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ステージ上の景色

12

 ステージの上から見た景色は、幻のようだった。観客の視線が俺たちの方を向いている。心臓は高鳴っているが、これは緊張のせいではない。今はこれからのパフォーマンスが楽しみで仕方ない。

 俺の立っている位置からは、アイが斜め後ろの角度から見える。口角が少しだけ上がっているように見えた。

 俺がカイトの方を見ると、カイトもこちらを見ていて互いに頷きあう。俺は目を閉じて深呼吸をして、目の前のキーボードを見つめた。まさか何年も前にアイと約束していたことが叶うなんて、現実になるなんて、あの頃は思ってもみなかった。自分の手を鍵盤に重ねる。


 一曲目はピアノから始まる。一音からだんだんと音が増えていって、音色が重なっていく。しばらくするとドラムが加わり、そして……

 アイの口から音が奏でられるこの瞬間は何度聞いても鳥肌が立つ。会場も一瞬でアイの歌声に聞き惚れるのが分かってしまうくらいに。この曲のイメージは青く澄んでいて、とてもきれいで爽やかだ。透き通るアイの歌声とも完璧にはまっている。


(楽しい、楽しい、楽しい)


 心から楽しんでピアノを弾いている。俺のパートはずっと同じリズム、メロディーの繰り返しだけれど、何度もある転調のおかげで全く飽きない。

 俺とカイトだけでは補えない部分もあって、キーボードとドラムだけ聞くと少し物足りないと思うかもしれないが、そんなこと気にならないくらいアイの歌声がそれを圧倒する。転調も違和感なく綺麗に歌いこなす。それに、意味深な歌詞と爽やかな曲調も、アイ自身が考察して上手に表現している。

 曲が終わる頃には、会場は水槽の中にいるようだった。ラムネ色に染まった、透き通った水槽の中。アウトロが終わるとすぐに拍手と歓声が会場を覆った。レンは全てを肯定されたような気分になった。でも浸るのはまだ早い。俺たちは合計で二曲演奏することになっているから、まだあと一曲残っているというわけだ。

 アイは後ろ姿からもステージを楽しんでいるのが分かった。肩があがっているけれど、こんな程度で体力は切れていないだろう。


「初めまして~Imperfectです‼」


 アイ単体の声が会場に響き、それに合わせて歓声も上がる。


「今日は私たちの初めてのステージを見に来てくれてありがとうございます!」


 アイがぺこりとお辞儀をする。


「これからどんどん活躍して有名になっちゃうので、今のうちにファンになっておくといいですよ~‼」


 観客たちの楽しそうな笑い声が会場を包み込む。さすがアイ、話すのが上手だ。もちろん今言ったことはアイの本心だろうが、ノリのいい人たちがそれに便乗して、盛り上がってくれている。


「私たち軽音部は、私の声掛けによって今年、部として発足しました。メンバーは、ドラム二年のカイト、キーボード一年のレン、そして私ボーカル一年のアイです!名前だけでも覚えてください~」


 アイがカイト、俺と順番に紹介をする。それに合わせて小さくお辞儀をする。俺とカイトにはマイクがないので、基本的にMCはアイが話すことにしていた。内容も当日考えると、アイが言っていた。俺は話すのが得意ではないからとても安心した。それにきっと俺のことなんて、誰も興味はないだろう。


「キーボードのレンは、私の熱烈な勧誘により、半ば強制的に部に入ってもらいました」


 そんなことを考えていた矢先に、いきなりアイが俺のことを話しながらこちらを向いたので、俺の心臓は跳ね上がった。観客の視線も感じて、頭が真っ白になる。


(何か言うべきなのか……?)


「と、色々話したいところですが、時間が迫っているので、今日はこのあたりにしておきますね~」


「えぇ~」と残念がる声が所々であがる。


「まだまだ未完成な私たちですが、ぜひ最後まで聞いていってください」


 アイが話し終えると、会場も静まり返り、全体に謎の緊張感のようなものが走る。

 しばらくの沈黙の後、マイク越しに、アイの息を吸う音が聞こえた。


 二曲目は歌声とキーボードがほぼ同時に始まる。アイの一音の後にすぐに弾き始めるので、耳を澄まさなければならない。そしてこの曲にはドラムがない。カイトは一足先にステージから降りていった。せっかくの初めてのステージなのに、と思うかもしれないが、この曲はカイトが提案したものだった。

 おっとりとした曲調で、キーボードと歌声だけで音楽が構成される。俺の役割は、アイの歌声を最大限引き出すこと、アイの歌声に俺の音色を溶け込ませる。

 一曲目とは違った雰囲気に、会場の色も変わっていく。不思議だ。アイの歌声でこんなにも会場の空気が左右される。すべての人がアイの歌声に魅了され、釘付けになっている。俺もそのうちの一人だ。



