有在連絡票
夜遊びが絶えない男がいた。
浴びるほどに酒を飲み、行きずりの女と盛り場で過ごす。
お互いに連絡先も知らないのに、深い関係になることも珍しくない。
その男にとって、帰りが午前深夜になるのは当たり前。
一晩の間に相手を取っ替え引っ替えし、
空が白み始める頃に帰宅することもしばしばだった。
そんな生活をしているものだから、
その男の自宅のアパートには、宅配便の不在連絡票がいつも溜まっていた。
宅配便をすんなり受け取ることができず、
一つの荷物の配達のために配送員が何度も訪れて、
不在連絡票が、郵便受けだけでなく、
アパートの部屋のドアにまで挟んであることもあった。
その男が通信販売をよく利用することも相まって、
不在連絡票は溜まる一方だった。
今日もまた、その男は、
郵便受けに溜まった不在連絡票を前に、溜息を一つ吐いた。
「また宅配の不在連絡票がこんなに溜まってるのか。
やれやれ、荷物を受け取るのも一苦労だな。」
その男は郵便受けの中を覗き込んで、
宅配便の不在連絡票だのチラシだのを掻き出して分別していく。
すると、一枚の紙切れがヒラヒラと床にこぼれ落ちた。
それを拾い上げて、その男は首を傾げた。
「・・・うん?何だ、こりゃ。」
その紙切れには、見慣れない文言が並んでいた。
御有在連絡票
お荷物をお届けに伺いましたが、お渡しできず持ち帰りました。
また次の機会にお届けに上がります。
品名:生モノ
通常の不在連絡票とは違い、手書きのようなその紙切れには、
連絡先などのあるべきものは記載されていなかった。
「不在連絡票じゃなくて、有在連絡票?
人がいるんだったら届けてくれればいいじゃないか。
呼び鈴も鳴らさずに、何で持ち帰ったんだ?」
不審に思ったものの、連絡先もわからなければどうしようもない。
その男は他の不在連絡票などとともに、その有在連絡票も持ち帰った。
そんなことがありながらも、その男は変わらない生活を送っていた。
夜遊びの後に夜遅く帰宅し、宅配便の不在連絡票に出迎えられる。
宅配便の荷物は、仕方無しに、次の日に出かける間際に受け取ったり、
玄関先に置いておいてもらったりして受け取っていた。
順調に減っていく不在連絡票。
しかし、あの有在連絡票だけは、今日もまた郵便受けに残っていた。
御有在連絡票
お荷物をお届けに伺いましたが、お渡しできず持ち帰りました。
生モノですので、どうかお早めにお受け取りください。
品名:生モノ
急かすような言葉に、その男は眉をひそめた。
「またこの有在連絡票か。
これは何なんだ?普通の宅配便のものじゃないぞ。
連絡先も書いてないのに、どうやって受け取ればいいんだ。」
仕方無しにその男は、心当たりのある先に連絡を取ってみた。
いつも使う通信販売の会社、宅配便の会社、果ては実家に至るまで。
しかしそのどの相手も、生モノを送ったりはしていないという。
八方塞がり。こちらから荷物を探す術を失ってしまった。
かといって、その男は生活態度を改めるでもなく、
相変わらず今日も夜遊びに勤しんで遅い帰りになるのだった。
そんなことが続いたある日のこと。
その日は日中から降り始めた雨が強くなり、
やがて雷を伴う激しい雷雨となった。
天から叩きつけるような雨粒に、稲妻が怒り滾らせる。
夜の眠りを知らぬ歓楽街も、こんな天気ではひとたまりもない。
人出はほとんどなく、早めに店仕舞いをする飲食店も現れ始めた。
こうなってしまっては、さすがのその男も引き上げざるを得ない。
今日は夜遊びを諦め、早々に自宅のアパートに引っ込んだのだった。
「ちぇっ、今夜はどこにも行けないな。
仕方がない。家で大人しくしていよう。」
その男は、テーブルに片肘を突くと、暇潰しにテレビをつけて、
普段は見ないバラエティ番組などを流し見していた。
テレビからは空虚な笑い声が漏れ響く中、
外では雨粒がバシャバシャと窓を叩き、雷の音と光が響き渡っている。
夜も遅く、外には人の気配もない。
そのはずなのに。
その男の部屋の玄関先に、微かに物音がしたような気がした。
「なんだろう、隣の家の人が帰ってきたのか?」
最初、その男はそう思ったのだが、
しかし、微かな人の気配は消えることがない。
雨に濡れた静かな足音、息遣い。
