森で気を失ったらしい
気が付くと、そこはベットの中だった。
本来なら、何があったのかとか、ここがどこなのかとか、色々と考えなければならないとは思うのだけれど、今の僕には別のことが頭を支配していた。
...このベッド、最高すぎる。
いや、わかってるよ、ここが安全地帯かどうかも全く分からないのだから、一刻も早く情報を集めて身を守る必要があることは。
でもこのベッドは卑怯だよ。今まで僕が入ってきたベッドは破れかけた布きれだったんだ、こんなふかふかで、それもいい匂いのする楽園を知ってしまったら、この感触を楽しまないなんて無理な話だ。
...おやすみなさい。
思考を停止して二度寝に耽ようと決めた僕だったけれど、人の話し声が聞こえてきたらそういうわけにもいかない。
「はぁ、どうすればいいんだ。流石に報告をするべきなのだろうが...]
おそらくは隣の部屋だと思う。女性の声で大変困っているようなそんな声色。
「そもそもあいつが何者なのかもわからないし、あの森にいたのだから犯罪者であるのは間違いないのだけれど、まさか肩を掴んだだけで気絶してしまうとは。」
何の話なのかいまいちよくわからないけれど、肩を掴んで気絶っていったいどういう状況?
なんとなく肩に意識が行った瞬間、右肩が激痛に襲われる。
「うぐぅ...]
そういえば、僕は森を案内していて、走って逃げて、突然体全体が衝撃に襲われて...
つまりあの女性の言う森にいた犯罪者っていうのは...
「おお、目が覚めたか。気分はどうだ、何かおかしなところはないか。」
いつの間にかベット横にまで近づいてきていたようで、突然話しかけられてぱっと返事が返せない。
取り合えずベットから起き上がろうと手をついて起きようとするけれど、さっきと同じように右肩に激痛が走り、体制を崩してベットに体を弾ませてしまう。
「ああ、大丈夫か、無理をする必要はない。別になにも急いではいないのだからゆっくり体を休めてくれ。」
どうやら僕のことを心配している様子だし、少なくとも悪い人ではなさそうだ。
「あの、すいません、僕はいったいどうしてここにいるのでしょうか。確か森にいたと思うんですけど。」
「確かに森にいたのだけれど、君が突然気絶してしまったのでな、私がここまで運んだんだ。」
森の中で気絶なんて致命的にもほどがある。そのまま放置されていたら、まず間違いなく僕はグルウルフ共に食い殺されていただろう。
「それはご迷惑をお掛けしました。今命あるのもあなた様のお陰です。なんとお礼を言えばいいのやら。」
割と真面目に感謝の気持ちでいっぱいなのだけれど、何故か彼女は苦い表情を見せる。
「いや、まあ、確かに私が運んだし、あのままだと死んでたとは思うのだが...。その、そもそも私が肩を掴んでいなければ意識を失うことすらなかったわけで...。」
やたらと歯切れが悪く、また何か若干の含みがある言い方なのは事実だけれど
「いえいえ、本当にありがとうございます。それで、失礼ですけどこのお家って...」
めちゃお金持ちの家ですよね!とは流石に続けられなかった。
「ん?ああ、ここはグレテラ街の少し南にあるリデアって言う村だ。」
あ、いや、場所が聞きたかったわけではないのですけど。
というかグレテラもリデアも全然聞いたことないし。
「そう、なんですね。ちょっと勉強不足でして、地名とか地理には疎いんですよね。」
「気にするな、別に知らなくったって問題はない。それよりも君のことを何も聞いてなかったな。」
確かに、名前も何も知らない相手を家の、しかも寝床にあげるなんて、あまりいい気持ちではないだろう。
「これは失礼しました。僕はノテハ村の獅音と言います。気軽に獅音とお呼びください。」
「そうかシオンだな。私はエーデルイス・リデア・ガーネッ...まあ名前が色々長いから、エーデルイスでもエーデでも好きに呼んで欲しい。」
名前が長いとか、もう間違いなく家名持ちのお嬢さまじゃん。
僕の拙い敬語で怒らせる前にさっさと撤退した方がいい気がしてきた。
「わ、わかりました、それではエーデルイス様と呼ばせて...え?」
呼び捨てでもさん付けでもない、僕の知る限りでの最高位の敬称、様。
それなのに、明らかにエーデルイス様は不機嫌に、というか怒ってらっしゃる。
「あ、あの、どうされましたエーデルイス様。」
出来るだけ刺激しまいと、最大限に柔らかく聞いてみるも、眉間のシワがより深くなるだけだった。
「おい、貴様私を馬鹿にしているつもりなのか、様などと誰が指示した。」
えっと、様がいけないって事でよろしい?
