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夜明前の戦闘

作者: 鱈井 元衡

 暗殺者は舌打した。このままでは、標的が狙えない。狙えなければ、自分が消される。

 あたり一面の闇。月はほとんど光を失っている。もうすぐ、日付も変わってしまう。

「このままじゃ……期限が過ぎる……」

 失態だ。仕事人が私語を吐くなど、敵に情報をさらす機会ではないか。それほどまでに、追いこまれているのか。

 血のしたたる脚を抑えつつ、手代木てしろぎ育沙いくさは山の谷間から、遥かに広がる山々をにらみつける。


 ◇


 幼さの残る丸顔。それが第一印象。決して手ごわい相手ではない。殺そうとすればいつでも殺せる。それが最初の純粋な感想。

森本もりもとあきらはこのあたりの魔法使の生残だ」

 依頼主――――はゆったりとした声に脅威、軽蔑、憎しみと言った様々な感情をまぜこむ。

「魔法使は今じゃ日本全土で滅びつつある種族だ。昔は奴らの魔術が国の命運を左右したが、今は科学の時代だからな」

 魔法が衰退しつつある時代。大砲や銃が炎魔法を圧倒し、発達した外科手術が治癒魔法よりもずっと細かく人体に手術を施せる。

 科学も最初は見くびられていたのだ。一体、銀玉を打ちだすだけの筒に何の意味がある? 空から静かに着地できる傘? 召喚獣を使え。

 