そんな違和感のようなものが、玄関先すぐそこから感じられた。
じっとしていられず、その男は玄関を開けて外を調べることにした。
玄関の扉を開けた途端、強風が部屋の中に吹き込んでくる。
外は今も雨が激しく降り続き、夜空に雷が鳴り響き明滅していた。
人の姿などはないのだが、雨が撥ねてできたのか、
玄関先には小さな水溜りが点々としていた。
「・・・気の所為、か。」
強風に暴れる玄関の扉を閉めて、部屋の中に戻る。
すると、玄関に濡れた紙切れが落ちている。
どうやら、玄関の扉を開けた際に、強風で飛ばされてきたらしい。
その濡れた紙切れは、その男には見覚えがあるものだった。
御有在連絡票
お荷物をお届けに伺いましたが、お渡しできず持ち帰りました。
またお届けに上がります。
品名:生モノ
またも届いた有在連絡票に、その男は表情を曇らせた。
「また不在連絡票?いや、有在連絡票か。
どっちでもいい。
こんな嵐の夜に、どうやって持ってきたんだろう。」
外の雷雨は激しく、他の宅配便からは、
今夜の宅配は無理と断られたほどだった。
しかしこの有在連絡票は、そんな雷雨の中で届けられたに違いなかった。
「そんなことよりも、俺はこうして部屋にいるのに、
どうして呼び鈴も鳴らさずに有在連絡票なんて置いて行くんだ?」
やり場のない苛立ちに、その男は手にしていた有在連絡票を握り潰した。
それから小一時間ほど。
相変わらず外では雷雨は弱まる気配を見せなかった。
その男は出かけることもできず、ずっと家の中にいた。
するとまた、玄関に人の気配が感じられた。
水っぽい足音がする。
宅配便だろうか。その男は呼び鈴が鳴らされるのを待った。
玄関はすぐそこ、座っていても見える位置にある。
しかし、またしても呼び鈴は鳴らされることなく、
玄関の扉の隙間から、スッと紙切れが差し込まれてきた。
その男は立ち上がって玄関へ行き、差し込まれた紙切れを確認した。
御有在連絡票
お荷物をお届けに伺いましたが、お渡しできず持ち帰りました。
またすぐにお届けに上がります。
品名:生モノ
やはり紙切れは有在連絡票であった。
すぐに玄関の扉を開けて外を確認するが、人の気配は無い。
足元には小さな水溜りが点在しているだけ。
もしや呼び鈴の故障かと確認してみたが、呼び鈴はきちんと鳴った。
「呼び鈴の故障でもないのに、何で荷物を持って帰るんだ?
いつも不在だった腹いせに、俺をからかってるんじゃないだろうな。」
玄関の扉を閉め、部屋の中に戻る。
すると間もなく、またもや玄関先に人の気配。
その男が急いで玄関の扉を開ける。
しかしまたしてもそこに人の気配は無く、
濡れた紙切れが落ちているだけだった。
御有在連絡票
お荷物をお届けに伺いましたが、お渡しできず持ち帰りました。
間もなくお届けに上がります。
品名:生モノ
そんなやり取りを数回も繰り返した。
しかし、どうしても玄関先の人の気配にたどり着くことはできず、
有在連絡票が残されているだけだった。
「くそっ、どうなってるんだ。
こんなことに付き合ってられるか。
まったく、人を馬鹿にしている。」
しびれを切らしたその男は、テレビを消して明かりを消すと、
布団に潜り込んで早々に就寝してしまったのだった。
深夜、誰もが寝静まった頃。
相変わらず外では激しい雷雨が哮っている。
その男は布団の中で雷の音と光に寝苦しさを感じていた。
何かが聞こえる気がする。
何かがいる気がする。
何かがすぐそこに・・・。
そうしてその男は、ハッと目を覚ました。
常夜灯を点けていたはずなのに、辺りは真っ暗で、
停電でもしているのか、明かりも点かなかった。
それよりも、その男には気になることがある。
玄関先のあの気配だ。
何度も逃したあの気配が、今、玄関先にいる。
その男はすぐに玄関へ向かった。
荒々しく玄関の扉を開け放つ。
すると、真っ暗な玄関先の外に、
激しい雷雨を背景に、一人の人影が立っていた。
人影は、ワンピースを着た若い女。
暗くてよく見えないが、不自然にふくよかな体形をしている。
全身ずぶ濡れで、長い黒髪を身体に張り付かせていた。
うつむき加減で立ち尽くすその若い女に、その男は声を荒らげた。
「あの有在連絡票を入れてたのは、あんたか?