 楽しい時間はあっという間というのを演奏が終わってから体感した。こんなに終わることが寂しいと思ったのは初めてだった。両手を広げてみると、指先が震えていた。それを包むように握ると、まだ鳴りやまない拍手と歓声の中で、深く頭を下げた。ステージの幕が下りるまで、下げ続けた。

 幕が下り、頭を上げてステージ袖を見ると、満足そうな顔をしたカイトが立って、拍手をしていた。ドッと疲れが、レンを襲い、楽しいと疲れたが混同して頭がふわふわしている。

 とりあえずステージ袖まで移動すると、それと入れ替わりで実行委員たちが、楽器を撤退してくれる。アイを見ると、汗がキラキラと輝いていて、それ以上に眩しい笑顔が花開いていた。アイは俺と目が合うと、一目散に俺のもとへ駆け寄り、思いきり抱き着いた。


「お疲れ様‼ 楽しかった~~!」


 耳元で叫ぶアイの声は少しかすれているようにも聞こえる。汗と、アイの匂いが混じって、レンの鼻をくすぐる。


「カイくんも! お疲れ様!」


「うん、レンもアイもお疲れ!」


 俺に抱き着いたままアイはカイトのこともねぎらう。そのまま俺を離れてカイトに抱き着きに行くのかと思った俺は、安堵する気持ちと抱きしめられている緊張で息が上がる。


「俺……も、たのしかっ、た」


 覆いかぶさっていた色々な気持ちと共に、たった一言を吐き出した。ずっと言ってはいけないと思ってきた言葉、自分の中で閉ざしてきた感情、でもアイと出会ってからの俺は確かに、その気持ちをあらわにしていた。


「うん! うん!」


 アイは俺を身体から離すと、目を合わせて笑顔で頷いた。


「レン、お疲れさん」


 ステージ袖の入口から、カサネ先生の声が聞こえ、その姿が見える。そして、その後ろから覗かせた顔に、再び俺の鼓動が速くなる。


「か、あさん、父さん…」


 来ていると分かっておきながら、演奏しておきながら、顔を見ただけで、こんなに恐怖感に包まれてしまう。そして、さっきの自分の演奏にも罪悪感を覚えるほどに。

 震える手を握りしめた俺の前に、彼女が現れた。アイは俺の両親に向かって深く一礼をする。


「初めまして、挨拶が遅くなりました。アイと言います。レンくんと一緒に軽音部をしています!」


 過去にあんなことがあったのに、アイは怯むことなく母の前に立った。それがどれだけすごいことか、俺が一番よく分かる。


「初めまして、カイトです。一応部長をやっています。レンくんにはいつも助けられています」


 いつの間にかアイの隣に来ていたカイトも、揃って頭を下げた。嬉しい気持ちと、俺のせいで二人に頭を下げさせている申し訳ない気持ちとでごちゃごちゃだ。


「初めまして、レンの父です。レンがお世話になっています」


 父は二人に向かって深く一礼と挨拶をした。父の後ろに母が立っている。陰に隠れていて、何を考えているのか分からない。


「レン、少しいいかな」


 そして、顔を上げた父は俺を見た。


「……うん」


 俺は頷き、アイとカイト、そしてカサネ先生に一礼をすると、父と母と共にステージ袖から退散した。


「レンっ!」


 出て行く直前に見たアイは、柄にもなく不安そうで、それがなぜか嬉しく思えてしまった。




13

 父と母に着いていくと、そこは中庭だった。周りに人はいない、ただ遠くで騒ぐ声が聞こえている。


「レン、お疲れ様」


「え?ああ、ありがとう」


「とりあえず結論だけ言って、詳しくは家で話すって感じでいいかな?」


 父の穏やかな声が聞こえる。母は相変わらず父の後ろに隠れていて表情が見えない。俺はごくりと息をのみ、頷いた。


「部活は続けていいよ、お母さんも同じ気持ちだ」


「えっ? ……ほ、本当に?」


「ああ、な? お母さん?」


 父が後ろを振り向いて、母に確認する。


「まあ、部活くらいなら…。……べ、勉強もちゃんとするのよ」


 何だか母がいつもよりも小さく見えた気がした。声も小さくてすごみがない。


「わ、分かった」


「さぁ、もう戻っていいよ。わざわざ呼び出してごめんね」


「…うん」


 俺は父と母に背を向け、ふわふわとした足取りで体育館へと向かった。早くアイとカイトに伝えたい。体育館に入ると、ステージ上で実行委員たちが片付けを始めていた。アイとカイトの姿は見えない。


(もうすでに自分たちのクラスに戻ったのか?)


