スペインの修道女、吉原の花魁
野里子りこは、
ある番組を食い入るように
見つめていた。
まただ。
ここ2~3年、
もしかしたらブームなの
かもしれないが、
吉原の花魁が出てくる
ドラマが目に飛び込んでくる。
彼女たちの姿を見たら、
もう、野里子は、チャンネルも
変えられないし、
テレビも消せない。
一歩も身動きが取れなくなって、
その姿を見続けてしまう。
花魁がきれいだ、とか、
華やかな世界にあこがれて、
などという感覚とは全然ちがう。
何か、知っているのだ。
自分がそこにいた感覚があるのだ。
しかし、そういう感覚は
今に始まったことではない。
10代、20代はヨーロッパに、
30代はアジアに、
そして40前後で、吉原に
感じているこの不思議な思い。
20代の頃から、
野里子が懇意にしている
占い師のエールは、
30代になって突然、
身も心もアジアに引っ張りこまれた
野里子を見て、
こう言った。
「野里子の場合はね、
若かったときほど、前世が遠いの」
「え?」
人には前世が何個も
あるとは聞いたことがあるが、
そんな順番があるとは
知らなかった。
「誰もがそうって
わけじゃないわ。
ランダムに前世を
思い出す人もしれば、
一世代前のものしか
憶えてない人もいる。
でも、ほとんどの人は、
まったく憶えてないけどね」
エールは年齢、国籍とも
不明の容姿だが、
とりあえず日本語はきれいに話す。
が、英語も中国語も
使って占いができる。
その他の国の言葉も
どれほどできるのか、
野里子にはわからない。
「野里子が、20代のころ、
イギリスにハマっていたのは、
5世代ほど前、イギリス人の
女の子だったから」
エールは少し目を細める。
「シェリーっていう
かわいい子だったわ。
流行り病で若くに
亡くなっているから、
かなり昔ね。
それからすぐに、ほら、
以前、野里子が見えるって言ってた・・・」
「スペインの修道女?」
それは、見えるというよりも、
感じるという状態だった。
「そう、スペインで生まれ変わって、
セシリアという修道女として
暮らしていた。
それは今も野里子の記憶に
残ってるんだよね」
「記憶というか・・・」
行ったこともないスペインが
懐かしくて、教会が恐れ多くて、
讃美歌に聴き入るのは
記憶のせいだろうか。
しかも、その当時、
心から親友と思える
女友達2人に出会い、
エールに見てもらったら、
同じ時代に同じ修道院で
生きたシスターたちだったのだ。
20代は、それに関連してか、
心温まる出会いが多かった。
しかし30代になって、
急に、野里子は孤独を感じ始め、
その頃、笛の音が聞こえ始めた。
それは大陸の笛の音で、
野里子は、中国の王朝の
薫風を肌で感じた。
下街は、食べ物とゴミ、
ニワトリと鳥肉、
死体と活気あふれる人々で、
文字通りごった返している。
その腐敗臭さえ、
野里子は懐かしく思えた。
一方、自分は、結構な
お屋敷に住んでいたようだった。
行儀悪く、二階の階段の
手すりから脚を乗り出し、
笛や太鼓の音に合わせて
踊りながら歌っている。
いつも宴会のように
賑やかな屋敷。
ゴロつきも多いのだが、
野里子は身の危険を感じない。
エールは語った。
「あなたの名前は
チュンファ。
王朝に勤める偉い大臣の
側室として、
この屋敷を与えられている。
毎日、賑やかに騒いでいるけれど、
いつも心はさみしい。
でも、田舎に置いてきた
家族のことを思い出しては、
あんな貧乏は二度としたくない
と思っている」
エールの言葉に
夢うつつで野里子は尋ねる。
「チュンファは、幸せ?
側室で幸せ?」
エールは眉を曇らせる。
「野里子、チュンファの
辿った道を憶えているんじゃない?」
「・・・うん、なんとなく。
幸せにはなれなかった。
毎日お酒を飲んで・・・。
ねぇ、なんで修道女だった私が、
今度はこんな乱れた
生活をしているの?
