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さくっと読めるお話たち

爵位継承は既に終わっております

作者: 藤沢みや


「ようこそ、ネッツァー子爵家へ」



 出迎えたのは一人の少女。

 談笑しながら玄関扉を開き、一歩踏み入れようとしたところで少女の凜とした声が通る。

 ネッツァー子爵代理は眉をしかめて、娘を見やる。

 自分の邪魔をことごとくした女の娘。

 この小娘を『自分の血を分けた娘』とは、到底考えることができなかった。

「アウレーリエ、そこを退け」

 父親である子爵代理は冷たく娘を見下みおろす。

 そこには、親子の情はない。

 ようやく邪魔な女が死に、最愛を迎えられる。

 それを邪魔されるわけにはいかない。

「おい、アウレーリエを部屋に閉じ込めろ」

 クイと顎でしゃくって、家令に命じる。だが、家令は表情を変えず、まるで聞こえていないかのように微動だにしない。

「おい!! 聞こえていないのか!?」

 がなり立てるように文句を紡ぐが、誰もが動かない。


「元ネッツァー子爵代理。無駄ですわ……爵位継承は既に終わっております」


 にこりと、アウレーリエが微笑む。


 光の加減で紺色に見える黒髪。

 血色が悪く、青白い肌。

 十二歳の肢体は細く、身につけているドレスの金細工が重くすら見える。袖のレースをひらりと舞わせて、少しばかり首を傾げた。頭部の飾りがシャラリと涼やかな音を立てた。

 家令を見上げて、ふわりと微笑めばネッツァー子爵代理を衛士が拘束する。


「なっ」

 なにをする、と叫ぼうとした口を、迅速に封じ、身体もロープで縛り上げた。大きな尺取虫のよう。

「ひっ」

 義母になるだろうと思われた女性から、悲鳴が零れる。

 娘と抱き合って、ガタガタと震えながら涙を流す姿は哀れを誘う。

「マルガさま、ミーツェさま」

 穏やかに名前を呼ばれて、背筋が震える。

 今まで住んでいた平民街の素朴な家屋からすれば子爵邸は宮殿のようで、立っているだけでも寒気がする場所だ。綺麗過ぎてあたたかみが感じられない。

「……は、はい」

 目の前の少女は十二歳。腕の中の十一歳の娘とは数ヶ月しか違わないが、まるで鋭利な刃物のような怖さをマルガは感じた。



「マルガさまと元ネッツァー子爵代理との出会いはわたくしの母より早かったとのこと。父が、正確な情報を貴女さまに差し上げなかったこと、心からお詫びいたします」

「……え?」

「妻が死ねば、お前を正妻に迎える。妻が亡くなれば後妻として、平民でも許される。だから待っていてくれ……この十五年近く、同じような文言で貴女さまを謀っていたこと、気付くのが遅れ、大変申し訳ありません」

 ふわりと濃紺のドレスが揺れて、その美しさに見惚れている内に少女が優雅なお辞儀をした。

「申し訳ありませんが、前提が違いますの」

「……前提?」

 マルガは小首を傾げる。

 大好きな初恋の人と所帯持つことを夢見、ほんのちょっとの贅沢に憧れた女は屋敷の中に入ることすら出来ずに困惑する。

「元ネッツァー子爵代理は婿養子なので、ネッツァー子爵を継ぐことは出来ません。また、いくら改竄をしても、我が国では国が定めた継承方法があるため、条件を満たしていない者はどれだけ足掻いても爵位継承はできませんの」

 元ネッツァー子爵代理が暴れるが、衛士が抑えているため魚が跳ねているようにしかならない。魚というより、虫か。

「ミーツェさまも、わたくしの妹ではありますが、それは『事実』だけで、国からは妹とは認められません」

「え?」

 聞いていた話とはまったく違う。

「あの女など愛していない、愛しているのは君だけだ、僕の最愛の花、辛い思いをさせてごめんね、もう少しだけ辛抱してくれ……まあ、他にもいろいろ戯言を貴女さまに囁いたそうではありますが、期限も確証もなにもない言の葉だけを信じて、待ち続けた胆力だけは認めましょう」

