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すきなものだけたべればいいさ

作者: 少女時計機



わたしはねこがきらいだ。


昔から家で飼ってたのは犬だし、周りの友達も犬を飼っている家が多かった。だから、猫に慣れていないのかもしれない。






pipipipipi.....

いつまで経っても鳴り止まない目覚まし時計と、鳴り止ませる気配を微塵も見せないこいつに若干の苛立ちを覚えながら、わたしは寝ぼけ眼でサイドテーブルへ手を伸ばした。するとパシッと手首を掴まれ、自分の首へと勝手にわたしの腕を回すこいつ。あの日。これがないと寝られないんだ、と古ぼけたオルゴール片手に、わたしの家に転がり込んできたこいつ。



「ゆう、おはよ、」



片栗粉を溶いたような、とろんとろんな声で朝の挨拶をしてくる、こいつ。同じように挨拶を返そうと唇を開くが、上手く声が出ない。あー、昨日のせいだ。あんなに声を出したんだから、たった数時間後の今なんて掠れた声しか出なくて。



「なに、声出ないの?」

「…る、さい」



茶化したように尋ねると寝癖のついたわたしの前髪をスー、と何度も撫でてくる。触れたら散ってしまいそうな程に繊細な花弁を慈しむように。そんな触り方、やめてよ。この歳になって、勘違いなんてしたくないんだから。


傍から見ればわたし達は恋人、同棲している恋人。

でもわたし達からしたら、わたし達は恋人じゃない。この関係に名前なんてない。友達にしては愛がありすぎて、恋人にしては愛が足らなくて、セックスフレンドにしては情があって、家族にしては情がなくて。わたし達を繋ぐ糸はボロボロのヨレヨレ、今すぐに千切れることはないけれど、必死になって手繰り寄せているわたし達がいる。



「なぁ、ゆうはおれのことどう思ってる?」

「んー、可愛いペットかな」

「じゃあおれのこと拾ってくれた優しい飼い主さんに忠誠を誓わなきゃ」

「こら、触らない」



こいつの鼻の頭を軽く人差し指で弾くと、気怠い身体を無理矢理起こす。腰が痛いなんてのはうそ。実際はお腹が痛くなる、なんて言うの…子宮の辺りも痛い。だけどこれはこいつに愛された証拠なんだ、と愛情にじんわり侵食されていくみたい。裸足のまま床に足を付けば、ペタリと音がする。足の裏と床が一つになった。



「シャワー浴びンの?」

「、ん」



机の上に乱雑に置かれた週刊誌には " 愛されない女達 " の文字が浮かんでいる。表紙だからといって、あんなに派手に強調しなくてもいいのに。コップの中に入っている水の中には無数の埃が浮かんでいる、そういう細かい事は気にしないわたしはその水を一気に飲み干した。案の定、ぬるくて喉がベタつく。それでもいくらか声が出やすくなったわたしは、台所の脇にある風呂場へと吸い寄せられる。脱衣場に入ったって脱ぐものなんて一つもなくて。昨日の熱情だけを身にまとっている。磨りガラスの向こうは浴室、まだはっきりしない頭のまま足を踏み入れると後ろから抱き締められた、わたし。



「なに?」

「一緒に入る」



1mmの隙間もないくらいに引っ付いてきたこいつの体温が直接当たる。背中から真っ直ぐ心臓に向かって、熱が伝わってくる。



「ゆう、洗いっこしよう?」



あー、また始まる。始まっちゃう。

わたしが断れないの知ってるくせに、と徐々に頭が身体が沸騰しそうになる。そんなわたしを弄ぶように、こいつの唇がそこかしこに触れてきた。

あー、始まっちゃった。



.




