二人の死
「佐藤さん、どう思います?」
幼さの残る童顔。真剣な眼差しで、まだ新米刑事である菅原が、そう問い掛けてくる。
「どうって……おまえなあ。そりゃマンガかアニメの見過ぎだろ」
佐藤は振り返りもせず、しかも呆れ口調を隠さずして言い放った。
(オタク世代め)
菅原は二十四歳。
バディとしてこの若者を無理矢理、押しつけられたことに対して、佐藤は大いに不服の気持ちがあった。
まだ若いから、夢見がちなのは仕方がないとして……。
(だがよ。勘弁してくれ、このお坊ちゃんはよ)
心底、辟易。
その原因は、菅原の白手袋をした両手に乗っている一冊の日記。
確かにこの事件の重要な糸口になる可能性も否定できない。
が。
菅原から聞いた日記の概要。その内容からいっても、捜査の役に立つとは到底、思えない。
「メドゥーサだと? そんな支離滅裂な作り話を、おまえさんは信じるんかい? 俺はなあ菅原、おまえには悪いとは思うが、正直お前とのバディ関係を一刻も早く解消したい」
盛大な溜め息をつきながら、佐藤は床に横たわっている二つの遺体に両手を合わせて合掌した。
「じゃあ、佐藤さんはこの日記に関して、事件とは無関係だ、という見解ですか?」
小馬鹿にされたのが悔しかったのか、不服そうに顔を歪ませながら、菅原は日記を荒々しくバシッと閉じた。
(「見解」、ときたかあ)
失笑する。
バディを組まされたのは、この春のことだった。
定年間近のこの歳まで、相方を上手に操縦する術を一切身につけずに、職務を全うしてきた佐藤は、誰から見てもその任には不適格者だ。
自分は孤高の刑事のつもりでやってきたし、それなりの釣果も上げてきたという誇りと自信もある。
が、佐藤はそのことを理由に、この人事についての不満を上に猛抗議することでぶつけたが、ついぞ覆らなかったのだ。
定年前にその捜査技術を若手に託してほしいの一点張り。何度も懇願され、最後には命令で一蹴だ。
正直。
面倒くせえなあと、心で舌打ちをすること数百回。
「そんでお前の「見解」とやらは、自分の髪の毛に首絞められて死んだってか?」
おどけて言うと、菅原の眉がさらに上がった。菅原が不服を言おうとしたのをわざと遮るように、佐藤が言葉を続けた。
「まあ確かに? 髪の毛が首に絡まっているようには見えるがなあ。しかも、死因は二つとも絞殺ときてら」
遺体の側に座り込む。持っていたペン先で、遺体の喉に絡みついている髪を、すいっとすくってみせる。
「だがな……その日記な。おまえが最後に読み上げたページ。も一回読んでみろ」
菅原が、閉じていた日記を、渋々開く。
「読んだかあ? 髪を伸ばすことを止めた、とあっただろう。けれど、奴さんの髪型見てみろ? 髪の毛、長げえよな、これ。ロングだな? ちゃんと見えてるか?」
言葉に面倒くささが滲み出ているのを感じ取ったのか、菅原はさも憎らしそうに睨みつけてくる。
「まあね。この女性はロングですけど、ストレートですよね。もしかしたら、こっちの男の方の日記かも知れない。短いけど、この人なら少しクセがあるみたいだし。パーマかも知れませんけど『メドゥーサ』ってのに見えなくも、」
「こんな短髪で首なんか締めれるかよ。はいはい、もういいわ。ここが誰の部屋かは、追い追いわかってくるだろうよ。そしたら、その日記の持ち主ってのもそのうちわかるだろ。とにかく、このクソ忙しい時に、くだらねえことで手間かけさすんじゃねえよ」
おい、そこ触るんじゃねえぞ、吐き捨てるように言い放って、佐藤は部屋から出て行った。
憤慨気味の菅原がその後ろを追おうとして足を止め、リビングの本棚に手にしていた日記を戻す。
そして再度、そのリビングの真ん中に陣取って転がっている二つの遺体を見下ろし、合掌した。
捜査がそのまま順調に進み、この部屋の持ち主が、ここからそう遠くない公立大学の学生、高梨 深雪ということが分かった。
遺体の一つ、女性の方だ。
そして、もう一つの遺体は、彼女の恋人。春日根 陽生。
二人の付き合いは高校からと比較的長く続いており、はたから見れば仲の良いカップルで、喧嘩やDV、金銭面などのトラブルの情報は入ってこなかった。
ただ、逆に。
どれだけ聞き込みを進めていっても、二人のことを「良い人だった」と言い表す人に出会わない。
殺人事件の被害者ともなれば、同情がその本質を歪める場合もある。被害者の大多数の知人は、死んだ人の悪口を言うことはないからだ。この同情心に左右され、被害者の生前の姿はかなり装飾されることとなるのが常だ。
それなのに、と。佐藤はそこに引っかかっていた。
だが、ともに家族との関係も良好、お互いの実家にも時々行き来しており、このまま行けばいつかは結婚という関係で、調べは終始、特筆すべきことなく過ぎていく。