「あ、いや、指示されたというか、命を助けてもらったわけですし、僕としては敬意を表す意味で...」
まあベットに寝っ転がって話をしている時点で敬意もクソもない気がするけど。
「そうか、まあ悪意がなかったことはわかった。だが次に様などと口にしたら許さない。」
「でも...」
そう言いかけて、手で口を塞ぐ。
様をつけないのであればどう呼べばいいのかとか、言いたいことは色々あるのだけれど、ただでさえ怒らせてしまっているところに反抗して、油を注いではより悪化させてしまうだけだ。
まあ彼女がそう言ってるんだし、素直に様を付けないで呼べばいいか。
「わかりました、大変失礼しましたエーデルイス。」
「...フフフッ、そ、そうくるか。いや、なんだ、確かに様付けはやめろと言いはしたが、エーデルイスか、しかし、まあ、私が指示したことに間違いはないな。うん、それでいいぞ。」
この人大丈夫かな。あんなに怒っていたと思ったら突然笑い出すし、そもそも今笑うような状況でもないし、情緒不安定か何かかな。
「まあ、話したいことはたくさんあるんだ、もうすぐ食事も整うはずだから、取り合えず応接間まで行こうか。まだ痛むのであればここで食事にしてもいいが。」
食事、思わず僕はこの言葉に過敏に反応をしてしまう。
こんなお金持ちの家での食事、僕には分不相応というのはわかっているのだけれど、興味の方が、食欲の方が勝ってしまう。
「いえ、流石にここで頂くというのは申し訳ありません。是非応接間の方で頂きたいと思います。」
「そうか、わかった。それでは部屋まで行こうか。もし痛むのであれば運んでやるが。」
女性に運んでもらう。これって普通に考えて中々の屈辱な気がする。
もうすでにここまで運んでもらっているわけだし、今更なことかもしれないけれど。
「いやいや、大丈夫です。足の方は問題ないみたいですので。」
そう言ってベットから起き上がり、大袈裟に大丈夫だとアピールする。
「それだけ元気ならば問題ないか、まあ応接間といってもすぐ隣の部屋だが。」
エーデルイスが扉を開けた瞬間、眩しいくらいの光が襲ってくる。
というかよく考えたら、今までいた部屋カーテン閉まってるし、明かりもついてないしで真っ暗だった。
光に照らされて、今まで曖昧だった彼女のシルエットがはっきりと見えてくる。
エーデルイス、名前以外は女性であることぐらいしかわからなかったけれど、その立ち姿からして身長は180センチ近くの高身長、体格はすらっとしていて如何にもお嬢様って感じ。
「どうしたぼーっとして、やはりまだベットで安静ににしていた方がよいのではないか。」
「いえ、大丈夫です、大丈夫です。ちょっと考え事してただけなので。」
どうやら彼女に見惚れてしまっている様子をぼーっとしていると勘違いしてくれたらしい。
「そうか、まあ取り敢えず座ろうか。あと2、3分もすれば料理も出来上がるだろう。」
10人くらいでも囲めそうな、大きな机の1番端に腰掛けると、エーデルイスは僕の対面に座った。
「ええっと、エーデルイスが聞きたいことは勿論答えさせて頂きますけど、僕からもいくつか聞きたいことががあるというか話しておきたいことがあるというか。」
「ああ、別に構わないぞ。何が聞きたいんだ。」
緊張で背筋を伸ばす僕とは対照的に、エーデルイスは頬杖をつきながらこちらを見つめている。
「いや、その、恥ずかしいお話なんですけど、実は僕だいぶ貧乏で、お礼とかお返しとか、正直見合うだけのものが用意できそうにないんです。」
とても言いにくい、俯きながらチラチラとエーデルイスの顔色を伺うけれど、若干の微笑みから何も変化がない。
「それで、何か僕にでも用意できるような、それでいてエーデルイスが必要としている何かがあればなぁと思いまして。」
...しばらくの静寂のあと、頬杖を解いた彼女が口を開く。
「...そうだな、では少しの間、私の手伝いをする、というのはどうかな。」
手伝い、つまり物でなく労力をくれ、ということ。
「はい!そんなものでよろしいのであれば喜んで差し出します!」
命を救ってもらった対価。
それも相手は恐らくかなりのお金持ち。
僕には絶対に返せないくらいの額になると覚悟していたけれど、労力ならば返すことは可能だろう。
「まあ、落ち着け。と言ってもシオンが私の手伝いを出来るかどうか、それを見極めないといけない。」
彼女のいう手伝いとは、そんなに難しいことなのだろうか。
それとも命の危険を伴うものか。
「取り敢えず3日間、手伝いをしてもらう。それで問題がなさそうであれば、それから更に3ヶ月間お前を雇おう。」
3日間で成果を出す、あるいは使えるという事を見せなければならないということ。
「その、手伝いとは一体どんな事をすれば...。」
「チンッ」
何か機械的な音に遮られてしまう。
「おお、ようやく食事が出来たみたいだ。手伝いについてはまた話すよ。ひとまず食事にしよう。」
エーデルイスが席を立ち、奥の台所へと消えるその前に、思わず僕はもう一つ怖くなって尋ねてしまう。
「あの!...もし手伝いができないと判断した時、僕は何をお礼として返せばいいのでしょう。」
「それは...またその時考えるよ。」
そう言って僕に微笑むと、彼女は台所の向こうに消えた。