3、魔術、その真
よろしくお願いします。
「それではまず、魔術の大前提且つ初心者がつまずくポイントからお伝えします」
城原の魔術の先生となったメイドさんの話を聞く…その前に、城原には知っておかねばならないことがある。
「先生、質問なんですけど」
「はい、何でもどうぞ」
「…今更になるけど、名前だけ教えてくれない?」
そう、城原の中で彼女には「メイドさん」という、地位に基づいた仮称しか与えていなかった。これからもお世話になるしかないであろう人が持つ名前は把握しておく必要がある。
だが、メイドさんの気分には今一度暗雲が立ち込めてしまったようだ。
「…やっぱり、セリアース様が私の名前を覚えていらっしゃらない、という事実は堪えますね…」
「ごめん。でも…」
「そうですね。ここでお教えしないと、もう私の名前は呼んでもらえない」
本名不詳のメイドさんは立ち上がり、
「私の名はレイシア。サーズド家…その中でも特にセリアース様にお仕えし、身の回りのお世話をさせていただいております」
名前を教えてくれたことは勿論、仕事内容というオプションも付け加えてくれたのは、少しでも情報が欲しい城原にとって有難かった。
向こうが自己紹介してきたからにはこちらもお返しをすべき…と考えたところで、セリアースについては自分よりこのメイドさんーーレイシアの方が理解しているだろう。
「そっか。宜しく、レイシア」
それ故返答も淡白なものになったが、
「…はい!」
ただそれだけで、レイシアは笑ってくれた。ならば他に何を言わずともいいだろう。
「えー、それでそもそも魔術というのは…」
(う。この話は脇に置きっぱなしにして忘れてくれたらよかったのに)
城原は内心歯噛みする。
彼女と会話を重ねるごとに、その所作や口振りの端々から滲み出る華凜さ…推し語り状態は考慮しないものとする…に引き付けられていく気がした。そしてそれは、年若さゆえの純粋さがあってこそ…というのが、対人関係初心者である城原玲樹の分析である。
だからこそ、そんな彼女から得体の知れない力について教わるというのには抵抗があるし、そんな大嘘を教え込んできっと多額の金子を得たセリアースはクソ人間だと思う。
でも、レイシアの話に耳を傾けることは、今やとびきりの情報弱者である城原にとって何より価値のあることだ。その題材は何だっていい。
(それに、俺は何よりの怪奇現象を身を以て体験したんだからな。ちょっとやそっとで驚くもんか)
そう。彼がこんな状況に置かれているのも、「他人へ意識だけが憑依する」という、これまでの城原の常識では捌き切れない現象のせいだ。何もない空間から突如炎が吹き上がったり、ごちゃごちゃした魔方陣から真っ黒いオーラに包まれた使い魔が召喚されたりしても今更驚かない…かもしれない。
(いや待てよ? そもそもこの憑依だって、その魔術によって実行されたのかもしれん。というか、そういった異能の力を持ち出さないと、この現象には説明がつかない)
だとしたら、益々レイシアのレクチャーを無下に扱うわけにはいかない。そこには帰還へのヒントが隠されているかもしれないからだ。
そう思うと、すこーしだけ真剣に話を聞くこともやぶさかではないような気がしないこともない城原であった。
だが、彼のそんな状態は、すぐに終わりを迎えることになる。
「魔術について理解してもらうためには、先程の創世神話を思い起こしてもらう必要があります」
「あ、あれかぁ…」
インパクトだけが残って、神話の中身は城原の頭からほとんど抜け落ちていた。
「そこに登場した《源泉》について、覚えていらっしゃいますか?」
記憶のピースを拾い集め、それを繋げて物語を再構築。
「…あっ、そうだ。デズニアが「新たなる天地」…今俺たちがいる「人界」に残した《権能》が込められた岩だったけ」
「そうです。その存在意義は、《権能》を人々に分け与えること。
そして、その《権能》を引き出して利用する手段こそが魔術なのです。
魔術師が《源泉》に魔術の行使を要請し、《源泉》は《権能》を用いて魔力を精製する。そしてそれを魔術師が様々な形で出力する…という一連の流れを経て、初めて魔術が完成するのです!」
