先生
37
「運動することが好きで、将来はスポーツ選手になりたかった。……でも、母に反対されて」
「………」
「母は昔から勉強を強制してくるような人だった。…だから、勉強することが義務になっていって、楽しくないなって思っていたんだ。…運動はストレス発散にもなるし、何よりすごく楽しかった。ずっと、やっていたいって思うくらい。…母は、そんな意味のないことすぐにやめなさいってうるさかったけど」
先生は過去を思い出し、寂しそうに笑った。
「………」
俺と似ている。母に勉強を強制され、趣味を制限されて、それでも諦められない。どうしてもピアノが好きだった。
「結局、俺は母の望んだ大学に入った」
「……運動、は?」
俺は恐る恐る聞いた。
「続けてたよ。内緒でね」
「!」
本当に、俺と同じだ。
「スポーツ選手は無理でも、運動に関われる仕事で、なおかつ母が認めてくれるような仕事を探してやろうって思って、先生になったんだ」
「……体育教師じゃないんですね」
カイトが言った。
そう、カサネ先生はこう見えて(?)体育の先生ではない。担当教科は数学だ。
「ああ。体育教師は厳しそうだったから、せめて運動部の顧問やりたいな~って」
「………」
「そしたら母も黙ったっていうわけだ」
「………」
「でも、今でもたまに思う。あの時母に反抗して、スポーツ選手とか、そういう道を目指してたらどうなってただろうって……。教師になったことを後悔してるわけじゃない、この仕事は楽しいし性に合ってるなとも思う。でも…そう思う時があるんだ」
「………」
「だから俺は、生徒たちがやりたいことをできるように、背中を押したいって思ってる。教師として、な」
「!」
先生は俺の方を見て、ニコッと笑った。
それで思い出した。父から、先生が昔話をしてくれたと言っていたこと。
多分、いや絶対このことだ。
先生が俺に寄り添ってくれた理由、それは教師だからだけじゃない。自分の過去と、俺を重ねていたんだ。
「俺は……先生が先生になってくれて良かったな…って思ってます」
普段だったらこんなこと絶対に言えない。でも今素直にならないと、この先一生感謝を伝えられない気がした。
「?」
先生が少し不思議そうに俺を見る。
「…だって、そんな先生だから、生徒の気持ちに寄り添って…気遣ったり言葉をかけてくれたりできるって、思う…から」
自分の顔が熱くなるのが分かる。だから、見られないように俯いて話した。
「あ、でも…先生の過去を踏み台にしてっていう意味ではなくて……」
「分かってるよ」
俺の不安をかき消すように、先生は頭を撫でてきた。大きな手に包まれて、安心感がある。
「それに言っただろ?教師になったこと後悔してないって。…今、改めて教師やっててよかったな~って思ったよ」
「………」
「僕も、先生は教師に向いてるな~って思いますよ」
「おおお、嬉しいなぁ!………って、俺の話じゃなくて、カイトの話だったな!」
そうだった。本題を忘れるところだった。
「すみません先生。その話、一旦忘れてくれませんか?」
俺と先生がカイトの方を見ると、彼はにっこりと笑ってそう言った。
「え…」
「レンも、ね」
「どうして…。何でいつもそうやって、全部自分で抱え込むんだ。一緒に考えちゃダメなのかよ!」
俺は声を荒げた。言うだけ言って忘れろ、なんて…俺はカイトの力にはなれないみたいで悔しい。
しかしそれとは裏腹に、カイトは困ったように笑ってこう言った。
「一旦、だよ。ごめんね、今こんな話して。最近僕おかしいんだ。……でも僕、文化祭のステージを成功させたい。このままじゃ、上手くいかないってレンもそう思ってるでしょ?…だから、一旦忘れて文化祭の練習に専念することにする。それからどうするのか、考えることにするよ。その時は、また相談するかも」
むかつく。いつも、一歩先に行ってしまう彼に、腹が立つ。
自分のことだけじゃない、周りのこともちゃんと考えたうえで納得する答えを出している。カイトが羨ましい。
「レンも、アイのこと…どうにかしてね」
「!」
彼が俺を真っ直ぐに見てくる。それは兄としての顔なのか、悲恋の微笑みなのか、俺には分からなかった。
「レン、アイと何かあったのか?」
先生は多分気づいていただろうに、何も知らないかのような表情と声で俺に問う。
カイトの方を見ると、ニヤニヤしている。彼がそういう性格だって、すっかり忘れていた。やっぱり羨ましくなんかない。
「リン、カノン、そこで何してんのー?」
「ちょっアイ先輩、しーっ!」
俺が先生の問いに答える前に、廊下から綺麗な透き通った声が鳴り響いた。すぐにリンの慌てた声も聞こえてくる。
ドアの方を見ると、人影が二つあるのに気づいた。さっきまではなかったと思うのだが、いつの間に来ていたのか。
人影が一つ増えていく。長い髪、堂々と歩く姿、俺は勝手に緊張していた。
それは部室のドアの前に立つと、勢いよく扉を開けた。
「あれ、早いね」
一瞬俺と目が合った気がするけれど、すぐに逸らされ、アイはカイトに向かって話しかけた。
「うん、二人ともたまたま早く来てたんだ。…リンとカノンも入っておいで」
カイトの言葉に、リンとカノンがそろそろと静かに部室へと入ってくる。
「みんな揃ったか!じゃあ、先生は戻るな。練習頑張れよ~!」
カサネ先生は、ひらひらと手を振って、あっという間に部室から出て行った。
文化祭を成功させたいと言ったカイト。彼の言う通り、このままだと上手くまとまらないと思った。別に演奏がグダグダなわけではない、録音したものを聴いたが、そんなにひどくはなかった。むしろ上手いと思ったくらいだ。
でも、俺たちの気持ちがのっていなければ、楽しいと思えなければ意味がない。モヤモヤした気持ちは、きっと誰かには伝わってしまうだろう。
俺は、アイに話したことを思い出し、どうするべきなのか考えた。そして、自分が言ったあるセリフを思い出した。
(あ~これか……)




