1ボーグ 誰にも負けない強靭なボディをプレゼントするよ
「サノウ、待ってー!」
「っ! チハ」
任務に向かうため、朝の喧騒渦巻く街中を一人歩いていると、後ろからチハが金糸のように煌めく髪をなびかせながら駆け寄ってきた。
「どうしたんだよそんな慌てて」
「だって今日、魔獣の討伐任務でフェジ樹海に行くって言ってたじゃない」
「あ、うん、そうだけど」
「私、心配で心配で……」
「チハ……」
チハは自分の胸に縋るように手を当て、翡翠色の瞳を潤ませた。
「本当は私も一緒に行きたかったんだけど、今日は巡回の担当だったから……」
恨めしそうに眉間に皺を寄せるチハ。
やれやれ、本当に心配性だなチハは。
「まあ、お互い仕事なんだからしょうがないよ。それに今日の相棒はザザキだからさ。きっと俺なんかが出る幕はないって」
……そう、俺と違って、ザザキは天才だから。
「でも、万が一ってこともあるじゃない? だからこれ」
「ん?」
チハはおもむろに、俺の首に何かをかけてきた。
見れば、それは年季の入ったペンダントだった。
こ、これは――!
「チハ、これって――」
「うん、私のお父さんとお母さんの形見。きっとこれが、サノウを守ってくれるから」
「チハ……」
俺もチハも幼い頃に両親を亡くし、同じ孤児院で兄妹同然に育った。
チハは両親のたった一つの形見であるこのペンダントを、肌身離さず持っていたのに……。
「いや、こんな大事なもの受け取れないよ!」
「ふふ、別にあげるなんて言ってないでしょ。ちょっと貸してあげるだけ。その代わり、絶対返してよね!」
「――!」
俺の鼻先にピッと指を向けながら、意地悪な笑みを浮かべるチハ。
やれやれ、確かにこれで、無事に帰ってこなきゃいけない理由が増えたな。
「――ありがとう、チハ。必ず返すよ」
「……うん、待ってる」
複雑な表情で見送ってくれるチハに後ろ髪を引かれながらも、俺はザザキとの待ち合わせ場所へと向かった。
「悪い、ザザキ! 待たせたな」
「いや、構わないよ。――ははーん、さてはチハさんと朝からイチャイチャしてたな?」
目ざとく俺が首に下げているペンダントに気付いたザザキが揶揄ってくる。
「い、いや、別にイチャイチャはしてないよ……。俺とチハは、兄妹みたいなものだし」
「ハハ、まあそういうことにしとくよ。じゃあ、行くか」
「ああ」
俺とザザキは馬に乗り、南西にあるフェジ樹海へと向かった。
最近フェジ樹海で、アッシュウルフという狼型の魔獣が多数目撃されたという報告が入ったのだ。
アッシュウルフは獰猛な魔獣で、毎年何人もの旅人がアッシュウルフに襲われて命を落としている。
被害が出る前にアッシュウルフの群れを駆除するのが、今日の俺たちの任務というわけだ。
「ハァ……ハァ……」
「大丈夫かサノウ? 怪我はないか?」
「あ、ああ、かすり傷程度だよ」
辺り一面に広がる、夥しい数のアッシュウルフの死骸の中心で、俺は乱れた呼吸を整えるため深く息を吐いた。
俺はたった4匹倒しただけで満身創痍なのに、一人で30匹以上倒したザザキは息一つ乱れていない。
……やはりこいつは天才だ。
魔法剣士になったのは俺やチハと同時期なのに、未だに下級魔法剣士な俺と違って、ザザキは既に中級魔法剣士。
将来は上級魔法剣士も確実と言われているくらいだ。
生まれつき魔力が極端に低く、低級魔法を魔剣に纏わせるのすら一苦労の俺とは器が違う……。
そのうえ超がつくくらいのイケメンときている。
あまりの生まれ持ったスペックの差に、神を呪わずにはいられない。
「よし、これで任務完了だな。暗くなる前に帰るか。樹海のヌシの餌にはなりたくないしな」
「……そうだな」
ザザキならヌシにすら勝てそうだけどな。
このフェジ樹海にはいろいろと曰くがあり、夜になると、樹海のヌシと呼ばれる伝説の魔獣が餌を求めて闊歩しているらしいのだ。
その証拠に、魔獣の死骸を放置しておいても、次の日になると綺麗に死骸は消えているという。
更に森の奥には魔女が住み着いているという噂まである。
なんにせよ早くここから出るに越したことはない。
「おっとそうだ、大事なことを忘れてたよ」
「え? なんだ、大事なこ――がッ!?」
刹那、俺の腹部に激痛が走った。
視線を落とすと、ザザキの握っている魔剣が、俺の腹に深々と突き刺さっていた――。
――なっ!!?