レイシアの力の込め具合(セリアースの長所を語っていた時と比べれば大したことはないが)から見て、この理屈が魔術の肝になるということは城原にもなんとなくわかった。
だが、それも別にどうでもよかった。
彼が一瞬だけ持ったごく僅かな魔術への熱は、完全に冷め切ったからである。
(…いや、あのわけワカメな神話が関わってくるとか絶対嘘じゃん。
信じた俺がバカだったよ。そもそも魔術なんてこの世界に有り得るわけがない。
俺の憑依は…人類存続のための生体実験と見るべきだろうな。被検体として数年間まともに外出したことがない人間を選ぶのはどうかと思うけど。偉い人の考えはよくわからん)
彼の関心は再び魔術から離れた。以下は、彼が最初の「なんとなく聞いてみる」というスタンスに回帰してからの講義である。
「先程の出力過程について詳細をお伝えします。
まずは、魔術師が詠唱によって魔力の下賜を《源泉》に要請します。
ここで大事になってくるのが「魔導核」と呼ばれる、いわば魔術師にとっての心臓ですね。
魔術師の体内にあるそれを通して、この世界のどこにあるかわからない《源泉》と通じ合う…それができるもの、つまり先天的に魔導核を持ち合わせている人のみが魔術師となれるのです」
(ふーん、つまりその魔導核を使って《源泉》にお願いすれば、《源泉》から送られてくる魔力というリソースを基に魔術を使える、と。
俺が知り得る作品とかでは、自分で生み出せる魔力が大きいヤツが強い!みたいな世界観が多かったから、ここでの魔術は随分と他力本願なんだな)
「で、さっき君が言っていた「素養がない」っていうのは、魔導核を持ち合わせてないっていうことか」
「はい、一方でセリアース様は産まれつきとても強い魔導核をお持ちなので、魔術師として非常に優れていらっしゃいます」
「え、魔導核に優劣があるの?」
「はい。一度《源泉》を通してから発動される関係上、魔術の詠唱完了から発動まではどうしても時間差ができます。
それがより少ないほど、その魔導核は「強い」と定義されるのです」
(成程。魔導核はアンテナみたいなもので、その質がいいほど送受信にかかる時間が減り、早く魔術を発動できるんだな)
「ですが、魔術師としての格を決める要素はまだあります。
同じだけ魔力を下賜された術者二人が同じ魔術を放っても、その威力には差異ができます。
与えられた魔力は、様々な形をとって術者の下から出力されます。そして「どれだけ効率的に魔術を実際の力に変換できるか」も、魔術師にとっては魔導核と同じくらい重要なのです」
(…つまり、魔力のエネルギー変換効率の良し悪しでも、魔術師としての優秀さが決まるってことか。
魔術発動までの速さを決めるのが魔導核の質、魔術の強さを決めるのが魔力変換効率なんだな)
「で、その効率は才能依存なの?」
「基本的には、多くの鍛錬を積んでいくほど磨かれていく能力ですから、熟練の老魔術師ほど変換の際の無駄が少ない例が多いですね。
ただ、才能に恵まれ、子供のうちから歴戦の魔術師を凌駕する威力を出す方もいらっしゃいます。セリアース様とかセリアース様とかセリアース様とか」
(へー、やるじゃんセリアース。まあ自分の作り話の中で自分を最強にするっていうのはいかにも引きこもり的発想だけど)
与太話だとわかってはいても、滑らかな理解のために、自分の中でもう一度噛み砕いて整理してみたりする城原。本来こんなことに興じる余裕はないはずなのだが、今は他に行ける場所も聞ける話もないので仕方がない。
「…基礎はこのくらいですかね。これ以上は専門的で複雑になってきます。
記憶を失われる前のセリアース様は、そこを私にもわかるよう上手に説明してくださいましたが、私がセリアース様に教えるとなるとそうはいきませんから…」
(ふぅ、やっと終わったよ… ここからは俺のターン、根掘り深掘り聞き出してやるから覚悟しろ…)
だが、城原が固めた決意を上から塗りつぶすように、
「それでは、今度は実演のお時間。
