らないんだ。俺が今まで母から受けてきたことを。父は、俺がピアノをやめたと思っている。音楽プレイヤーをくれたのも父だ。勉強もレンが好きでやっていると本気で思い込んでいる。だって……父はいつもほとんど家にいないから。俺と母の関係が良好だと思っているし、母は父の前では普通だから、何も疑いもせずこの言葉を口にしている。


「…父さんは知らないから。母さんが、僕に望んでいること」


 父の目が見開く。


「レンっ!」


 母が俺に目配せをする。口止めしたいのだろうか。でももうこんな生活はごめんだ。


「母さんなんだよ。俺からピアノを取り上げたのは!」


 俺の言葉に、父の動きが固まる。視線がゆっくりと母の方に向き、再び俺の顔を見る。


「俺は……俺はずっと母さんの言いなりだったよ。ピアノなんかより勉強をしろって強制されて。勉強は別に嫌いじゃなかったけど、ピアノが弾けないのは辛かった…」


 俺はこれまで母にされたこと、アイに会ったことなど、全てを詳しく父に話した。途中泣きそうになるのをぐっとこらえて、震える声で話した。父の穏やかな顔がみるみるうちに青ざめていくのが分かった。全部を話し終えると、父は呆然とした。ショックを受けているような、信じられないような顔をしていた。


「……レン、申し訳ない。僕がお母さんにすべてを任せきっていたせいで。何と言っていいのか、言葉が出てこない。……とりあえず今日はお母さんと二人で話してもいいかな。色々と整理したい。……レン、勇気を出して言ってくれてありがとう。部活の件はまた後日必ず時間をとるね」


 そう一方的に喋った後、父は母を立ち上がらせ、背中に手を当てて二人で寝室の方へ向かった。レンは二人の後ろ姿をただずっと眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