「奴らが魔法によって高い地位を築いた時代はともはや遠い。これからは我々貶められた人間が王侯貴族に返り咲く!」

 自慢げに語る依頼人の表情を育沙は知らない。右手に握る人相書にしか関心がなかったから。

「この男を、消したい理由は?」

 依頼人の声が低くなった。もっとべらべらしゃべり散らしたかったからだろう。

「森本煥には隣の村を壊滅させた……という容疑がある。警備隊は全滅させられたし家畜も皆殺にされた。奴を消さなければこの村の存続も危うい」

 見るからに、そんな凶暴な狼藉を働く姿とは見えない。

 しかし目の前の男の顔に嘘をつく様子も。

「魔法使は根絶せねばならん!」

 つまる所は、それが時代の要請だ。

「なるほどね」

 育沙はそれだけ言った。もしこの男が嘘をついているならこの男を始末すればいいだけのこと。

 事実が分からない間は、その跡をずっとつけていけばよい。


 私情はない。なぜなら生粋の人殺として生まれついたから。


 ◇


 依頼に乗ったはいいけれど。

 どうやら依頼人は厄介な場所へ案内したみたい。

 森本煥が潜む山、という訳で示された場所へ駆けたが、道中脚を蛇にかまれたのだ。

 毒はないようだが、浅くない。

 急激に体中から力が漏れる。しばらくはがむしゃらに走ったが、もはや周囲を見渡す気力さえ失っていた。


 人影が唐突に、山の端から姿を現す。森本煥だ。


「君は……?」

 その短い声でも、高く、中性的。


 月明りを背後にして、育沙はごく低い声。

「名乗るほどの者ではないわ」

 今なら殺せる。だが、負傷していなければの話だ。

 育沙はごく軽装の露出の多い服装をしている。現場には、注意を尽くして忍ばなければいけない。胸や脛

に硬い金属の板をはめているが、三編の頭や腹は全く無防備。

 ……とどめをさされる。しかし、窮地を脱出す用意があるわけでも。

 煥は少女の側にかがんで、怯える。

「……重傷だ」

 予想外。いたわるような声。

 育沙はぎょっとなり、心臓に打たれる。

「さっさと行きなさい」

 反射的に、言放つ。

「傷ついた人を、見捨てるわけにはいかない」

 またもや面食らう。

「なぜそこまで私に構うの?」

「僕は白魔術師の家の出だからね……人を癒すのには自信があるんだ」

 白魔術? しかし、魔法で人を損なうのならそんな家柄ではないはず。

 第一、魔法を使う輩が今時、どこの馬の骨ともわからぬ旅人に温情などかけるか。

 考えこむ内に、脳内に呪文がとどろく。


「古き精霊の名によって命じる。摂理よ、この者を癒せ」


 すると患部を始め、青い光が淡く育沙を覆った。

 清い水につかったような感触が一瞬だけ心地よかった。

 いや、その直後からは痛みが消去っていた。恐怖すらこめた驚きで脚をさすると、もうそこには血の感触も、傷穴も感じない。


「ひどい奴らだ」

 森本の独白。

「僕らを勝手に村の破壊者扱いして、追詰めるなんて……」

 育沙はいぶかった。こいつが、村を破壊したんじゃないのか?

