たぬき、転生する
「ポチー!ご飯よー!ポチー!」
《はーい!今行きまーす!》
オレは大好物の木の実を探すのを止め、泥だらけになった鼻先を上げると、草原の真ん中、小川のすぐ側にぽつんと…というにはあまりにも大きな大きな家へと急いでかけて行った。
ポチ。これが俺の「この世界」での名前。
今おれのお昼ご飯を用意してくれた、この美少女がオレを拾った時に付けてくれた、自慢の名前だ。
俺の声が彼女に聞こえることはこれまでもこれからもずっとないだろうけれど、俺たちはちゃんと通じあっていると確信している。
「また泥だらけじゃないのー!また木の実を探していたのね?今朝もあんなに食べたじゃない!今日はお風呂に入ろうね♪」
クスクスところがるように笑いながら、細いしなやかな手でオレをひょいと持ち上げ、良く似合う若草色のドレスが汚れる事も厭わないで、優しくの胸元に抱き寄せてくれる。
軽くウェーブのかかった茶色い髪が鼻にかかってくすぐったい。
《ごめんよオリビア…けどおれお風呂大好きだ!尻尾も振っちゃうぜ!》
「あなたは犬なのに本当にお風呂が大好きね!しっかり洗ってあげるからね」
《やったね!だけどおれ…犬じゃなくてたぶんたぬきだからね》
「この世界」にたぬきはいない。
いや、いるのかもしれないけれど、出会った誰もが俺の事を「犬」と認識しているようなので、少なくともこの辺の地域には居ないんだろう。
元いた世界でも英語名はラクーンドッグだしイヌ科だから、あながち間違いでもないのかもしれないけど。
「はいどうぞ!今日のごはんはあなたの大好きなお魚ときのこよ!」
《やったー!》
目の前にコトっと置かれたお皿には、金色の縁どりと細やかな花柄の装飾があしらわれている。犬用のお皿にしては豪華すぎるきもするけど…すっかり俺専用のお皿になってしまった。
そこに乗せられた魚は丁寧に骨取りがしてあり、副菜も美しく盛り付けられている。
フランス料理のちょっとした逸品のようだ。
犬用の味付けなので、めちゃくちゃ薄味だが炭火で焼かれた新鮮な魚はとても美味い!
食事ひとつとってもおれには勿体ないものばかりだ!
《いただきまーーーす!!》
「ふふっ…のどに詰まっちゃうわよ」
オリビアはうっすら微笑みを浮かべながら、ハグハグと勢いよく食事を頬張るオレを優しい瞳で見つめてくれる。
食事も寝床も超一流
朝は天使のように優しい美少女の抱っこで起こされ、山や野原を駆け回って遊び、疲れたらふかふかの毛布の上で自然に目が覚めるまで眠ればいい。
幸せだ…。
この間までブラック企業に勤める30歳のオッサンだったのにな。
栄養状態が悪かったせいなのか、この世界で生まれてからオリビアに拾われるまでの記憶はあまりない。
オレは森の湖のほとりで衰弱しているところをたまたま通りかかったオリビアに拾われた。
意識が朦朧とする中で突然、前の世界のことを思い出したんだ。
走馬灯でたぬきとしての生を振り返るには、あまりに短期間しかこの世界で過ごしていなかったからかな。
おれはニホンのありふれたブラック企業に務める、天涯孤独の30代のオッサンだった。
その時も過労が祟ったのか、自宅で眠りについた時にひっそり息絶えてしまった。
前の世界では親に虐待され、いじめやパワハラで人を信じられずに生きてきたけれど…この世界では違う。
おれに無償の愛を与えてくれる人がいる。
そんなこんなで
オリビアに拾われてから1ヶ月はたった。
大きな家や高価そうな食器に素晴らしい食事からもわかるように、この子はどうやら結構なお金持ちのようだ。
みんなの会話の内容から、彼女は普段都会に住んでいて、夏の暑いこの時期にだけ、避暑地にあるこの別荘へ来ているらしい……ということはわかっていた。
いわゆる貴族なのか豪商なのか…そこら辺ははっきりしないが、この別荘には小さなたぬきの体では把握しきれない数の部屋があるような広さだし、数は控えめではあるけれど、装飾品や家具はどれもこれも高級感がある。
それに15,6歳くらいの彼女1人に対して侍女やシェフ、護衛が少なくとも15人以上はついているようだ。
今日はオリビアに連れられて、ここからそれほど遠くない街へ、馬車に揺られて遊びに行くことになっている。
道中はオリビアの膝の上でただのんびりと過ごしていた。
「街にはたくさん人がいるから、ポチはびっくりしちゃうかもね」
オリビアはオレをヒザに座らせて、前足の肉球をフニフニしながら話しかけてくる。
《一応都会っ子だから人の多さには慣れてるよ!》
そんな会話(?)をしていると20分ほどで街に着いた。
オリビアに抱き抱えられたまま辺りを見回すと、なるほど人が沢山いる。
この世界に来て、街と言えるほどの規模の都市を見るのは初めてだ。
中世ヨーロッパ風の建物の並ぶ街並みは、前世で海外旅行の経験がなかったおれにはとても新鮮で興味深い。
お店の看板を見るにどうやら観光地にあるショッピング街といったところのようだ。
元の世界で喩えるなら、沖縄の国際通りのような場所だろうか。
中学生の頃の修学旅行では、こういう所でよくわからない勾玉のネックレスとかを買ったっけ……。
「アルフレッド、お願いしていたお店に案内して貰えるかしら…」
「はいお嬢様。こちらへ」
どうやらオリビアは事前に買うものを予約していたようだ。
アレコレ見ながらお土産を考えるのも旅行の醍醐味だと思うんだけどな。
アルフレッドさんは死んだ時の俺くらいの年齢だろうか。けれど俺よりずっとしっかりしていて、オリビアからは全面的に信頼されているようだ。恐らく執事とかそんな感じの人なんだと思う。
オールバックでアンティークっぽいモノクルをかけた、真面目っぽいイケメンだ。あととっても姿勢がいい!