呼び鈴も鳴らさず、こんな深夜にまで何度もやってきて、
何の嫌がらせのつもりなんだ?」
すると、怒鳴りつけられた若い女は、身動ぎ一つせず
うつむき加減のままで、かすれた声を出した。
「お届け物があって・・・」
「お届け物?そういやそんなことが書いてあったな。
でも、俺はそんなものは頼んでないぞ。」
「・・・いいえ、確かにあなたのものです。
生モノです。だから、早めに受け取って。」
「そうなのか?わかった、受け取るよ。
それで、その荷物はどこにあるんだ?」
見たところ、ずぶ濡れのその若い女は、荷物などは持っていない。
若い女はただ、大きなお腹を愛おしそうに指先で擦って答えた。
「受け取ってくれるの?よかったわね・・・。
さあ、出てきなさい。」
ズルッ。ベチャッ。
水っぽい音がして、若い女のワンピースの中から何かが落ちた。
真っ白なワンピースのスカート部分に、黒い染みが広がっていく。
地面には何かが落ちて蠢いていた。
しかし暗くてその男にはよく見えない。
すると、その瞬間。
夜空に稲妻が走って全てを照らし出した。
その男には、目の前の若い女の顔には見覚えがあった。
いつだったか、もう半年以上も前に、夜遊びの相手とした女だった。
名残惜しんですがりつく女に、連絡先も伝えず別れたきりの相手。
どうやって調べたのか、今になって家に押しかけてきたらしい。
でも、そんなことはどうでもよかった。
若い女のワンピースの足元に蠢くものから目を離せない。
足元で蠢いていたのは、体中を切り刻まれた何ものか。
全身が赤紫で血まみれで、切り刻まれた身体は四肢も定かでない。
そんなズタズタの蠢くものが、ズルリ・・ズルリ・・と、
その若い男の方に這ってくるのが見えたのだった。
若い女がその姿を愛おしそうに見守り言う。
「ね、生モノだから、早く受け取ってって言ったでしょう?
これでやっと、私たち三人が一緒になれる。」
赤紫の何かが、その男の足に絡みつく。
身動きが取れないその男に、若い女がゆっくりと近付くと、
両の頬にやさしく手を添えて口付けをした。
合わされた二人の唇の間からは、赤い血が滴っていた。
その男は身動きを封じられ、口を塞がれ、白目を剥いて、
くぐもった悲鳴を上げて体を暴れさせた。
だが、激しい雷雨にかき消されて、その悲鳴は誰の耳にも届かなかった。
翌日。雨はすっかり上がって空は晴れ渡っていた。
いつもと同じように、新聞配達がやってきて、宅配便がやってくる。
その男の部屋の郵便受けに、宅配便の不在連絡票が入れられていく。
しかし、その荷物を受け取る主が、
もうこの世に存在しないことを、まだ誰も知らない。
あの男がどこへ行ってしまったのか、知る者はいない。
受け取る主がいなくなった不在連絡票は、
もう減ることはなく、ただ溜まっていく一方なのだった。
終わり。
夜遊びは楽しいけれど、行き過ぎると後が恐ろしい。
そんな夜遊び好きの男の成れの果ての話でした。
宅配便の不在連絡票が入っていると、済まない気持ちになります。
一方で、在宅の時に不在連絡票が入っていると、
不在連絡票とは何ぞやという気持ちになります。
そこから、有在連絡票というものを考えてみました。
作中の有在連絡票の有在には複数の意味があります。
一つはもちろん、受け取る人が家にいるということ。
もう一つは・・・。
お読み頂きありがとうございました。