 あるいはあの依頼人が偽情報を流したというのか。けれど、魔法使じゃない。


「私事ですまない。つい感情が出てしまって」

「気にしないで。これで私たちも関係ない者同士ね」

 しめた、とつい気がはやる。このまま煥が背を向けたのを見計らって、不意討をかけばよい。

 そのまま、礼も言わずに立ちあがり去ろうとすると、

「ちょっと待てよ」

 煥の制止。

「せめて君の名前が訊きたい」

 育沙の疑問。

「あなたには関係ないでしょ?」

 胸の中によどんだ液体があふれる。


「このあたりの住民は魔法使を蛇蝎のごとく嫌っている。それなのに君は黙って僕の治癒魔法を受けた……信じられないよ。追剥の一種とでも思われていい所なのに」

 眼鏡の向きを整えながら、感心したみたいな気分で。

「君も魔法使なのか?」

 育沙は茫然とした。

 今まで、自分の過去について問われたことは一度の二度もない。現実、流れる時間の先頭に立って久しく生きてきた。それなのに。

「それが……あなたに何の関わりが?」

 激高の一部が、最後に。

「何か、僕に腹が立ってる?」

「探りを入れられたくないだけよ……」

 無論、素性について詮索されたことがないわけではない。

 だが、まるで『自分と似ているような人間』にやられると、感情の程が違う。

「頼む……君は僕に何か隠してるだろ?」

 好奇心の類ではない。森本ははっきりと、義務感で尋ねているようだった。


「まさか、たった今遇ったばかりの人間になぜ殺意なんて向けるの?」

「じゃあ、何で『殺意』なんて言うんだ……」

 気づくと、腰に手を構えている。外からは見えないが、ナイフや手裏剣、火薬、小さいが巧妙な暗器をしまいこんでいるのだ。

「まさか、僕を捜しにきたのか?」

 育沙の心の中で何かが切れた。


 まるで、私みたいじゃないか。


 あの時、家族を皆殺にされる過去を持ってないなら、こんな稼業やってない。


 岩肌に立つ、鋭い刃数本。

 森本の頬をかすめ、向こうへと。

「危ないじゃないか!!」

 若干の怒りと叫んだ。

「まだ何も聴いてないのに! 僕はただの憶測で――」

 けど、そんなこと耳に入らない。

「私は、あなたみたいに滅びゆく種族じゃない。これからの時代を導く、新参者よ!!」

 育沙はさらに数本のナイフをぬいて、首筋に命中させようとした。


 森本の声がまたもや、威圧感とともに谷間にこだました。

「風の精霊の名において、この者を拘束せよ!」

 育沙の肩に腰につむじ風が絡みつく。

 身動が取れず、その位置で崩落ちる。

「殺しなさい!」

「殺せない」

 屈辱だった。

 森本は悲しい顔すらして、同情し始めたのだ。

「君も魔法使だったんだな……でも何かのために、その過去を捨てざるを得なかった……」

 育沙は心底森本を憎んだ。それから自分の失敗を悔い、恥じた。

 暗殺者としての任務を失敗したばかりか、その素性すら知られてしまったのだから。もはや、生きながらえる訳には。

「君は、誰に命じられたんだ?」

 じっとして口を閉じる。告げることはできない。それを言えば、この少年は間違なく復讐をとげる。

「なら、君が僕を殺しに行くまでの経歴でも教えてくれよ。それに……腹も減ったろ? 肉があったんだ……」



 私は、この男に生殺与奪の権をにぎられている。

 どうやら殺意は抱いていないようだが、それでも気を許すわけにはいかない。

 育沙はどう尋ねられても、答えまいとした。だが同時にその虚しさも実感していた。

 森本煥はこのあたりで屠ったという猪の肉を石の上で焼いた。こんながさつな食事で済まないと、まるで友人っぽい口調で謝りながら暗殺者にふるまった。

