カイト
28
僕が小学校に入学したばかりの頃、両親は喧嘩ばかりしていた。
僕の前ではニコニコしている二人が、夜になると人が変わったように喧嘩が始まる。
部屋に籠っていても聞こえてくる二人の声が怖くて、いつも怯えていた。
日に日に家に入るのが億劫になっていく。学校から帰りたくないとさえ思うようになっていた。
ある日、いつもより声を荒げた父と、母のものを投げつける音が聞こえてきた。何かが限界に達した僕は、二人の元へ向かい叫んだ。
「もうやめて!!」
そう言い残して、僕は家出をした。
両親が僕の名前を叫んだけれど、僕は走りを止めなかった。
しばらく走っていると、自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
もうすっかり夜も更け、上を見上げると星が見える。街灯や家の明かりで、そこまで暗くはないけれど、星はそれなりに見えた。きっと暗い場所ならもっとはっきりと見えるのだろう。そういえばニュースで、今日は流星群が見れると言っていた気がする。
ここがどこか分からずにどうしようと焦る気持ちと、外の静けさに安心する気持ち、どちらも入り混じっていた。あの家に、今は帰りたくない。
「どうした、迷子?」
上を見上げていた僕の視界に、綺麗な顔が映りこんできた。
「わっ……」
びっくりして声を出し、後ずさる。
「ごめんごめん、怪しいものじゃないよ」
見た目で判断するのはよくないと思うが、雰囲気的に怪しいとは思わなかった。
綺麗な黒髪は肩でそろえられていて、整った顔立ちに似合っている。
「あの……僕、家出して…」
「えー! 思いきったね!」
てっきり怒られるかと身構えていたのに、彼女はからっとした顔で笑った。
「すぐそこにさ、公園があるんだけど…ちょっとそこで話さない?」
彼女の話し方は不思議と安心するものがあって、警戒心がまるでなくなってしまったかのように、僕は後をついていった。
いつも家と学校の往復しかしていなかったから、こんなところに公園があったことを初めて知った。
公園にあったブランコに並んで座る。急いで家を出たから、上着を着てくるのを忘れていたと、今更思い出した。走った後は、身体が暑かったくらいなのに、急激に寒さが襲ってくる。
身震いしていると、隣に座っていた彼女が立ち上がり、公園入口にあった自動販売機の前まで行って、二本の飲み物を持って戻ってきた。
「甘いの、好き?」
僕の目の前に立って見下ろしてくる。コクリと頷くと、片方の缶の飲み物を手渡される。ココアとかかれてあった。
「あ…お金……」
「いーよいーよ。君、きっちりしてるね」
「……ありがとう…ございます」
「いーえ!」
彼女は隣に座り直すと、もう片方の飲み物を開け、ごくごくと飲み始めた。それを見て、僕も缶を開けて、一口飲む。
甘くて温かい。手で包むと、じんわりと暖かさが伝わってくる。
「私さ、君と同じ年くらいの娘がいるんだ」
「………」
この人が怪しい感じのなかった理由が分かった。子供がいるからか。
「今日、流星群が見られるらしいじゃん? あの子、それが見たかったらしくて、黙って家出て行っちゃって」
「えっ!?」
僕と理由は違うけれど、家出をしたということだ。驚いて大きな声が出る。彼女は笑って話を続けた。
「ま、すぐに見つけられたんだけど。その子、同じ年くらいの男の子と一緒にいたの。あれ逢い引きかなぁ(笑)」
「あいびき……?」
「あれ、逢い引き知らない? まいっか。それで、あの子の気が済んだら迎えにでも行こうとその辺ふらふら歩いてたら、君を見つけたってわけ」
「………」
「なーんか他人事だと思えなくて声かけちゃったよ。いやぁごめんね」
彼女の明るさに、僕の家出をしたときのモヤモヤがいつの間にか消えていたことに気づいた。それに、こういう人の子供ってどんな子なんだろうと、気になった。
「………僕のお母さんとお父さん、喧嘩ばっかりしてて、」
自然と、僕は悩みを彼女に話していた。さっきまで笑顔だった彼女も、僕の話を真剣な顔で聞いてくれて、嬉しかった。
「それで我慢できなくて、怒って、家出した」
「………たくさん、我慢したんだね。偉い偉い」
ふいにそんなことを言うから、勝手に目から涙が溢れていた。見られないように反対側に顔を向ける。偉いなんて、言われると思わなかった。
「親も人間だからさ、喧嘩することも悪くないとは思うけど…。でもやっぱり、子供に怒られるようじゃダメだよね。何も悪くない君が我慢するのは、おかしいよ」
この人は、すごい。僕の欲しかった言葉を言ってくれる。明るくて、元気だけど、ちゃんと他人を見ているんだ。