 そんな考えも過ったが、俺はある場所を思い出した。きっとあそこに二人はいる。そう信じて、体育館を出ると再び走り出した。体力はないから息が上がるのに、不思議と疲れは感じなかった。それどころか、早く、早くと足が自然と動く。そして、その場所にたどり着くと、勢いよく扉を開けた。


「……レン!」


 中にはレンの予想通り、アイとカイトが立っていた。


「思ったより早かったね」


 アイは俯いていた顔を上げ、カイトは余裕そうな笑みで俺に微笑みかけた。アイは自分の胸の前で手を握りしめていて、その手が震えている。

 レンの想像よりも、彼女が不安に思っていたことを知った。いつも通りの部室に、いつもと違うアイ。俺はアイの不安を取り除くためにすぐに、


「部活、やっても大丈夫だって」


 と口にした。アイはしばらく固まった後、ぶわっと表情が崩れ、レンのもとへ飛び込んできた。


「よかった、よかったよぉ」


 俺の耳元でアイの震える声が聞こえる。けれど、俺の身体をしっかりと掴んでいて、やっぱりアイはアイだと思った。走ってきたから汗臭いかもとか、アイに抱きしめられて鼓動が速くなっているのとか、今は全部どうでもよく思えた。


「よかった」


 傍で見ていたカイトも、アイとレンに覆いかぶさるように抱きついてきた。その手がとても頼もしくて、安心して、目から涙がこぼれてきた。改めて、これからは堂々とピアノを弾いていいこと、部活を認められた実感が湧いていた。


「…………ありがとう。ありがとう」


 俺は二人の温もりの中で涙を流しながらひたすらにお礼をした。








「ただいま」


「おかえり、レン」


 一通り泣きつくした俺とアイは、泣き腫らした目でクラスに戻った。事情を知らないクラスの人達はもちろんとても驚いていたが、カサネ先生が上手くフォローしてくれた。

 カイトはと言うと、普段通り余裕そうな顔でクラスへと戻っていったので、アイと二人で笑ってしまった。

 夜ご飯は打ち上げを兼ねてアイとカイトと食べに行った。父に連絡をしたらすぐに了承してくれた。そんなこんなで文化祭が終わり、家に帰ってきた俺を父が笑顔で迎えてくれた。


「……母さんは?」


「寝室にいるよ。心身ともに疲れてしまったみたい」


「そっか…」


「レン、少し話をしよう。お風呂に入ったら、またここに来てくれるかな?」


「分かった」











「……今日、来てくれてありがとう。母さんも、父さんも」


 お風呂から上がり、リビングの椅子に座っていた父の正面に腰を下ろすと、まず初めに言っておきたかったことを言った。


「…あ、はは。まさかお礼を言われるとは思わなかった。………今日の演奏、すごくよかったよ。まるで…」


 そこで父は言葉を止め、再び話し出した。


「レンはもちろんだけど、アイちゃんもカイトくんもすごく上手なんだね。三人の息がぴったり合ってたよ」


「アイもカイトも本当にすごいよ。俺も、いつも二人についていくので精いっぱいだから」


 俺の言葉に父はふふっと笑うと、寂しそうにどこか遠くを見つめた。


「……それに、すごく楽しそうだった。あんなに楽しそうなレンは本当に久しぶりに見た。幼い頃、ピアノを弾いていた時のレンを思い出したよ」


「………」


「レンがピアノを弾くことが大好きだって、よく分かってたはずなのに、なのに、僕はレンの辛さに、苦しさに気づかずに、仕事を理由にレンのことをちゃんと見ようとしていなかった。本当に、申し訳ない」


「…………」


「悔しい、自分が情けないよ。たった一人の大切な息子なのに…」


「……………俺、いつも心のどこかで諦めてた。ピアノが好きなのに弾けなくて、どこにも行けなくて…。母さんの期待に応えるために頑張って勉強したけど、母さんの望む結果が得られなくて、勉強もピアノもダメなら俺に何が残っているんだろうって。………でも、あの日、思い出したんだ。ピアノを弾くことがこんなに楽しいんだって、思い出させてくれたんだ、彼女が。ピアノ、もう弾いちゃダメなんだって思ってたけど、彼女が望むならもう一度弾きたいって思った。………別に今更父さんに謝ってほしいとかは思ってないよ、音楽プレイヤーくれたのもすごく嬉しかった。…それに、部活、認めてくれてありがとう」


 父は手で顔を覆っていたが、指の間から涙が伝うのが見えた。肩も震えている。柄にもなく長く語ってしまったことにむずがゆく思いながらも、ちゃんと向き合って、こうやって本心で父と話すことができてよかったと思った。



「…お母さんの、話をしてもいいかな」


「………?」


「僕とお母さん、ミクさんが出会った時の話」


「…うん、聞きたい」


 父はまだしも、母が部活を認めてくれたのが信じられなかった。もしかしたら母の中で何か気持ちの変化があったのかもしれない。レンは母ともちゃんと向き合いたいと思っていた。

 レンの言葉にほっとした父は、昔の記憶をたどるように、ぽつりぽつりと話し出した。

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