「髪、乾かして~」

「たまには自分でやりなよ」


うそ、うれしい。男にしては少し長めのその髪を濡らしたまま、わたしの前に座ったこいつ。へら、と笑ったこいつがまた、ねこに見えてきて。白色、ねこ、雄、のこいつはまさにマイペースで甘えん坊。どこかの裕福な家庭にでも飼われていてもおかしくない美形のこいつ。(例えるなら絶対にペルシャ猫。)そんなこいつは何故だか、極々普通の、もしかしたら平均点以下かもしれないわたしの家に住み着いて、数ヶ月。


くわぁ、と欠伸したこいつの、気が強そうな小鼻が広がった。



「こら、動かない」

「だってゆういい匂いするから」

「同じ匂いするでしょ」

「ゆうからはおれの匂いもするし」

「それっておれはいい匂い、って言ってる?」

「あは、バレた?」



(いつまで経っても同じ匂いにはなれないんだね。)


胡座をかいて座るこいつの前に膝立ちになって、ドライヤーで乾かしていく。風量は最大になんて、してやらない。わたしの胸の位置にあるこいつの顔がたまらなく。見上げると余計に強調される丸くて垂れている目がたまらなく。ねぇ、ビー玉みたいに転がっていっちゃいそうだね。



「ごめんね、わたしはいい匂いじゃなくて」



可愛くないわたしは可愛くない事しか言えない。それでもこいつは、そんなわたしに片エクボを作りながら笑いかけてくる。



「ゆうの匂いは、可愛い匂いだよ」

「うそつき」

「うそじゃないよ」

「もしかしてわたしのこと可愛いって思ってる?」



ドライヤーの電源を切って、こいつの髪を指で梳かす。少し引っ掛かる修復不可能な傷んだ髪を指で梳かす。揶揄うつもりで言ったのに、面倒臭い性格のわたしは、やっぱり、絶対に、可愛くない。


わたしのお腹に顔を埋めて、腰に手を回してきて、じゃれてきた。鼻でお腹を擽ってくる。



「思ってるよ」

「うそつき」

「うそじゃないよ」

「あの時、わたしと目合わなかったくせに」

「どのとき?」

「あの時の飲み会で…一回も目合わなかった」

「ばかだね。おれはゆうのこと見てたよ」

「うそつき」

「うそじゃないよ」

「目、合わなかったくせに?」

「おれがゆう見てるとき、ゆうは瞬きしてたもン」

「…ほんとうに、」



(いい加減な人。)


舌っ足らずな甘え声のこいつと繰り返す、おままごと。始まりがなければ、終わりがない。抱きしめ返せばするりと抜けていってしまいそうなこいつと繰り返す、おままごと。始めてしまえば、終われない。


暫くこいつの後頭部を触っていると、いきなり襲ってきたのは悪寒で。裸のまま寝たせいだ、今もシャツ一枚だけ着て髪もろくすっぽ乾いていなくて、不思議なことに一度認識してしまった症状は悪化していくだけだ。完全に、風邪を引いた。



「?あれ、顔赤い」

「風邪引いた…かも」

「どれどれ」



わたしと同じ目線になるように膝を付いたこいつは、額と額をぴったりと合わせてきて原始的方法で熱を測りだした。伏せられている睫毛が綺麗で、瞬きをする度に空を飛べる魔法の粉が降ってきそう。


あー、もう。



「熱いね、とりあえず寝よ?」

「んー…」

「んー?」

「…んー」

「あ、もしかして腹減った?」



閃いた!と言わんばかりに顔を煌めかせると、わたしの目蓋にちゅっとキスをして、台所へ小走りに向かっていった。怠かったのは昨日のせいじゃないんだ、と軋む関節が痛い。大きな角砂糖を一粒持っている蟻のように、よたつく足でなんとかベッドへ転がり入る。決して綺麗とは言えないこのベッドには思い出が沢山染み付いている。(ほぼベッドにしか思い出がないと言っても過言ではないのだけれども。)


爪先から登ってくる悪寒にたまらずシーツをぐしゃりと掴む。皺だらけのシーツは、わたし達の思い出のせいだ。わたしは薄手の毛布に抱き締められ、少しだけ罪悪感を感じながら、台所でカチャカチャと何かを作っているであろう音を聞きながら眠りについた。



.