憧れた。彼女のようになれたらいいと。
29
あの後、近所を探し回っていた両親に見つけられ、僕は無事に家に帰れることができた。
僕は自分の思っていたことを父と母に伝え、二人に謝られ、和解した。
そこから、なぜか嘘みたいに父と母は以前の仲良しさを取り戻し、逆にラブラブすぎて見ていて恥ずかしいくらいになった。でも仲が悪いよりは全然いい。
そして後日。改めてお礼をしに彼女の家を訪ね、そこでアイと出会った。
アイ、僕より一つ年下の女の子。アイの母とは違って、長く伸ばされた黒髪。性格は母そっくりの、明るくて元気な子だった。嬉しいことに、アイは僕を慕ってくれていた。
だから、最初の頃はアイのお手本になろうと、色々と頑張った。運動、勉強は元々できたので、人付き合いを始めた。理想の僕を演じたら、すぐに人気者になってしまった。
アイのことも妹のように可愛がっていた。
でも中学生になってから、僕はアイを妹ではなく特別な存在として見ていることに気づいてしまった。
女の子に好きだと言われる機会が増え、僕はその度に断らなければいけない罪悪感で胸がいっぱいになった。
家に帰るとアイが遊びに来ていて、彼女の純粋な笑顔を見るとドキドキするのと同時に落ち着いた。
僕はこの気持ちを恋だと知った。いや、恋なんて言葉で片づけるのすらおぞましい。
アイは本当に僕の特別な存在だ。アイだけが僕の中でずっと光り続けている。
アイが中学にあがったとき、レンのことを初めて聞いた。あの日、同い年の男の子と流星群を見て、一緒にバンドをする約束をした、と。
そして、僕もバンドをやらないかと誘われた。僕は即答した。レン、という男とアイが二人きりになるなんて嫌だ。そんな邪な気持ちだった。
楽器をどうしようかという話になったとき、アイの母も昔バンドをやっていて、アイの父がドラムをたたいていたことを教えてもらった。アイの母はボーカルで、二人はバンドを通じて知り合い、結婚したという。
僕はそれを聞いて、ドラムをやることに決めた。二人のようになれるかもしれないと思ったのもあるし、単純にドラムがかっこいいとも思ったからだ。
アイの父にドラムを貸してもらい、練習を始めると、最初は全然うまくいかなかった。手と足で違う動きをすると、頭がこんがらがる。それでも一生懸命練習を重ねていくうちに、ドラムをたたくことの楽しさに芽生えた。
(楽しい!)
アイも僕の横で、楽しそうに演奏を聴いて歌を歌ってくれていた。
高校二年、アイがこの高校に入学してきた。受験勉強に付き合うのは思ったより大変だったけれど、彼女と同じ高校に通うためなら頑張れた。アイも嫌々ながらも、彼女なりに頑張って勉強していた。
彼女はますます美しくなり、見た目はアイの母にそっくりになった。
入学式の日、アイから『レンがいる』と言われた。あんまり嬉しそうな顔でそんなことを言うもんだから、上手く誤魔化すのでいっぱいいっぱいだった。
入学式の帰り、彼女の教室まで迎えに行くと、アイの目線は別のところにあった。僕が止める暇もなく彼女は飛び出し、彼の元へ行った。
いつか、こんな日が来るって分かっていたはずなのに。
いつもアイは僕の前を走っていて、僕はそれに追いつこうと必死になっていた。でも置いていかれてしまうんだ、ついに。
レンはアイの話した通り、真面目でいい子って感じだった。ツンツンしているくせに、たまにデレるところも可愛い。もっと性格が悪ければ、僕も悲観ぶれたのにな。なんて考えてしまう僕の方が、性格が悪い。
レンのピアノは確かにすごかった。詳しく知らない僕でも、彼の実力が優っていることが、すぐに分かるくらいには。でもレンはそれを驕らずに、もっと上手くなりたいという顔で弾くもんだから、彼には絶対に勝てないなと思った。
リンが入部して、部活がますます楽しくなって、苦しくなった。
練習したいのに、二人に会うのが怖いと思ったり、諦めようとしているのに、アイと過ごした時間は僕の方が長いと遠回しにマウントをとったりして、大人気ない自分を見せて。
僕は自分が何をしたいのか、分からない。
僕は…このバンドに必要だろうか…
そんな時、一年の女の子に告白された。告白されるのは初めてじゃないのに、その子は他の子と少し違くて、どうしてか頭から離れなかった。
そしていつもと違う様子に、みんなを心配させてしまった。事情を話した時、一瞬だけ期待をした。彼女が嫉妬してくれるんじゃないかと。まあそんな期待はすぐに消えたけれど。
「でもさ、断ったんならそれ以上考えてもしょうがなくない?」
レンのこの言葉が、その時の僕には深く刺さった。それからは、その子のことはなるべく考えないようにした。