「ザ、ザザキ……、なん、で……」
「なんでじゃないんだよこのゴミクズがああああああああッ!!!!」
「――!!? がはッ!? ぐぁ!?」
鬼の形相に豹変したザザキが、何度も何度も俺の腹に魔剣を突き立てる。
「ザザ……キ……!?」
「なんではこっちの台詞なんだよおおおおおおおッ!!!! なんでお前みたいなゴミクズが、チハさんから好かれてるんだ、アァン!!?」
「チ……ハ……?」
好かれてる……?
俺が、チハに……?
ご、誤解だ……。
俺とチハは、ただ同じ環境で育ったってだけで……。
「チハさんにはお前みたいなゴミよりも、ボクみたいなエリートが相応しいんだよおおおおッ!!!」
「……!?」
まさかお前……、チハのこと……!?
「ガフッ……!」
俺は吐血しながら倒れ込んだ。
――視界が歪んで俺を見下ろす樹々が揺らめいている。
――身体が自分のものじゃないみたいに動かない。
――痛みも感じなくなってきた。
――むしろ五感全てが薄れていく。
――嗚呼、俺は、死ぬのか。
「運悪く樹海のヌシに遭遇してしまって、お前はヌシに殺されたってことにしとくよ。チハさんはボクが責任を持って幸せにするから、安心してくれ」
「……あ……が」
クソッ……!
お前みたいなやつに、チハを……!
「ああ、これは遺品として、ボクが預かっておこう」
「……!」
ザザキは俺の首から、チハから借りたペンダントを強引に引きちぎった。
「この血まみれのペンダントを見れば、嫌でも彼女はお前の死を受け入れるしかないだろう。――じゃあな。夜になれば、アッシュウルフの死骸ごと、ヌシが綺麗にお前のことも喰ってくれるさ」
「待……て……」
鼻歌交じりにペンダントを振り回しながら去っていくザザキ。
……クソッ!
クソッ! クソクソクソクソッ……!!
お前みたいなやつに、チハは指一本触れさせないぞ……!!
――誰か。
――誰か助けてくれ。
――神様。
――いや、悪魔でもいい。
俺にチハを、守る力をくれ――。
「フッ、これはこれは、掘り出し物を見付けてしまったな」
「――!」
――その時だった。
聞き覚えのない女性の声が、不意に降ってきた。
視界がぼやけてハッキリとは見えないが、どうやら女性らしきシルエットが俺を見下ろしている。
だ、誰だ……!?
こんな物騒な場所に、女性が一人で……!?
「私は世間からは魔女と呼ばれている者さ」
ま、魔女……!?
この人が、あの噂の……!?
「フッ、どうかな、君がその身体と魂を全て私に捧げてくれるというなら、それと引き換えに、君に誰にも負けない強靭なボディをプレゼントするよ」
「……!」
強靭な、ボディ……!
……フ、フフフ。
まさか本当に悪魔に魂を売ることになるとはな。
……いや、悪魔ではなく、魔女、か。
「……ああ、全部あんたに……やるよ……。だから、俺を――」
「フッ、交渉成立だな。――では暫し休みたまえ。君が目を覚ました時には、全て終わっているさ」
……そうか、じゃああとは頼んだぜ、魔女さん。
――目を閉じると、俺の意識は深い闇の底に沈んでいった。