たとえばぼくが死ぬとして
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たとえばぼくが死ぬとして、桜が咲き乱れる頃、ぼくのことを思い出してもらえたらって思うんだ。
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たとえばぼくが死ぬとして、だったら倒れてしまえば楽なのに、病床に伏してしまえばもっと楽なのに、ぼくは石に齧りつくかのごとくそうしない。
生きたい。
最後まで。
立派に、最後まで。
立派……?
なにが立派かなんて、良くわかってもいないのに、あははっ。
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たとえばぼくが死ぬとして、病院には中庭がある。僕は病衣のままガラス張りの天井のドームを見上げながら、涙していた。
かつて訪ねてきてくれたかつての恋人のことを思い出す。
ここにはもう来ないから。
黒いバイクスーツ姿だった。
得意の大型を飛ばしてきたのだろう。
ここにはもう来ないから。
冷たい、寂しいと感じるより先に、ありがたく思った。
自分が弱りゆく様なんて、誰にも見られたくなかったから。
でも、なんとなく情けない話だけど、彼女の細い腰に両腕を回して、バイクに乗せてもらったことがあったっけ。
天王洲まで走って、木のデッキで気の利いていない臭い水を嗅ぎながら、運河を眺めたこともあったっけ、缶コーヒー、飲んだなぁ……。
やっぱりぼくはもうすぐ死ぬ。
仕事も人生も放り出して、もうすぐ、死んでしまう。
話し足りないヒトは、まだまだいるように感じている。
それでも、死ぬんだ。
死神は無情にも、ぼくの首を刈る日を待っている。
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たとえばぼくが死ぬとして、だけど一人で浅草に行った。
一人で、だ。
恋人とは別れたのだから当然だ。
浅草寺でくじ引きをすると中吉だった。
その微妙さに、僕は一人、くすっと笑ってしまった。
そうか。
人生の末期を迎えても、ぼくは中吉を引くのか。
当然、くじ引きにリアリティを感じなかったぼくである。
見たところ、修学旅行生が多い。
間違いなく地方のニンゲンだろう。
ぼくは都会のニンゲンなので、当時、韓国に行った。
修学旅行で海外に行くのかぁなどとぽかぁんとしているうちに、旅行は終わった。
楽しかったのだと思う。
楽しい時間というのは、あっという間に過ぎて去る。
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たとえばぼくが死ぬとして、だから血を吐いて救急搬送されたらしい。
身体を悪くしてから実家に、ある意味囲われているのだけれど、そんな措置が役立ったというか、功を奏したというわけだ。
もはや死んでも良かった。
ほんとうに、いつ死んでもいい。
一人病棟に住まわされ、静かに最期を迎えることができればなと思う。
でも、両親には育ててもらった「恩」というものがある。
ぼくはほんとうにしょうもないニンゲンだったな。
いろいろと、いろいろと。
幸福を与えるより、両親には不幸を与えることのほうが、絶対にずっと多かった。
それでも――そこにあったのは「親としての義務」なのかもしれないけれど、ぼくはいま、とりあえず「それ」が「そのこと」がわかるくらいには成長して、だからこそ、かけがえのない両親にはもう迷惑をかけることなく逝きたいと考えている。
小さな小さな口で干し柿をぽしょぽしょと食べる母が好きだ。
球場に行くと大きな身体をしゅっとすぼませ野球を観戦する父のことが大好きだ。
だけど、ぼくは彼らになにももたらすことができなかった。
どうしてだろう。
なにか不自由があったわけではないのに、ぼくはどうして彼らの優しさに報いることができなかったのかな。
脳裏で後悔ばかりがこだまし、鳴る。
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たとえばぼくが死ぬとして、もうあと半月だろうと言われた頃にはホスピスにいた。
窓には力強い格子が施されているように見えた。
時計がいばらに包まれているようにも見えた。
これがせん妄かと体感した。
ああぼくはいよいよ狂ってしまったんだ――ということくらいはわかった。
いよいよ、死を、予感した。
苦しくて痛い。
痛くて苦しい。
自分の身体が自分の身体ではないみたいで、全身がばらばらになってしまいそうだ。
ぼくは「死なせてほしい」と両親に懇願した。
ダメだと言われた。
まだ「助かるかもしれない」――そんなわけないのに。
――かつての恋人が、ぼくのもとを訪れた。
病床にあるぼくの両肩を揺すりながら、「しっかりしろ!」と怒鳴る。
きみはぼくから離れていったんじゃなかったの?
きみは新しい幸せを掴むために生きるんじゃなかったの?
きみは痩せ細ったぼくの上に馬乗りになったね?
それから痩せ細ってしまったぼくに抱きついてくれたんだ。
その瞬間、ぼくは自分の人生に後悔なんてないって思った。
ぼくのそんな気持ちを酌んでくれたように、きみは離れていったね。
そんなさっぱりとしたところが、ぼくは大好きだった。
大好きだったよ。
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たとえばぼくが死ぬとして、もうダメだというのが感覚的にわかった。
最後に誰に物を伝えたいかというと、それはやっぱり両親だ。
先立つ不孝を――とは良く言う。
ただ、実際にその立場に立つニンゲンにとってその言葉はかなり重い。
だけど、どうだろう。
父が死ぬより先に、母が死ぬより先に、自分が死ぬことを良しとする自分がいる。
無責任な話だけれど、それは親の死に目に立ち会いたくないからだ。
愚かだったなぁと思う、ぼくの人生。
誰に注意されてもされなくても好き勝手に生きてしまい、結果、結果……。
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たとえばぼくが死ぬとして、息を引き取る瞬間は安らかだったように思う。
少なくとも、苦しさは感じなかった。
「ありがとう」よりも、「ごめん」言いたい気持ちのほうが大きい。
きみにごめん。
あなたにも、そしてあなたにもごめん。
因果応報。
死ぬときに悔やみたくなかったら、大切なものは見失わないほうがいい。
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たとえばぼくが死んだとしても、世界が美しいという事実は変わらない。
三百六十度、見回してみても、そこにあるのは「美」だった。
だからほんとうに、ほんとうに……。
ぼくはいろんなことに気づかなかったけれど……。
ぼくは死んでしまった。
だからこそ、わかったことも、あるんだ。
ぼくは幸せだったよ――と、誰彼構わず、言ってみる。
きみの未来は、きっと、明るい。
明るいよ。