セリアース様御自らで魔術を発動していただき、確かな神秘の存在とご自身の才を感じ取っていただこうのコーナーです!」
レイシアの司会・進行の下、魔術体験キャンペーンが開催された。
「いや、理屈は分かったけどさ。
それだけじゃまだ魔術とか使えないでしょ」
(まだどころか一生使えないけど)
城原のやる気だけの問題ではない。実際の手順を踏めなければ発動は不可能だろうと思われる。
「いえ、ステップは簡単です。ただ呪文を読み上げるだけでいいのですから」
「そういえば言ってたね。詠唱で魔力の下賜を申請するとかなんとか。
で、俺は何て言えば?」
「そうですね…室内で使ってもよく、周囲に危険を撒き散らさないものですと…」
しばらく考え込んでいたレイシアは、やがて結論を導き出した。
「風魔術の初級、《嵐の芽吹き》にしてみましょうか。
その詠唱は…」
城原が言祝ぐべき文が伝えられ、
彼の魔術に対するモチベーションは、遂に最底辺へと達することになる。
全てを聞いた城原…セリアースの顔からは軽く血の気が失せていた。
「え? それを言うの? 今から? 俺が?」
「は、はい。何かおかしいところがありましたか?」
「いや、呪文自体に間違いがあっても今の俺は知り得ないんだけど…」
(セリアースがいくつかは知らんが、そもそもの俺…城原玲樹は齢三十だぜ。その年齢にして職を持たない時点で抱えきれない恥を持ってるのに、更にこの年になってこんなことを言っている…恥の上塗りもいいところだ)
「なんかこう、もっと初心者向けのライトな呪文とかないかな?」
「? 攻撃的な要素が少ない風魔術の中では、初心者にこれが最初に教えられるのですが…」
「…いやでも、それをこのまま口にしてしまえば体中から沸き上がった熱を排出しきれずにオーバーヒートを起こしそうなんだよね…」
(チッ、バカセリアースが! なんでこんなふざけた呪文を使わなきゃいけない設定にしたんだよ! そういうお年頃だったのか⁉)
まだ見ぬ(顔はもう見たが)魔術ペテン師セリアースへの呪詛が止まらない城原。だが、そこに救いの手が伸びる。
「…あ、そういえば。
セリアース様は以前に、ご自身に「思念詠唱」…口にせずとも、心の中で呪文を思い浮かべるだけで魔術を発現させるという秘術をかけられていました。
なので、心の中で念じるだけで簡単な魔術なら発動できますね。でも何故口で詠唱したくないのでしょう…」
「マ、マジ⁉ マジだよね⁉ …よかった」
(よくやったセリアース! 後々恥ずかしくなってくることを見越してこんな抜け道を作っておくとは! お前は設定考案者としても優秀だ!)
一転、セリアースを褒めちぎる城原。
「あの…そろそろ魔術の方を…」
「あ、そうだ。じゃあ今からね」
脚を肩幅に広げて立ち、それっぽい雰囲気を出すために目を閉じて片腕を前に出す。
(俺がいくら強く念じたところで、風の魔術とやらが発動することはない。その現実を突き付けられたレイシアは、どんな反応をするんだろうな)
魔術という神秘の存在を信じて疑わなかった人間が、その象徴から現実を突き付けられることによるショック。
慕ってきた主人が記憶喪失だと知った衝撃とそれを天秤に掛けたら、どちらに傾くのだろうか。いや、今の彼女にはそれが同時にのしかかるのでどちらが重いかなど関係ないのかもしれない。
(うん、心は痛むが俺にはどうしようもない。サクッと念じて終わらせて、レイシアに謝り倒すか…
…ていうか、この呪文を口にするのが恥ずかしくないって中々だな…恥じらいを感じにくいタイプなのか? …よし。心の中にメモしておこう。どこかで使えるかもしれん)
既に魔術など眼中になく、邪な考察に身を置く城原。しかし、手取り足取り教えてくれたレイシアに悪いからと、一応念じることは放棄しない。
これから2度目の落胆を迎えることになる少女から教わった言葉を、緩いスタンスで、しかし強く思い浮かべてみる。
《我を地の理から解き放ち、邪悪の手が届かぬ高みへ上らせ給えーー》
そして。
頭の片隅で何かが弾けるような感覚を合図にして、明らかな異変が城原の中で巻き起こった。
