国境の森
僕の家は昔からとってもとっても貧乏だった。
それは昔だけの話ではなくて、年が進むにつれて徐々に悪化する一方で、1日に3食だった食事も気が付くと1日に2食も食べられれば御の字だと思うぐらいになっていた。
貧乏だからそれなりに危険も冒した。
1人で森に入って魔物に怯えながら安い薬草を取りに行くことはしょっちゅうだし、その最中に大型のオークに襲われて死にかけたこともある。
そんな環境で育った僕だ。周りの皆は冒険者や聖騎士、魔術師なんかを夢見ているようだったけれど、僕にはそんな自ら殺されに行くような職業は皆目理解などできなかった。
そりゃ剣士がかっこいいのもわかるし、魔法だってちょっとは使ってみたいかなー、って思うことも多少はあるけれど、でもそれはあくまで自らの身を守ることができるからであって、命を大切にするための手段としてだ。
「千聖、兄さんちょっと出かけてくるけど、お父さんとお母さんには内緒にしておいてね。」
「獅穏兄さん、また森にでも行くつもりですか?千聖は心配で心配で仕方がありません。」
「ごめんよ、でもさ僕が薬草を取りにいかないと明日のご飯、黒パンどころか雑草スープすら調味料なしの味なしスープになるかもしれないんだよ。」
千聖は味なしスープと聞くと眉をキュッとひそめて舌を出す。
「ね、それはさすがに嫌でしょ?だからさ、おとなしくお家で待っててね。」
納得のいったという顔はしていないけれど、仕方ないといった表情でこくりとうなずく。
妹をなだめることに成功した僕はボロボロの今にも穴が開きそうな横掛けバックを持って家を出る。
森までの距離は歩いて10分といったところ。
そもそも住んでいるのがど田舎の朽ち果てかけのオンボロ村なんだし、森なんて目と鼻の先だ。
実は森の近くの村というのは、案外栄えている村が多い。
それは魔物退治を生業としている冒険者たちが集まってくるからであり、また薬草なんかを必要とする薬剤師や魔術師が定期的に立ち寄るからである。
でも僕たちのオンボロの村は全く持ってそんなことはない。
村で生まれ生活してかれこれ18年となるけれど、冒険者や魔術師が来るのなんて年に1回、あっても2回程度の話だ。
それもそのはず、僕がこれから向かう森というのは魔族の国と人間の国の国境にたたずむ森。
ここ50年も魔族とは冷戦状態なんだから、誰も魔族に手出ししようとはしないし、もしもそこでちょっかいなんて出してしまえば、人間族からも恨まれることになってしまう。
まあ僕にそんな事情は関係ない。なんたって明日の食事がかかっているんだ。
そんなスケールの大きい話、実感などしようにもできるものではない。
そんなことよりも僕の今の心配事は、今年の薬草の出来具合と、魔物たちが冬眠から目を覚ましていないかどうか、それだけだ。
特に一昨年ぐらいから見かけるようになったグルウルフ、これは出来るだけ遭遇したくない。
あいつら1匹いたら10匹はいるからなあ、囲まれたら流石に逃げることもできなくなってしまう。
色々と考え事をしていると森の一歩手前までたどり着いた。
ここからは考え事に気を取られては命取りになってしまう。常に気を張り詰めて魔物の接近に少しでも気が付けるようにしなければならない。
といっても歩みを緩めることはしない。むしろ若干早めるくらいだ。
薬草の生える地点までの道は今までに何十回、何百回と通ってきている道だ。下手に歩みを緩めると森にいる時間が長くなってしまい、必然的に魔物に遭遇する確率が高くなってしまう。
一定の速度を保って歩くこと20分、ようやく薬草の生えるポイントにたどり着く。
ちなみにこのポイントは森の中間よりも若干南側、つまりぎりぎり人間の国となる。
これがもうあと10分ほど北に行ってしまえば魔族の国となってしまい文句も何も言えなくなってしまう。
薬草のポイントについたからと言って休むことは一切しない。
テキパキと薬草を回収してバックに突っ込んでいく。
「それにしても今年はたくさん生えてるね。これなら当分は薬草だけでもどうにかなりそうだ。」