 ふっと少女が笑う。

「先に申し上げますね。この男は言うなれば詐欺師です。先代子爵である母は、それを承知の上で婚姻をいたしました。種馬にさえ、なってくれるならばそれでいいと」

 さらりとドレスを翻して、アウレーリエは父親だった者へ近付く。

「残念な方。最初からお母様に相談さえしていれば、幾ばくかの財産を与えて貴方たちの幸いを祈ったのに」

 くすっと笑う。

「女しか仕込めない種馬でも、理想の娘を形作ったお礼に多少は目を瞑ろうと思っていたのに……強欲は過ぎると毒だ」

 ――― 母の口癖です。

 ふふっと笑う娘を見上げて、元ネッツァー子爵代理は嫌悪の表情を浮かべる。

 この娘は、すべてが死んだ妻……死んで欲しかった妻に似ている。

「政略結婚で仕方がなかったと、浮気する殿方は仰いますが、親の強制くらい跳ね返せない情けない男の御託ですわ」

 手にしていた扇で、父親だった者の顎を上げる。

「政略結婚をしたくなければ、相手になぜ言わないのです? 親の強制? 親族の強要? ふふっ。好きな女を守るために、戦略を練ることも戦術を企てることも謀略を計ることもしなかったくせに、ご自分に甘過ぎではなくて? 母も、一言ひとこと言ってさえくれれば別の男にしたのにって、溜息吐いていました」

 射殺したいと目が言っている。

 娘に向ける目ではないな、とアウレーリエは嗤う。

「あなたは、ご自分の不幸ばかり呪いますが、巻き込まれた母の心情を慮ったりはされまして? あなたのために日陰を選ばざるを得なかった最愛の方の苦痛に寄り添って差し上げて? ……根回し不足ですわ」

 カツカツカツと家令の傍までアウレーリエは歩き、そして玄関扉から中に入れない二人を見やって微笑む。

「あなたを愛していると、口で言っても行動が伴わない男ではありますが、貴女さまは引き受ける気はございますか?」


 アウレーリエは、この女は引き受けざるを得ないだろうと、知っている。


「……はい」

「……お母さん?」

 顔を俯け、マルガと呼ばれた女は首肯する。


「では、これから親子三人、仲良く平民としてお暮らしくださいね」

 ふふっと扇を広げて笑う。

「元ネッツァー子爵代理……いいえ、異母妹のお父さま。種馬代としてこれから毎月一定の金額をお支払いします。我が領地で一生、平民として暮らすなら、なんとかなりましょう。支払いは手渡しで、その時にマルガさま、ミーツェさまに迷惑を掛けているのであれば、温情はそこまでとなります」

 尺取虫が喚いているがなにも聞こえない。

「異母妹のお父さま、マルガさま、ミーツェさま」

 アウレーリエがゆっくりと三人を見やりながら呼ぶ。

「わたくしは、この十二年間、一度も父親の愛というものを注いでもらったことがございません。母の愛は、孤独な子爵からの愛で、『母親の愛』ではありませんでした。わたくしは、父親を、母親を、家族を知りません」