血液が全て熱湯にすり替わったような熱さが全身に染み渡る。
かと思えば、次の瞬間には冬の荒海に投げ込まれたかのような凍えに切り替わり、
最後に、体が浮遊感に包み込まれた。
それは下から見えない手に持ち上げるような感覚。間違いなく、体が宙に浮いている。
だが、それはほんの一瞬で。
城原が感じた一連の感覚の〆は、天井で頭を打ちそこからノンクッションで床に激突した二重の痛みだった。
「よ、よかった…」
地面に打ち付けられ、身じろぎ一つしない主人の惨状を前にして、メイドが抱いた感情は安堵だった。
「引きこもられてからのセリアース様が魔術を使われているお姿をお見受けしたことがなかったので、ブランクから失敗が起こってしまうのではないかと心配したのですが…流石セリアース様の変換能力、私の想定を遥かに超える高出力でした!」
城原からの反応はない。
頭への強い衝撃で、彼は気を失っていた
わけではなく。
彼の身体の全ての意識は、先程体内を渦巻いた感覚と、それを味わうことで発現した現象…風魔術に対する驚愕に縛られていた。
「なんだ、あれ」
己の身体が浮き上がり、天井に激突したということだけならまだいい。下から猛烈な風を当てるなり何なりすれば、引きこもりの身体くらい吹き飛ばすことだってできるかもしれない。
だが、これは違う。何かが決定的に違う。
それを裏付けるのが、あの熱と凍えだった。
「熱い」「寒い」という感情の実像は「痛い」なのだと城原も聞いたことがある。そして、痛みを感じるスポットである痛点は皮膚上にあることも朧気ながら知っていた。
だが、違う。それらはその皮膚に覆われた体の内側、臓器や血管といった迷宮を構成する部位から巻き起こったものだ。
そう、体が中から熱を持つなどおかしいのだ。
だが、今の城原が感じる不快感といえば、急激な温度変化による背筋の震えくらいである。体調不良の兆しとも思えないし、熱と寒さが刹那の間に交互に襲い掛かるなど、どんな大病の初期症状としてもあり得ないだろう。
「これまでの自分の常識で説明できない事象」を、何と名付けてやればいいのか。
それを、その代弁者であるレイシアの言葉から探せば、
導かれた単語は、
「これが…神秘?」
「ほーら、言ったでしょう。神秘は魔術という形をとって確かに存在し、セリアース様にはそれと接続する権利があります。それを自信に持って頂ければ、もう引きこもりに甘んじる必要は…」
言葉が、耳も脳も通過していく。まだ目の前の驚愕にしか照準がいかない。
城原はこれまで、巷で噂されるような幽霊さえ見たことがない。そんな男が、初めて神秘に触れ、その力を借りて世界をほんの少し動かした。
(どういう…どういう嘘から出た実だ? 小市民…いや引きこもりだから一般市民の皆様と肩を並べるのさえ図々しいし、セリアースは皇族だか何だからしいけど…である俺が、こんな力を…どんな間違いだよ…)
そこで、可能性に気が付いた。
自分が変わったのではなく、世界が変わったのだとしたら?
目を向けたり背けたりを繰り返してきた神話と、今度こそ真剣に対峙すべき時が来た。
神々の争い。使命を持った一柱の神と、その心変わり。そして、今やどこぞを彷徨っているかわからず、消え去った可能性もある彼の魂。
そして、そこに連なる英雄譚。分裂した第二の天国、そこから生まれた、城原が一度も聞いたことがない名を讃える三つの国。民主化が進む現代において、どんな後進国でも存在しない「皇帝」の位。
それらを全て事実として呑み込むために、最適な舞台はどこだろう?
かつては神の手に抱かれて繁栄し、今では魔術という神秘が蔓延る地。そういった世界を、城原の語彙で表現しようとするならば、
(ここは、異世界で、俺はセリアースとして転生した)
彼は、そう定義づけた。
やっと主人公が転生した事実に気付きましたね。
異世界転生あるある「転生したら即異世界だとわかる」に対するアンチテーゼ…というわけではないですが、ずっと舞台が城内で、「城がある、ならここは異世界だ!」は不自然すぎるかな、って感じです。
お読みいただきありがとうございました。