しかも、防犯カメラには犯人と思しき人物は、一人たりとも映ってはいない。
「なんだかなあ」
呟いてから、佐藤はウィンカーを左へと出しハンドルを大きく切った。
「……心中でしょうか?」
菅原の探るような声で現実へと引き戻され、ゲンナリとして頭を垂れる。
「おまえ馬鹿か。首を絞めた紐やらなにやらが見つかっていないんだぞ。他殺に決まってんじゃねえか」
「でも、犯行時刻前後には、防犯カメラには誰も映っていなかったわけじゃないですか」
「まあな」
「高梨 深雪は、腰まで髪を伸ばしていましたよね?」
「それで彼氏を殺って、それから自分の首絞めたって?」
「あり得るでしょう、だって、」
そこで直ぐにも佐藤がカットインする。
「心中する意味がねえだろうがよ。どっから見ても平々凡々カップルだってんだから。親に反対されてるわけじゃなし……おまえいい加減、妄想するのやめてくれない? もうちっと真面目にやってくれ」
「妄想じゃなく、推理ですよ! 俺だって、ちゃんと真面目にやってますよ!」
お互いの、ここ数日の不満が蓄積されていく。
少し言い過ぎたと思ったのか、隣で大人しくなった菅原。それを睨みつけるような鋭い視線で、佐藤は見た。
菅原の横顔。唇は引き締められて、こめかみがピクピクと波打っている。
いや、大人しくなったわけではないらしい。怒りを我慢しているのが見て取れた。
(くそムカつく顔だな、おい)
佐藤は、古めかしく重厚な建物の門の前に着くと、ハザードを出して車を寄せた。
「おい、こっから入っていいのか? おまえの母校なんだろ?」
「そうです」
菅原が生返事を投げる。
佐藤はちっと舌打ちをしながら、門の中へと車を進めた。守衛が気だるそうに出てきて、まだ開けてはいない窓を、覗き込むような仕草をした。
その動作に応えて、佐藤が窓を下げる。
「ご用件は?」
なんとも無愛想だと思う。無愛想には無愛想だと決めつけ、胸のポケットから警察手帳を出して、「県警です」とだけ言う。
すると、守衛は指をさして、「駐車場に停めて、あそこの入り口から入ってください。二階の奥に職員室がありますので」と言って、守衛小屋へさっさと入っていってしまった。
「クソだな」
口癖が出る。
守衛の言う通りに車を進めて校舎に入り、駐車した。入り口から入り階段を上がって廊下に差し掛かると、年配の女性がパタパタと奥から小走りしてくるのが見える。
「ご案内します。あ、私は事務局長の浅見と申します」
校長室の横にある会議室に通される。
すでにそこには校長が長ソファに座って待ち構えていた。警察手帳を見せると校長は立ち上がり、事務局長に向かって、お茶をと言う。
「どうぞお構いなく」
佐藤が手を上げて制すと、お互いに目配せしてから、事務局長は手持ち無沙汰な雰囲気で部屋から出ていった。
「どうぞお座りください」
促されて座る。菅原が、胸ポケットから手帳とペンを取り出すと、佐藤の横に座った。
どうやら校長の表情は硬い。
「守衛さんが駐在なんて、さすが私立ですね」
挨拶も兼ねて、佐藤が他愛のない話から切り出した。そこで校長もすかさず反応する。
「はあ。今は物騒な世の中ですからねえ。保護者から警備の仕方にもクレームが来るんですよ。お金は払うから、警備を手厚くしろってことです」
「はは、大変ですねえ。あ、こいつもここ出身なんですよ」
横で菅原が素直に頷くのを、佐藤は視線の端で捉えた。
「うちの出身で今や県警の立派な刑事さんとは。素晴らしいことです。今度、防犯講習にでもいらしてくれませんか?」
「僕は殺人事件の担当なんで」
おいーと心で突っ込む。
(最初に宣言するんじゃねえよ)
そこから教えなきゃいけねえのか、とゲンナリする。が渋々、苦笑いで佐藤は話を切り出した。
「ええっとですね。ここの卒業生でもある、高梨 深雪と春日根 陽生の二人について、お話をお聞きしたいのですが。ああ、詳細は話せないんです。捜査中ですから」
佐藤は膝に両肘をついて、手のひらを合わせた。
「あまり収穫はありませんでしたね」
「ああ、まあな」
被害者の二人の高校生活は、やはり普通のカップルのものであり、ここでも特筆すべきことはなかった。その後、担任だった教師にも話を聞いたが、だいたいは同じ印象だ。
だが。
「二人はまあ、当時クラスの中心人物……っていう感じでしたね」
元担任が、視線をきょろきょろさせながら、校長の隣で話し始める。
「で? その二人が……どうかしたんですか?」
確かに、男女二人が遺体となって発見されたということは連日、テレビやネットで報道されている。今、隣に座っている校長や他の教師、生徒たちからも根掘り葉掘り訊かれているだろうと、容易に想像できる。
(それにしても、このおどおどとした態度は、なんだろうな?)