「味は?」

「おいしい」 ごくそっけなく。

 まだ、敵意を捨ててはいないのだ。

「君の名前は?」

 ついにこの質問がきた。稼業に関わる問題。

 最初はためらっていたが、よく考えてみればもはや正体を見抜かれた今は無用なためらいだ。

 

「手代木育沙」

『いくさ』とは何て物騒な名前だろう。

 戦争を意味する名前じゃないか。けど、恐らくこの世の騒然とした情勢がそういう風に名付けさせたのかもしれない。

 すると、森本の眼鏡が突然光を反射した。

「手代木ってまさか……あの伊豆王国の魔術師名門!」

「名門なの?」

 自分の家の歴史など何一知らない。彼女の記憶の中で一番古い物は、戦乱を避けて移住んだ安房国での日々なのだ。

 もしあの日々がいつまでも平穏に続いていたら……


「……そうか。伊豆もすっかり滅びたものな」

 伊豆王国が滅びたのは、しかし十年も昔のことだ。

 国として存在していた時の記憶なんてほとんど残っていない。


「噂では伊豆王国の姫君が世を忍んで傭兵をやっているそうだが、聞いたことない?」

「何も。というより、王国が滅びてからしか知らないの。物心がついた時は最初から落ちぶれた暮らしだったんだから」

 平和だったかもしれない。

 しかし、それが長く続くはずがなかったのも事実。

 なら、あのまま家族と離れ離れになって、暗殺者として身を売られた方がましだったのでは?


 昔を考えるのはやめよう。

 思いかえしても、得るものなんて何一つない。


「でも、何で君がこんな渡世を送ってるんだ。」

 森本の関心は、嫌でも育沙の古傷を掘返そうとしていた。

「まだ、訊くの? 私はもう、あなたに捕えられたのも同然なのに?」

 いい加減にして欲しかった。

「一体これからどうするの? 私に何をするつもり?」

「逃げるんだよ。僕について来い! とにかく、逃げなきゃ危ないんだ!」


 森本の真意を突止める時間はもらえなかった。


「ここにいたか!」

 見覚えのある人間が、したり顔で近づいてきた。

『銃』の円形の口が群れなして、後ろからも、前からも迫っている。

「どういうことなのですか、はた繁二しげじどの?」

 依頼人だ。

 どう考えても、報酬を与えるという風ではない。

「いつの間にそいつに感化されたようだな……だが。、お前ら二人とも、ここでお陀仏だよ」

 謀られた、か。

 育沙は、大いにあせった。しかし秦に対する憎しみはない。

「私を、だましてたというわけ?」


 乱世ではこれくらい当然なのだろう。

「最初から偽りだったのさ。お前がそいつを殺す、という依頼も全て、はったりさ!」

 秦は徳を積んだかのように、自慢げに話す。


「王の命令だ。手代木家の生残には高額な身代金がかかっている! 村の存続のためには貴重な命なんだよ!」

「てめえら、やっちまえ!」

 銃を構える体の身震、弾をこめる筒、音が重なって襲いかかる。

 このままじゃやられる。育沙はいつの間に、森本の手をつかんで断崖を蹴った。

 暗殺者にも特有の魔法を使った技能がある。戦場で目撃するものに比べれば幾分か地味だが、いまだに魔法が前世代の代物じゃないと示す証左。

「な、何を!?」

 変転する状況、錯乱した声の森本。

 振り向きもしないで、背中に少年魔術師を負ったまま両側の崖をかわるがわるに跳ぶ。

「くそっ、あの女を狙え狙えーっ!」

 なぜ、この少年を助けようとしたのか自分でもわからない。暗殺者であるなら目の前の人間に情を示してはいけないはず。今までの『仕事』だって、必死に命乞する相手にとどめを刺して殺した数は知れないというのに。