「ゆう、起きて」

「んー……ん、」

「ほら、これ食べて」



身体を揺さぶられ現実世界へ引き戻された、わたし。テーブルには小さな土鍋とお盆。土鍋に付いてる小さな穴からは、絶え間なく熱そうな湯気が出ている。わたしが起きたと確認したこいつは背中を支えながら起こしてくれて。どんぶりにお粥を器用によそっていく、わたしの大嫌いなネギと生姜がたっぷり入ったお粥を。



「……嫌い」

「ネギと生姜でしょ?知ってる」

「なら作らないでよ」

「嫌いなものも好きにならなきゃ」

「そんなのやだ」

「じゃあ、好きなものを嫌いになる?」

「それもやだ」

「ゆうは我儘だなあ」



フッと笑ったこいつはレンゲをわたしに近付けてくる。フーフーと息を吹きかけて、少し冷ましたお粥をわたしに近付けてくる。全体的にあっさりしているのに、ピリリとした辛さがどうも好きになれない。わたしが飲み込む度に断る暇もなく差し出してくるレンゲは、まるでわんこそばみたいだ。はぐはぐとお粥を食べさせられていると、あっという間に土鍋の中は空になった。わたしの大嫌いなもののおかげか、身体が芯から熱くなってくる。汗がじんわりと滲み出てくる。ぽわぽわした気分のわたしは、ほんとうに、空を飛べる魔法の粉がかかったみたい。



「ゆう、」

「ん…?」

「嫌いなものを好きにならなきゃいけないように、いつか、好きなものも嫌いにならなきゃいけないんじゃないかなあ」

「?どういうこと…?」

「昨日好きだったものでも、今日もしかしたら嫌いになってる可能性だって、あるっしょ?」

「わたしは、そんなのない…」

「もっかい聞くけどさ、ゆうはおれのことどう思ってる?」

「そ、んなの……」

「…ゆうは好きな人がほしいの?好きになってくれる人がほしいの?」



分からないよ、柊、わたしね、怖いの。好きと言ったら、柊はどこかに行っちゃいそうで。違う人のところに、行っちゃいそうで。でもね、ほんとうはね、わたし柊が好きだよ。好きなの。ねぇ、大好きよ。わたしね、ねこは嫌いなの、でもね、ねぇ、柊、大好き、大好き大好き大好き。


あきれたこいにあきれたわたし。


わたし、なんでだろう。柊を一目見た時から切なさが止まらないの。それから柊を見る度に、悲しくて、哀しくて。でも、ねぇ、ほんとうに、だいすきなの。でも、ねぇ、わたし、臆病者、なの。



「ゆう、甘いもの食べたくない?」

「いらない…っ」

「桃の缶詰。好きだよね?」

「ん、うん…うん、っ」

「じゃあおれ、買ってくるわ」



止まらない嗚咽に止まらない悪寒。さっき食べたお粥が今にも出てきそうで。わたしの目蓋にちゅっとキスをした柊は枕を抱えて立ち上がった。



「桃の缶詰、買うのにオルゴールって、必要なの…?」

「うん。」

「やだ、待って…待って、やだっ」

「ゆう。おれが言ってほしかったのは惨めな女が言うような、そんな可哀想な言葉じゃないんだよ」



大きな背中に縋り付くわたし。わたしを引き摺る柊。わたしを押し返す柊。冷たい床にしゃがみ込むわたし。無情にもバタンと閉められたドア。玄関にはもう誰もいなくて。最後には尻尾を振りもしなかった柊のガランとした寂し気な背中だけが、目に焼き付いて離れなかった。



.




わたしは、とことん、飼い主には、向いていない。





やっぱり、わたしは、ねこの、せっしかたが、わからないのだ。







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