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ペニー・レイン  作者: 青木勇気
9/22

【9】

「ねぇ、あの店員さん“シスター”っぽい格好してない?ちょっと露出多いけど。新しいコスプレ系みたいな?」

「ちょっと、聞こえてますよ」

あまねはそう言ったものの、笑いをこらえるのに必死で全く説得力がなく、可織は可織で忌憚のない発言を続けた。


「声大きかった?だって、アキバの人たちの間ではいまだに人気なんでしょ?メイドカフェの甘味処バージョンなんていいじゃない」

「メイドカフェって、『いらっしゃいませ』が『お帰りなさいませ、ご主人さま』なんですよね」

「そうなの?斬新。ちょっとした癒しを通り越して、ファーストプライオリティを見出してしまうわけね」

彼女の発言に気を悪くしたのか、店員はむっつりとして音もなくテーブルの横に立った。


「あんずクリームあんみつのお客様」

可織は、宣誓をするように手を上げて受け取ると、あんこと黒蜜がつかないようにあんずを端に寄せた。

「そういえば、沖縄どうでした?」

「そうそう。まだ暑かったよ、すごく。まずはお土産ね、お土産」

そう言って、目を輝かせるあまねの前にゴロゴロとお土産を並べた。


「サーターアンダギー。これ自体は定番だけど、パパイヤ入りのだから結構レアよ。あとこれ、塩とサンゴ・貝殻一式」

「これ好きなんですよね!しかも、貝殻まで。ありがとうございます」

「名護ビーチで拾ったの。だからタダ。気にしないで」

可織はそう言って、チャーミングな笑顔を見せた。彼女の大きく広がる唇は、どこか華やかに咲くフリージアを思わせる。


「星の砂ってあるじゃない?あれって微生物の死骸なんだよ。知ってた?小さい頃、お土産でもらっていじくり回してたけど、それ聞いたらもう触れなくなるよね」

可織は、あまねの返事を待たずに喋り続けた。


「あとね、サンゴって海水がぬるいと死んじゃうんだって。だから、雨が少ない年はかなり悲惨なことになるらしいよ」

あまねは、生温い水の中でじわじわと死んでいくサンゴを想ってみた。サンゴ自体にはおよそ同情の念は湧いてこないものの、何とも寂しい光景なのだろうという想像はついた。


「可織さんて、いろんなこと知ってますよね」

「ううん。バスガイドさんが言ってただけよ。それでね、今日呼び出したのは、そんなプランクトンがどうのこうのって話じゃなくて、私自身のことなんだけど」

「何ですか?改まって」

あまねは、いつになくシリアスなムードになったことに気づきながらも問いかけた。


「うん。私ね、月末であそこ辞めようと思って」

可織は、あまねの目を見ずに言った。


「え……どうしてですか?」

「結婚するの。ほら、何かと準備することがあるでしょ」

あまねはうなずき、無理に笑顔を作った。あまねが可織と話していて笑顔が硬くなったのは初めてだった。


「要は『できちゃった』ってやつなんだけど。そんなこと聞いてないって?」

「そう言えば、お腹……おめでとうございます……」

そう言い切らない内に、あまねの目からは大粒の涙が溢れていた。

「そんなポロポロ泣かないの。ほらほら、あんみつが塩味になっちゃうよ?」

可織は何か効果的な言葉を模索したものの、ミイラ捕りがミイラになってしまうような表現に留まった。


「ごめんなさい。可織さんには、とてもお世話になったから」

あまねは鼻をすすり、ぎゅうひを口に運んだ。もちもちとした食感が、このときばかりは不愉快な存在としてのっぺりと口の中に広がった。


「あなたが、可愛いからよ。私って露骨にひいきするし。とにかくあと三週間ちょっと、よろしくね」

「こちらこそ」

あまねは、子供みたいに「嫌です」と言いたい、うなずくだけのお土産話がいつまでも続けばいい、そんな風に可織に依存している自分を認めていた。


「ねぇ、ライブでするアンコールあるじゃない?あれってコアなファンが声を揃えて催促するのが定番だけど、そのときに重なった声は一体誰の声なんだろうって思うんだよね。どう、思う?」

あまねは当惑した。可織の発言は、明らかに文脈を欠いた上に、答えに窮する種類の質問だった。そして、彼女自身もそれに気づいているようだった。


「たくさんの声が集まっているのに、一つの声に聞こえるってことですか?」

「まぁ、そういうことね」

「それは……何というか、可織さん自身の声なんじゃないですか?」

「私がアンコールって言ってる、その声だってこと?」

可織は、いかにも分かりかねるといった風に眉根を寄せた。


「いえ。どちらかというと、可織さんが声とするものって意味です。うまく言えないけど、『気持ちが一つになったファンの声』というもの、外側からまとめて聞いてるってことじゃないですか?」

あまねは、抽象的な考えを具体的に説明するのが苦手だった。直感という抽象は、あまねを嘲笑うように舌の先でふわふわと舞い、いつになっても具体的な形にはなってくれなかった。


「外側から……うん、そうね。そうかもしれないわね」

「でも、どうして?」

「ううん、特に意味なんてないの。ただ、何か寂しくなっただけよ」

「寂しいですよ、本当に」

「うん」

二人の間には、これ以上顔をつき合わせていても余計に寂しくなるという無言の了解があった。


「混んできてシスターさんが圧力かけてきそうだし、そろそろ帰ろうか?」

「そうですね」

そう言って重い腰を上げたあまねの前には、色鮮やかな桔梗の描かれた扇子が、夏に取り残されたようにして壁にかけられていた。

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