 むしろ、あるべき自分の姿を見失ってしまった今、どんなことをしてもおかしくないのだろう。心のどこかが、焦慮する部分とは別にそう考える。


「ははっ! 飛んで火に入る夏の虫とはこのことだねえ」

 誰かが、二人の目の前で沈んだ。

 あまりにも早く、水滴みたいな身のこなしで。

 二人より歳はくってるだろう、大人びた女性が。


 下から悲鳴の渦。土と武器が、肉が離れ骨の砕ける音を奏でる。

 秦もまた、その犠牲に。

「お、お前は! ぐふっ」 鋭い斬撃。血が濡らす草。

 森本はその時すでに我を取戻していた。

 この女のささやきに、記憶があったからだ。

 ――そんな。この女にまたもや会ってしまうなんて。

 誰かに裏切られることは慣れっこだ。つい数分前の知己でしかない育沙に刺殺されたって文句は言えない人生なのだ。

 しかし裏切られたのではない。本来なら、もう二度と顔も合わせたくない、思い出したくもない相手が、危機的状況の中に姿を現したのだ。

「い、育沙! 早くしてくれ!!」

 柔らかい、艶やかな体が、金属みたいに硬直した。

 決して強靭とは言えない華奢な体に、これほど膂力があることに一時は感嘆したが、あの女の出現を前にいかなる感慨も無益となってしまったのである。

 育沙は逆に動きを止めた。視線がおのずと地上を向いた。


「待って、待ってください! 助けて! お願いします!!」

 最後の一人が、抵抗の叫びをあげ、ついに果てる。

 首筋に刃を立て、一直線に切り裂いていく。

 女は長い髪で、ぴったりした鎖帷子に身をつつんでいた。

 そのまま、身をまっすぐに起こすと、空を見上げた。

 ぶつかる視線。女はにっと笑い、


「また会ったね? 森本煥……」

 つぶやく。

「誰……?」

「に、逃げるんだ!」

 育沙は耳を貸さなかった。正確には『貸せなかった』だ。

 直感で、同業者だと理解したから。もう、顔を視られた時点で逃場はない。

 殺さなきゃ、と危機感をつのらせながら育沙は地上へと降下。

 森本の重みで、足に若干の痛み。


 あたり一面、無用な銃を抱えたままの死体がいっぱい転がっている。見事なまでに、刺傷以外の傷がついていない。誰もが、急所を狙われていた。

 肩をすくめつつ、死体をよけながら

「仕事なんだもの、これくらいはやらなくちゃね~」

 そのまま聴けば部屋の掃除について言及しているとしか思えない。

「床を掃除するのなら、端っこまでぴかぴかにしなきゃ。そうでしょう?」

 森本はがたがた震えている。育沙もあまりに呑みこめない状況のせいで、勢いくじけそうになっていた。

 だが、ここで背後を見せれば『処理』されるだけ。


 外見だけは、毅然を保て。

「あ~もうこんな所にまで汚れが残ってるじゃないの~! どうしてくれんのよ、これ!!」

 憮然とした声で、育沙は脚を踏出し叫ぶ。

「名前を名乗りなさい!」 名前を言うのは抵抗があった。


 悪びれもせず、

錦織にしこり羅菜らな。『掃除人』よ。あなた、暗殺者ね? その見かけからして人を予告もせず殺してるんでしょ? ほんっと卑怯」

 自分の非道さを棚にあげ、

「あなたもでしょ。こんな人目もつかない場所で殺しまくるなんて、それこそ暗殺者にふさわしいことだわ」

 この女と森本の関係が気になる所だが、須臾の間も相手の行動が分からないこの瞬間。質問すら思いつかない。

「そこにいる奴は彼氏?」

 信じられないくらいの悪意、邪気。けど口は恐ろしい位に軽い。

 森本が急に息を荒げる。何をしかけようとしているのか。

 育沙もほとんど口がきけなかった。

「あら~森本君じゃない。懐かしいと思ったわ」

「お、お前生きてたのか……」

 魔術師の言葉はそれだけ。

 だが、もうそれだけで羅菜の脅威がいかに重いか、実感してしまう。

「この子の命を奪りに……?」


 すると、腰に手を当てて真面目くさった様子になる。

「そいつは私に護衛を頼んだの。何とか国から出るために手助したってわけ。でも、国境を出る直前に期限が過ぎた」

「同業者ということね……」

「今は何の関係もない。だからまとめて殺してやるわ」

 羅菜は鼻で笑うと右手に鞭状の武器を握りしめた。

 育沙が森本の前に立ってかばおうとした時、すでに必殺の一撃が真横をかすめる。

 小さな刃が連なり、一本のワイヤーがつらぬく。

 高麗から伝わってきたという暗器。


 その刃が収縮する隙をついて、

「たっ!!」 育沙の伸びた腕から幾本もの短剣が飛散る。蝦夷の国々が生出す金属の収縮する性質を応用した、形を変える刃。先ほどまで、帯の中にしまいこまれていたのだが。


