わだかまり
15
「……ごめん、レンは待っててくれる、とか勝手に決めつけて話してしまって」
「ううん、父さんの言ってること、間違ってない。俺、今は母さんとちゃんと向き合いたいと思ってるから」
「レン………」
「……俺、今まで母さんの気持ちとか、苦しさとか、全然考えたことなかった。ただ、何でピアノを弾いちゃダメなんだろうとか、母さんの望むように頑張らないと、とかそんなことばっかり思って。自分勝手だったのは俺も同じだ」
「レンは何一つ悪くないんだ。でも、ありがとう。母さんと向き合おうとしてくれることが嬉しいよ」
「うん」
「僕も、もちろん母さんも、レンのこと応援しているからね」
「ありがとう」
「それと……」
「やった~!これで毎日部活できるね~‼」
文化祭を終え、休み明けの学校の部室でアイは嬉しそうに飛び跳ねていた。それをカイトは笑いながらなだめている。
「アイ、落ち着いて(笑)」
「だって、だって‼」
「うん、俺も嬉しい。これからもっと頑張ってピアノ上手くなりたい」
俺がそう言うと、アイとカイトは動きを止め、ぽかんとした顔でこちらを見るので、何か変なことを言っただろうかと不安になる。
「レン、可愛いな」
「うん、レンなんか可愛い」
「はぁ⁉」
二人とも真顔で言うので、俺の顔が熱くなる。
「おうおう、相変わらず元気そうだな!」
「先生!」
「…………」
部室に入ってきたのはカサネ先生だ。様子を見に来てくれたらしい。駆け寄ったアイと談笑しながら、先生はこちらを見て微笑んだ。
「それと、カサネ先生、だったか?いい先生だな」
「え?あーうん」
「昨日中庭でレンと話した後、先生がやってきてね、素敵な話をしてくれたんだ」
「どんな?」
「それは言えないよ(笑)。気になるなら自分で聞いてごらん」
「レン?どうした、ぼーっとして」
カサネ先生の声に現実に戻っていく。昨日の父との会話を思い出していた。先生は父と母に一体何を話したのだろう。気になるけれど、聞いてもいいのかどうか躊躇ってしまう。
「何でも…ないです」
「そうか。それはそうと、部活をするのは大いに結構だが、勉強もちゃんとするんだぞ。あっという間に中間テストがやってくるからなー」
「ちょっと先生!水差さないでよ!」
「ははは、悪い悪い。じゃあ、またな」
言いたいことは言ったとばかりに、先生は高笑いをしながら部室を出て行った。相変わらず嵐のような人だ。でもレンはあの人の暖かさも知っている。ただ熱いだけではない、生徒思いのいい先生だと思う。本人にはそんなこと言えないけれど。
「次の目標、どうする?」
再び三人になった部室で、カイトが言った。
「目標……?」
アイが首を傾ける。
「ほら、一応文化祭のステージが終わったわけだし、レンも認められたし、次の僕たちの目標決めておいた方がいいんじゃないかなって」
何とも部長っぽいことを言っている。確かにだらだらとやるより、明確な目標があった方がそれに向かって練習できるし、モチベーションや技術も上がりやすいだろう。
「うーん、何だろう。メジャーデビューとか?」
「さすがに早すぎるだろ」
「あはは、レン、ナイスツッコミ!」
アイがボケるから思わずツッコんでしまった。
「新メンバーを迎え入れるとか!どう?」
「それって、俺たちの目標なのか?」
「大切なことだよ!ていっても来年度の話だけど…(笑)」
「来年度………それだよ!新入生歓迎会!」
アイと俺の会話を聞いていたカイトが叫んだ。
「「へ…?」」
「新入生のオリエンテーションで部活紹介があるでしょ?それを次の目標にするのは?新しい曲も披露できるようにしてさ」
「カイくん天才‼それでいこう!」
「じゃあ、とりあえず曲決めだな」
無事に目標も決まり、次のカバー曲を決めるべく、俺たちはしゃがみこんで会議を始めた。
「ただいま…」
「………おかえりなさい」
「っ!母さん…」
家に帰ると、母が玄関まで来て迎えてくれた。文化祭以来、母の姿を見ていなかったので驚いた。母は気まずそうで、俺と目を合わせようとはしない。
「………先に、ご飯食べる?」
「え、あ、うん。食べる」
母がこんなことを聞くのは初めてだ。いつも当たり前のように、ご飯を食べてお風呂に入っていたから。
リビングに入ると、出来立てのご飯のいい香りがした。机の上にはまだ食器は並べられていないので、今から盛り付けるのだろう。俺は自然と食器棚に近づくと、母と俺の箸を取り出して机に並べた。その後、母が盛り付けた料理を運んで二人で席についた。向かい合って手を合わせると、小さな声で「いただきます。」と言った。しばらく無言でご飯を食べ進めると、母がぽつりとつぶやいた。
「私、まだあなたの母親になれる…?」
「……俺にとって、母さんは母さんしかいないけど。なれるとか、なれないとか…そんなのないよ」
あまりにもおかしな質問だと思ってしまった俺は、素直にそう返事をした。すると母は、静かに涙を流し始めた。一瞬動揺したが、母の表情からきっと嬉し涙なのだろうと思うと、照れくさくなった。
母の涙が落ち着くと、俺たちは他愛もない話をした。俺が部活の話をすると、母は小さく微笑みながら頷いていた。母の話は、父のことばかりで本当に仲がいいなと思った。夕食の時間、二人の間だけゆったりと時間が流れているように感じた。
母と過ごす時間を心地いいと思ったのはこれが初めてだったと思う。少しずつでも歩み寄れていることが分かって嬉しかった。早めに帰宅した父が俺たちの様子に号泣したのを見て、母と俺で笑ったのはもう少しだけ後の話だ。