案内された先には、さっきのお土産屋さんのような店の並ぶ通りとは違い、少し人の通りの落ち着いた、しかし高級そうなお店が並んでいて、その中の一際趣のある石造りの立派な店のへ向かった。
単に古いというよりは歴史を感じられる味わい深さがある。
一体なんの店だろうか。
少なくとも勾玉のキーホルダーは売っていなさそうだ。
オリビアに抱き抱えられたままアルフレッドさんに続いて入ると、今まで見たことも無いような数の煌びやかな宝飾品が、曇りひとつなくピカピカに磨かれたショーケースに所狭しと並べられていた。
色々なデザインの物があるが、どれもこれも金ピカ…どうやらここは金細工をメインに扱うお店のようだ。
比較的若い店員の1人に案内され、店の奥の応接室でしばらく待っていると店主だろうか、小綺麗な格好をした、口ひげが特徴的な初老のおっちゃんが入ってきた。
「いらっしゃいませお嬢様。店主のカストと申します。ご依頼のものですが、いいのが出来ていますよ……と、おやその…小さなお客様は……目の周りが特徴的な……」
"小さなお客様"というのは俺のことだろう。
おっさんは品定めをするかのように、じぃっとりと俺に視線を向けてくる。
なんだろう……お風呂にはちゃんと入れてもらってるけどにおうかな……。
「カストさんお久しぶりです。最近新しく家族になったのよ!
雑種だと思うんだけれど…名前はポチというの。」
オリビアが俺の事を紹介しながら頭をふわっと撫でてくれる。
「ふむ…犬……ですか。
とても大事にされていらっしゃるのですね。お客様にそのように大切にされて、きっと世界一幸せな犬でしょうね。」
もしかしておっちゃんはたぬきを知っているのか…?少し間があったのが気になったが、おっちゃんの言う通りオレは世界一の幸せ者だ!
「さて、ご注文のものはこちらに用意しております。
大事な御家族が迷子にならないよう、居場所探知の魔法を首輪に。それとあまり汚れないようにプロテクトの魔法を応用したものを鑑札に付与しています。」
そう言っておっちゃんが出てきたのは金の鑑札付きの赤い革の…ブレスレット?
オリビアの腕に付けるは少し大きいかな。
それにしてもサラっと「魔法」という単語が出てきたが、ここはそういう世界なのか!
この世界で暮らし始めて2週間にもなるが初めて知った事実だ。
オリビア達が魔法を使っているのを見たことがないので、みんながみんな使えるわけではないのだろう。
「素晴らしい出来ね!期待通りだわ!ありがとう!」
オリビアが目を輝かせながら早速注文の品を手にとり、おれの首にやさしく装着する。
これは…オレのために用意してくれたのか…
「やっぱり赤が似合うと思ったの!とってもステキよ!ポチ!魔法もね、あなたがどこにいても見つけてあげられるように…あとお風呂がいくら好きと言っても汚れすぎないようにね♪」
ふふっと笑ってまた頭を撫でてくれる。
オリビアが向けてくれた鏡を覗き込むと、確かに茶色い毛皮に鮮やかな赤色がよく映えている。
こんな素敵な首輪に、さらに俺のことを考えた魔法まで…!
俺のご主人は世界一のご主人だ。
命を救ってくれただけでなく、こんなに俺の事を考えてくれるなんて…一生をかけてきっと彼女に恩返ししてみせる!
店を出たあとはオリビアの家族へいくつか土産を見繕った。そろそろ都会にある本邸に帰る時期なのだそうだ。
オリビアの腕の中はとても気持ちが良くて、別荘へ帰る馬車の中でいつの間にかすやすやと眠ってしまった。
この先の人生…いやたぬ生はオリビアと共に幸せで居続けられるとそう信じきっていた。
今夜悲しい別れが訪れるとも知らずに。