「無駄よ」

 その一声だけでも、まるで無敵の人物かと疑う。

 事実、育沙の剣は全て蛇腹によって跳返された。

 息をつかぬ攻勢。避けることさえままならない。

 しかし、育沙は次の一手を持っていた。


「なっ!?」

 突如、両者を隔て厚い煙。

「こ、これは!?」

 森本がおびえたように叫ぶ。

 育沙は何も言わなかったが、これも帯の中の道具だった。


「ちっ!」

 一気に間合をつめ、育沙と羅菜はたがいに打ちあっていた。

 育沙が短剣の一つで羅菜の胸に斬りかかると、羅菜は結合した状態の蛇腹でその刀身を受止める。そして頭に突立てようとすると、短剣の絶妙なさばきで向きをそらされるのだ。

 膠着は長く続かなかった。羅菜が思いきり敵の短剣を向側に押しやると、全力をこめた足で育沙のみぞおちに蹴を入れた。

 育沙は吹き飛ばされた。

「ははっ! これで手代木家の名も地に墜ちたね!」

 甲高い声で誇りつつ、砂地に伏す育沙に近づく。

 とどめをさす前に、突風を反対側からまき起こり、羅菜もその場につっぷした。

 それまでは完全な凪に近かったのに。

 森本が呪文を唱え、風を虚空から吐き出したのだ。

「何をするっ!?」

 羅菜は怒りを交え、立膝をつく。


 魔術師の少年には、それまでにない感情が生まれていたのだ。


「この子を殺させてたまるか!」

 森本の心に闘志が芽生えていた。これまではずっと逃げてばかりの連続。

 今回も、か弱い少女に頼って自分は生き延びようとしている。

 心意気などという綺麗な感情ではない。ただ、自分の姿に耐えがたい屈辱を感じたのだ。

「僕は弱い人間だよ! 自分を守ること以外には何もできない! だが、不名誉を負って死ぬなんてまっぴらだ!」

 死ぬのが好きなわけがない。けれど……またこの女に会ってしまった以上、生きて還るなんて期待できるわけないじゃないか。

「僕を殺せ!」

「息がってる奴を殺すのは好きじゃない」

 言葉の途中で、もう森本の方から視線を外していた。


「手代木育沙、なぜ私たちから逃げようとするの?」


 今までどれほどの厳しい訓練と教育を施されてきたのか分からなかった。

 大人に刃を握らされ、常に死と隣合の生活。危機を予知するためと称して、部屋に銃弾を撃ちこまれたこともある。

 そういう中で、次第に自分の感情を抑制されていった。

 この女のような連中が、あの生活にはいくらでもいた。


「何しろ、あなたにこんな人生を送らせるきっかけを作ったのは私なんですからね」

「は……?」

 森本は理解できず、立ちつくす。けれど、育沙には最初からもう分かっていた。


 最初から知っていたのだ。この女が、私の家族を殺した張本人だってことを。

 売飛ばされて、訓練されて、いつの間にか自分の感情も、記憶も、忘れかけていた。

 昔だったらこんなことに、少しも疑いも持たなかったはずなのに。


「さあ、私を殺して見せなさい! そうしてあなたの暗殺者稼業は完成するの!!」

 虚しい。仇討の相手が目前という、絶好の機会なのだ。

 けれど、何の興奮ももはや覚えない。

「もう私は、暗殺者失敗だよ……」

 育沙は、目の前の人間にむしろ憐憫すら感じ始めていた。


「ど、どういうことなんだ? お前の師匠なのか?」

「違う。けれど、私の人生を形成した主犯格ではあるわね」

『恩義』という言葉を、耳で聴いては知っていた。恐らく、こんな人生では決して関わるはずのない存在だとずっと思ってた。

 けれど、自分がそれを施されるとは夢にも思わなかった。自分が不用意な失敗を犯した末にだ。

 それだけに――理性を越えた感情が、生きようとする方向に期待させてしまう。

「私はある依頼人の要請を受けてこの少年を殺そうとした。けどこの少年に助けられてしまった。そして依頼人も死んだ。依頼にそむいてしまったの」

 

「こうなった以上は死ぬしかない。もう私にはこれ以上生きるすべがない、だから死ぬしか……」

「ふざけんな!!」

 羅菜にとってそれは、仲間としての関係を絶つことより辛く、冷酷な裏切だった。

 それは、ただ単に屈辱だった。

 こんな人間を昔も見かけた気がする。いや、自分かもしれないにしても。


「よくも綺麗ごとをべらべらと! 私たちは泥水すすって生きるのよ! どんなに罵られようと生きるのよ! どんな傷受けたって死ぬ直前まで笑って死ぬのよ!!」

 激昂する羅菜。

 一体何に激昂しているのか、自分でもよく分からなかった。普通なら、このまま走り寄って体を切裂いてもおかしくない所なのだが、今回ばかりはもっとひどい目に遭わせてやりたかった。こんな、無力な少年が何ゆえに少女の心をつかみ、支配しているのか。

 嫉妬かもしれない。

「ああ! 私が直接手を下してやる! そこをどきなさい!」

 森本は阻んだ。

 無論、育沙を守った所で利益など何もない。自分の敗北を認め、大人しくしているに過ぎない。それでも、何か打算では済まされないものがつき動かしていた。

「精霊の名によって命じる。……この者を縛りあげよ!!」

 白魔術にも人の動きを束縛するものがないわけではないが、身に傷を入れる程度のものじゃない。

 首の皮一枚でつながったと言うべきか。羅菜がその獲物を振上げ、敵を見下ろす寸前に蜘蛛の糸のように白い煙が幾重にもまとわりついた。

 そのまま、彼女の体は何の抵抗もなく煥の横に倒れこんだ。

 育沙は、素早く目の前に迫って、首筋に刃をつきつけた。

 だが、とどめは刺さない。最終的な采配を森本に委ねることにしたのだ。


「殺しなさい……!」

 毒づく羅菜。なぜ自分が粗っぽい動きをしたのか、どうにも理解できなかった。これまでの彼女だったら、軽々しく目先の利益など追求するはずがなかったのに。

 けどそれ以上に、敵にこのような感情を向けてしまったという屈辱。

 

「嫌だ……殺せない」

「なぜ!」 不満な怒鳴。

 育沙は、森本の言葉をあおぐ。

「僕だって白魔術師の端暮だ。人を傷つけるのが仕事じゃない……君たちと違ってな……」

 