よかったよかった、と続くはずだった言葉を慌てて飲み込む。
僕は何をやっているんだ。こんな静かな森の中、一言でも発してしまえば僕がここにいるって教えてしまうようなもんじゃないか。
「はぁぁぁぁ、ふぅぅぅぅ。」
1つ大きく深呼吸をして心を落ち着かせ、再び薬草採取にいそしむ。
どれくらい時間が経っただろうか、まだ明るいけれど、太陽が若干傾き始めている。
バックの中もいっぱいになったことだし、暗くなり始める前撤退しようかな。
今は森と家との中間地点くらい、今日は特に魔物にも遭遇することもなく、薬草もいつもよりも多く採取出来てほくほく大満足。
これで明日、明後日くらいまでは味なし雑草スープは啜らなくてもよさそうかな。
なんて妹の喜ぶ姿を思い浮かべながら家にたどり着くと、何やらいつもとは明らかに状況が違った。
やたらと騒がしい、うちに人が来ることなんてほとんどないのに。
家に入る前にドアに耳をくっつけて会話の内容を聞いてみる。
「あの、本当に森に詳しい人間なんてここにはいないんです。」
病気で常に布団に入っているはずの母さんの声だ。
「って言ってもさあ、村長が言ってるんですよ。いつもこの家が薬草を売って生計を賄っているって。」
「そういわれましても、私は見ての通り寝たきりですし、娘も森なんか行くほどやんちゃな子じゃないんです。」
確かには千聖森にはいったことはない。僕が全力で止めているからだ。
「あのね、別に咎めているわけではないんですよ。確かに国境の境界である森に行っているというのは、下手したら戦争の発端になるかもしれない。見逃せるような問題ではないですけど、私たちはただ森の中を案内していただきたいだけなんです。どうにか白状してくださいませんかねぇ。」
「そんなこと言われましても知らないものは知らないんです。」
完全に入っていくタイミングを失った僕だけど、今はこの場から少し離れたほうがいいかもしれない。
そう思って立ち去ろうとした直後、突然の客人がとんでもないことを口にする。
「あー、そういえばすっかり言うのを忘れていました。実はここ最近の魔物の襲撃の影響で作物が不作でして、この村の税ですが、今までの2倍頂くことになりましたので。」
なっ、2倍だって⁉
仮に本当にそんなことになってしまえば、僕ら家族はすぐに餓死する。
しかし次に続く話は、逆に僕らを裕福に、少なからず今のような貧困からは脱却できるような内容だった。
「まあ、森を案内していただけるのであれば2倍どころか税を免除して差し上げようと考えていたのですが、知らないのであれば仕方ないですね。」
僕たちが今まで貧しく苦しい生活を送ってきたのは他でもないこの重い税が原因だ。
せっかく父さんが働きに出てくれても、その多くを税によって持ってかれてしまっていた。
その税が、僕が森を案内するだけでなくなる?
父さんも母さんも、妹も今よりもずっといい暮らしができるようになる。
もちろん僕だって、今後あの森に薬草なんてわざわざ取りに行く必要なんてなくなる。
気が付いたら僕はボロボロの壊れかけのドアを開けていた。
「あの、今の、税がなくなるって話は本当なんですか。信用してもいいんですか。」
若干食いつくように突っかかる僕に、目の前の男は驚くこともなく、むしろ待っていたかのように大きく頷く。
「ええ、勿論です。これが何かわかるかな。」
白い装束を身にまとった背の高い男が、首から下げた印章のようなものを見せつける。
実際に見たことはないけれど、それでも僕にでもわかる。これはレドニアラ王国、つまり僕たち人間の国に使えるものの証。
僕は1つうなずいて肯定する。
「そうか、よかった。私たちはレドニアラ王国に使える騎士、白獅子の騎士団だ。」
白獅子の騎士団、王国直下の実力派騎士団、って村長のガルおじいちゃんが言っていた。
でもなんでそんなお偉いさんがこんな村に、あの森に用があるのだろう。
「早速ではあるのだが少年よ、今から森の案内を頼む。」
日没までまだあるとは言っても、すでに空はオレンジ色に染まりかけている。
この騎士さんたち、今から僕と一緒に、仲良く死にたいのかな?