菅原も同じことを感じているのか、元担任から視線を外さない。
「それがですねえ。何度も言いますけどね。申し訳ないんですが、捜査内容は話せないんですよお」
飄々とした様子で佐藤が言うと、元担任は納得したように二度頷き、話しを始めた。
「二人はいつも一緒にいて、仲は良かったです」
佐藤がそこですかさず反応。
「いやあ、みんなが口を揃えて、そう言うんですよねえ! まあ、相性が良かったんでしょうねえ。いつもつるんでいたみたいだし」
「はあ、まあ……」
ここで元担任が校長の様子を窺うような素振りを見せる。が、校長はそれを無視するかのように、両手を握り込んで、黙りこくっている。
「実を言うとですねえ……」
佐藤が察して、声を掛ける。
「ここだけの話なんですけど……このお二人ですね。亡くなった方のことをこんな風に言うのもアレなんですけど……あんまり良い印象、聞かないんですよね、これがまた」
呼び水となるか。
佐藤は声を落とした。
この元担任。二人の担任だったにも関わらず、二人の死をあまり悲しんでないように見える。自分の受け持ったクラスの生徒な訳で、最低でも青い顔くらいは作るべきだろう。
そう睨んだのだ。
「ぶっちゃけ、他の生徒との人間関係はどうだったのかな、と。お山の大将だったみたいですから」
佐藤の駄目押しの言葉に安心したのか、元担任が口を開いた。
「そうなんですよ。亡くなった生徒のことをごちゃごちゃ言うのもどうかと思いますけど……」
来た。
「二人でつるんで、周りの子をよく突っついて回っていましたね」
「突っつく?」
「あの子ら、表立って虐めないんですよ。裏でコソコソわからないようにやってるって言うか……」
「陰湿ってことですか?」
「ああ、そうそう。虐めとはわからないように虐めるんですよね……確かに陰湿でした」
「林くん、それくらいで良いんじゃないかな」
横から校長の制止が入った。
学校としても虐めがあったと認めてしまえば、過去をほじくり出されることとなる。校長はそれを恐れているのだろう。
校長が、自分の同席を頑なに押し通した理由はここにあったのだろう。
佐藤は、当たり障りのないことを二、三質問してから、その場を退いた。
「嫌な感じですね」
助手席で、菅原がアルバムをめくった。
「どこの学校でもそんなもんだろ」
佐藤が、車のハンドルを回す。
「二人に虐められていた人物の犯行ってことも」
卒業アルバムと卒業文集。校長が事前に用意していたものを借りてきたものだ。
「あり得るな」
菅原はさっきからしきりに二人の写真を見比べている。
「この頃は髪が短かったんですね。でもやっぱり、癖っ毛ではないみたいです」
佐藤は、菅原のひとり言と決めつけ、黙ってハンドルを握っている。菅原はアルバムを閉じてから、次には卒業文集をペラペラとめくり、対象者のものを探していった。
「これによると、高梨 深雪の夢は、将来は福祉関係の仕事に就きたい、とあります」
「じゃあ、夢に向けてまい進中だったって訳だ。確か、通ってたのって、福祉大学だったよな?」
「ええ、春日根の方も、同じく介護福祉科に在籍ですね」
「仲がええなあ。女にそこまで合わせるか?」
「でも、春日根の、」
菅原の手が止まる。
「春日根も介護士になりたいって、文集には書いてありますが、」
菅原の様子が気になって、佐藤が問うた。
「どうした? 何かあったか?」
直ぐに菅原が鞄から捜査資料を取り出した。
付箋が貼り付けてあるところを、がばっと開ける。そこには、二人の遺体の発見現場で見つけられた、日記の写しがファイリングされていた。
(またその日記かよ。付箋まで貼ってやがる……)
佐藤が、肩をすくめる。それを無視し、菅原がそのページと卒業文集とを見比べている。
「これ。二人とも、日記とは筆跡が違いますね」
「はああ? じゃあ何だ、その日記は誰か他の第三者のヤツってことか? そんな他人の個人的な情報、知ってどうするのかね」
大袈裟に言ったのが気に入らなかったのか、菅原が厚みのある捜査資料をバシッと音をさせて閉じる。
「犯人のものかも知れませんね」
日記に引っ張られているな、そう思うと若い刑事の暴走に気が重くなる。
佐藤は、ドリンクホルダーに置いてあったコーヒー缶を掴むと、一気に喉に流し込んだ。