 憎しみという感情は不思議と湧いてこなかった。

 その人生をたどれば、同じ穴の貉。かつて自分がされたことを、他の大勢にもしてきたのなら、なぜ身勝手に憎めるだろうか。

 育沙はそういう感情をずっと捨去ってきたのだ。あの日のことを想返せば今でも苦々しく、熱い汁がいくらでもはらわたから滲んでくる。

「いいの? 今ここで逃がしたら、また誰かを手にかけることになる……」

 その恨は結局、そう深くはない。なぜなら、復讐を遂げた所で利益を受ける人間はたった一人だけなのだから。死ねば、恨みも骨と共に忘去られてしまう。

「血を見たくないんだ……目の前で人が死ぬなんて生々しい感触、二度とは経験したくない……」

 またもや羅菜が笑出した。あの凶悪さは微塵も残らず、ただ力のない空しい笑だった。


「殺す気も失せたわ。あんたらがこんな、馬鹿げた遊びに夢中になってるんだからね」

 羅菜を束縛していた煙の鎖はもう、存在しない。羅菜にしてもそれなりの魔力の持主であって、相手にしかけられた呪文を跳返すこと位難儀ではなかった。とはいえ、もう士気が揚がらない。

 羅菜は蛇腹を片手に握りしめ、静かに後ずさる。

 生まれた時から、こんな情けをかけられたことが一度でもあっただろうか? 自問したが、少しも記憶は。機械的に対象を抹殺することが任務だった彼女にとっては、発想すらしない選択。

「負けたわけではないわ。休戦よ。ちっとも決着はついていないんだから」

「ええ、再戦したいなら今でもどうぞ」


 育沙は、羅菜の心など理解したくもなかった。そこにはただ、どす黒い怒りと冷笑があるだけで、まともにこちら側の事情を知りたがらない。

 育沙自身だって、自分の奥底を打明けるつもりはなかった。想定外の展開の連続の末、森本の選択に従っているに過ぎない。


「手代木家と森本家の生残が相手となっては私一人じゃ分が悪すぎる。次は大勢の奴らをさし向けてやるわよ。そうすりゃあんたたちだってまともに生き延びられないんだから!」

 森本は、一抹の愁いに満ちた顔で、二人の境遇をおもんぱかっていた。

 暗殺者、か。生まれつき、あるいはやむを得ぬ事情で人をあやめてあげる身の上など、想像したくもない。

 できることなら終生関わりたくない人種だ。だが、彼らだって好きでそんな身分を名乗ってるわけじゃない。

 森本は、羅菜に憐憫を覚え、同時に育沙から少しだけ共感を取り去った。


「……いいわ。いつでもあなたたちを狙ってるから。その時はどんな手段で血塗ってあげようかしら……ふふっ!」

 黙って何かを唱え始めると、うっすらと霧が周囲を包みこみ、虚空へもぐりこむ。気配が完全に消えたと知るまで、数十秒要した。



 育沙は、感情をおし殺した声で問う。

「どうするの? この私を……」

 危機が去った今、

「あなたを殺そうとしたのに。赦してるわけがない」

 森本は、自分の意識の高さを邪魔だと思った。なぜ、本来は高貴であるべき人間が身を落としているのか、という憤り。

 なぜ、一時はこの子に理不尽な怒りをぶつけたのかという自責の念。

 単純に憎む人間の方がはるかに気楽なのに。

 もう、この少女を拒むことはできない。


「まだだ。ここは危険が多いから、あと少しだけつきあってくれ。この道を抜ければ尾張国に行きつく。どこか平穏な街でも見つけて、そこで落合おう」

 無言でうなずく育沙。

 だが、いつの間にか、予期せぬ不安を語っていた。

「そのまま別れたら、あなたのことを忘れてしまうかもしれない」

 なんて柄にもないことを。

 もはや後戻できない、と後悔したが、表情には出さず。

 けれど、煥はこう言った。

「僕だって行く当がないんだよ。どんなに遠くに行ったって、どうせ野垂れ死ぬのは目に見えてる……」

 そっぽを向くようでいて、瞳はがっちり見すえている。

 育沙は当惑した。それを予感していながら、実際に言われると驚く。


「もしいいなら、僕についてきてくれないか? 一緒にこの先を行こう」

 腕を差伸べて。

「どこに行くの?」

「わからない。けど、君となら乗越えて行けそうな気がする。だから……来てくれないか?」

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[一言] 読みやすくて、戦闘の描写も漢字がいっぱいでイカしてる。
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