筋肉痛
6
翌日、俺は一枚の紙を手に、職員室に向かっていた。
「おお、どうした」
扉の前に貼られている、職員室に入るときのマニュアルを見ながらノックすると、俺の担任が出てきた。
「あの、これ」
俺は自分の手に握りしめていたそれを担任に差し出す。
「ん?部活、入るのか?」
担任の問いに、こくりと頷く。俺の心臓はバクバクだった。それは、職員室という普段いかない場所への謎の緊張感もあるが、何より、入部届の保護者欄を自分で書いたからだ。もしバレたら親に連絡がいくだろう。そうしたら最悪転校させられるかもしれない。
「分かった。預かる」
担任の言葉にほっと胸を撫でおろす。
「軽音部は確かこれで三人目だから、ようやく部活として成り立つな」
「え?三人?」
アイのことだから、てっきりたくさん仲間を集めていると思っていたのに、たったの三人だけということにとても驚いた。
「ん?アイから聞いてないのか?ちなみに顧問は俺だ。掛け持ちで悪いがよろしくな」
担任が顧問なんて色々と不安要素があるが、もう覚悟を決めたことだ。行けるとこまで行くしかない。
担任に一礼して職員室を出て、教室に戻るとすぐにアイが駆け寄ってきた。
「出せた?」
アイは目をきらめかせて小声で聞いてくる。
「うん」
俺が頷くと、花が開いたように嬉しそうに笑った。
「じゃあ早速、今日のお昼は顔合わせね!部室で食べようね!」
アイは一方的に言い放つと、再び友達のもとへ戻っていった。まるで嵐のようだ。そして、当然俺に拒否権はない。
これからアイにはたくさん振り回されるのだろうが、きっと優柔不断な俺にはそれぐらいがちょうどいい。
昼になると同時にアイに手を引かれ、一つの空き教室の前まで連れていかれた。
そこは、俺たちが普段過ごしている教室とは少し離れた場所にあって、周りは静かだった。
(まあ、部室がもらえるだけありがたいか)
それに、こういう雰囲気は嫌いじゃない。静かでじめじめした感じは、俺の心を落ち着かせる。だが、逆にアイとは無縁の場所だろう。
アイは躊躇なく空き教室の扉を開き、中に入っていく。後に続いて俺も入るがすごく埃っぽい。それにモノが積み上げられていて、まるで物置部屋だ。
「おおお」
アイがなぜか感心している横で、俺はすぐに窓を開けて換気をし始めた。風とともに新鮮な空気が、埃っぽい、かび臭い部屋に入ってくる。
窓から下を見下ろしていると、隣にアイがやってきて、一緒に外の空気を吸いだした。
「わっ。すごいね、ここ」
二人で窓の外を見つめていると、扉のあたりから声が聞こえてきた。
「カイくん!」
アイが振り返って声を上げた。
(カイくん…)
入学式でアイと再会した時に、アイが嬉しそうに声をかけていた、その後教室までアイを迎えに来た男が、扉の前に立っていた。
カイくんと呼ばれた男子は、アイと少し談笑した後、俺の方に目を向けた。警戒した目で見ていたのがばれたのかもしれない。
「あれ、君がレンくん、かな?」
彼の口から自分の名前が出るとは思わなくて、びっくりしてしまう。
「ああ、ごめん。アイから話を聞いていて。僕はカイト。二年だよ、よろしくね」
アイがカイトに俺の話をしていたことは素直に嬉しかったが、カイトの余裕そうな表情は何となく気に入らなかった。
分け隔てない自然な笑顔と優しさは、確実に女子にモテるだろう。
「カイくんと私は家がすごく近くて、幼馴染なんだ!」
「え?付き合ってるんじゃ…」
幼馴染と言われれば納得の仲の良さだが、不安になった俺は思わず質問していた。
「ううん、僕とアイは付き合ってはないよ」
「うん!カイくんは私のお兄ちゃんみたいな感じ!」
カイトの言葉はどこか歯切れが悪く、それに対してアイは真っ直ぐに言ったことから、何となくカイトの気持ちが分かってしまったかもしれない。これは苦労しそうだな。