修道院で最期を遂げたなら、
天国で過ごせるはずじゃないの?」
エールは、左手に握っていた
小さな水晶玉を取り出して微笑む。
「・・・人間っていうのは、
いろんな経験がしたい欲張りな
魂の持主なのよ」
修道女セシリアは、
天国に行ってから、
もっと過酷な人生を
送ってみたいと願ったという。
修道女として、
自分たちが救えなかった人々の
生活を知りたいのだと。
「高貴で高慢なセシリアは、
自分から幸せになれない
人生を選んだの?」
野里子の言葉に、
エールはまた微笑む。
「人間はその繰り返し。
幸せだと不幸を知りたくなり、
不幸だと幸せになりたがる」
「チュンファは、亡くなって、
次に何を願ったの?」
「勘違いしないで。
願いが毎回叶うわけではないわ。
セシリアは高貴な魂の持主だったから、
チュンファに生まれ変われた。
でもチュンファは・・・」
「自分より幸せな人生に
生まれ変われることはないのね?
バカなセシリア。
ずっとそのままでいれば
よかったじゃない」
「・・・セシリアは、セシリア以上の
魂になりたくて、
この道を選んだの。
彼女の修行がまだ続いている」
野里子は、深い溜息をついた。
「で、次は花魁?
勘弁してよ」
吉原での野里子の名は
『野の花ばな』だったという。
これくらい時代が
近づいてくると、
今への影響も現れ、
野里子の野は、
野花の野を引っ張っているらしい。
「私の前世が、野花さん?」
エールはちょっと違うが、
おおかたそうだといった風に
うなずく。
「で、野花さんも
幸せにはなれなかった?」
野里子の質問に、
エールは曖昧に首をかしげる。
「セシリアが野花に交代してる」
「ええ?どういうこと?
セシリアは自分の修行を
投げ出したってこと?」
「そういう意味もあるけれど、
野花の強い信念が、
セシリアを押し出した」
「え?」
「野花は、セシリアの修行なんかに
付き合う気はなくて、
自分は自分で幸せになるって。
セシリアの一部だけを残して、
独立した」
言葉も出ない野里子に、
エールは、うつむいたまま肩を
震わせて笑った。
「なに?どうしたの?」
エールはつぶやくように言った。
「セシリアと野花が、
一瞬だけ、その一部を
私に見せてくれた。
私の瞳にそれが映っている。
見たい?」
野里子は、うなずいた。
エールはゆっくり、
顔を起こすと、目を見開く。
野里子は言葉を失った。
エールの瞳が、
深く澄んだブルーに変わっている。
思わず悲鳴を上げそうになった
野里子をエールは制した。
瞳はもとの色に戻っている。
「別にホラーとかじゃなくて、
彼女たちの情熱が瞳の色と
なって体現されただけ」
野里子は、その激しさに、
驚きを隠せなかった。
占いの帰り道に、
野里子は考える。
エールの伝えたいことは
何だったのだろうか。
花魁、野花の何を
知れというのだろうか。
あるいは野花のような
人生を歩むなということ
なのだろうか。
しかし、エールは
最後に言った。
「野花は、最後には
吉原がなくなり、
花魁制度が崩壊して、
市井の人になった。
それから猛勉強をして、
読み書きをおぼえ、
そして、80過ぎまで生きた。
生き延びた。
そして、あの世で
セシリアと再会して、
二人は抱き合って
互いを褒め合い
ひとつの魂へと戻った。
その更なる強靭な魂が、
今、野里子に宿ってるんだよ」
それは、野里子には
実感できないことであった。
かつての修道女と花魁が
更に修行を積んで
自分の中にいるとすれば、
なんでこんな大したことのない
人生を送っているのだろう。
が、共通点もある。
三人とも結婚していない。
子供がいない。
そして、自分を高めることが好きで、
それに使える時間がたっぷりある。
野花は、何を学び、
どうやって、
80年以上生き延びたのだろう。
そして、セシリアの瞳は、
エールが見せたかのように、
本当にあんなに深いブルーを
していたのだろうか。
野里子は思い直した。
これからでも遅くない。
あの時代の野花が
80まで生きたというのなら、
自分にはまだ半分の人生が
残っている。
それに、自分は
読み書きもできれば、
多少、外国語もできる。
そして何より、
強靭な二つの魂に
支えられていることに、
野里子は強く背中を押された。
了