約束
46
部屋に取り残された僕とアイ。再び二人きりになったが、さっき遊んでいた時とは違い、今は気まずさがある。
僕はトレーナーを脱ぎ、薄目のタンクトップ一枚だけだったが、部屋は暖房が効いていたので、そこまで寒さは感じなかった。
泣き叫んでいたアイは、いつの間にか静かになっていた。
僕は、どうしたもんかとアイを見つめる。アイの母から、フォローよろしくと言われたものの、今さっきフォローしようとして泣かせてしまったのが僕だ。
というか、どうしてアイは泣き出してしまったのだろう。
「アイ」
僕は彼女に近づいて、しゃがみこんだ。
アイは顔を上げ、泣き腫らした目で僕を見つめてくる。怒っているわけでは…ないのか?
「どうして、泣き出したの?」
正直言って、僕は本当に怒っていない。アイが無事ならそれでいいし、自分の服に関しては、買ってくれた両親に多少申し訳ない気持ちがあるくらいだ。
だから泣き出した彼女に、どうしていいか分からなくなった。
「………カイくんが、」
「うん」
普段からは考えられないほど、か細い声で話し出したアイに優しく相槌を打つ。
「カイくんが、全然怒らないから…」
「?」
意味が分からない。
「お、怒られたかったの…?」
戸惑ってそう聞くと、アイは目を大きく見開いて、ぶんぶんと首を横に振った。
「じゃあ、どうして?」
「……カイくんいつも笑ってて、優しくて…」
「………」
「でも、服が汚れた時、絶対に怒ると思った。…なのに、カイくん怒らないし、私に怪我がないか聞いてくれて…」
彼女の言うことはあまり理解できなかった。
つまり、僕が絶対怒ると思ったのに、怒らなくて泣いたってこと…?
やっぱり分からない。
だって普通ここは、怒られなくて良かったと安心するところじゃないのか?
「お母さん、物は大事にしなさいって。怒るとすごく怖いの」
「…うん」
それは大体想像できてしまう。まだアイの母が怒っているところを、僕は見たことがないけれど。
「カイくんは、どうして怒らなかったの? …本当はむかついてるんでしょ、私に」
震える声でそう言うアイに、僕は首を横に振った。そして、優しく語りかけた。
「アイ、別に僕は存外優しいやつってわけじゃないよ。
相手がアイじゃなくて、知らない人とかだったら…………ちょっとはがっかりするかもね。…でもさ、さっきのはわざとじゃないし、アイも反省するって分かってたから。
分かってることをわざわざ言われるのって、僕は嫌だから」
「………」
「僕は本当に怒ってないし、アイにむかついてもないよ」
念を押すように、強く言う。
「…カイくん、は……お洋服が大事じゃない…?」
「そんなわけないよ。でも、…………大事なものの…優先順位があるってだけ」
「優先、順位…?」
「そう。僕にとって洋服よりもアイの方が大事だったって話だよ」
「……?」
彼女はあまり理解できていない顔で、僕の話を聞いている。
伝わらないか、こんな言い方じゃ。
「とにかく、本当に僕は怒ってないってこと」
「………じゃあ、カイくんは…どんな時に怒るの?」
そんなに僕が怒っているところが見たいんだろうか。いや、逆かもしれない。
僕がどんなことで怒るのか、知っておきたいのかな。
「……うーん。アイが、嘘をついた時…かな」
「嘘…?」
「うん。アイはさ、どんな時でも真っ直ぐでしょ? 僕はそんなアイが好き。だから、君が自分のしたいことを隠すようなことをしたら、怒るかも?」
正直言って、自分が怒るところは自分でも想像できなかった。僕って、むかつくことがあっても、表面上ではニコニコしてそうだし。
「………」
「だから、アイは自分の好きなようにしたらいいよ。僕もそれに付き合うからさ」
「…ほんとに?」
「うん」
「………じゃあ、カイくんも」
「ん?」
「カイくんも、約束して。私には嘘つかないって。……我慢、しないって」
少しだけ躊躇ってしまった。それを守れる自信がなかったから。
でも彼女が泣き止んで、再び笑うための選択肢は、一つしかない。
「うん、分かった。約束する」
僕が力強く頷くと、ようやく彼女は微笑んだ。いつものニッコリの笑顔じゃなくて、つぼみがゆっくりと花開くような、そんな笑顔だった。