「とりあえずお昼、食べようか」
カイトの言葉に三人は床に座って、お弁当を広げた。潔癖症というほどでもないが、この場所でお昼を食べることに少し抵抗があった。しかし換気していたおかげで、大分空気が綺麗になった気がする。
「いただきます!」
三人で手を合わせる。食べ始めてすぐにアイが口を開いた。
「やっと部活できるね~!」
嬉しそうに笑うアイを、俺とカイトは微笑みながら見つめる。
「……そういえば、何で三人だけなの?」
俺は担任から言われた話を思い出して質問する。
「それは~私が認めた人以外は入れないから!」
「?」
「アイが一度決めたら曲げない性格なのは、レンくんももう分かってると思うけど、アイはこう見えてこだわりがとても強いんだよ」
「こう見えてって何~!」
カイトの言葉にアイが不満そうに頬を膨らませる。
「ごめんごめん(笑)。自分のことに一生懸命ってことだよ」
カイトのフォローにアイはすぐに機嫌を直したようで、大口で弁当を食べ、もぐもぐしている。さすが、幼馴染というだけあってアイの扱い方をよく分かっている。二人の楽しそうなやりとりをぼーっと見ていると、カイトがこちらを向いた。
「レンくんはピアノ、だったよね?」
「あ、はい。そうです」
「ああ、敬語はなくていいよ。これからはメンバーなんだし。先輩だからって一つしか変わらないからね。名前も呼び捨てでいいから」
「は…あ、うん。えっと、カイト?」
「うん」
「じゃあ、俺のことも呼び捨てで…」
「分かった、レン」
今まで同級生とすらまともに話したことがない俺に、コミュニケーション能力があるわけもなく、自分の返答のつまらなさに嫌気がさす。人とのかかわりを避けてきた過去に、自分に今更激しく後悔している。
アイもカイトもコミュニケーション能力が高いため、何とか会話ができているが、どうにも気を遣われている気がしてしまって申し訳ない。だから二人が話していても、間に入ることもできない。
「僕はドラムで、アイはボーカルね」
「ギターもやってみたいんだけどね!」
二人が話しているのをたまに相槌を打ちながら、ただひたすらに聞いている。
「部活絶対来るのは月水金ね!火木土は自由参加!部室はここだから、好きな時に来て好きな時に帰って良し!これでいいかな?」
アイの提案に俺とカイトが頷く。
「一応部長はカイくんなんだけどね~」
えへへとアイが頭をかく。
「基本的にアイの好きなようにしていいよ。僕が何とかするから」
カイトがとても頼もしいお兄さんに見えてくる。これは、元々の好感度が高いのに、さらに知れば知るほど良くなっていくタイプだ。と俺は一人で恐ろしくなった。
「とりあえずドラムとピアノは音楽室にあるやつを一つずつ使っていいことになってるから、放課後に取りに行こうか」
「随分用意がいいね」
俺が他人事のように感心していると、カイトはいたずらっぽく笑った。
「そりゃあ、あとはレンが入るだけだったからね」
なるほど。俺が入ることを確定として、二人はこの一週間行動していたということか。それならすでに顧問が決まっていたことにも納得がいく。
「はは。敵わないわ」
「わ、レンが、笑った…」
俺の表情を見て、アイはあんぐりと口を開けて言った。
「失礼な、俺だって笑うよ」
そう反論しつつも、こんな気持ちになったのはいつぶりだろうかと考えた。こんな風に笑うことも本当に久しぶりだ。普段表情筋を使わないせいで顔が引きつっているかもしれないけれど、二人の前ではありのままでもいいと思えた。
「明日は筋肉痛だな…」
俺の発言にアイもカイトもきょとんとしたけれど、この真意は俺だけが知っていればいい。