 これは、三人に向けたささやかな呪い。

「そんなわたくしが治める領地で、どうかお幸せに」



 毎月の金を渡すのは監視のため。

 飛ばしてもいい軽い首を飛ばさないのは自分の良心のため。



「……お父さま」

 アウレーリエは涙を零す。

「嘘でもいいから、愛していると……なんで言ってくれなかったの?」

 唇を噛んで口元を歪める。

「マルガさま、ミーツェさま、父からの愛を独占するのは楽しかった? 優越感に浸れた? わたくしは、これから孤独な子爵になるわ……貴方たちのせいで」

 三人に背を向けて……カツカツとヒールの音を響かせて歩く。そして声が届くであろう距離で振り返り、くしゃりと顔を歪めた。

「お父さまが、最初から愛を貫いていれば、誰も不幸にならなかったのにっ……」

 語尾を震わせ、アウレーリエは走り出した。

 淑女としてははしたなく、令嬢の言葉遣いとしては雑ではあったが、尺取虫と立ち尽くす二人の心には、鉛のように重く、沈んだ。




 最初から愛を貫いていれば……




 本当に、変わっていたのだろうか……













∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴



「ないわね」

 わっしゃわっしゃと顔を濡れたタオルで拭いているアウレーリエが、不意にそんなことを呟いた。

「結局はあの男は貧乏したくなかっただけよ。働きたくない、でも自分好みの可愛い女は保持したい。厚かましくて図々しくて自分しか見えていない性欲魔人な勝手者よ。あの血がこの身に流れているなんて、事実だけで気色が悪くて吐き気がするわ」

 侍女から新しい濡れタオルを受け取り、また顔を拭く。

 現れたのは、血色のいい顔。

 この演技のために髪飾りに水を仕込み、化粧は青白い感じにし、自分の肌に合わない紺色の衣装を身につけていた。

 アウレーリエは、清々しい笑顔を浮かべる。

「演技でもいいから、優しい夫、優しい父親になっていれば、こんな惨めな結末にはならなかったのにね~。バッカじゃないの、あのおっさん。自分の興味がある人にだけ優しくするなんて、悪手よ、悪手」

「お嬢さま、お言葉が悪過ぎます」

 家令が優しくたしなめる。


 ――― アウレーリエの本当の父親はこの家令だ。

 ネッツァー子爵家ではこんな噂がある。


 噂が嘘か真実かなどは知らない。

 母とこの家令の間に愛があったかどうかも興味がない。

 ただ、この家令は、アウレーリエが困らないように導いてくれた。

 母方の祖父母への連絡。

 爵位継承への根回し。

 父方の祖父母への牽制。

 母が生きている間からの視察や社交への随行。

 手伝いから業務を徐々に習い、引き継いでいく。

「貴女は、与える者になるのだから……」

 亡くなった母はそう言って、十歳になってからアウレーリエを子供扱いしなくなっていった。

 最上部が、女だろうと、子供だろうと、男だろうと、下で働いている者からすればあまり変わりがない。

 税金が少なくて、仕事の邪魔をされなくて、あまりぎっちり働かなくてもいいなら、それがいい領主だ。

 どれくらいまでが搾り取っていい限界かなど、過去の領の状況を遡れば平均値が出せる。

 それを、超えなければいいのだ。

「……可愛げがないわね」

 我ながら……そう思いつつ零せば、周囲がくすくすと笑う。

「お嬢さま、今日はスパイスと薔薇水のクッキーがございますよ。あたたかいミルクティーをお煎れしましょう」

 侍女の微笑みにわーいと喜ぶアウレーリエ。

「「お嬢さまは充分過ぎる程にお可愛らしいですよ」」

 とあたたかいのか、生ぬるいのかわからない目で見られる。

 屋敷で働く者たちは、領地からの出世頭。

 仕えやすい、仕え甲斐のある主人であることを求めている。

 そう、母は教えてくれた。

「あなたを愛さない男など、見る目のないただの馬鹿野郎でございますよ」

 家令が優しく微笑む。

 その隣で侍女たちがうんうんと大きく頷いていた。

「……それも、そうね」





 真実なんて、知らなくていい。





 父親に愛されなかったけれど、屋敷の者たちには愛された。





 頭の弱い人達を、屋敷に入れなくて済んだ。






「スパイスと薔薇水のクッキー、楽しみだわ」

 アウレーリエは、十二歳の少女らしく笑った。





おしまい



振り返って、十二歳頃が一番頭が良かった気がするので、そんなお話を書いてみました。ざまあ要素はほぼありませんが、後のマイナスにさせないためにもこんな感じかな……と。

お読みいただき、ありがとうございます。


【2023/8/19】

×義理の妹  ○異母妹  ですので、修正しました。

うっかりしておりました。

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